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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第二部 アルトネア制圧戦
62/76

雪の宮殿

 一方、アルトネアの王都──ジスタ。

 その中心部を陣取る壮麗な冬の王宮で、彼、リマ・ガルアはある女性と対面していた。

「ずいぶんとお若いのですね」

 微かな感嘆を含んだ女性の言葉に、ガルアは穏やかな笑みを浮かべた。

「それを言うなら、貴女こそ。大変美しゅうございます。思わず見惚れてしまいそうですよ」

 ガルアは顔に似合わず気障な美辞を述べてから、女性に一礼する。対する女性も、王族らしく優雅な振る舞いでガルアに合わせた。

 女性の容貌は、アルトネア国民でなければ奇異かつ神秘的に映るであろうものだった。彼女は鮮やかな紺碧の髪を綺麗に結い、青紫色の瞳を持ち、上品なティアラが良く似合う優美な顔立ちをしていた。それに加え、優しげな眼差しと淑やかな挙動からは、彼女の品格がよく見て取れた。

 向かい合って座り談笑する二人の声を聞きながら、ヨアンは義理の母親、彼から見れば継母になるサンドラを見た。先の連合軍との交戦で痛めた左手をさすり、彼女と呑気に世間話をするガルアに得も言われぬ不快感を覚えながら。

「ヨアン」

 サンドラが、容姿と同じく涼やかな声で義理の息子を呼ぶ。一応母親であるとはいえ、ヨアンにとってサンドラはグロザーに次いで敬うべき対象である。彼は、忠実な従者らしく慇懃な態度で応じた。

「はい。なんでしょうか?」

 サンドラは柔らかく微笑み、ガルアの方を手で示した。

「貴方、今年で19になったでしょう。ガルア殿と同じですね」

 ヨアンは一瞬呆気にとられ、ガルアとサンドラを交互に眺めた。ヨアンには、グロザーに馬車馬のように働かされる自分と、グロザーから厚遇を受けるガルアが、同じ歳の人間だとは思えなかった。

「そうですか。奇遇ですね」

 ヨアンは薄く笑うガルアを一瞥し、引きつった微笑を浮かべ答える。サンドラはなぜか嬉しそうに頷いた。

 それを見て、ガルアが穏やかに言う。

「貴女と彼は血が繋がっていないとグロザー陛下から聞きましたが、とてもそうは見えませんね。本当の親子のように……いや、それ以上に理想的な親子に見える」

 サンドラはガルアの言葉に、またしても嬉しそうに顔をほころばせた。彼女はヨアンを優しく見つめながら、まるで懐かしむように話し始める。

「今でこそ彼は真摯に接してくれていますが、私が王宮へ入った当時は全然心を開いてくれなくて。陛下の前のお妃様……彼の実の母上が亡くなられたすぐあとだったので、私のことが大層気に入らなかったのでしょうね」

「やめてください、サンドラ様」

 ヨアンはべらべらと自身の情報を話してしまいそうなサンドラに焦り、少し強い口調で遮った。サンドラはヨアンの危惧に気づいたらしく、慌てて口元に手をあてた。

「ごめんなさい、嫌な話をしてしまったかしら。気を悪くしないで、ヨアン」

「……悪くはしませんが……」

 ヨアンはガルアに目を向け、彼の様子を窺う。サンドラはガルアを信用しているように振る舞っているが、得体のしれないフレーザー一族の青年をヨアンはすぐには信じることができなかった。

「……ヨアン」

 ガルアは出された紅茶を少し啜り、ヨアンを見ずに呼びかけた。ガルアは自身を警戒するヨアンの胸中を知ってか知らずか、例の不気味な金色の瞳でヨアンを見つめる。

「国王陛下も、王妃陛下も、素晴らしいお方だ。それに、とてもお優しい。彼らのようなご両親の下に生まれ、お仕えできることを誇りに思いなさい」

 その言葉は、ヨアンもサンドラも全く予想していないものだった。

 ガルアは意表をつかれきょとんとする二人の顔を見比べると、愉快そうに声を上げて笑った。そして、席を立ちサンドラに頭を垂れた。どうやら退室するつもりらしい。

「本日は、お招き頂きありがとうございました。貴女とお話できて、感激の至りでございます。しかし、私には陛下から仰せつかった仕事がありますので、今日のところはこれにて」

 彼は恭しくそう言って微笑むと、くるりと踵を返し扉の前に向かった。ヨアンは慌てて彼を追い抜き、扉を開ける準備をして待機する。

 ガルアは扉の前でもう一度サンドラを振り返った。

「気が向かれたら、ぜひまたお声をかけてください。王妃陛下からのお呼びとあれば、喜んで参りますので」

 ガルアがヨアンにちらりと目配せする。ヨアンは扉を開け、ガルアが出て行くのを見守った。

 足音が遠ざかり完全に聞こえなくなるのを待って、ヨアンは扉を閉める。ヨアンとサンドラしかいなくなった部屋の中にはしばらく微妙な空気が漂ったが、部屋の上部から響いた明るい少女の声で沈黙は破られた。

「兄貴、父上は大変お優しいお方らしいよ。知ってた?」

「知らなかった」

 そんなわけがないだろう、あれはただの嫌味だ、という言葉を飲み込み、ヨアンは無愛想に答える。

 事実、連合軍への奇襲攻撃から負傷して帰ってきた息子たちを見て、グロザーは一言「使えん奴らだ」とだけ言い、咎めるでもなく面倒臭そうに退室を命じた。ヨアンたちは決定的な失敗を犯したわけではないが、サバーカを負傷させたことやアンナが暫く動けなくなったことなどは、グロザーにとって不愉快なことだったのだろう。

 ヨアンは父親の氷よりも冷たい目を思い出し、寒気を覚えた。彼は部屋の天井に目を向け、ややぶっきらぼうに命じる。

「下りてこい、アンナ」

 ヨアンの指示にアンナは素直に従った。少しの間、天井裏から板を踏み締める音や金属の部品を外すような音がしたかと思うと、サンドラの後方にあった窓の向こうに逆さまの少女の顔が現れる。

「アンナ! 危ないからやめて!」

 アンナが窓枠に足をかけて逆さにぶら下がっていることに気づいたサンドラは、悲鳴じみた声を上げた。ヨアンが近づき窓を開けると、アンナは軽やかに室内に滑り込み、サンドラに無邪気な笑顔を向けた。

「こんなのあたしには余裕ですよ、母上。心配しないでください」

「しかし、今の貴女は脚を怪我しているでしょう。お願いだから、無茶はしないで」

 サンドラは部屋に入ってきた少女を軽く抱き締め、呆れた顔で言った。しかし、相変わらずお茶目な笑みを浮かべるアンナを見て顔を緩める。

「貴女は私の大切な娘なのよ。お母さんにあまり心配をかけないでください」

「……はい」

 アンナは照れくさそうにもぞもぞしながら答えた。サンドラは、その状態のままヨアンにも慈愛に満ちた眼差しを向ける。

「貴方も同じよ。くれぐれも無理はしないでくださいね」

 ヨアンはサンドラの暖かい視線にむず痒い感覚を覚え、不快感を払うように事務的に尋ねた。

「サンドラ様。ガルアはどうでしたか」

 サンドラは急な問いかけに目をぱちくりさせ、小首を傾げた。

「“どう”とはどういうことでしょう。お若いのにずいぶん洒脱で面白い方でしたが……」

「そういうことではなく」

 ヨアンはサンドラを真っ直ぐ見つめる。彼は不思議そうな顔をするサンドラに向かって、暗殺者特有の淡白な声音で説明した。

「あの男は、我々にとって益か害か。……貴女なら、少しは思うところがあるでしょう」

 ヨアンの真剣な問いかけに、サンドラは「ああ」と柔和に微笑んだだけだった。

 サンドラはアンナから離れ、窓際に向かう。彼女はしばし穏やかに降る雪を眺めたあと、窓の外へ目を向けたまま静かに話し始めた。

「ガルアが私たちアルトネアにどんな影響を及ぼしうるかは、今はまだはっきりとはわかりません。しかし、彼の存在はこの戦争を大きく揺るがすことになるでしょう。それだけは確かです」

 サンドラは冷たい窓硝子に指先で触れ、ヨアンたちを振り返った。彼女は、ガルアと談笑していたときとはどこか違う超然とした空気を漂わせ、子どもたちにゆっくりと語りかける。

「ですが、それは今の貴方が知るべきことではありません。真実を知ることが、必ずしも幸をもたらすとは限らないのです。今は来るべき戦禍に備え、静かに時を待ちましょう」

 今はまだ動くべき時ではないということだろう。ヨアンはそう解釈した。

 兄妹は顔を見合わせ、サンドラに頭を下げた。

「承知致しました、サンドラ様」

 ヨアンは敬意を込め、義母の名を呼ぶ。サンドラは妖精を思わせる笑みを浮かべ、再び雪降る王都に目を向けた。







 ガルアは回廊の柱に寄りかかり、王宮を彩る雪景色を眺めていた。

 連合軍では噂で持ち切りのガルアだが、そんな彼自身を取り巻く環境は至って呑気なもので、グロザーや他の参謀、将軍らなどと軍事会議をする以外は、書物をあさったり、王宮内を散策したりと、悠々自適な生活を送っていた。

「こうも平和だと、感覚が鈍るな」

 戦争の、と心の中で付け足し、つい独り言をこぼしていたことにガルアは苦笑する。

 現在彼は、退屈しのぎに王宮をあてもなくうろついていた。戦時下であるとは言えどの国にも未だ大きな動きはなく、その上グロザーは極めて優秀なので、ガルアが補佐してやるべきことがあまりなかった。北国の王は淡白を通り越して他者に無関心なのか、ガルアの行動に制限をかけることもほとんどなかった。

 しかし、そろそろ枢機卿が動き始めるだろう。それに合わせ、帝国も行動を開始するに違いない。

 ガルアは確信にも似た予感を抱き、一人ほくそ笑んだ。もしそうなれば、全てはガルアの思惑通りになる。この戦争の命運は、彼が握っているも同然となるのだ。

 彼は柄にもなく逸る心を落ち着けようと、緩慢に歩を進め敷地内をあてもなくぶらつき始めた。そして、時間をかけて辺りを一周し最初の場所まで戻ってくると、深々と溜め息をつく。ここに戻ってくるまでに、何も興味を引くものがなかったことに落胆したのだ。

 が、柱に背を預けぼんやりするガルアの目に、王宮にはあまり似つかわしくない建造物が映る。

 その建物は、目に留まらないように配慮されているのか、王宮の隅にひっそりと佇んでいた。木々や他の建物がが視界を妨げるのではっきりと全貌を確認することはできないが、一見すると飾り気のない離れ、といった風情だ。

 物珍しいものを発見しガルアがお得意の推察を行っていると、建物の前に意外な人物の姿が現れ中に消えた。

 ガルアは、面白いもの見たさですぐにそちらに向かって歩き出す。

 謎の小屋に向かう道は閑寂を極めた。宮殿の裏に隠れるように存在しているので、日当たりも悪く寒々しい。しかしながら、手入れが行き届いていないわけではなく、小屋に近づくにつれ生物の気配が強くなっていく。

 ガルアは小屋の正体に気づき、微かに眉根を寄せた。小屋の正体はわかったが、先程の見つけた人物がここに来る理由はますますわからなくなったのだ。

 彼は踏み固められていない雪の上を進み、建物目前まで来た。丁度同じとき、小屋の戸を開け一人の男が出てくる。

 ガルアは男に対し、慇懃に礼をした。

「グロザー陛下、まさかこんなところで貴方にお会いするとは」

 グロザーは全く驚いた様子もなく応えた。

「それは私の台詞だ、ガルア。ここで何をしている」

 何を、と聞かれても返答に困る。ガルアは苦笑いしながら首を横に振った。

「私は貴方がこちらに向かうのを拝見して参りました。こんな狗小屋──おっと失礼、サバーカ殿のお住まいに陛下が何用で?」

 ガルアは仰々しく言い直し、数匹のサバーカが繋がれている厩舎を覗き見た。中にサバーカの姿を認め、更に獣の匂いがきつくなった気がしてガルアは気分が悪くなった。動物は、その中でも毛皮を持つ動物は好きではない。むしろ苦手としている。

 そんなガルアを見て、グロザーが鼻を鳴らした。彼は一際体が大きく漆黒の毛皮をまとうサバーカの鼻面を撫でながら、

「私の友人に失礼なものよな、ガルア。お前は彼らの美点を何も知らぬようだ」

 とのたまった。

「狗……いや、サバーカが友なんですか? へぇ、動物がお好きとは意外ですね」

 冷徹で無駄を嫌う北国の王が、わざわざサバーカの様子を見にくるとは衝撃的だったが、続く言葉にガルアは一気に冷めた。

「私が長年使役しているこれは、誰よりも聡く頼りになる忠臣だ。私が人を噛み殺せと命じれば当然そうするし、私に害をなす者があれば命じずとも行動を起こす。そして、自身を蔑む人間にも、時には攻撃的になる」

 ガルアは一歩退きそうになるのをこらえ、自分に警戒した目を向ける黒毛のサバーカを見返した。注視すると、サバーカの鼻先や脚に鋭利な傷跡が見受けられる。グロザーが言ったことは本当らしく、人間を相手にしたこともあるようだ。

「私はサバーカが嫌いなのではなく、苦手なだけですよ。帝国にはこのような動物はいませんし、サバーカと触れ合う機会もなかったので、私が彼らと親しくできなくともご容赦頂きたい」

 ガルアの申し開きを受け、グロザーがうっすらと笑みを浮かべる。

「正直だな、参謀副長。だが、それならそれで良い。生まれも境遇も違う人間に、無理な要求を押し付ける気はない」

 ガルアが安心した矢先、漆黒のサバーカが吠え声を上げる。上顎の牙が二本ほど欠けているのがはっきりと見て取れた。

 若いフレーザー一族の男が硬直していると、グロザーがサバーカの顎下を撫でてなだめた。

「名前は知っておいてほしいそうだ。これはデルベントという。覚えておけ」

「もちろん」

 グロザーは即答したガルアを一瞥し、今度はデルベントの後方から顔を覗かせる灰色のサバーカの頭を撫で始める。甘えた声を出し満足げに目を細めるそのサバーカは、脚に包帯を巻きつけられ動きにくそうにしており、ガルアは未だにこちらをねめつけるデルベントから意識を逸らそうとして声をかけた。

「怪我をしているのですね」

「息子のサバーカだ。あの愚か者が無理をさせたのだ」

 少しばかり不機嫌そうなグロザーを見て噴き出しそうになるのをこらえつつ、ガルアは灰色のサバーカと戯れる皇帝を眺めていた。グロザーは表情に乏しく冷淡なので畏怖されがちだが、案外人間らしいところもあるのかもしれない。

 ふと、参謀副長の脳裏にある推測が閃く。

「陛下、そのサバーカの傷は連合軍の者につけられたのではありませんか? ヨアンのサバーカであるのなら、彼と一緒に連合軍へ襲撃に行ったはずでしょうから」

 ガルアの突拍子のない言葉にグロザーは目を瞬いた。

「なぜ私の息子が連合軍へ行ったことを知っている? 君に伝えた覚えはないのだが」

「仰っていただかなくともある程度予測はつきますよ。しばらくヨアンとアンナの姿を見ないと思っていたら、数日後に怪我をした状態でふらりと戻ってきて、おまけにヨアンのサバーカまで負傷している。明らかに何者かと交戦してきた証拠だ」

 平然と述べたガルアにグロザーは突き刺さるような視線を向けた。

「しかし、相手が連合軍とは限るまい。アルトネア内にも排除したい政敵は存在するし、私がそやつらの始末を命じていたとしても不思議ではない」

 ガルアは試されていることを知ってか知らずか、何気ない様子でサバーカたちに近づき、彼らをしげしげと眺め回した。

「もし相手が貴方の政敵であるのなら、目立つ上に場所も取るサバーカをわざわざ連れて行くでしょうか? それに、あの兄妹はゼルカロでもありますしね。 要人一人を闇夜に紛れて音もなく暗殺することは、彼らにとっては難しくないはず。都合の良いことに街中には鏡は腐るほどあるので、サバーカの機動力に頼るまでもないかと」

 ガルアの考察を受け、グロザーが沈黙する。ガルアは、それが肯定の合図だと捉え更に話を続けた。

「図星のようですね。ならば、大変恐縮ながら一つよろしいでしょうか」

「なんだ」

 視線を灰色のサバーカからガルアに移し、グロザーが応答した。

 ガルアが涼しい顔で言い放つ。

「私にご報告なく連合軍に手を出すのはお控えください。たとえそれで連合軍に損害を与えることができたとしても、計画が狂ってしまっては困ります。政敵を排除なさるのは大いに結構ですが、こと、連合軍への対策に関しては、私に事前にご相談していただきたいのです」

 ガルアは不遜とも思える口調で告げ、グロザーを見返した。他の配下からすれば命知らずとも思える口振りと進言だ。

 しかし、グロザーはガルアをまじまじと見つめ愉快そうに微笑しただけだった。

「随分な口を利くものだ。……しかしながら、君の言い分にも一理ある」

 グロザーはサバーカを撫でるのをやめ、ガルアに目を向けた。

「よろしい。連合軍への対応については、君を交え慎重に考えていくことにしよう。私は君を全面的に信頼する」

「有り難きお言葉」

 ガルアは帝国参謀部で擦り込まれた返事を口にし、軽く礼をした。その横をグロザーが通り過ぎようとしたが、ふいに立ち止まる。

「そういえば、今日はサンドラとお茶をしたとか」

「はい。大変美しいお方でございました」

 グロザーは、珍しく目尻を下げて優しげな顔で微笑した。

「世辞はよせ。あれは存外抜けている。君に不躾なことをしなかったか?」

 ガルアは大きく首を横に振り、少し困り顔で返した。

「まさか、とんでもない。むしろ私の方こそ、彼女に不愉快な思いをさせたのではないかと不安なのです。ほら、私は口ばかり達者ですからね」

「だが、それが君の武器だろう」

 ガルアが何ともいえない顔で黙っていると、グロザーが彼の肩を軽く叩いた。皇帝は通り過ぎざまに、

「良い働きを期待している」

 と言い残し、颯爽と歩き去る。

 ガルアは曖昧な笑みを浮かべ、小さくなっていく皇帝の背を肩越しに見送った。


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