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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第二部 アルトネア制圧戦
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三日月隊

 謎の二人組による奇襲の後、ヴァルカモニカは皇国軍の重鎮らを呼び集め緊急の会議を開いた。枢機卿は、そろそろ進軍開始の頃合いだと考えているようだった。

 帝国勢力の代表としてオリンダ大尉にも招集がかかったが、軍議を終えた彼は決まって浮かない顔をしており、部下たちには言葉少なに必要最低限の指示を出すだけだ。

 どうにも楽しい内容の話し合いではないらしいと嗅ぎつけたピトンは、上官があまり多くを説明しないのは自分達が難しい状況に置かれているせいだろうと考えた。

 ヴァルカモニカ率いる皇国軍と、ガルアに見捨てられ取り残された帝国勢力の間の不和は、未だに解消されていない。

 奇襲の際、ピトンやオリンダが迅速に援護に駆けつけたことから、一部の者はピトンたちがアルトネアの計略やガルアとは無関係だと納得してくれたようだが、皇国軍の中には帝国軍人を目の敵にする者がまだ大勢いる。ガルアの失踪以降両勢力の均衡は崩れ、接触や情報のやり取りの機会もますます減ってしまった。

 だが、おかしなことに、今まで誰よりも帝国の人間を敵視していたであろうナスカその人は、ピトンやアザトに対して当たりがきつくなくなった。他の帝国軍人にはそうでもないが、二人には少し興味を抱いているような素振りさえある。それが、共に危機を乗り越えたことからくる仲間意識なのか、打算なのかは計りかねたが。

 ピトンはふと、ナスカの仲間の一人、赤毛の少女メリダを思い出した。

 パラディオの的確な判断と世にも稀な虫による治療のおかげで、彼女は幸いにも一命をとりとめた。だが、あれから随分経つというのに目を覚まさないらしい。見舞いに行くような間柄ではないので詳細は知らないが、それでも彼女の不在はナスカやパラディオ、ともするとヴァルカモニカにまで宜しくない影響を与えているようだった。

 ピトンは溜め息をこぼした。彼は横の木箱の中から短剣を取りだし、切れ味を指先で確かめた。ピトンの隣では、アザトが慣れた手つきで弓の整備をしている。

 ピトンたち帝国勢は今、所持する武具や備品を、手が空いている者全員で一斉に点検、整備していた。正式に進軍計画が発表されたわけではないが、それでも戦いが近いことは間違いない。オリンダの「備えはしておけ」という命令もあり、元帝国軍人らは武具の手入れや修繕に勤しむことにしたのだ。

「恋煩いか、ピトン」

 周囲の人間が黙々とそれぞれの作業をするなか、アザトが小声で場違いな発言をした。

 彼女はいつも通りいたって沈着だったが、微かに面白がるような気配が伝わってくる。一人悶々と考え込んでいたピトンは、案外お茶目な部下をまじまじと見つめた。

「この状況で冗談を言うとはな。だが、生憎そんなかわいらしいもんじゃねぇよ」

「また徒労な心配事をしていたのか? お前はいつもそれだな、案じても憂鬱になるだけで、考えても答えの出ないことで悩んでばかりだ」

 相変わらずからかう調子は消えなかったが、アザトの物言いは少々辛辣だった。彼女がどこまでピトンのことを理解し、彼の胸中を覗き見たのかわからなかったが、それでもピトンはどきりとして不愉快になった。

「知ったような口を利くな。俺が何で悩もうが俺の勝手だろ。それに、これからのことが不安で憂鬱なのは誰だって同じだろう」

「だが、我々は兵士だ。無駄なことを考えるのはよして、少しでも技術を磨き戦いに備えた方が得策というものだ。結局のところ、我々は盤上の駒にすぎないのであって、計略を練り最終的な判断を下すのはお上の連中の仕事だからな」

「随分とお利口じゃないか、え?」ピトンは育ちの悪さを感じさせる口調で返した。「俺たち兵士だって人間だし、ちゃんと考える頭はついてるんだよ。自分なりに覚悟を決めて国のために戦ってんのに、そんな俺たち兵士がお偉いさんの駒でしかないとか言われちゃたまんねぇや。お前には人としての誇りってもんがないのかよ?」

 言った後でピトンは後悔した。感情的になり過ぎたと思った。だが、アザトはあまり傷ついた様子もなく言う。

「ないことはない。だが、お前が考えている誇りとは少し違うかもしれない」

 彼女は決然とした面持ちで続けた。

「私は、兵士として国のために戦うことそれ自体が誇らしいことだと思っている。上が私たちをどんな風に捉えていようとさして気にならない。もちろん、国のためにもならない無謀で無意味な任務を押し付けられるのはごめんだがな。それは、国家のために戦うと誓った我々の兵士としての誇りを蔑ろにしているようなものだ」

 ピトンはかつてライグが似たようなことを言っていたことを思い出した。彼はアザトにえもいわれぬ反発を抱くと同時に、年若い女射手に敬意に近い感情も感じた。

「どうして『国のためだ』って割り切れるんだ? そりゃあ俺も国のために戦ってるとは思うけど、お前みたいに純粋にそれだけでやってきたわけじゃねぇよ。軍人は給与がいいってのもあったし、ただ強くなりたい、皇国や政府の理不尽に怯えながら街中で暮らすのは嫌だって気持ちもあったんだ。今回のことだって、皇国がすばらしいから奴らに協力しよう、とかそんな綺麗事を思ってるわけじゃなくて、単純に――怖いんだよ」

 ピトンの心の奥底にしまっていた感情は、堰を切ったように溢れ出した。一旦弱音を吐いてしまえば、あとは止まらなかった。

「皇国は強大だ。軍は優秀で統制がとれてる。枢機卿に対する皇国軍人たちの信頼と忠誠を見ろよ。俺が見た限りじゃ、奴らはリンド大陸一頑丈で団結した軍隊だ。あんな国に俺たちの老いぼれ軍国が敵うはずがない。戦争してる時でさえ金や位を巡って内輪揉めするような連中が、どうして皇国に勝てるっていうんだ?」

 アザトは冷静だった。

「そうだな。正面からぶつかれば、綻びのある我々の軍隊は太刀打ちできないかもしれんな」

「じゃあ、お前はそんな下らない国家のために命を捨てるってのか? まるでライグと同じだ、誇りは人間を生かしてはくれないぞ」

 小柄な男は口をつぐみ、手にしたダガーを弄び始めた。彼はアザトが何かを言おうとしている気配を感じ取ったが、顔を見ようとせず俯いていた。

「とにかく、大人しく皇国に従うべきだろうよ。どうしたって、いずれは奴らが帝国を下すんだろう。無駄に足掻いて被害を増大させるより、さっさと降伏するなり和平交渉するなりすればいいんだ」

 ピトンは考えることに匙を投げ、単調な点検作業に戻った。

「もういいや、お前の言う通りだよ。俺はどうしようもないことで悩んで時間を無駄にしすぎなんだ。おかげで、この年まで女を捕まえきれないでいる。かわいい嫁さんがいれば、少しは国のために頑張れそうなものなんだがな」

 ピトンは冗談めかして笑った。彼は不安を紛らすために剽軽ぶる癖があるのだ。

 暫くの沈黙の後、アザトがぽつりと呟く。

「……私は軍曹とは違うと思うぞ。国家のための戦いが、必ずしも敵国――皇国と戦うことだとは思わない」

 ピトンは意味を計りかね問い返そうとした。

「トワ・ピトン伍長はいるか。猊下がお呼びだ、早く出てこい」

 聞き覚えのある少年の声がする。ピトンは同じテントで作業していた仲間の注目を浴びる中、慌てて垂れ幕に駆け寄り外を覗いた。

「突然なんだよ」

「説明は後だ。ついてこい」

 外で待ち構えるナスカの姿を見て、彼があからさまに不機嫌なのに気づきピトンはうんざりした。苛立った暗殺者と連れだって歩くのはあまり楽しくないだろう。

「ご機嫌斜めだな。猊下が構ってくれないのか」

 不用意にピトンの口から飛び出した軽口に、ナスカの目尻が吊り上がる。ピトンがすかさず詫びを入れようとしたが、ナスカはピトンの後方に目をとめ少し驚いた顔になった。

「お前もいたのか、アザト。丁度いい、お前も俺と一緒に来い」

「淑女に対する口の利き方がなってないな」

 アザトは涼しい顔で返した。ピトンはアザトが自分を淑女だなどと発言したことに笑いを噛み殺した。

「本当にそう思ってるのか? 確かにお前はべっぴんだが、中身は男にも引けをとらない軍人気質だろう。俺はお前の性格を理解したとき、ちょっとばかり残念な気持ちになったんだぜ」

「失礼な奴だな、私は立派な淑女だ。よく見ろ、お前たちより全然華奢だろう?」

 アザトはわざとらしく小首を傾げ困った顔をし、ピトンについてテントを出た。ピトンはアザトという女が時に真顔で冗談を言ってのけることを知っていたが、言われてみれば腕も脚も細くしなやかで、色白の美形だ。ドレスを着てしとやかにしていればさぞかし様になるだろう。

 しかしながら、ピトンは彼女の身長についてだけは文句があった。二人が並ぶと、頭半分程は高かったからだ――彼女の方が。

「それで、私たちを呼び出したのは何故だ?」

 横でピトンが不貞腐れていることなど気にせず、アザトが前を行くナスカに問いかけた。ナスカは肩越しにちらりと振り返る。

「説明は後だと言っただろう。詳しい話は俺じゃなく他の奴がする。心配すんな、またお前らを疑ってるわけじゃねぇよ」

 やはりナスカの態度は少しばかり軟化していた。ピトンは改めて理由を知りたくなったが、警戒心の強い暗殺者の少年が簡単に心情を吐露するとは思わなかったので黙っていた。

 やがて、彼らは皇国のテントの群れを抜け先にある緩やかな丘へ向かった。丘の上には、黒い革の上着を纏った細身の男を中心に、数人の人間が小声で話し合っていた。どの顔も見覚えがないし、心なしかピリピリとした空気が辺りには漂っている。

 革の服の男がナスカに目を向け、するりと輪を抜けこちらに近づいてきたとき、男が全く足音を立てずに滑るように歩いたのを見て、ピトンは本能的に寒気を覚えた。

 男は、赤銅色の髪と、全く感情を灯さない灰色の目が印象的だった。ピトンとアザトは、わずかに身を固くして男の面前に立った。まるで隙がなく、油断ならない人物であることは確かだ。

「初めまして、トワ・ピトン伍長、アザト・ゲガルド兵長」

 声は掠れて乾いていた。ナスカが面倒臭そうに謎の男を紹介する。

「こいつはアル・シラ。“三日月隊”の総隊長だ。お前らには、こいつと一緒にやってほしい仕事がある」

 急な展開にピトンは唖然とした。こんな得体の知れない男と一緒に何をしろというのだ。そもそも、なぜ帝国の人間である自分たちに、わざわざ皇国の人間と一緒に仕事をさせる?

「勘違いしないでもらいたいんだけど」

 アル・シラと言われた男が弁解気味に言った。

「これは俺が提案したことじゃないよ。猊下があんたたちの腕を見込んで、是非俺たちに同行させてほしいって言うからさ。こちらとしても、立場上部外者を同伴させることは極力避けているけど、今は状況が状況だし、仕方なく、ね」

 鋭い外見に反し口調は軽く、少しだらしなくも感じられた。しかし、ピトンはいまいち事情が飲み込めず当惑するばかりだ。

「三日月隊だか満月隊だか知らないが、結局あんたらは何者なんだ? 同伴うんぬん以前に、まずはそこからだろ」

「ああ、そうだ。悪いな」

 後ろに並ぶ他の面々を手で示し、アル・シラがどこか気怠げに説明する。

「あんたたちが知らないのも無理はない。俺たち三日月隊は、枢機卿猊下直轄の非公開特殊戦闘部隊だからな。戦闘部隊とは言っても、実態は偵察や潜入や隠密活動、破壊工作から暗殺まで幅広くこなす器用貧乏な連中の集まりだよ」

 枢機卿直属の戦闘部隊と聞いても、ピトンはそこまで驚かなかった。優良な人材の引き抜きを得意とする枢機卿なら、このような部隊の一つは持っていてもおかしくないだろう。

 気になる点を上げるとするなら、妙な部隊名だということだろうか。枢機卿が信仰する真実の神メトラは、確かに月を象徴にしているとは聞くが。(正確に言うなら月を模した円の中に“目”というデザインが一般的だ。宗教にはさらさら興味のないピトンはあまり詳しくないが、そのくらいは常識として知っている)

 ピトンは気乗りせずに渋った。アザトもまだ警戒を解いていないようだ。

「しかし、急な話だな。このことはオリンダ大尉も了承済みで?」

「勿論。猊下と大尉、その他諸々の関係者の承認を得た上での召集だ。ちなみに、ナスカは元々三日月隊の一員だぜ。今回の任務は、こいつにも協力してもらうことになってる」

 ナスカが口を挟んだ。

「俺はまだ納得してないぞ、アル・シラ。ヴァルカモニカ様のお側を離れてお前らと共同作業なんて、ゾッとする」

 少年の不機嫌の理由は、この発言によりあっさり解明された。ピトンは呆れると同時に、あまりに一途なナスカに少しだけ感心した。

 ナスカが戦う理由は全て枢機卿のためだ。それが良いか悪いかは抜きにして、ここまで一つの理由に懸命に、愚直になれるというのは、友人(ライグ)に似ていないこともない。

 ナスカの苛立ちなどなんとも思っていないように、アル・シラはナスカに控えめに笑いかけた。

「猊下のためだろ、そんな嫌な顔すんなよ。仲間たちもまたお前と仕事できると知って喜んでるぞ」

 三日月隊の隊長は、過酷で苛烈な任務を遂行してきたであろうというのに、掴み所がなく飄々としている。それとも、数々の修羅場をくぐり抜けてきたからこその余裕だろうか。

 アル・シラはピトンとナスカに目を向けた。

「とにかく、俺はあんたらには期待してる。なんと言っても、伍長はこのナスカと互角にやりあったそうだし、兵長の弓の腕もかなりのものだとか」

 面倒なことに巻き込まれた、それだけはわかる。ピトンはアザトと素早く目配せし、素っ気なく肩を竦めた。

 この状況からして、どうせ断れない頼みなのだ。引き受けるより他はない。

「期待にお答えできるかどうかはわかりませんが、やれるだけやってみましょう。猊下の頼みとあらば、断るわけにもいきませんしね」

「察しが良いな。そう、これはとても重大な任務だ。俺たちにとっても、あんたたち帝国側にとっても」

 意味深な言葉を投げかけ、アル・シラは薄く笑みを浮かべた。


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