表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/14

冷えた心

 人生、一瞬先は闇。

 誰だ、そんなことを言った奴は。


 本当すぎて……黙るしかないじゃないか。



 小学校六年生の夏休み前、だった。

 当時は午前中だけ授業があった土曜日。学校の帰り道で突然の雨に降られた俺は、濡れた服を洗濯機に放り込んで、上半身裸のまま台所の食事テーブルで貯金箱を開けていた。


(しん)、Tシャツも着なさい。ズボンだけだなんて、だらしない」

「あー。うん」

 昼ごはんの支度をしている母の小言を聞き流しながら、小遣いを数える。

 買いそびれていた昨日発売のコミックを昼から買いに行って。ついでに駄菓子屋で、十円ガムでも買おうかと考えている俺の手の中から、百円玉が床に落ちた。

 転がる硬貨を追いかけて流し台の前にしゃがんだ俺の視界に、スリッパをはいた母の足が入ってきた。


 あ、っと思った瞬間、俺の背中に何かが落ちてきた。

 痛みとも熱さともつかない感覚に、叫び声をあげたところまでは、覚えている。


 気がついたときには、病院のベッドだった。



 タイミングの悪い、事故だった。

 茹でていたそうめんをザルにあげようとした母が、両手で大鍋をつかんで体の向きを変えた。丁度その時、硬貨を拾おうと俺は母の足元に伸ばした。

 俺の手に、母が躓いて。

 その弾みで鍋ごと俺の背中に落ちてきた熱湯が、俺の右半身にひどい火傷を作っていた。



 その年の夏休みは、病院で過ごした。プールも、海水浴も、花火もないままの夏休み。

 宿題を免除されたのが、せめてもの救い。


 新学期、身体測定の行われている保健室で、裸になった俺を見た隣の奴が、でかい声を上げた。

「おい、丹羽(にわ)。おまえ、その背中なに?」

「え?」

 その声に呼ばれたように集まってきたクラスメイトに取り囲まれた。

「あぁ、火傷したから……」

 俺の言葉は、口々に囀る声にかき消された。

「きしょー」

「人間の背中じゃねぇぞ」

「フランケンシュタインって、こんななのかな」

「そう言えば……丹羽って、似てるよな。顔も」 

 騒ぎに気づいた養護の先生に、アンダーシャツを着るように言われたときにはすでに遅く。

 

 翌日から俺は、『フランケン』と呼ばれるようになった。


 『火傷は”日にち薬”やから。大きくなったら治るもんやで』

 そう言ってくれた祖母の言葉を支えにしつつ、祖父譲りの彫りの深い顔を恨んだ。 



 祖母の言葉のとおり、ひどかった傷も癒えたけど。

 俺の背中には、白く色が抜けたような痕が残った。

 

 それに気づいて以来、”思春期”を言い訳に、両親にも肌を見せないように気をつけた。

 けれど、中学校に入ると、制服というものがあるわけで。体育の授業のたびに更衣があって、クラスメイトに肌を見せることになる。俺の通っていた学校では、なぜだか知らないが、体操服の下にアンダーシャツの着用が認められていなかった。

 小学校の課外活動の延長で入ったバレー部での練習の時も、同じく。

 同じ小学校だったやつの口から、インクのしみが広がるように『フランケン』のあだ名が広まる。


 そして、夏。プールの授業が始まると、それ迄は傷跡のことを知らなかった女子にも知れ渡ってしまった。女子の集団と廊下ですれ違うと、あからさまに避けられるようになった。

 『伝染(うつ)るんじゃない?』ってコソコソと背後から聞こえる女子の甲高い声に混じる『フランケン』の言葉が、胸に刺さる。


 傷痕が、伝染(うつ)るわけないだろ。馬鹿じゃないの?


 そう、強がっていたけど。

 テニス部だった年子の兄が、『慎之介が、学校で”フランケン”って呼ばれている』と家で言ったせいで、両親にあだ名のことも、傷が残ったこともばれた。


 気に病んだ母に、改めて病院に連れて行かれて。

「何とか、治らないんですかっ?」

 ヒステリックに医者に詰め寄った母に対して、医者は困ったような顔で、救いの無い答えをよこした。

「傷が残りやすい体質、でしょう。今の技術では、どうにも……」

 母の泣き声を初めて聞いた。


 ごめん、母さん。

 こんな体質に生まれて。

 鍋を落とした母さんのせいじゃないから。

 傷を治しきれなかった、俺のせいだから。

 これ以上、泣かないで。



 病院の帰り道、『プールの授業以外で、人に肌を見せるもんか』と固く心に決めたのに。

 二学期最初の体育の授業で『体育祭では男子の組み体操を上半身裸でやる』と聞かされた俺は、教師に本気で殺意を覚えた。


 プールの授業で、俺の背中、見たんだろ? 先生も。

 なのに。そんなに俺を晒し者にしたいか。

 

 その春に着任した体育教師が、長年大事に抱えてきた”教育方針”とやらに逆らえる根性なんか、中学一年生にあるはずも無く。

 俺は、あきらめて体操服を脱いだ。

 心の中では、来年、拒否するための作戦を練りながら。



 毎日の練習で、日焼けをして。

 傷跡が、さらに目立つ。


 そして、当日。

 クラスで一番背の高かった俺は、来賓席の目の前で演技をした。

 教育委員会の偉いさんが目を背けたのが分かった。

 PTAの会長が顔を顰めたのも見えた。



 翌週、廊下を歩く俺に、体育教師が囁いた。

「丹羽。お前のせいで、来年の組体操は体操服着用だ」

 教育委員会とPTAから校長が突き上げを食らったおかげで、職員会議では針のむしろだったとか。


 俺よりも背が低い教師の忌々しそうな顔を見下ろしていると、病院できいた母の泣き声がよみがえる。

 ふん、ざまぁみろ。

 心の中で舌を出しながら、俺はとりあえず頭を下げておいた。



 この一件がよっぽど癪に障ったらしく、俺はそれ以来、この体育教師になんだかんだと難癖をつけられるようになった。

 やれ、丸刈りの髪が一ミリ伸びているの、名札が曲がっているのと。

 それに反感を覚えた俺は、反抗期特有の妙な捻じ曲がり方をして、文句を言わせない”模範生徒”を演じるようになった。

 その態度は、元から仲が良かったわけではないクラスメイトとの間に距離をつくり、三学期には風紀委員をおしつけられた。

 その事実が頭にきた俺は、”風紀委員らしい態度”に徹底することにして、校則違反を取り締まるための理論武装をすることを覚えた。


 そして、さらに

 クラスで孤立する。



 そんな楽しくも無い学校生活を送る俺にトドメを刺したのが、その年のバレンタインだった。


 薄暗くなって帰ってきた家の前に、クラスの女子がいた。

 他の女子みたいにあからさまに俺を避けること無い彼女のことを、ほのかに”いいな”と思っていた俺の心臓が音をたてた。


「あ、丹羽くん」

「どうした?」

「丹羽先輩、帰ってるかな?」

「え?」

「テニス部の……」

 玄関灯に照らされた彼女の顔が、上気しているのを見てすべてを悟った。


 玄関の引き戸を開けて、兄を呼ぶ。


 どうして、接点のなさそうな、兄ちゃんに?

 俺と”顔”は、一緒だよ? 

 俺が……『フランケン』なせい?


 食事テーブルの上、兄がもらってきたらしいチョコがいくつか置いてあった。

 腹いせに、包みを三個ほど失敬した俺は、その夜、ひどい頭痛に苦しんだ。


 その痛みが、”失恋の痛み”のような気がした。



 痛む頭を抱えながら、布団の中で思った。


 なんか、もう……どうでもいい。

 友人、とか、恋愛、とか。

 どうせ、俺は”人間”じゃないんだから。

 フランケンシュタインらしく、心なんか、捨ててしまえ。



 心を石のように冷やして、俺は二年生になった。


 その年のお盆に、叔父さんがビールを飲んだ赤い顔で言った。

「慎之介、今からの時代は、バイオだぞ」

 と。

 生物の研究を進化させて、移植とかに使える技術を生み出す分野、らしい。

「ほら、クローンとか、知らないか?」

「知らない」

 そう答えた俺に説明してくれた叔父さんの話は、分かったような、分からなかったような。


 だけど。

「叔父さん」

「うん?」

「その研究で、俺の傷、治るかな?」

「治せるように、がんばってみたらどうだ?」

 その言葉に、自分の未来が見えた気がした。



 もともと数学も理科も得意だった俺は、目標が定まったことで自然と勉強に力が入った。

 友達付き合いを切り捨てた俺にとって、仲間に話題を合わせるためにテレビや漫画を見る必要性はなかったから、そんなことに無駄な時間を使うこともなかったし。

 歳相応か、それ以上に抱えたイライラは、バレーボールを叩くことで発散して。

 学年トップを独走した俺は、県下随一の偏差値である柳原西高校の理数コースへと進学した。



 高校でもバレーは続けた。心に抱えた鬱憤を晴らす、ボールを叩く感触だけは手放せなかった。


 ただ、人付き合いを切り捨ててきた俺にとって、和気藹々と練習する先輩たちの言動は、どうにも幼く感じられた。

 『馬鹿じゃないの?』って思うから、どうしても先輩の指示にことごとく歯向かってしまう。得意の理論武装を駆使して。


 そんな俺に、入部して二週間でキャプテンの山中さんが切れた。


「上半身しかニワトリに成れてないヒヨコが、ピヨピヨうるせぇっ」

「なんですか、それ。訳、わかりませんっ」

「ちったぁ、黙って練習しやがれ!」

 ゴチン、と頭をグーで殴られた。

 涙目になりながら、殴られたところを押さえていたら、同級生の桐生(きりゅう)が俺の背中に手を添えた。


「山中さん、上半身だけの”ニワトリ”って、何ですか?」

「んぁ?」

「想像したら、ものすごく気色悪い図になったんですけど?」

 桐生の言葉に、みんなが黙る。

 上半身だけニワトリのヒヨコ……?


 うげぇ、と声を上げたのは、レギュラーでセンターのポジションだった秋永さんだった。

「想像させるんじゃねぇよ」

「ね? このままじゃ、夢見が悪いと思いません?」

 切れ長の目を細めるように笑いながら、桐生が俺をなだめるように背中をポンポンと叩く。

「”丹羽”、だろ? だから、ニワトリの上半分」

 空中に縦書きで、山中さんが文字を書く。


 ”丹・羽・と・り”、と。


 先輩たちが、爆笑する。

 唖然、って感じで固まった俺の横で、桐生が噴き出して、他の一年生まで笑い出す。

「決めた。丹羽のことは、これから『ピヨ』って呼ぶぞ」 

「マーヤ。それは、決定?」

「キャプテン命令」

 びしっ、と擬音をつけて俺を指差す山中さん。

「いいな。丹羽、おまえの名前は『ピヨ』だ」

「はぁ!? 訳、わかりませんっ」

 山中さんの『マーヤ』って、あだ名も訳がわからないけけど。


 そう思っている俺の横で、桐生は『キリ』、西村は『ニシ』、松本が『マツ』で、寺崎が『テラ』といった具合に、一年生五人の呼び名が決まっていく。


 まぁ、いいか。

 『フランケン』よりは、マシだ。



 キリたちが『ピヨ』と呼ぶのを聞いた他の同級生たちも、面白がって同じように呼ぶようになった。相変わらずでかい俺の身長と、祖父さん譲りの顔立ちがギャップを際立たせたせいもあったらしい。俺は『ピヨ』として、高校生活を送り始めた。



 俺は中学の三年間で、肌を見せないように体操服に着替える技を身につけたので、体育の授業や部活動で傷のことに触れる奴はいなかった。

 けれど、高校でも水泳の授業はある。

 プールサイドでは、見てはいけないモノを見たような表情でチラリチラリと、クラスメイトが俺を見る。中学時代の悪夢の再来かと、身構えたけど。さすがに、高校生にもなってバカなことを言う奴は居なかった。

 ただ、やっぱり女子の視線が時々、痛い。



 そして、夏休み。

「おー。ピヨ。すげぇ背中だな」

「はぁ」

 きた。とうとう。


 中学校ではなかった部活の合宿の初日。

 新しくキャプテンになった二年の先輩がそんなことを言い出したのは、練習の汗をプールの水シャワーで流していた夕食前のこと。

 肩に力の入った俺にかまわずキャプテンが、話を続ける

「見ろ、俺の腹もすげぇぞ」

「腹筋ですか?」

「ばーか。ほら、ココに盲腸の手術の痕が……」

 キャプテンが指差したのは、わき腹近くにうっすらと残る痕。

「盲腸がどうした。俺なんか、子供の時に、電柱にぶつかってな」

「それなら、おれだって……」

 いったいなんで、そんな話で盛り上がるんだ?

 俺は、キャプテンの言葉をきっかけに怪我自慢を始めた先輩たちに呆れながら、タオルで体を拭いていた。


「ピヨ」

 横から、キリが呼ぶ。

「うん?」 

「良かったな」

「はぁ?」

「お前に残ったのが、傷痕だけじゃなくって」

「なんだ、それ?」

「バレーする機能が、残っているだろ? お前と一緒にバレーできて、俺は単純に嬉しいよ」

 ニッと、切れ長の目が笑う。


「俺の祖父さんがさ。合気道の師範だったんだけど、俺が中学の時に病気で寝たきりになりかけてさ」

 短く刈り込んだ頭をスポーツタオルでガシガシと拭きながらキリが話す。

「うん」

「リハビリで日常生活はなんとか出来るようになったけど、合気道はもう無理って」

「そうか」

「病気や怪我ってさ、それまで当たり前に出来てたことを奪うんだよな」

「……うん」


 確かに。

 火傷は、俺から人間の心を奪ったけど。 

 バレーをする機能は残してくれた。


 だから、今。

 こんな馬鹿話をしている先輩たちを眺めることができて。

 『一緒にバレーが出来てよかった』って言ってくれるヤツがいる。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ