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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第二部 アルトネア制圧戦
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教会の死闘③


「吹き矢に気をつけろ!」

 現れた人物の正体を見て、ライグは警告と共に剣を引き抜きアンナに向かった。

 焦燥と不安に駆られたティリンスは、ともすれば向こう見ずで荒っぽい。それは昔から変わらないが、卒爾たる登場には敵味方関係なく度肝を抜かれてしまった。

 飛び蹴りで扉を見事に粉砕した青年は、無自覚の破壊力で教会中を驚かせたとは知らず、姿を晒していたライグたちを見てあっと口を開けた。

「ライグ、バフラ! なんでアンナと向き合って……」

「なんだってのよ、もう!」

 面倒臭い相手が現れたと理解したアンナは、プラトナに飛び乗りライグたちから離れようとした。三人に囲まれては不利と見て、距離を開けるつもりだろう。

「させるか!」

 ライグは、駆け出したサバーカの尻めがけて、とっさに剣を投げ放つ。

 剣はサバーカの後ろ足側面を掠めたが、深い傷にはならず、ライグは自身の武器を手放してしまう形となった。

 アンナとプラトナは、ライグたちから逃げ切り教会上部へ飛び上がった。天井が高い吹き抜けなので、一階からの攻撃は難しそうだ。

「間抜けが。そこはちゃんと当てとけ!」

 バフラの声が聞こえ、ライグは慌てて彼の方に顔を向ける。謎の言動でライグを疲弊させた男は、教会内部に佇む像の一つに走りより、その手から旗をもぎ取った。

「ねぇよりはましだろうよ」

 彼はそう言うと、儀式的な装飾が成された布を千切り捨てながらライグに近寄り、それを手渡した。旗の握り手は鉄製で、充分棍として活用できる。

「……すまない」どう対応すればよいかわからず、ライグは素っ気なく答えた。バフラは意地が悪い笑みを浮かべ、ライグとティリンスを眺めた。

「本当に間が悪いな、お前らは。ティリンスが来るのがもう少し遅けりゃ、隙をついて吹き矢を取り上げられてたかもしれないのに。軍曹、あんたも、俺を信用してもうちっと早く行動してくれりゃ良かったんだ」

 なぜ責められているのかあまりわからなかったのだろうが、ティリンスもライグと一緒に決まり悪そうにした。

「信用しろと言われても、な。言っちゃ悪いが、貴方の日頃の態度と行いを振り返ってくれ。疑いたくなるのも、無理ないだろう?」

「ああ、確かに、こんな怪しげなおっさんを信用してくれってのも無茶があるかもな」

 バフラは悪びれた様子も気を悪くした様子もなく、ただにたにたと笑う。

 ティリンスは落ち着きなく自分が蹴破った扉を振り返り、ライグとバフラに囁いた。

「アンナが教会に向かったのを見て、イグアスに手助けしてもらいながら、なんとかここに戻ってきたんだ。今、イグアスがヨアンを食い止めてくれてる。早くアンナを倒して、イグアスを助けに行かないと」

 ライグはそれを聞き、うかうかしてられないと気を引き締めた。ヨアンは一流の兇手だというし、イグアスにとっても手強い相手のはず。

 プラトナに跨がり、割れた窓を背に空中に滞在するアンナは、逆光で表情が見えにくい。しかし、苛立ちを増長させているのは声音から判明した。

「クソ叔父貴、あんたを少しでも信じようとしたのが間違いだったよ。そこのニグミ族といい、あんたといい、あたしたちの邪魔をするのが趣味なの? こっちは、父上のために必死だってのに……!」

 バフラが抑揚をつけて返す。

「みすみす殺されるとわかっていて、なぜ俺がグロザーの駒であるあんたらに身柄を差し出すってんだ? ウラジーミルだって同じだろうよ。こっちも命懸けて逃げ回ってるんだ、そりゃ姑息な手も使うし死ぬ気で迎え撃つってもんだろ」

 正論ではあるが、アンナはますます苛ついただろう。

 ウラジーミルという言葉を聞いて改めて思い出したらしく、アンナは辺りをざっと見回した。そして、プラトナの耳元に顔を寄せ、なんらかの指示を出す。獣はくんくんと臭いを嗅ぎ回りながら空中を漂ったが、よくわからないといった表情で最初の位置に戻った。

「ウラジーミルの気配が今この場にないのは、やっぱり確かだけど。もう一人、どこかに隠れてるね。もしかして、そいつは時魔導師かい? それなら、何らかの術で存在を隠してるとも考えられる」

 探りを入れてきたか、と、ライグとバフラは無表情でやり過ごそうとしたが、ティリンスは僅かに狼狽が顔に出てしまった。

 アンナは青年の失態を見逃さず、目を細め口角を吊り上げる。

「どうやらその通りみたいだね。ありがとう、やるべきことが判明したよ」

 アンナはそう言うと、プラトナの体にくくりつけていた荷物袋から、大量の武器と火薬筒を取り出した。

 ライグは、彼女が強引な手段に出るつもりだと嗅ぎ付けた。

「教会中を荒らし回るつもりか。罰当たりだぞ」

「こうでもしないと、ネズミは炙り出せないでしょ。それに、さっさと蹴りをつけて、帰りたいんだよ」

 少しの間、アンナの眼差しは教会の端でうずくまる灰色のサバーカに注がれた。息はあるが、疲労困憊し、とても立ち上がれそうにない状態にある。

 はじめは獣を案じているのだと思ったが、恐らくあれはヨアンのサバーカだと気づき、アンナは兄の心配もしているのだろうと思った。イグアスとの戦いが長引いているのは確かだし、彼女も彼女なりに不安を抱いているようだ。

 妹が兄を案じている様を目の当たりにし、心が痛まないわけではなかった。しかし、年若い彼らが相手であっても、ウラジーミルを目の前で殺されるわけにはいかない。

 今は、お互いに戦うしかないのだ。

 やがて、アンナは腹を括り、火薬筒に着火しようとした。時間差で爆発する仕掛けらしく、それを投げつけて辺りを荒らし、ウラジーミルとバレンシアを引っ張り出そうという作戦だろう。

 ウラジーミルならある程度はかわせるだろうが、バレンシアの近くに爆薬が投擲されてしまったら、非常にまずい。

 ライグは焦燥に駆られ、側廊の奥に身を隠している彼女を案じた。時魔導の術には防壁を張るものもあるが、反応が遅れ爆発に巻き込まれたら、重大な怪我を追うことになる。

「面倒なことになった」

 バフラが舌打ちし、アンナとプラトナに向かって落ちていたガラス片を投げつけたが、プラトナは俊敏にかわし、さらに上部に移動した。

「あんたたちと真っ向からやり合う気はないの。あたしたちは、ウラジーミルさえ殺せればいい。だから、他のやつらは教会から逃げ出したっていいんだよ?」

 火薬筒をちらつかせながら、アンナはゆっくり空中を浮遊した。大きな目を細め、どこに潜んでいるだろうか、と辺りを窺う。

「たとえ何発か外したとしても、いつかは逃げ場がなくなる。魔術師が爆発に巻き込まれて術を解除せざるを得なくなれば、ウラジーミルもおのずと見つかるわけだ。ここを隠れ蓑にした、あんたらが罰当たりなんだよ!」

 少女は甲高く罵り、火薬筒を振りかぶった。狙う先は――。

(まさか――そっちは……!)

 側廊を抜け、内陣の左側、少し開けた空間。

 まさに、アンナが狙いをつけたのであろうその先に、垂れ幕の影に身を隠したバレンシアがいる。

 ライグが愕然とする中、アンナの手から火薬筒が放たれた。

 それと同時に、ライグはとっさに鉄の棒の先を床のタイルの隙間に突き立てる。彼は地面に突き立てたのと反対の先端近くを握り、勢いをつけ、棒高跳びよろしく並んだ椅子を飛び越えた。

 思いがけない行動に出たライグに、ティリンスが危険だと制止の言葉を投げかけたが、もはやライグの頭にはバレンシアのことしかなかった。

 彼は華麗に椅子の山を避けて着地し、疾走を開始する。

 彼の脳裏に、最愛の人が火薬の爆撃に巻き込まれ、無惨な姿と成り果てる未来がよぎった。

 アンナの手を離れた筒は、弧を描き回転しながら落下していた。 最悪な結末だけは回避しなければならない、その思いだけで、バレンシアの元へと走る。

 あれが爆発するまで、どれほどの間があるだろう。

 ライグは声を張る。

「バレンシア、早くそこを離れろ!!」

 厚手の垂れ幕を払いのけ、黒髪を揺らし、バレンシアが姿を晒した。

 怯えと驚きを孕んだ表情でこちらに視線を向けた彼女を目の当たりにして、ライグは、自分でも信じがたいエネルギーに突き動かされる。

 すさまじい速さでバレンシアの元へ走りよった彼は、彼女の手を引いて抱き寄せ、逞しい体でかぶさるように抱え込む。最愛の人を抱いたライグは、火薬筒の落下地点に背を向け、渾身の力で地を蹴り、少しでも爆発から離れるべく跳躍した。

 ライグが地面を蹴りつけた刹那、背後から感じたこともない衝撃波が襲いかかった。

 圧力と灼熱は、彼の巨躯を非情な力で弾き飛ばし、熱風で背を焦がした。あまりの威力に鼓膜が破れそうになる中、ライグは床に倒れ込む己の体を気力だけで支える。

 指先が床にめり込みそうなほど、両腕を張って踏ん張った。胴体と床の隙間にバレンシアの小さな体を隠し、鳴動と共に砕けて散る木片や像から彼女を守ろうとする。

 背中に燃えるような激痛が走り、襲来した飛散物が身体中にぶつかったり切り傷を残したりする痛みが絶え間なく押し寄せた。

 目眩と共に、意識が遠退いていく。

「ライグッ!」

 恐怖に染まった声音が耳に入ってきた。目を見開き髪を乱したバレンシアが、ライグを見上げていた。

 ライグは、彼女の無事を確認しほっとする。

「だいじょ……うぶだ」大丈夫だ、と答えようとしたが、喉に熱が張りついたような感触がつっかえ、声が頼りなく掠れた。

 辺りのものが爆風を受けて転倒し、破壊され、粉塵が舞い飛んでいた。柱、棚、椅子、像など、多くの物品が損傷し吹き飛んでいるのが、視界の曇り具合からわかった。

 ライグ自身は、背に大きな火傷を負っているようだ。仄かに肉が焼けるような臭気を感じ、それが焦げた自分の体が発する臭いかもしれないと思うと、ぞっとする。

 ライグはしばし朦朧としていたが、バレンシアが自分の頭を抱いて啜り泣いていると気づいた。

「ごめんね……! でも、大丈夫、大丈夫だから。もうすぐ、治るから……っ」

 そう言われて、ライグは背中の痛みが幾分か楽になり始めたとわかり、微かに生気を取り戻した。

 ――巻き戻しの加護。

 なるほど、確かにすさまじい。

 しかし、感心している暇はなかった。

「見つけたよ」

 背後の瓦礫を押し退けながら現れたのは、アンナだ。

 ライグは彼女と戦っていたことを思い出し、とりあえず身を守る武器になりそうなものを探したが、バフラから受け取った鉄棒は既に手元を離れて転がっていた。

 続けて他の仲間たちの姿を探した。しかし、爆発の衝撃と飛散した瓦礫のせいで、 ティリンスたちすぐには駆けつけられない位置にいる上に、プラトナがじりじりと二人を威圧しているのが見えた。

 ティリンスたちがアンナを止めに来ようとしても、それより先に少女のダガーが襲い来るのは確実だ。

 まだ体の傷は全快していなかったが、ライグは瓦礫を払いのけ、力を振り絞って起き上がり、こちらに近づくアンナと向き合った。

 アンナは、満身創痍といったライグを見つめてほくそ笑み、吹き矢を構える。

(吹き矢をかわし続けるだけの体力は、今はない。だが、なんとしても、バレンシアは……!)

 ライグは、バレンシアの体を自分の背に隠す。バレンシアは驚き、私も戦うと訴えたが、ライグは迫りくるアンナから後退りながら囁く。

「駄目だ、君をあの毒矢の前に晒すわけにはいかない。それに、君が呪文を唱え終わるより先に、相手の攻撃がくるだろう。今はじっと耐え、ティリンスたちが援護に来てくれるのを願おう。それまでは、俺が君の楯になるから」

「そんな、駄目よ! 相手の隙をついて私が防壁を張った方が……」

 バレンシアは、なおもライグの背後から食い下がったが、アンナはライグにすっぽり隠れているバレンシアの動きを感じ、牽制した。

「喋るな、動くな! 余計な真似さえしなきゃ命までは奪わないよ。さあ、ウラジーミルにかけた術を解きな!」

 アンナの言葉に、バレンシアが動きを止める。

 ライグとバレンシアの間に、張詰めた無言の時間が流れる。決して長い間ではなかったが、早くウラジーミルを見つけ出したいアンナは、気が急いて怒鳴りつけた。

「早く!! もたもたしてると殺すよ!!」

 彼女がそう吠えた直後だった。

 アンナの背後の瓦礫が、がらりと音を立てて崩れた。

 三人は、ティリンスたちが駆けつけたのかと思い振り返ったが、彼らの姿はまだ遠方にある。プラトナが阻んでいるので、ライグたちに近づけないでいるのだ。

 ただ単に瓦礫が崩れただけか――そう思ったアンナが、ライグたちに視線を戻したとき。

 がっという鈍い音がして、アンナの体が横に倒れ込んだ。

 まるで、誰かに押さえ込まれたように。

「……ライグ、バレンシア。私だ。安心してくれ」

 姿はないが、通る声が響いた。

 ウラジーミルの声に違いない。

《時外流隠蔽》によりライグの目には映らないものの、先ほどの沈黙の間、術者であるバレンシアはきっとウラジーミルの姿を確認していたのだろう。

 バレンシアは、心底安堵した表情で虚空に声を投げかけた。

「助かったわ」

 よほど安心したのだろう、バレンシアは微かに目を潤めている。

「ウラジーミル、よくやってくれた。俺には姿が見えないんだが、アンナを押さえてくれてるんだな?」

 ライグの問いに、倒れたアンナの側から声だけが響いた。

「ああ。軽く気絶しているけど、いつ目を醒ますかわからないからね。なにか、彼女をしばれそうなものはないか?」

 ライグとバレンシアは周囲を見回したが、特にめぼしいものはない。ふと、ライグは自分が纏う衣服がすたぼろになっていることを思い出して、どうせ捨てるだろう、と、チュニックを留めていたベルトを外して近づいた。

 手渡すため手を差し出すと、(あくまでライグの目線にはそう見えるという話だが)ふわりとベルトが浮き上がり、一人でにアンナの両手を拘束した。

「二人とも、大変な目にあわせてすまない。傷はおおよそ治っているみたいで安心したが、二人が爆発に巻き込まれたのを見たときは、とても気が気じゃなかったよ」

 王子はそう言いながら、両手を拘束したアンナの体を担ぎ上げた。

「状況はよくわからないが、ヨアンはどこに?」

 ライグは、ティリンスから伝え聞いたことを思い出し、険しい顔になった。

「外でイグアスと交戦してるという話だった。しかし、これだけ派手に爆発があったから、こちらの異変には気づいているだろう」

 ウラジーミルはそうか、とだけ答え、少し焦ったように瓦礫の山を越えていく。

「待て、イグアスが心配なのはわかるが、そっちにはプラトナが残ってる。焦るな」

「わかってるさ。けれど、アンナはこちらの手中にあるんだ。ヨアンの前に突き付けたら、交渉材料くらいにはなるかもしれない。急ごう」

 ウラジーミルの声音には、どこか冷淡な響きがあった。

 ライグは、まさかヨアンの目の前でアンナを殺したりするつもりじゃないだろうか、と不安になる。

 ライグが気を揉んでいるうちに、アンナが意識を取り戻した。

 少女は、ウラジーミルに気絶させられたときにできた顔の痣に手をやり、ついで、自分の体が見えない何かに運ばれている状況にぎょっとした。しかし、すぐに謎の現象が魔術によるものだと理解したらしく、「へぇ、あたしをどうするつもり?」と挑発的にすごむ。

 ウラジーミルは答えずに、散乱する砕片を渡り終えた。

 ティリンスたちを阻んでいたプラトナが、アンナの気配に気づきこちらを振り返る。サバーカとは、本当に従順で聡い生き物だ。

「……プラトナ! ヨアンのところへ行け!」

 アンナの声が、空を裂いた。

 ライグがあっと思う間もなく、プラトナは慌てたように羽をはためかせ始める。命令した主の声から、ただならぬものを感じたのだろう。

 プラトナが飛び上がろうとしているのを見て、バフラがとっさに落ちていた石片を拾って振りかぶったが、ウラジーミルが有無を言わさぬ調子で怒鳴る。

「やめろ! このまま戦い続ければ、我々も疲弊し負傷するだろう。手遅れになってからでは遅い。ヨアンがプラチナと共にここから立ち去るというのであれば、今回は見逃してやろう」

 ライグがラウラジーミルの背を見遣ると、青年が予想以上に体を強張らせていることがわかった。

 ライグは彼の心境を察し、翼で風を巻き起こしながら飛び立つプラトナを見送った。蒼毛の獣はしばし主に目を向け様子を見ていたが、アンナはずっと押し黙っている。

 これ以上の指示はないと感じ取ったプラトナは、侵入してきた窓へと向かい、鮮やかな挙動で野外へ出ていった。

「……アンナを見張っていてくれ。私も外へと向かう」

 プラトナが戻ってくる気配がないと見たウラジーミルは、そう呟いてアンナを床に下ろすやいなや、壊れかけて開きっぱなしの玄関扉へと向かう。一刻も早くイグアスの元に駆けつけたい気持ちが滲み出していた。

 扉に近づくと、冷えた外気に身が震える。先ほどの爆撃で衣服がずたずたになり、背中側はほとんど焼け焦げてしまっため、直接冷気が肌を刺して痛いほどだった。

 ウラジーミルに続いて、ライグが小走りで教会から出ていこうとすると、無惨な衣服を纏った彼に近づいてきたティリンスが、教会のカーテンとおぼしきウールの布を差し出してきた。ライグはありがたくそれを受け取り、羽織ながら入口をくぐり抜ける。

 月光降り注ぐ雪の大地へ足を踏み出すと、イグアスの姿はすぐに見つかった。

 彼女は、積雪した丘陵の上で、膝をついて背を向けている。ヨアンは、速やかにプラトナと共に離脱したようで、空を飛びながら去っていくシルエットだけが遠くに見えた。

 駆け寄っていくウラジーミルと、その向こうでじっとしているイグアスを見つめながら、ライグは胸が苦しくなった。

 彼女を囲む雪の絨毯には、決して少なくない血の染みが広がっている。無事であってほしいが、痛手を負っているだろうと予想できた。

 ウラジーミルがイグアスの元へたどり着き、彼女の正面へ回った。膝立ちになり彼女の顔を除き込む王子の姿が、ひどく頼りなさげに見える。

 と、イグアスの左手が持ち上がった。

 彼女は、ウラジーミルの頬にそっと手を当て、自分の無事を伝えるように青年の頬を軽くつねる。

 ライグは、安堵の息をついた。

「よく持ちこたえてくれたね。私たちが全員無事で済んだのは、間違いなく君のおかげだ、イグアス。ありがとう……」

 安心のあまり、王子の顔は泣きそうにくしゃりと歪んだ。

「そいつは、どうも。しぶとさだけが売りなんでね」

 いつものように、どこかふざけた言い回しでイグアスが答えた。

 彼女は、背後から近づくライグに血で汚れた顔を向け、微かに笑ってみせる。

「奇抜な格好してんな、軍曹。さぞかし楽しい目にあったんだろうね」

「君もな」

 ライグも冗談で応じ、立ち上がろうとするイグアスに、ウラジーミルと一緒に肩を貸した。

 両脇から支えられてはいるものの、彼女は気丈に歩いている。ぶれない逞しさに、ただ感心するばかりだ。

 とりあえず戦いは終息したと見て、張り詰めていた気を緩め、ライグは今後に思いを巡らせる。

「さて、このあとのことだが」

 ずばり切り出した。「まずは治療に当たるとして。とらえたアンナはどうするつもりだ? どこかに閉じ込めておくか? それとも……」

「使い道はちゃんと考えているよ。案ずるな、復讐のために惨殺したりはしない。ただ……少しばかり、こちらに協力してもらうだけさ」

 王子は涼やかに答え、柔和に微笑んだ。瞳の奥は、静かに燃えているような気がした。



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