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むかしむかし、あるところにかみさまがいました。
そのかみさまは
(てっきり捨てられたかと思ってた)
彼女は画用紙を手に取り、その文を眺める。
それはクレヨンで描かれていた。
かつて彼女が幼いころに描いていた絵本であった。
当時、彼女が保育園に通っていたころ、ちょっとした遊びがあった。童話づくりであった。
保育士が指示したものとも、彼女の友達との間で生じた遊びだったとも、どちらであるとも彼女は取っている。そう覚えている。絵本を描くというその遊びは、確かに年齢のいかない彼らにとってみれば、数少ない記憶と『おはなし』の不細工な接合体になるのは目に見えていた。しかしそれがある種の豹変の練習につながることは間違いなかったし、何より彼女を含んだ彼らは純粋にそれを楽しんでいたはずなのだ。
彼女にとってその遊びは絶好の課題だった。なぜならば実家が神社であるという都合上、もっとも『おはなし』に適した存在がそこにあったからだ。
しかし彼女の作品は完成しなかった。他ならぬ、彼女の祖父、神主が止めたためだった。
その時の祖父の顔を彼女は今でも覚えていた。彼女はもう16になり、高校生になっていた。しかしそれは記憶に残る程、強烈なものだった。
彼女の祖父は決して愛想のいい人物ではなかった。しかし幼い孫に大してはそれなりの祖父としての顔を前に出していた。しかし、この時ばかりはそうではなかった。事情を知ると、彼女の物語の筆をすぐに止めさせようとした。その時の彼の顔は『祖父』の顔ではなかった。ひどく神経質な目をした、冷徹な顔だった。あまり彼女は覚えていないが、何をしようとも祖父が物語を紡ぐのを続けることを許さなかったのを覚えている。わずかばかりにある記憶は、その後、数日は保育園に行かせてもらえず、座敷牢のような場所に留めおかれたということだった。そして物語は未完に終わる。
彼女のある幼少期の思い出である。
ふと掃除をしていたら、押入れよりこの画用紙を見つけた彼女である。幼いころの思い出を脳裏に浮かべ、少しだけ苦い気分になった。ずいぶん泣いたし、ずいぶん怖かった感覚があるからだ。しかし、奇妙なのは、この画用紙をなぜ祖父が(祖父以外の人物が考えられるだろうか)捨てずにおいたかであった。なにか祖父にとってデリケートなものだったはずの言動を示すものを。
「まぁ、いいか」
彼女は無意識のうちにそうひとりごちた。そして何も見なかったかのように、その画用紙を閉じ、元の場所に戻す。それはまるで、どこか古ぼけたかび臭い本をしまいこむように。
しばらくして彼女が掃除を終え、空いたスペースには新たな荷物が押し込まれた。結果その画用紙自体はさらに奥に、目のつきづらい場所にたたずむ結果となった。
その一方で、掃除を終えることができ、彼女は満足そうに身体を伸ばした。そして静かに押入れを閉める。夕暮れの光や蛍光灯の光が押入れに入ることがなくなり、そこは湿気と暗闇の支配するいつもの収納空間に戻る。
しかしながら。しかしながら、紙魚の姿は見えずとも、蜘蛛の姿は見えずとも、そこはかとない何かの気配が押入れの常闇から漂っていた。