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素顔で

 翌週、改めて登美さんが俺の部屋に泊まりに来た。


 この日を迎えるまでの数週間。俺は、彼女に背中を見られないようにするためのシミュレーションを重ねた。

 部屋の明かりは極力絞って。コトが終われば速やかにパジャマを着てと、最大限の注意を払って、初めての夜をすごした。

 けど。


「登美さん、パジャマは?」

「う、ん?」

 毛布に埋もれるようにして、うつらうつらとしている登美さんは、返事もどこかぼんやりしている。

「パジャマ、着なよ」

「……持って来て、なぁい」

「忘れたの?」

「う……うん」

 どっちだ? そう言えば、風呂あがりにもバスタオル一枚って、悩ましい格好だったっけ。


 どっちにしても、彼女が裸のままなのに、俺だけがパジャマを着るのも不自然だよな。

 後処理のついでに、クローゼットからネルのシャツを取り出して渡す。

「登美さん、ほら」

「なぁに?」

「見ている俺のほうが恥ずかしいから。これ、着て」

「そぉう?」

「うん」

 毛布で肌を隠すように起き上がった登美さんが、髪をかきあげる。二の腕の内側、一番柔らかそうなところに、大きめのホクロが見えて。

 うわ……色っぽい、なぁ。 

 しどけない姿から零れ落ちる色気に当てられて、頭に血が上る。


「慎之介さん?」

「うん? なに?」

「もしかして、どう……じゃない。初めてだった?」

 言い直した言葉は”童貞”か?

 そう思われたことにちょっと傷ついたのも事実だけど。

 先週注意した”きわどい言葉”に気づいて止めたということで、とりあえず目をつぶる。

「百戦錬磨ってわけでもないけど。この歳で”初めて”なわけないだろ?」

「そうよねぇ」


 そう言う登美さんが、”初めて”じゃないのは、わかっていた。でも、思った以上に男慣れ、している感じがして。

 彼女の方こそ”百戦錬磨”なんじゃないだろうか。


 いや、出会う前のことを咎め立てても、何かが変わるわけじゃないだろ。

 そう自分に言い聞かせて、胸の奥の燻りを消火する。


 そんな俺を知らず、シャツのボタンを止め終えた登美さんは、気だるげに乱れ髪を手ぐしで梳いて。

「ねぇ、慎之介さん」

 甘えるような声が、俺を呼ぶ。

「なに?」

「のど、渇いた」

「柚子茶は、さすがに常備してないよ?」

「そうなの?」

「代わりに、ほうじ茶なら」

「キリさんに勧められたんだっけ」

 ふわっと、あくびを混ぜながら登美さんが首をかしげる。

「うん」

「じゃぁ、それ、頂戴?」

「熱くってもいい?」

「うん」



 そんな会話を交わす間も、熱いほうじ茶の入った湯飲みを受け取るときも。眼鏡をかけていない登美さんが不自由そうな様子を見せなかったことに気づいたのは、腕の中で寝息を立てる彼女の寝顔を見ているときだった。

 お茶を飲んだ後、二人で布団に(くる)まって。取り留めの無い話をしているうちに、登美さんは眠ってしまったけど。もしかして、コンタクトレンズ、入れっ放し?

 先週、彼女がかけていた眼鏡はかなり度が強そうだった。あれ、を目に入れて一晩、って。大丈夫なのか?

 ”目に異物を入れる”という状態が想像でしかない俺にとっては、とても怖いことに思えて……背筋がゾワゾワとする。



 翌朝、近所の喫茶店でモーニングを食べながら、問いただすと、

「そのまま寝た」

 しれっと答えながら、コーヒーを飲んでいる登美さん。

「それ、目に良くないんじゃない?」

 良くない、どころか。寝ている間に、割れたりしないんだろうか。

「だって……」

「メガネ、嫌い?」

「格好悪いもん」

 もしかして、と尋ねた俺の言葉を、口を尖らせるような顔で肯定する。

「そうかなぁ? 先週の登美さん、かわいかったけど」

 モコモコしていて、素朴な。素のままの登美さん。


 サラダを口に運んでいる俺の正面で、登美さんがコーヒーに咽る。

「変なことぉ、言わないでぇ」

「自分の彼女、かわいいって言って、何が悪い?」

 言いながら自分でも、恥ずかしくなってくるけど。

 登美さんはテーブルにコーヒーカップを置くと、トーストに手を伸ばしながら上目遣いでそんな俺を見上げてくる。

「瓶底メガネのどこがぁ?」

「”油断”している感じが」

「油断?」

「うん。一生懸命”キレイでいる努力”をしている登美さんが、俺に気を許してくれたみたいでさ」


 一分の隙も無く化粧をしている”いつもの姿”は綺麗だけど。

 それ以上に、生命力あふれるその”表情”が、俺は好きだから。

 化粧なんかで、覆わないで。

 コンタクトレンズなんかで、ごまかさないで。

 ありのまま、を、見せてほしい。




 ただ、そんなことを思っている心のどこかで。

 『彼女がコンタクトを止めてくれれば、俺の背中に気づく日が遠くなる』なんて。卑怯な計算もしている俺がいた。



 そんな邪な計算もしらず。

 互いの部屋で過ごす時間は、眼鏡をかけるようになった登美さんは、俺の部屋に一組のパジャマも置くようになった。


 俺の些細な言葉で容易く変わった登美さんは、見かけによらず染まりやすい素直な女性(ひと)だと思う。

 そう考えると、彼女の男慣れしてそうな部分と素朴な部分とのギャップの理由が見えた気がした。

 隙のない化粧も、隙だらけの扇情的な姿も。

 いままでの”男”の好みに合わせて、作り上げてきた虚像なんじゃないのか、って。


 埃のように彼女の表面に積もった”男の欲”を

 ふっと息を吹きかけて、取り除いてやりたい。

 例えそれこそが、”俺の欲”だとしても。

 


 だから。入浴後に必ず薄く化粧をする彼女を、もう一歩”素”に戻す。

「せっかくお風呂に入ったのに、どうして化粧するわけ? 肌が荒れるよ?」

「だって、すっぴんって恥ずかしいし」

 恥ずかしいって。何を今更。

 熱を出した時だって、素顔だったじゃないか。


 そんな軽い問答の末。

 その日、先に風呂を使った登美さんは、クリーム色のチェックのパジャマを着て、眼鏡越しにオズオズとした視線を投げてくる。 

 その肌には、化粧の気配はなく。

 俺は、過去の男の影を拭い去ったような気がして。何かに勝った気がして。

 登美さんを、つい抱きしめてしまった。


「登美さんと、もっと早くに出会いたかった」

 耳元で囁くと、ふんわりと花のようなシャンプーの香りが漂う。

「そう?」

「うん。登美さんを大事に思わないような男たちよりも、早くに」

 そっと首元に唇を落とすと、くすぐったそうに首をすくめる登美さん。

「コンタクトも、化粧も。自分を削りながら綺麗になろうとしている登美さんに気づかないような男なんかに、汚されてほしくなかった」


 過去に、どれだけの男が彼女を通り過ぎて。

 どれだけ彼女を作り変えてきたのだろう


「私、汚れてる? バージンじゃなかったから?」

 泣きそうな声が聞こえる。

 ああ、違う。

 登美さんを貶すつもりはなかったんだ。言い間違えた言葉を取り戻すために。一度しっかりと登美さんの顔を見つめる。

「ごめん、言葉が悪いな。回数の問題じゃないんだ。本気の恋をして別れたなら、仕方のない運命かもしれないけど。どの男も、登美さんを抱くことしか考えてなかったんじゃないかなって」


 その証拠のように、”お願い”の代償に体を与えていたようなことを、登美さん自身が言ったことがあった。

 あれは、たしか……熱を出した、バレンタインデートのとき。

「何かの”代償”なんかじゃなく、俺自身を欲しがって?」

「慎之介、さん」

「無理に装ってない素のままの登美さんが、俺は欲しい」

 俺のパジャマの肩口。一番大きな傷痕の在るあたりをぎゅっと握り締めた登美さん。

 その拳の強さに、彼女の疲れを見た気がした。 

「登美さん。”お願い”を聞いてもらったら、『ありがとう』で、いいんだよ?」

「うん」

 妙な代償よりも。そのほうが格段に、嬉しいから。



 翌朝。俺は、頬の痛みで目を覚ました。

 登美さんの長い爪が、頬に押し当てられている。

「痛い、って。何やってるの、いきなり」

「私こそ、もっと早く慎之介さんに出会いたかったっ」

「はぁ?」

 寝起きで、頭が働かない。

「何、突然?」

「慎之介さんこそ、どんな女と付き合ってきたのよ」

「だから、痛いって。凶器なんだから、登美さんの爪は」

 この爪もなぁ。

 そのうちに、一度話をしたいんだけど。

 それは、置いておいて。

「どんな、って言われても、自慢になるような話、ないし」

「ホントにぃ?」

「ホント。俺、付き合いだしても結構すぐに振られるの」

「ふぅーん?」

 信じてない、って顔をした登美さんに、過去のイタイ失恋話をかいつまんでする。

 カフェインのこととか、すぐに赤面することとか。

「どっちも体質のせいなのに?」

「無理なものは無理なんだって」

 赤面することも、無理やり”体質”のせいにした俺の話を信じてくれた登美さん。

 でも、俺の背中のことは……どうなんだろう。受け入れて、もらえるだろうか。


 一番、言わなきゃいけないことを言うチャンス、だった。

 だけど、言えないまま。

 彼女のつむじに額を押し当てる。

「……つらいこと思い出しちゃった?」

「登美さんが、俺をイジメル」

 えーん、とうそ泣きをすると、パジャマ越しの腕に爪を立てられた。


「俺の過去にやきもち焼いてくれるくらい、俺のこと欲しがってくれた?」

「悪い?」

「ううん。うれしいよ」

 リップ音を立てて、キスをする。

 腕の中。至近距離で見つめる登美さんが、いたずらっ子のように笑う。

「慎之介さん」

「うん?」

「赤くなってる慎之介さんが……一番、好・き・よ」

 耳元に、顔を近づけたささやき声に。

 一気に頭に血が上った。



 隠し事、しててごめん。

 だけど、登美さん。

 一番好きな人だから。

 嫌われたく、ないんだ。

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