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疚しさと焦りと

 年が明けて、最初の連休が過ぎる。

 暮れに約束していた飲み会をしようと、他県に住むテラを除いた四人で集まったのは、キリが勤める病院近くの居酒屋だった。


「なぁ、キリ」

「うん?」

「嫁さんにさ、隠し事ってしたことある?」

 思っている以上に、俺はアルコールが回っていたのかもしれない。

 そんなことを尋ねた自分自身に驚いていると、ビール片手にマツが笑う。

「ピヨ、彼女に隠し事なんかしてるわけ?」

「”誠実じゃない”なぁ。それは、やっぱり説教だな」

 俺の横でそう言いながら、ナス田楽を取り分けていたニシも肩を揺らす。

 

 キリだけが、笑いもせずに俺の顔をじっと見る。

「ピヨ。隠し事ってさ、疚しくない?」

「……疚しい」

「いいか。疚しい気持ちがあると、相手の目を見れなくなる」

「……うん」

 登美さんのあの、”生命そのもの”のような表情を見れなくなるのは、嫌だ。

「でもさ、嫌われるのはもっと嫌だし」

「ばれた時のほうが、嫌われるぞ」

 自分が”正しくない”自覚があるだけに、反論する言葉も見つけられず、黙ってビールを飲む。

 いつも以上に、苦いビールだった。 


「で、結局キリは隠し事をしたことはあるのか?」

 空いた俺のグラスにビールを注ぎながら尋ねたニシの言葉に、キリは苦笑いをこぼす。

「してない、っていうか……できない」

「なんだそれ? キリって、意外と尻に敷かれてる?」

「うーん。まぁ、敷かれてても俺は構わないんだけど。人の目をじっと覗き込む癖があるヤツだから。つい、『ごめんなさい。隠してます』って言いたくなるんだよ」 

「どれだけ、白状させられたんだよ」

「付き合う前から、判ってたことだから。最初っから、隠し事はしてない」

 なんでもないことのように言ったキリが、チーズフライに手を伸ばす。

 そういえば、キリって高校時代も試合の度にチーズを食べていたっけ。歳をとっても相変わらずチーズ好きなんだな、と思いながら咀嚼するキリを眺める。


「へぇ。じゃぁ、高校時代のあれやこれやも?」

 マツが、楽しそうに話をふる。

「あれやこれや、って。どれだよ?」

 言い返したキリにマツが、二学年下の女子マネージャーの名前を出す。

「なんで、その名前が出てくるよ?」

「キリに憧れてたじゃん?」

「あー。でもアレは……恋に恋する年頃の”憧れ”だろ? 俺達が卒業してから、(とおる)と付き合ってるって噂を弟から聞いたぞ?」

 不意打ちで出てきた亮の名前に、俺は口に含んだビールに咽た。


「ピヨ?」

 ニシがお絞りを俺の膝の上に投げてくる。

 ありがたく受け取って。手と、口元を拭いて。

「どうした?」

「いや……」  

 なんとなく、登美さんと亮のことは言いたくなくって。

「去年、マツが言ってた”金髪の亮”を思い出してさ」

 つい笑ってしまった、と、ごまかす。

 それに、マツが食いついた。

「あぁ、そうか。だから、顧問の離任式にあの二人一緒に来てたんだ」

「なに? 離任式? 金髪?」

 話についてこれてないキリに、マツが改めてかつての再会について話すのを聞きながら、ササミの和え物を取り分けていて。

 あれ?

「マツ」

「うん?」

「その話って、亮たちが二十歳のころ、って言ったっけ?」

「かな? 俺が大学四年だったはず」

 グラスを片手に答えるマツを見ながら、頭の中で計算をする。

 俺たちが大学四年の春なら、登美さんたちは大学二年で……十九歳? 二十歳、にはまだなってないか。

 うーん。件の女子マネと別れた亮が登美さんと付き合い始めたなら『十代で付き合ってた』と言っていた登美さんの話と、計算はあうのか?

 まさか、二股をかけられてたわけじゃないよな?


「どうした、ピヨ?」

「うん?」

「そんなに考えるような話か?」

 向かいから聞こえたキリの声で、我に返る。

 そして。

 我に返ると、今までの被害妄想に近いような思考はさすがに口に出せなくって、さらにごまかす。

「いや。あの二人って、そんな雰囲気だったかな、って思ってさ」

「険悪、でも無かったと思うけど」

「うん。けどさ、あの子がキリを見てるのを亮は面白がってた気がするんだよな」

 むしろ、亮の友達のほうが、熱心にあの子の事を見てた。というのは、高校時代の”ご隠居の観察結果”だけど。 


 そんな会話から昔を懐かしむ話に話題で盛り上がった、その日の飲み会は。

 飲み込みきれない苦い何かを、俺の胸の中に残した。



「登美さん、調子悪い?」

 キリたちとの飲み会から一週間が経った、翌週の土曜。登美さんはデートの間も、時々ため息をついているし、足取りにも元気が無い感じがした。

 『また体調が悪いのに、無理をしているのかも』と心配で早めに彼女の部屋へと戻って。一息入れたところで尋ねると、登美さんはこめかみを揉みながら小さく首を横に振った。

「じゃぁ、忙しいの?」

「うん。ちょっと、疲れた」


 いつだったか陰口を叩いていたという後輩が暮れに退職をしたらしく、そのシワ寄せがきていると言いながら登美さんが首を回す。


「辞めてみたら、あの子が結構仕事を抱えてたことが分かって」

「うん」

「私のしていた仕事量と比べたら、確かに『役立たず』って言われても仕方なかったと思うくらいでね」

「そんなに差があるわけ?」

 それは、割り振りをした上司の責任、じゃないのか?

「うーん。全体でどのくらいになるんだろ? なんだか、毎日『うわ、これも』『あれも、彼女か』って沸いて出てきてて。『じゃぁ、稲本さん、これも頼める?』って感じ」

「それ、片っ端から登美さんが引き受けてるわけ?」

「女子の最年長だし。任せてもらえるようになったのは、あの子くらいまで成長できてるってことだから」

 登美さんは素直に、後輩が”仕事のできる子だ”と認めて、追いつこうとしているらしいけど。

 単純に引継ぎ不足で退職したせいで、周りが振り回されている気がしてならない。


「課長にも『頼りにしてる』って言ってもらったから。頑張る」 

 そう言って握りこぶしを固めて見せる登美さんは、年明けから『仕事に対する自信をつけるために、パソコン技能の検定試験を受ける』と言い出して、勉強も増やしていた。

「検定試験、後に回したら?」

「ううん。大丈夫。まだ、時間はあるし。春になったら新人も入ってくるから、ちょっとは楽になると思う」

 さて、ご飯にしようか。

 そう言って立ち上がった登美さんの後姿を、ただ見つめる。


 この一週間、僅かな心の隙を狙うようにして俺が俺自身を責めていた。

 亮の二股と、俺の隠し事。どちらも、登美さんを騙していたことにかわりはない。

 いやむしろ。亮のことは俺の妄想だけど、俺のほうは事実だから。彼女にとって、俺のほうが酷いのではないのか、と。

 

 出会って一年半、騙し続けてきた時間が重い。

 『隠し事は、疚しいだろ? いつまで続けられる?』『誠実に付き合わないと、駄目じゃないのか?』

 胸の奥底で、仲間たちの声が聞こえた。



 雛祭りを過ぎたころから、忙しそうな登美さんに負けず劣らず、俺のほうも仕事が立て込んできた。 

 期待の持てる研究結果が出始めて、そこから派生した実験の計画を立てては、実行して、検証して。

 インスタントのラーメンで”夕食”を摂って、休憩室で仮眠なんて日もあるくらいの忙しさに、登美さんに対する罪悪感はひとまず棚上げにする。


 そんな中、水田との結婚が決まった小早川さんの、異動が発表された。北隣の涼岐市にある、分析センターの勤務になるという。

 『退職よりはマシ』と言いながら、同じ実験チームの俺たちと引継ぎをする小早川さん。



「退職も、仄めかされた」

 と水田が言っていたのは、自販機前でジュースを飲んで一息いれていた時のことだった。

「そうなんだ」

 『職場結婚は、どちらかが辞めさられる』ってのは、都市伝説でも何でもなかったんだ。

 小早川さんを、わざわざ九州の研究所から引っ張ってきておいて。会社も無責任な。

 そう思いながら、オレンジジュースを飲む。

「麻里自身が仕事を続けたがったし、所長も研究員としての成績を評価してたから、俺のほうが、だけど」

「水田が? 部長はなんて?」

「そこで揉めたから、時間がかかったんだよ」

「へぇ?」

 研究所長と水田部長が”どちらを辞めさせるか”で揉めたらしく、小早川さんの異動で手を打った、というのが裏事情だとか。

「俺が異動とか、退職なんてありえないし」

「……で、小早川さんが異動?」

「麻里は、俺とは違って、一度転勤を経験してるから」

「……」

「俺ってさ、入社からずっと研究所の所属だから、営業所の仕事とか今更できないし。その上、この景気だろ? 転職するにも……な?」

「水田。それ、甘えてない?」

「いいだろ、別に。会社だって、慣れない仕事に異動させて教育の手間をかけるなんて、無駄じゃないか」

 決まったことだし、お前が口出しすることでもない。

 そう言いながら、ゴミ箱に飲み終えたコーヒーの紙パックを叩き込んで、水田は俺に背中を向けた。

 

 ゴミの嵩が増えるからさ。

 飲み終えた紙パックは潰してから、捨てろよ。



 そんな水田と小早川さんの結婚式が五月の最終土曜日に行われ、同僚の俺たちも招待された。

 披露宴の席で初めて知らされたことだけど、水田の方が姓を変えるらしい。


 先輩の一人と一緒に高砂席にビールを注ぎに行った時に理由を尋ねると、小早川さんがクスクスと笑いながら、

「水田姓だと、私の名前が『みずたまり』になるから」

 と、答える。

「それはまた……」

 登美さんの”にわとみ”と、負けず劣らずの名前だなぁ。

 返す言葉が見つけれなかった俺の横で、先輩がビールを注ぎながら水田に尋ねる。

「じゃぁ、婿養子か? 部長がよく許したな」

「いえ。養子縁組はしてないです。ただ、小早川姓を選んだだけで」

 へぇ。そうなのか。

 嫁さん側の姓を名乗ることと、婿養子はイコールだと思っていた。


「おい丹羽」

「うん?」 

「新婚旅行から帰ったら、苗字変わるからな。間違えるなよ」 

 と言っている幸せそうな水田改め、小早川のグラスを空けさせて、俺もビールを注いだ。



 ほろ酔い気分で家に帰ると、泊まりに来ていた登美さんがローテーブルで勉強をしていた。

「はい、お土産」

 披露宴のテーブルを飾っていた花籠を、引き出物のケーキと一緒に登美さんの前に置く。

「わぁ。きれい。どうしたの?」

「出席者で、分けてくださいって言われてさ。登美さんに渡そうと思ってもらってきた」

 正確には、水田部長夫妻の座っていた親族席のテーブルにおいてあった物なんだけど。水田部長から、『彼女に持って帰ってやれ』って差し出されたのを、ありがたく貰って帰ってきた。


 そんな話をしている俺を、登美さんが小さく口を開いて、じっと見ている。

「どうしたの? そんなに見て」

「うーん。格好良いなぁって」

 不意打ちで食らった言葉に、赤面したのが自分でも分かった。

 ネクタイが、邪魔なくらい体温が上がる。

「だ・か・ら。俺で遊んで楽しい?」

「遊んでないわよ? 正直な感想。スーツ、似合うなぁって」

 臆面も無く放たれた賛辞に、半ばやけくそのように俺も言葉を返す。

「だったら、もっと格好いい俺、見たくない?」

「もっと?」

「新郎の礼装」

 登美さんの視線が、宙に遊ぶ。久しぶりに見る、何かを思い出すような顔。

 いや、この場合は、想像している顔、かな。

「俺は、見たいよ? ウェディングドレスを着た登美さん」

「……うん」

 照れたように笑った登美さんを、ぎゅっと抱きしめる。

「さて、着替えるか」

「じゃぁ。夕食を温めるね」

「うん。よろしく」


 台所スペースとの間仕切りを閉めてから、ネクタイを解く。カフスボタンを外す。

 そして、カッターシャツを脱いだ今、この引き戸を開け放ったとしたら。


 『スーツが似合う。格好いい』と言ってくれた登美さんは、

 いったいどんな顔をするのだろうか。


 そんなことを一瞬考えたのは、幸せそうだった今日の主役に影響されたのかもしれない。

 でも。そんな意気地もないまま、部屋着を着る。 

 そして、いつもと変わらぬ、二人の夜が過ぎる。



 その日の夜中、だった。

 かすかな声に目を覚ました俺の腕の中で、登美さんがうなされていた。

『待って、待って。お願い』何度も繰り返す登美さんの頬が濡れている。

「登美さん?」

「お願い。絶対大丈夫だから。待って。ねぇ」

「登美さん、登美さん」

「慎之介さんっ、行かないでっ」

「登美さんっ」

 声を立てて泣き始めた登美さんの肩を揺さぶると、ゆっくりと瞼が開いて、濡れた瞳がぼんやりと俺を見たのが分かった。

 

「どうした? 登美さん」

「しん、の、すけさ、ん」

「『待って、待って』って、うなされていたけど。怖い夢でも見た?」

「……うん」 

 頬に流れる涙を、右手で拭い取る。

 はふ、と登美さんが吐息をつく。


 これは、一度ちゃんと起きた方がいい。

 このまま、寝なおすと……悪い夢に捕まる。


 起き上がった登美さんをローテーブルの前に座らせて、買い置きの柚子茶を淹れる。

 マグカップを幼子のように両手で抱えて、フーフー冷ましている登美さん。

「登美さんが見た夢、聞かせて?」

「嫌」

 アチチ、と言いながら、登美さんが首を横に振る。

「怖かった夢は、人に話せばいいんだよ?」

「どうして?」

「正夢にならないから」

 理論武装としては、弱い、な。

 なら、もうひとつ。

「それにほら。俺、『ピヨ』だし」

「へ?」

「ニワトリは、魔除けになるらしいよ。害虫を食べるから」

「そうなの?」

「そう。バクみたいに、悪い夢も食べてやるよ」

 ほら。話してみなよ?


 登美さんは、パソコン検定の試験の夢を見たらしい。

 ウェディングドレスを着た登美さんが問題を解こうとしても、パソコンを起動させることすらできないまま、時間が過ぎる。そこに、追い討ちをかけるように、俺が立ち去ったらしい。 

 なるほど。だから、『待って』で『行かないで』なわけだ。


「合格できなきゃ、お嫁さんになれない」

 話しているうちに思い出したらしい。登美さんの声に涙が混じる。

「どうしよう。いつまでたっても、”丹羽 登美”になれない。このままじゃ、ニワトリになっちゃう」

 マグカップを置いて、眼鏡も外した登美さんが、目をこする。


 試験に対する焦りが、悪夢を呼んだか。

 山が険しすぎて、迷子になったみたいだ。


 とりあえず。今夜眠るための、道しるべ。

 栗色の頭を、そっと撫でる。

 撫でながら、さっきの理論武装を再び展開する。

「もう、これで大丈夫。正夢、にならないんだから。登美さんは、ちゃんと合格できるよ」

「うん」

 コクリと頷いた彼女が、マグカップに手を伸ばす。

 すっかり冷めた柚子茶を飲むのを見守りながら、俺も自分の分を飲み干す。

「もう一度、眠れそう?」

「うん」

「じゃぁ、それを飲んだら、お休み」

「うん」



 『水田姓だと、”みずたまり”になるから』

 『このままじゃ、”ニワトリ”になっちゃう』

 飲み終えたマグカップを洗っていると、二つの声が心の中に浮かんでくる。

 

 俺が、稲本姓を選べば

 登美さんの焦りを取り除くことが……できる?


 高い棚へと手を伸ばす幼子を、抱え上げてやるように

 背伸びする登美さんの手を

 俺が

 虹まで近づけてやることができる。

 

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