きっかけ
八瀬晴夏という女子高校生は、どうやら周りの生徒から恐れられているらしい。主にその容姿のせいで、いわゆる不良少女の印象を持たれているようだ。週に二、三回ほどしか学校に来ないのも、その事に拍車をかけている。
彼女はあまりほかの生徒と話をしない。授業中もいつも気だるそうに窓の外の景色を眺めている。
友達と呼べる存在は、見る限りでは持ち合わせていないようで、彼女は常に孤独な空間に身を置いている。
水島は岡崎から、それらの情報を聞いた後、彼にありがとうと礼をした。
「別にいいよ、これくらい。あいつと俺、同じクラスだし。それよりどうしたんだ? お前ああいうのが好みだっけ?」
岡崎は下卑た笑みを見せた。
「いや、この前、チンピラみたいなのに絡まれて、八瀬さんに助けてもらったんだ。それでどんな人なのかと思っただけ」
水島は少しの動揺も見せずに、淡々と答えた。
岡崎はふうん、と鼻を鳴らす。「それで? 恋が始まりそう?」
「限りなくゼロだろうね。僕弱いから。あの時も何にも言い返せずにいたし」
「いやいや、そういう弱さに惹かれたりするんだよ、女の子は。まあ、知らんけど」
「知らんのかよ」
いかんせん女子と付き合ったことのない二人では、女心というものを理解することは至難の業だった。
「というよりもさ、あいつよりもお前がどう考えているかが重要でしょ。どうよ、あいつのこと気になるのか?」
「うーん、気になるといえば気になる」
「付き合いたいと思う?」
「そこまではいかないかな。友達になりたいって感じかも」
「そっかー」岡崎は困ったような表情で頭を掻いた。「友達でも難しいかもなー。さっき言ったとおりの様子だから、あいつがコミュニケーションとってる所見たことないし。それどころか何か周りを寄せ付けないようにしているような気さえするんだよなー」
「そうなの? でも名前は教えてくれたよ」
「だから不思議なんだよな、それ。少なくとも俺が知ってるあいつなら名前聞かれても無視してるはずなんだけど」
「タケも彼女のことはあんまり知らないんだろ。本当は優しい人なんだよ。少なくとも周りが思うほど恐い人間じゃない。だって助けてくれたんだから」
「まあ、お前が言うならそうなのかもな」
岡崎は自分の教室に片足を踏み入れると一言「応援するよ」と言った。
「うん頑張って話してみるよ」
「ああでも今日はいないぞ。ほら窓際、一番後ろの席」
水島は教室内に目をやり、言われた席を確認した。座り主を待つ机と椅子が、空しく置かれていた。そこだけ周りとは違う、寂しげな空間のような気がした。
水島は一瞬残念な顔をすると、じゃあと手を挙げて岡崎と別れた。
昼休憩はもうすぐ終わる。水島は足早に自分の教室への道を進んだ。
途中、ふと窓を見た。下に中庭の光景が広がる。そこで水島は目を丸くした。
大きな樹木の下でパンのようなものを頬張っている女子生徒がいた。彼女は茶髪で釣り目で、明らかに見たことのある外見をしていた。
八瀬さんだ。
なんだ来てるじゃん、と水島は笑った。しかし、もうすぐ授業が始まってしまう。話しかけるのは後にしようか。
彼は彼女を視界から外した。瞬間、彼女に近づく男の影に気付いた。さらに影の正体には心当たりがあった。この前絡んできた金髪男だ。間違いない。
「あいつ……」
今日は取り巻きを連れていなかった。だが、奴には拳を岩石のように変える能力がある。たとえ一人でも強敵だ。
プライドを傷つけられた報復のために八瀬に近づいているのだとしたら、彼女が危ない。
と、そこまで考えて水島は金髪男のおかしな挙動に気付いた。体をふらふらと揺らしながら歩いているのだ。まるで酒に酔っているかのようだ。
何だか、嫌な予感がする。
授業開始のチャイムが鳴り響いた。だが、水島は教室には戻らず、八瀬のもとに向かった。