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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第一部 ファンブリーナ奪還任務
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第2章〈砂漠の暗殺者〉

 ナスカは溜め息をついた。予想以上に砂嵐が酷く、馬が弱りきって動かなくなってしまったのだ。ナスカは、砂のせいで涙と鼻水を垂れ流す馬の顔をマントの裾で拭いてやった。

 少年はは仕方なく歩くことにした。馬はもう使い物にならないので、装飾具を全て外して放してやった。運が良ければ誰かが拾ってくれるだろう……そんなことを思いながらナスカはフードを深く被り、マフラーをしっかり巻きつけると砂の海を黙々と歩き始める。

 歩くことは苦にならない。幼い頃から孤児として過酷な環境で生きてきたナスカには、常人を遥かに上回る持久力と身体能力が備わっている。彼には、備えさえあればこのクロム砂漠を横断することは難しいことではない。

 しかし、彼には一つだけ失念していることがあった。それは、この砂漠に潜む獰猛な狂気についてだ。その狂気とはこの砂漠において最も旅人から恐れられている存在であり、世界でも類をみない残忍な殺人鬼でもある。そして、狂気には影がなかった。影はおろか、実体さえも──。

 ナスカは完璧に油断していた。恐らくは急くあまり、思考が停滞していたのだろう。でなければこの凄腕の暗殺者が、自らにまとわりつく殺気に気づかないはずがない。

 がッ。

 それは唐突だった。ナスカは自分の両足首が何者かに掴まれ、強い力で地中に引き込まれそうになるのを感じた。急に体重が倍増したかのように、信じられない速さで体が砂の中に沈んでいく。暗殺者としての本能からか、ナスカはとっさに腰のベルトに吊り下げていたダガーを引き抜き、自分の足首を掴む砂の中の何かに向かって突き立てた。砂に邪魔されて上手く狙いを定めきれず自分の足首を少し切ったが、右足がふと軽くなる。どうやら相手にも命中したようだ。

 ナスカは自由になった右足を砂から引き上げ、力の限り左足を振り回した。掴んでいる何かがナスカの足首に爪を立て、痛みが走る。しかし、これは恐らく人間の手──長年の経験からナスカはそう推測し、慄然とした。

 まさか、生きた人間が砂の中に隠れて様子を窺っていたというのか?

 やけになったナスカが右足で左足付近を踏みつけると、ようやく左足が自由になった。ナスカはそれに気づくと素早くその場を離れ、見えない敵の気配を探る。たとえ砂の中に隠れていようと、生物ならば何かしらの生体反応を発しているはずだ。体温や呼吸音、鼓動など、それらを感知さえできれば、こちらにも打つ手はある。

 ナスカは息を殺し、砂塵に霞む世界に全神経を集中させた。砂漠特有の乾風が音を散らし、砂埃が気配を隠す。……なるほど。確かにこれでは、相手の気配を掴むのは至難の技だ。

 しかしナスカは知っていた。どんなに不利な状況の中でも、勝機は必ず巡ってくる。戦いにおいては、相手の油断や隙、ミスや焦りなどといったものをいかに冷静に見逃さないかが重要なのだ。そしてどんなに上手く隠れていようが、決して誤魔化すことができないもの──それは、

 殺気だ。

 ナスカの本能の最も深い場所からある警告が発せられる。ナスカはほとんど無意識にその声に従い、勢い良く飛び上がった。頭を軸に空中で一回転したナスカは、砂の中から鋭い黒曜石の槍が突き出しているのを確認した。そのまま立っていれば串刺しになっていたところだ。

 ナスカは鮮やかに着地すると、ついで地中から飛び出してきた物体に目を向けた。

 クロム砂漠に潜む狂気、それは人の形をしていた。濃い褐色の肌に覆われたしなやかな筋肉を纏う身体、槍先の黒曜石と同じくらいに黒く長い髪、鋭く尖った歪な形の歯。そして何よりも目を引いたのは、その血のように真っ赤な虹彩。

 ──ニグミ族だ。ナスカは微かに驚いた。クロム砂漠付近を中心に『狩り』を行っているとは聞いていたが、実際に見るのは初めてだったからだ。実力のある戦闘民族だと聞き、一度は交戦してみたいとは思っていたが、まさかこのタイミングで遭遇するとは。ナスカは沸き上がる苛立ちを抑え、言葉が通じるかどうかはわからないが話しかけた。

「急いでるんだ。また今度にしてくれ」

 ニグミ族の男は歯を剥き出しにして唸った。

 どうやら会話不成立のようだ。仕方がない、こうなれば出来るだけ早く始末するまでだ。ナスカは諦めて両手でダガーを抜いた。ニグミ族の男がそれに呼応するかのように雄叫びを上げ、ナスカに躍り掛かった。

 振り下ろされた槍を華麗に避けると、ナスカは目にも留まらぬ速さで間合いを詰めダガーで切りつけた。長物の難点は、懐に入り込まれるとたちまち無防備、無力になるということだ。おまけにあんなに大きなモーションで槍を振り回せば、自分自身のバランスさえ崩しかねない。並みの人間ならばニグミ族の容貌や攻撃的な態度から恐怖で判断力が鈍りそうだが、戦いのプロであるナスカにはそれは関係ない話だった。

 ニグミ族の男は体を反らせナスカの攻撃をよけたが、続く左手のダガーには対応しきれなかった。ダガーはニグミ族の左脇腹に深く突き刺さり、傷口から真っ赤な鮮血が噴き出す。ナスカは反撃や返り血を浴びないように速やかに離れ、男の様子を窺った。

 勝敗ははっきりしていた。男は驚愕に目を見開き脇腹から滝のように溢れ出る自らの血を眺めていたが、やがてゴボゴボと血を吐きながら砂の上に倒れ、痙攣を始める。

 ──あっけない。

 ナスカは伝説の戦争狂一族の予想外の手応えのなさに軽く落胆しながら、足元で死にかけている男を仰向けにした。男の目は既に朦朧としており、絶命するのも時間の問題だろう。ナスカはなんとも言えない失望感を覚えながら、これからは周辺を警戒しようと考え立ち上がり歩き始めた。

 さあ、急がなければ。

 帝国の犬を始末するために。

「ナスカ」

 急に背後から呼びかけられた。ナスカは勢いよく振り返りダガーを向けたが、その声の主がよく見知った人物だと気づきダガーを収めた。

 ナスカはうんざりしたように言った。

「魔導絡みは対処のしようがないな。俺の専門外だ」

 それを聞いた長身の男──パラディオが眉をひそめた。

「何の話だ」

 パラディオ、トロギル、メリダはナスカとニグミ族の男の間に立っていた。そして、彼らの後ろには白い円形の魔法陣が浮かんでいる。トロギルの色彩魔導だ。確か白は“光”を表す色で、トロギルがよく見知った人物であればその対象に繋がる魔法陣が出せるとか言っていたような気がする。

 ナスカが答えるより早く、メリダがパラディオ、トロギルの肩を叩いて振り向かせた。後方に色黒の男の死体を認めた彼らは、何事だというようにナスカを見た。

「たぶんニグミ族だ。『狩り』をしていたのかもしれない」

 ナスカの言葉に、パラディオが微かに同情の表情を浮かべた。もちろんナスカに対してではない。パラディオは死体に近づくと、独り言のように呟いた。

「ニグミ族の男子は狩りを上手く出来るようになることで一人前だと認められるんだ。そのために幼少のころから厳しい訓練に耐え、武術を磨くらしいけど……。まあ、残念だったね。選んだ相手が悪かったんだ」

 ナスカはパラディオの言葉に鼻を鳴らした。

「やらなきゃこっちがやられてた。しかも、そいつだって『狩り』で人を殺すんだぞ。同情する必要なんかねぇ」

 パラディオはナスカをじっと見つめ、それからどことなく悲しげに笑った。それに気づいたナスカは心底不愉快な気分になり、パラディオをねめつける。パラディオが時折見せるこの表情が、ナスカは何よりも嫌いなのだ。

 ナスカの苛立ちを知ってか知らずか、パラディオがわざとらしく陽気に言った。

「幼い頃から人を殺すことばかり考えてるんじゃ、人生楽しくないでしょ。世の中にはもっと面白いことが沢山あるのにさ。例えば、女の子のこととかね」

 メリダがまあ、と悪戯っぽく笑った。ナスカはふざけて微笑み合うパラディオとメリダを睨みつけ、低く唸るように答えた。

「言ってろよ。俺には関係ねぇ」

 そんな三人を黙ってみていたトロギルが、盛大に咳払いをした。

「さて、戯れは済んだかな。ここでずっと魔法陣を広げている色彩魔導師のことを、少しは考えてくれると嬉しいんだが」

「それでヴァルカモニカ様のところに行けないのか?」

 ナスカはふと思いつき尋ねた。が、トロギルは渋い顔をしてかぶりを振る。

「無理だな。ファンブリーナは帝国領だし、距離的にも範囲外だ。要するに、ここからは徒歩だ」

 そう言いつつも、トロギルは防塵対策を施した馬を連れている。ナスカは怪訝な目でそれを見ながら、パラディオに文句をたれた。

「防塵対策の道具があったなら先に言っておけ。一頭野生化させちまったじゃねぇか」

「教える前に君が飛び出しちゃったからね」

 パラディオは肩を竦めた。

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