懐かしい顔ぶれ
”お付き合い”を始めると、一気に登美さんと接する時間が増えた。
休日の昼間に喫茶店で話をするだけだったのが、仕事の後で待ち合わせて食事に行くようにもなった。
自動車通勤の俺は、一度車を置いてから電車に乗って、と手間はかかるけど。合間に交わすメールや電話の回数も増える。
そうして彼女と近づいて、気になったコトが一つ。
それは、彼女の話し方だった。
メールでのやりとりは、それなりに社会人らしい丁寧な文章を書くのに。その直後にかかってきた電話での話し方が……幼い。
余計なお世話かもしれないけど、アレで仕事をしていて、大丈夫なのだろうか。
一度気になると、気になり続けるのが人の心理というもので。
彼女と言葉を交わすたびに顔を出そうとする”風紀委員”を押さえつけながらも、俺は彼女に注意するチャンスを探していた。
そんな付き合いを重ねるうちに、年末を迎えた。
土曜日だったその日は、登美さんの会社の忘年会が夕方にあるというので、久しぶりに昼間だけのデートだった。
駅前から少し離れた喫茶店でお茶を飲んで。『ショッピングモールに行きたい』という登美さんのリクエストに応えて、駅前まで戻ることになった。
その途中、信号を待つ間にそっと彼女の手に触れる。
滑らかな手の甲を撫でて、俺よりはるかに華奢な手を包みこむ。
チラリと俺を見上げた登美さんが、小さく微笑んで。彼女の手にも力が込められる。
初めて女性と手をつないだ時以上にドキドキしながら、青に変わった信号を渡って、ショッピングモールの玄関をくぐった。
多分、今俺の顔は真っ赤だろう。
『三階に行きたい』と言う彼女の言葉に従って、エスカレーターに乗って。
フロア図を眺めた彼女が指差す通りに歩き始めた向こうから、見覚えのある面立ちの男が歩いてきた。
「キリ?」
思わずかけた声に、相手が立ち止まった。
横にいた小学生くらいの男の子の肩に手をかけて引き止めると、俺の顔をマジマジと見つめる。
「……ピヨ、か?」
「うん」
二十年前と変わらぬ切れ長の目が笑う。
「久しぶりだな」
「ああ」
目と目が会った瞬間に、なんとなく通じるものがあって。
高校時代に時間を巻き戻したように、俺たちはハイタッチを交わした。
「ピヨ、彼女?」
俺の肩を小突きながら、キリが面白そうに尋ねてくる。
「うん」
「そうか」
登美さんを誰かに『彼女』と紹介したのは、初めてだ。
特にキリは、心を閉ざしていた頃の俺を知っているから、余計に面映い。
照れ隠しに、キリの連れている男の子に話題を移す。
「キリは……子供?」
「息子の貴文、だよ」
「って、お前、幾つの時の子だよ?」
小学校高学年、だよな? この子。
「うーんと。二十……三? いや、四か」
「はやっ!」
俺が大学院修了した頃に、もう人の子の親か。
そう思うと、複雑、というか……。
「まぁ、いろいろあってな」
人生イロイロ、な。
確かに、一寸先は闇だよ。
話題を変えようか。
「嫁さんは?」
『俺のクローンコピーだよ』って言われたら信じてしまいそうなくらい、よく似た顔立ちの息子の頭を撫でているキリに尋ねる。
「仕事中」
と、なんでもないことのように答えが帰ってきた。
「で、キリが子守りか」
「まぁな」
キリは面倒見がよかったもんなぁ。高校時代から。
信者のごとくキリに懐いていた後輩たちの顔を思い出して、こいつに子守を任せる奥さんの気持ちが判るような気がした。
『いいお父さんの子に生まれたな』なんて思いながら見下ろしたキリの息子は、何かを考えているような眼差しで、登美さんを見つめていた。
そうか。小学生でも登美さんには目を奪われるか。
きれいな女性だろ? でも、やらないぞ。
そんなことを思った自分に、笑いそうになる。
何を考えているんだか。小学生相手に。
「じゃぁ、ピヨ。また、飲みにいこうぜ」
「うん。またな」
軽く手を上げたキリと別れて、数歩も行かないうちに大事なことに思い至った。
俺、アイツの連絡先、知らないぞ?
俺も、こっちに戻ってきてからの連絡先、教えてないし。
それでどうやって、飲みに行くつもりだ?
そう考えると、訊かれたくない事情でもあるのだろうか。さっきも、息子や嫁さんの話題をあいまいに流したような気がする。
アイツ、”これっきり”にするつもりで、話を切り上げたな
くっそ。キリにやられた。
高校時代のキリという男は、搦め手で相手をコントロールする奴だった。理論武装で鎧って気に入らないことに真正面からぶつかっていた俺とは、正反対で。
今回も、やんわりと次に繋がるような期待に紛れさせて、俺とのつながりを断ったような気がする。
ため息を付きながら、キリが立ち去った方を眺める。
親子はエスカレーターにでも乗ったのか、もう、影も形も見当たらなかった。
「まったく。相変わらず、人をその気にさせるのだけは、うまいんだから……」
そう独り言をこぼした俺に、登美さんが不思議そうに声をかけてきた。
「その気にさせるぅ?」
「ええ。舌先三寸で人を丸め込むのが、妙にうまい男なんですよ」
『キリとは同じ高校でバレーをしていて』なんて、キリの紹介ついでに高校時代の思い出話なんかを聞かせる。
いつものように相槌を打ちながら聞いていた登美さんは、話の切れ目に全然関係のないことを言い出した。
「慎之介さぁん、さっきとぉ、言葉遣いがぁちがいますよねぇ?」
「え?」
言葉遣い?
「キリさん? とはぁ、もっと普通にぃしゃべってたでしょぉう?」
「普通、ですか?」
「はいぃ。敬語じゃなくってぇ、普通にぃ。私にもぉ、そうやってぇ、話してほしいなぁ」
敬語、なぁ。
確かに、キリ相手に敬語はないな。
って。これ、ちょうどいいチャンスだよな。
思い出の中のキリが、『ピヨ、打ちやすいトスだっただろ?』って、ニッと笑った気がした。
「登美さん」
「はぁい?」
改めて呼びかけた俺に、登美さんが首をかしげる。
「じゃあ、登美さんも普通に話しなよ」
「私、ですかぁ?」
「そ。その……バカみたいに語尾を伸ばすのやめたら?」
正面切った”風紀委員”の言葉に、案の定、登美さんが怒った顔になった。
柳眉を逆立てる、って言葉そのもの。
「ひどい!」
「十代の娘なら、カワイイで済むけどさ。三十超えたら、頭の造りを疑われるよ?」
「慎之介さん、もぉ?」
不安げな顔は、言葉遣いと同じくらい幼くて、男の庇護欲をくすぐるけど。
それでは世の中渡っていけない歳になっているんだよ?
そろそろ、気づかないと。ね?
曖昧に返事を返した俺に、登美さんは唇をへの字に曲げてしまった。
機嫌を損ねたらしい登美さんをフォローすることもできないまま。
忘年会の時間を気にして『帰る』と言い出した登美さんと、駅前で別れた。
翌週に控えたクリスマス、が多分、仲直りのチャンスだった。
けれど、年末までに目処をつけておきたい仕事があって残業が続いたせいで、クリスマスデートも叶わぬまま仕事納めを迎えそうになっていた。
それならば、正月休みの間に会えないだろうか……と送ったメールには、
【田舎に帰って、家族と過ごします!】
なんて、冷たい返事が返ってきた。
ただ、メールの文章は大人な登美さんにしては珍しく、”お怒りマーク”の絵文字がついていたから、なんとなくそんなに腹を立てていないような気がした。
勝手な思い込みを信じることにして、返事を送る。
【そうか。じゃぁ、戻ってきたら連絡して】
俺は、敬語をやめたよ?
年明け、登美さんは
どうする?
仕事納めの日は、そのまま実家に戻った。
そんな俺を狙ったかのように、高校時代の友人、マツから連絡があった。
〔よっしゃぁ、捕まえたぁ!〕
電話の向こうで雄叫びを上げる、かつてのキャプテン。
〔捕まえた、って、お前なぁ〕
〔”藁の中の七面鳥”じゃ無くって、”実家の中のピヨ”〕
〔俺は、クリスマスチキンになる気はないぞ?〕
〔クリスマスは過ぎただろ。第一、ヒヨコなんか食う部分ほとんどないだろうが〕
そんな軽口を叩いたマツの用件はというと、県外に住んでいるテラが年末で戻ってきているから、飲みに行かないか、という誘いだった。
クリスマス前にはキリに会ったし。会わないときには会わないのに、会うとなったら立て続けだな。
卒業以来になる懐かしい顔を思い出しながら、時間と場所を確認して、俺は受話器を置いた。
約束の飲み会は、大晦日だった。
久しぶりに降りた高校の最寄り駅は、ずいぶん雰囲気が変わっていた。
卒業した年の夏に、キリと一緒にバレー部の夏合宿に顔を出して以来、か。
当時は改札に駅員がいたのに、と思いながら自動改札に切符を通す。定期券を持たない生活も、長くなったな。
「ピヨ!」
かけられた声に、顔を上げる。
券売機の横で、手を上げているのは……テラだな。
「悪いな、急に呼び出して」
テラの隣からそう言ったマツの顔は、欠片も悪いと思ってない。
「本当に、いきなりすぎ。キリとニシは?」
「キリはパスって。ニシは……次の電車かな」
そうか。やっぱりキリは来ないか。
クリスマス前の出会いを思い出して、なんとなく唇が歪んだ。
「キリは、明日は朝から嫁さんの実家に年始だと」
「……年始、なぁ」
「隣の県だから、朝早くに出るらしいな。で、二日はキリの実家って」
「ふうん」
マツとそんな話をしていたら、テラも口を挟んでくる。
「三日の夜だったら、って言ったらしいけど。それは俺が向こうに帰ってしまってて無理だし」
「だったら、キリとはまた今度なって」
今度、は本当にあるのかなぁ?
マツのことも丸め込んだんじゃないのか?
ニシとも合流して、駅前のチェーン系の居酒屋へと向かった。
乾杯をして、互いの近況を肴にグラスを空ける。
「じゃぁ、キリは結婚したんだ。テラは?」
ニシがお通しのモロキュウを摘みながら、尋ねる。
「俺?」
「ああ。おまえも高校時代、もててたし」
ニシの言葉に、俺も内心で頷く。
毎年のバレンタインに、テラとキリの二人は結構な数を貰っていたっけ。
「俺は……一人の女に捕まるような男じゃねぇよ」
そう嘯いたテラが、グラスを空ける。
「テラ」
「なに?」
「それは、わざわざ口にすることじゃないと思うけど?」
「そうか?」
「軽い男だって、言っているだけだよ。付き合うなら、ちゃんと誠意を持って付き合わないと」
正面に座ったテラの、空いたグラスにビールを注ぎながら言った俺に、テラの肩がゆれる。
そのうちに、げらげらと声を立てて笑いだして。
「でたっ、ピヨの説教っ」
バンバンとテーブルを叩くテラ。
その隣で、マツも頬に笑いを浮かべながら俺を見る。
「そう言うピヨは、”誠意を持って”付き合っている相手が居るのか?」
「居るよ。結婚を前提に付き合って居る女性が」
「おおー。ついにピヨにも春が来たか」
笑いを含んだニシの声に隣を見ると、頬杖をつくように俺を眺めている。
そんなに注目されると、照れるじゃないか。
「ピヨ」
「うん?」
照れ隠しにグラスに口をつけた俺に、笑いを収めたテラがまじめな声をかけてきた。
「本気の相手なら、油断するなよ」
「油断、って」
「油断は、油断。人生、何があるか分からないからな」
そんなこと、言われなくても知っているけど。
テラは一息に空けたグラスをテーブルに戻すと、両手で顔を覆った。
「テラ? どうした?」
そんなテラに、マツが心配そうな声をかける。
「俺だってさ、結婚を意識した相手がいなかったわけじゃないんだ」
「うん」
「でも、横から掻っ攫われた」
「そう、か」
そんなテラの打ち明け話に、相槌を打ちながらマツが互いのグラスにビールを注いだ。
「で、ピヨ。どんな相手?」
しんみりとした空気を、テラが自分でぶち破るように俺に話を戻す。
「どんなって……」
「年は? きれい系? かわいい系?」
「二つ下のきれい、な人だよ。俺にはもったいないくらい」
「くー。なんだそれ。惚気やがって」
「聞いたのは、テラだろ?」
赤くなった顔を意識しながら、焼き鳥の串に手を伸ばす。
俺が取ろうとしたネギマを横から奪ったマツが、思い出したように話題を変えた。
「二つ下、って言ったらさ。ジンと亮」
「ああ。織音籠な」
マツの言葉に、二歳年下の後輩たちを思い浮かべた俺だけど。
続いたテラの言葉は、意味不明。
「オリオンケージ?」
「あー。ピヨは、相変わらず疎いな。ちょっとはテレビとか雑誌とか見ろよ」
そう言って、高校時代と同様にレクチャーしてくれたニシの説明によると。
バレー部の後輩だったジンと亮の二人は、大学卒業と同時に”織音籠”のバンド名でデビューしたらしい。楠姫城市を拠点に活動して、最近ぼちぼちと売れてきているとか。
「そういえば、文化祭の野外ステージに二人でユニットを組んででていたっけ」
「そうそう。で、大学に入ってメンバーを五人に増やして、デビュー。らしいな」
ニシがそう話を締めくくって、店員から春巻きの皿を受け取った。
あのジンが、芸能人なぁ。
『大魔神』と呼ばれるような体格をしていながらも、引っ込み思案だった後輩。文化祭のステージに立った姿を、キリは『成長したな』って、うれしそうに眺めていたっけ。
それぞれが取り皿に春巻きを取るのを眺めていたマツが、いきなり笑い出す。
「気持ち悪ぃな。突然。なんだよ」
テラが、マツの皿にも春巻きを置いてやりながら、軽く身を反らす。
「あ、サンキュ。いや、俺さ、二十歳の頃の亮と会ったんだけど。もう、びっくりを通り越して、固まっちまってさ」
「なに?」
「肩までの金髪ワンレン」
テラとマツの会話を聞きながら、なんとなく想像して。
ビールを吹きそうになった。
「似合いすぎだろ」
同じように想像したらしいニシが、そう言って笑い転げる。
「似合う似合わない以前にさ、それ、高校の生徒指導室で見た俺の驚きを想像しろ、っての」
「何、でまた、そん、な場所、で」
たずねるニシの言葉が笑いで途切れがちになる。
「顧問の離任式に行ったら、あいつも来ててさ」
「で、生徒指導室?」
って、尋ねたけど。それ、どこにあったっけ?
さすがに俺も知らないぞ?
「校門にいた生徒指導の先生に捕まって、『在校生に見せるな』って隔離されたらしい」
馬鹿だねぇ。
笑いすぎて、頭痛くなってきた。
「一緒に来てたあの学年の女子マネに言わせると、『去年よりは、マシ』ってよ」
一番派手だった時って、どんなんだったんだ?
想像するのが、怖いじゃないか。