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闇に灯りを

 登美さんが、悪夢にうなされた翌日。

 昼過ぎに、登美さんを家まで送って行った帰り道、俺は実家へと立ち寄った。


「あら、慎。どうしたの?」

 玄関を開けた音に気づいたらしい母が、台所の玉すだれから顔を覗かせる。

「ちょっと、近くまで来たから。父さんは?」

「”アトリエ”、よ」

 いたずらっぽく笑いながら母が、廊下の奥を指さす。

 アトリエ、なんて格好つけているけど。結婚して家を出た兄の部屋を、父が定年後の趣味で始めた木彫の作業部屋に使っているだけのことで。

 『ついでに、お茶を持って行って』と渡されたお盆を片手に、俺は廊下の奥の階段に足をかけた。



 ”作業机”という名の、古い座卓に麦茶のグラスを二つ置いて、父と向い合うように腰を下ろす。父が、使っていた彫刻刀にキャップを嵌めながら口を開いた。

「どうした? 今日は」

「うん。ちょっと相談があってさ」

 冷えた麦茶で、口を湿らせる。

「今、結婚を考えてる相手が居るんだけど」

「ほぉ」

「一人っ子、らしいから。もしかしたら、相手の苗字を継いで欲しいって言われるかもしれない」

 ”ニワトリ”がどうのっていう理由は説得には弱い気がして、こじつけた言葉は……”方便”としても、少し狡い、な。


 と思ったら、その”疚しさ”に反応したように、父に言葉尻を拾われた。

「”かも”?」

「う、ん。まだ、そんな具体的な話はしてないんだけど。一人っ子だってのは聞いたから」

 俺の顔をじっと見ながら、父が麦茶を飲む。

 ゴクリ、と喉仏が動く。

「まぁ。うちは跡継ぎを気にするほどの家柄じゃないし、康之介もいるから、かまわないが」

 そうか。よかった。

 ほっと息をついて、俺もグラスを口に運ぶ。

 香ばしい麦の香りが、鼻を通り抜ける。



「で、その。なんだ」

 父が珍しく、言葉を探す。

「相手は、お前の傷のことは?」

「言って……ない」

 答えた俺をじろりと、父が睨んだ。

「それで、苗字がどうの、ってのは、順番がおかしいだろ」

「……やっぱり、おかしいかな?」

 腕組みをした父の視線に負けて、つい視線が落ちる。

「”やっぱり”ってことは、自覚があるな?」

 父が彫っていた唐草模様を視線でなぞりながら、ひとつ頷く。

「慎之介」

「は、い」

「黙っていれば、分からない、なんて育て方をした覚えは無い」

 父の言葉に、昔聞いた祖母の声が蘇る。『慎之介の名前は、”誠実”を意味するんや。嘘だけはついたらアカンで』と。

 返す言葉もなく、項垂れる。



「それとも」

 グラスの表面に浮かんだ水滴を指でぬぐっていた俺は、その声にそろりと父の顔を窺った。

「苗字を継ぐことを交換条件にでもする気か?」

「交換条件って……」

「婿養子がほしいなら、傷のことには目をつぶれって」

 父のあまりの言いように、頭が跳ね上がる。勢い余って、机に両手を叩き付ける。

「そんなこと、考えてなんかっ」

「なら、きちんと相手と話をしなさい。大事な話もできない相手と結婚しても、続くわけがない」

「はい」  

 理論武装なんかじゃなく。

 きちんと。誠意をもって。 



 実家からの帰り道。バスに揺られながら考える。

 試験までの残りの日々、登美さんが昨日みたいにうなされることが無いように、名前の呪縛を解くことは最優先。

 でも、傷のことまで話すのは、不要な重荷になるだろうから、結果が出るのを待って。

 彼女が、もしも受け入れてくれれば……きちんとプロポーズしよう。 


 そう心を決めた俺は、その週の金曜日の仕事帰り、少しだけ寄り道をした。



 翌日、登美さんの部屋へと向かう。昨日手に入れたものをシャツの胸ポケットに入れて、ドアチャイムを押す。



 アイスコーヒーとオレンジジュースの入ったグラスをテーブルに置いた登美さんの前に、持ってきたものを差し出すと、怪訝そうな顔で見つめる。

「婚姻届?」

「うん」

 昨日、時間外ではあったけど貰ってくることができた婚姻届を手にとって、矯めつ眇めつ眺めている登美さん。


「どうして?」

「登美さんさ、何のために試験受けるの?」

「なんのため、って?」

「結婚するための試験なの?」

「……違う」

 先週、『合格しないと”丹羽 登美”になれない』と言って泣いたことを覚えていなかったらしい登美さんに、無駄に追い詰められていると、指摘する。

 

 そして、”染められ易い”彼女の思考の誘導にとりかかる。

「登美さんに、俺が余計な思い込みを与えたのも悪いんだけど」

 彼女が手にしたままの用紙の一ヶ所を指差す。

「ほら、これ」

 『結婚後の姓の選択』と書かれた、チェックボックス。

「結婚して、”丹羽”姓を名乗らないと”いけない”わけじゃないんだ」

「え?」

「俺が、”稲本 慎之介”になる選択肢もあるってこと」

 目を丸くした登美さんが俺と、用紙を見比べる。

「慎之介さん、婿養子になるの?」

「ならないよ。それが”思い込み”だって」

 水田と小早川さんの一件を説明すると、納得したような顔をした登美さんは、指先でチェックボックスの辺りを撫でている。

 マニキュアをやめて一年近く。

 きれいな色に近づいてきたその爪を、労わるような気持ちで眺めてから、登美さんにボールペンを借りた。


「し、し、し、」

「うん? なに?」

「し、しん、の、すけさん?」

「登美さん、言えてないよ?」

 婚姻届の一番上の欄。

 ”夫となる者”の枠内に、自分の名前を書いた俺に、登美さんが動揺した声を上げる。

 そんなに、驚かなくってもいいじゃないか。

 結婚を前提で、って最初っから言っているのに

「登美さんが”丹羽”になる決心か、俺を”稲本”にする覚悟ができるまで、登美さんが預かっておいて?」

 軽く二つに折った用紙を手渡す。

「登美さんが記入したら、一緒に届けに行こう」

「……はい」


 その前に

 絶対きちんと、話をするから。

 そのときは

 嫌だとは言わないで。



 それからしばらくして、登美さんの試験も終わった。

 さすがに、試験が行われるその週は会うのを遠慮して。

 翌週の金曜日。仕事を終えた登美さんが、俺の部屋に泊まりにきた。


 試験から開放されて肩の荷が下りた、って感じで、登美さんの緊張がほぐれているのが手に取るように分かる。

 一足先に入浴を済ませた登美さんが、パジャマ姿で髪を乾かしている間に俺も風呂に入る。



 風呂から上った俺は、下着を穿くためにバスタオルを一度、洗濯機のふたの上に置いた。

 そして再度、バスタオルに手を伸ばしたとき。

 背後で、脱衣所を兼ねた洗面所のドアが開いた。


「登美さん!?」

 慌てて、バスタオルを肩にかけた時には遅かった。

 洗面台の鏡越しに、血の気の引いた登美さんと目が合った。


「見た?」

 恐る恐る尋ねると、痛そうな顔で頷く登美さん。

 ああ。とうとう。来てしまった。

 まだ、もう少し先のつもりだったのに。



 とりあえず部屋へと戻ってもらって、パジャマを着る。手が震えて、ボタンがうまく留められない。

 なんとか、衣服を整えて。ドアノブに手をかけた俺は、深呼吸を何度も繰り返す。


 もしかしたら。

 このドアを開けても、登美さんは居ないかもしれない。



 登美さんはテレビの前で、ひざを抱えて座っていた。 

 ぎゅっと両手が、腕を掴んでいる。名前を呼ぶと、顔が上がって。眼鏡越しの目と視線が合った瞬間、彼女の目が揺れた。

「ごめん。驚かせたね」

「……うん」

 ゆっくりと。これ以上驚かせないように。静かに彼女の前に腰を下ろした。

「けが?」

「うん。子供の頃に、火傷してね。痕が残っちゃって」

 尋ねる小さな声に、事実を話す。

「傷が残りやすい体質、らしくって」

「そっかぁ」

 そっと彼女の手が、俺の右肩に乗る。

 一番大きな傷痕を辿るように指先が、肩を移動する。

 その動きに、彼女がはっきりと傷痕を見たことを思い知る。


「気持ち悪く、ない?」

 そう尋ねた俺に、登美さんは小首を傾げる。

「気持ち悪い?」

「うん」

 嫌悪にゆがんだ、昔のカノジョの顔を思い出してしまって。

 心が悲鳴を上げる。

「どうして?」

「今まで付き合った相手が……」

「そんなこと、言ったの?」

 まっすぐな彼女の目から、逃げるように床を見ながら黙って頷く。


 首筋に、彼女の唇が触れたのを感じる。

 右耳の後ろ。かろうじて襟で隠れるその辺りにも、たしか傷痕はあった。

「体質なのにね」

 あっさりとした登美さんの声に、視界が涙で歪む。

 声が震えないように、のどに力を入れて……許しを請う。

「ごめん、言わなくって」

 と。


 『気づかなくって、ごめん』と言って、登美さんが俺の頭をぎゅっと抱きしめる。

 彼女の胸元に、涙が吸い込まれるのが見えた。



 登美さんと出会うまでのこと。

 高校時代のご隠居生活とか、大学時代の痛い思い出とかを話す。

 黙って聞いている間、登美さんはやさしく俺の背中を撫で続けていてくれた。

 

 そして。


「ありのままの慎之介さんを、見せて?」

 それ、本気で言ってる?

「本当に気持ち悪く、ない?」

「私の爪、気持ち悪かった?」

「いや。登美さん自身だから」

「でしょ? 同じことよ?」

 そうか。同じこと、なんだ。


 あの日、爪をさらして電車に乗ってきた登美さんに、負けられない。

 俺はボタンをはずしたパジャマを、背中からすべり落とした。


 俺の背中に回りこんだ登美さんは、ひとつずつ傷を確認するように指で辿ったあと。

「ありがとう。ありのままを見せてくれて」

 そう言って、俺の頬にキスをくれた。



 翌朝、登美さんは、約束していた映画に行く前に一度家に帰りたいと言い出した。

 忘れ物でもしたのだろうと、予定よりも早くに家を出て向かった彼女の家。

 いつものようにローテーブルの前に腰を下ろした俺の前に、登美さんがボールペンとクリアファイルを出してきた。

 なんだ? と思うまもなく、見たことのある書類に彼女が記入を始めた。

 ”妻となる者”の欄に、”稲本 登美”と。

 動揺している俺を横目に深呼吸をした登美さんは、結婚後の姓を選ぶチェックボックスにチェックを入れた。


 それは、”丹羽姓”を名乗る意思表示。


 そして、俺の名前を静かな声で呼んだ登美さんは、厳かに宣言をした。

「私は、魔よけの『にわ とみ』に、なるわ」

 

 言葉の意味が掴みきれない俺に、登美さんが言い聞かせるように話す。

「いつだったか、慎之介さんが言ったじゃない? 『悪い夢を食べる魔よけのニワトリになってやる』って」

「ああ……うん」

「だから。私は、慎之介さんの『つらいことを食べる魔よけの”にわ とみ”になる』わ」


 昨日、『ありのままの慎之介さん』と言ってくれただけで、俺には十分だったけど。


 この日、俺は”ヒト”に戻れた気がした。

 それは多分。お姫様のキスで、悪い魔法を解いてもらった怪物の心持ち。



 そのやり取りが、実質プロポーズとなって、俺たちは婚約をした。

 さすがに手順というものがあるのは、いい年をした大人だからわかっている。婚姻届けの用紙は、提出しないまま登美さんの家で保管してある。


 そして、互いの実家に挨拶をしたり、見合いをセッティングしてくれたそれぞれの上司に報告をしたりと、結婚に向けての準備が始まる。



「私の方は、営業の課長だから直属じゃないし」

 仲人はどっちの上司に頼むかを相談すると、登美さんはそう言って笑う。

「営業にも同年代の独身の人は居たんだけどね。多分、結婚退職とかされたら困るんじゃない」

「へぇ」

「バリバリに仕事ができる人だからねぇ。私と違って」

「登美さんも、がんばってるでしょ。試験にも合格したし」

「おかげさまで」

 冗談めかして頭を下げた登美さんが、髪をかき上げる。その左手にダイヤの指輪が煌く。

「じゃぁ、俺の方で仲人を頼んでおくよ」

「うん、お願いね」

「後は、まず、式場?」

「そうねぇ」 

 綺麗な登美さんの、最高に綺麗な一日を作るために。二人で準備する、幸せな時間を重ねる。



 そして、今年も夏が来る。


 木曜日だったその日、分析センターからサンプルの受け渡しと報告のために小早川さんが研究所に顔を見せていた。

 仕事の話が一段落ついたあと、他愛ない世間話をしていた。

 話の合間に外線がかかってきたり、実験の区切りを知らせるタイマーがなったりで、実験チームのメンバーが一人、二人と席を立って。小早川さんと俺が二人で話を続けていた。


「そういえば、結婚がきまったんですってね?」

「あぁ。アイツから、聞いた?」 

公平(こうへい)もだけど。お義父さんが張り切ってらして」

「ああ。仲人をお願いしたから……」

「で、どんな人?」

 面白半分に根掘り葉掘り尋ねられた俺は、ちょっとした言葉に引っかかって、やっぱり赤面してしまう。

 照れ隠しにもならないけど、何となく。

 外していた保護眼鏡を掛け直す。


「丹羽さん、幸せそう」

「そりゃ、どうも」

 多分、そんな会話をしていた。幸せ、って言葉に、うれしそうな登美さんの顔を思い出して、顔がにやけそうになったことは覚えている。

 そして、

「何やってるんだっ、おまえらっ」

 そんな叫び声に、顔を上げて。 

 

 凶悪な人相をした小早川 公平、旧姓 水田が、テーブルの上のガラス瓶の蓋を開けたのが見えた。

 俺を睨むようにしながら、瓶を持った手が肩の後ろに引かれる。

 指の間から、ラベルの字が目に入る。


「止めっ。お前、それ、(コンク)の塩酸っ」 


 褐色瓶の口から、スローモーションのように飛んでくる液体が見えた。

 とっさに、腕で頭をかばいながら背中を向ける。


 左手と、左頬から肩にかけて熱を感じた俺は、毟り取った保護眼鏡をその辺りに投げ捨てて、水道に突進する。

 蛇口の下に頭を突っ込むようにして、水をかぶる。


 とにかく流さないと。

 化学火傷は、熱傷よりも怖いから。

 痕が。傷痕が。


 ま  た  増  え  る。



 同僚が呼んだ救急車に乗せられて、病院で治療を受けた。

 必死の思いで水を被ったのが功を奏して、深い火傷にはならずに済んだ。


 ただ、診察した医者は、治療のために服を脱いだ俺の背中を見て言った。

「もしかしたら、これも痕が残るかもしれませんね」 

 と。


 登美さん。

 ごめん。

 また、怪物に戻ってしまった。



 治療を終えた俺が診察室を出ると、廊下に水田部長が居た。

 俺に塩酸をぶっ掛けた本人は、あの後、錯乱したように手近にあった試験管立ても振り回して。さまざまな薬品を浴びたうえに、処置も遅れて大事(おおごと)になっていた。俺の隣にいた小早川さんのほうは、手の甲に少量がかかっただけで、こちらも対処が早く、軽傷で済んだらしい。


「丹羽くん。済まなかった」

「いえ」

 『治療費、云々の話はまた後日』と、疲れた表情で言う部長に辞去の挨拶をして、俺は着替えを持ってきてくれた父と一緒に病院を後にした



 後日、治療費の相談の席で水田部長から聞かされた話によると。


 小早川 公平は結婚の少し前から、疑惑を抱いていた。

 妻が苗字を変えることや仕事を辞めることを嫌がるのは、将来離婚するときのためじゃないかと。

 冷静に考えれば、根拠の無い妄想だけど。疑心暗鬼に陥った公平の視界は、普通では考えられないほど狭く歪んでいた。

 かつて”恋敵”だった俺が、妻の異動について苦言を呈したり、彼らの結婚の報告や名字の変更に”奇妙な”反応をしたりしたことが、さらに公平の心を追い詰め。

 俺の結婚話すら自分の目を欺くための芝居だと思ったらしい。


 あの日、たまたま消耗品購入のことで、実験室に顔を出した公平は、俺と妻が”二人っきりで””楽しそうに”話をしているのを目撃して、疑惑が確信に変わったという。

 タイミング悪く赤面した俺の表情にキレた彼は、実験テーブルの上にあった薬品を後先考えずに俺にぶっ掛けた。


 つい説教をしてしまう癖と、すぐに赤くなる顔と。

 俺が”ヒトの心”を忘れていた間に、身についたモノが全ての原因だった。

 もっと早く、登美さんと出会えていれば

 何かが……違ったのだろうか。



 毎日、仕事を早退しては、病院で処置をしてもらう。

 春から忙しかった研究が山場を越えていて、残業の必要がなかったのが、せめてもの救いだった。



 怪我から、十日ほどが経った土曜日は、見合いをしたホテルのブライダルフェアに行く予定で、登美さんとは昼前にターミナル駅で待ち合わせをしていた。


 大きなガーゼに覆われた左頬に、他の乗客の視線を感じながら電車に揺られる。

 肘から先に包帯が巻かれた左手をかばうように右手でつり革を握った俺は、二年前の見合い当日よりも緊張しながら、窓の外を流れる景色を眺める。

 空想の中で、嫌悪に歪んだ登美さんの綺麗な顔が、青空に浮かんで。

 何度も、息が詰まりそうになる。  



 『本気の相手なら、油断するな』

 いつか聞いたテラの声を思い出す。


 本当に

 人生、一瞬先は闇、だな。



「なに? その顔っ」

 俺の顔を見るなり、登美さんは叫び声をあげた。

「ごめん、ちょと……」

「怪我? 痛い?」

 そっとガーゼに手が伸びてきて。触れるのに躊躇したように握られた手が、肩に落ちた。

 肩にも広がっている傷が、衝撃で疼く。

「いっ」

「あ、ごめんね。こっちも?」

「うん。薬品、かぶっちゃって」

「……火傷?」

「う、ん」

 頷いた俺に、登美さんが顔を顰める。

   

「痕、残るの?」

「もしかしたら。っていうか。多分」

「そう」

 短くなった爪で、自分の頬を突いていた登美さんは、しばらく考えていた。

 ああ、やっぱりこれまで、かなぁ。


 見納めかも、と思いながら栗色の頭を見下ろしていると、登美さんが顔を上げた。

「慎之介さん」

「うん」

「怪我が写真に残るのは、嫌、よね?」

「はぁ?」

「だから。結婚式、したら記念写真撮るじゃない?」

「ああ、うん」

 兄の結婚式でも、親族一同で集合写真をとったな。

「傷痕は仕方ないとしても、怪我が治るまでは、式を先送りにしようか?」

「あの、登美さん?」

「なぁに?」

「嫌、じゃない? こんなバケモノみたいな男」

「化け物?」

「うん。傷痕だらけで、さ」

 言っていて、自分が嫌になる。

 いつかの映画の主人公みたいに、仮面を被って隠遁生活でもしようか。


「慎之介さん」

「はい」

「それが、”ありのままの慎之介さん”でしょ? 傷痕が残りやすい体質だってことも含めて」

「本当に、俺なんかでいいの?」

「いいの。言ったでしょ? 私は、”魔よけの丹羽 登美”になるのよ? これ以上、慎之介さんが傷のことで、嫌な思いをすることは無いの。全部、私が食べてあげるから」

 ね? と言って俺の目を覗き込んだ彼女は、慈愛のこもった微笑みを見せた。


 感極まって、駅前の人ごみの中なのに涙がこぼれそうになる。

 ぐっと奥歯を噛み締めて、天を仰いで耐える。


「慎之介さん。大丈夫?」

 登美さんの声が聞こえる。無事な右手に、彼女の手の感触が重なる。



 人生、一瞬先は闇だけど。

 この女性(ヒト)だけには、綺麗なその笑顔で、ずっと笑い続けていてほしいから。


 俺も、登美さんの”魔よけ”になろう。

 丹羽(ニワ)トリになりきれてない”半人前”の『ピヨ』な分。

 ”誠実”を、おまけにつけるよ。

 この先、一生。登美さんに隠し事はしないと誓うよ。


 そして


 登美さんの”山登り”の標になる灯りをともそう。

 闇で迷うことのないように。

 背伸びに疲れた時には

 安ぎになるような灯りを。



 あの映画の主人公。

 火傷の顔を仮面で隠した男が、未来へ続くヒロインの道をランタンで照らしたように。 


 END.

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