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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第二部 アルトネア制圧戦
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あなたとともに

 ライグは複雑な心境だった。恋心を抱いていた女性との再会に心がはずんだのは確かだが、なぜ彼女がここにいるのかという疑問が彼を戸惑わせていた。

 今、ライグとバレンシアは、宿の隅で並んで窓の外を眺めている。バレンシアをいきなり仲間たちが寝ている部屋へ連れて行くわけにもいかず、会話を他の者に聞かれるのもはばかられたので、こうして宿の隅で荒れた天候を意味もなく眺めながら、どう切り出せばいいのかとライグは悩んでいた。

 しかし、冷静に物事を考えられないのは仕方もない。久しぶりに見たバレンシアは、相変わらず美しく、凛々しく、再会の衝撃と相まってライグの動揺を煽った。ライグは、何度も夢か幻でも見ているのではないかと思ったが、隣に感じるバレンシアの存在を否定することもできず、バレンシアが今側にいるという事実に困惑するばかりだ。

「混乱してる……でしょ?」

 ライグが黙り込んでいると、バレンシアが静かに尋ねかけた。ライグは我に返り、努めて沈着に答える。

「確かに混乱しているが、君がここにいるという事実は否定しようもない。だからこそ、訊きたいことが山のようにある」

 ライグの言葉に、バレンシアは控え目に微笑んだ。ライグは、バレンシアの雰囲気が以前より少し沈んでいることを感じ取った。

「そうよね、当然そうなるわよね。いいわ、気になることはどんどん訊いて。私が答えられる範囲で答えるから」

 バレンシアらしいさばけた物言いに、ライグはふいに懐かしい気持ちになった。ライグはおもむろに頷き、質問の優先順位を整理してから口を開く。

「最初に訊きたいのは、なぜ君がここにいるかということだ。俺がガルアから離反したあとも、君は彼のもとで働いていたんだろう? だとしたら、一人でこんな場所にいる理由はなんだ?」

 ライグは自分が離反したあとの軍団の様子については詳しく知らないが、彼女がガルアを弟のように気にかけていたことは知っていたので、今はガルアと一緒に連合軍の一員として過ごしていると考えていた。それに、ライグがファンブリーナを出ようとしたとき、彼女が自分について来ようとするのではなく引き留めようとしたことも、思えば全てガルアのことを考えての行動だった。それらを踏まえて推察するならば、バレンシアが連合軍にいると思うのは当然のことだ。

 しかし実際は、彼女は連合軍から遠く離れたアルトネアの小さな町にいる。それも、たった一人で。

 ライグが不可解そうな表情を浮かべているのを見て、バレンシアはしばし逡巡したのちゆっくりと息をついた。

「それを説明するには、まず私が連合軍を抜けた理由を話さなくちゃね」

「連合軍を抜けた……? 君は、ガルアから離反したのか?」

 ライグは驚いてつい声が大きくなった。バレンシアが一人でこんな場所にいる時点でその可能性も考えてはいたが、ガルアの策略を遂行させるため単独行動をしているとも考えられたし、やはりはっきりそう断言されると動揺してしまった。

 バレンシアは潔く頷き、事務的な物言いでこれまでのことを語り始めた。

「そう。私は、上官の許可なく連合軍から抜け出してきたの。だから立派な脱走兵ね」

「なぜ連合軍を抜けた? あそこには、ガルアが……」

 ライグは最後まで言わずに口をつぐんだ。バレンシアもライグの言わんとすることを察したようで、寂しげな笑みをたたえて頷く。

「そのガルアが、私が連合軍を抜けた理由なのよ」

 ライグは信じられないというように首を振った。そして、恐ろしい予感に心が曇っていく。

「……そうか。あの人は、またしても君たちを裏切ろうとしているんだな」

 ライグは、バレンシアの目に映った悲しみから全ての事情を読み取った。詳細はともかく、ガルアがバレンシアを何らかの理由で突き放したこと、もしくは彼女を欺いたことは理解できた。

 恐らく、ガルアは連合軍を利用し大きな陰謀を進めている。ファンブリーナ奪還任務のときと同じように、部下にはなんの説明もなしに。

 ライグの言葉を肯定するように、バレンシアが小さな声で続ける。

「彼は、私の存在が“重い”と言ったわ。そんなに自分が信用できないのなら、連合軍から出て行ってくれても構わないとも言った。私には何一つ教えてくれないまま、私が、貴方のように彼の考えに疑いを持つ私が、目障りだって……──」

 バレンシアは泣きはしなかったものの、辛そうな表情でライグから目をそらした。彼女は吹雪く窓の外を見つめ、唇をきつく結ぶ。ライグはその様子を眺め、無意識の内に彼女の肩に手を回した。

 バレンシアはライグを見上げ、深く息をついて表情を緩めた。

「わかってるの、彼は参謀……それも、すごく優秀な軍師だってことは。だから、口外してはならない情報や作戦の計画もたくさんあるでしょうし、私に全てを話してくれなくても仕方ないとは思ってるの」

「……ああ」

「でも、最近の彼は本当にわからない。何を考えているのか、誰のために動いているのか、どの言葉が真実なのかさえわからないの。私に全てを話してくれなくてもいい、任務を優先的に考えて行動してもいいわ、でも、今の彼を信じるのは怖い。まるで策略で人を陥れることしか考えていないように見える彼が、私には信じられない」

 バレンシアは微かに震える声で言い切り、ライグに上体を預けて目を閉じた。彼女の中では、いくつもの疑惑と混乱、恐れと悲憤が渦巻いていた。それはひとえに、ガルアに対する愛情と懸念ゆえだ。ガルアを信じたいと思う心と彼を恐れる心とが同時に存在しているために、彼女は葛藤に悩まされ続けている。

 ライグも同じく、ありとあらゆることを苦慮していた。連合軍の軸であるガルアに良からぬ兆候があるのなら、ガルアのもとにいる仲間たちはどうなる? そして、この戦争の行く末は──?

 何もかもが、ライグの思考の範疇を超えていた。彼には、ガルアの策略も、枢機卿の心情も、アルトネアの対応も予想がつかなかった。

 ──だが、何もわからなくとも、戦争がどう展開しても、ライグは己の道を信じ先に進むしかない。

 今の彼には、そうすることしかできないのだ。

「……バレンシア」

 ライグは愛しい女性の名を呼んだ。バレンシアが、潤んだ瞳でライグを見上げる。

「残念ながら、俺にわかることは少ない。ガルアのことも、この戦争のことも、これから先どう展開するかは予測できない。……だが」

 ライグは言葉を区切り、バレンシアに対して体を正面に向けた。彼は華奢な女時魔導師の両肩に優しく手をかけ、決意を秘めた目で彼女を見つめる。

「俺にとって、帝国にとって、最善だと思える道を探したい。ガルアが何をするつもりなのかはわからないし、この戦争がどんな結末を向かえるのかもわからないが、俺はできるだけことはするつもりだ」

 全ては、帝国のために。

 ライグは心の中でそう続けた。

 すると、しばしの沈黙のあと、ライグを見つめていたバレンシアがふわりと柔和な笑みを浮かべた。

「貴方がそういう覚悟をしているであろうことは、予想できたわ。だから、私も対応を考えておいたの」

 バレンシアはライグの頬を両方の手のひらで包み、背伸びして顔を寄せる。

「私も貴方と一緒に行く。貴方と一緒にこの戦いを見届ける。離れてみてわかったの。私、待ってるだけの恋は向いてないって」

 バレンシアはそう言って素早くライグに口づけした。ライグがぎょっとして硬直していると、彼女は悪戯っぽくウィンクしてみせた。

「私は結構粘り強いのよ。半年ほど離れてたくらいじゃ、貴方への恋心は冷めたりしないんだから」

 バレンシアの恋人同士のような発言にライグは呆然とし、ついで慌て始めた。

「ま、待て。俺と君はそういう関係なのか? 断じて恋人だという自覚はないが……」

「何よ今更。お互い“愛してる”って伝えあった仲じゃない」

 ライグがガルアに反発し、ファンブリーナを出ようとした時のことだ。状況が状況だったので、ライグはあの時のことはまるで夢の中の出来事のように感じていたのだ。

 さっきまでの深刻な話が頭から抜けていないライグは、好意を抱いていた女性からの大胆な告白に困惑を隠せなかった。だが、バレンシアが本気でライグと一緒に行くつもりだとわかり、彼は真剣な顔になる。

「本当にいいのか? 今の俺は正式な帝国軍人でもないし、この戦争をどうにかできる力があるわけでもない。ただ個人的な理由で、帝国のために何ができるかを探している……ともすれば、無謀で浅はかな男だぞ。そんな俺についてきても、君は辛いだけかもしれない」

 ライグはバレンシアに説明しながら、自分が行こうとしている道の険しさを改めて実感した。考えてみれば、個人が国家のためにできることなど限られているのだ。

 しかし、もう一度軍に戻り戦場で戦っているだけでは、衰退していく帝国を守るのは難しいだろう。だからこそ、こうして帝国を守る術と力を探し求めている。

 しかし、ライグの懸念に対しバレンシアは同然のように頷いた。

「貴方と一緒にいられないこと以上に辛いことなんてないわ。だから、これから先何があろうとも、私は貴方についていきたい」

 バレンシアは凛とした表情で告げ、ライグを見上げた。

「──お願い、私を連れて行って。貴方が目指す場所に」

 二人の視線が、それぞれの決意を灯す瞳を捉える。

 どちらも、先に待ち受ける運命に立ち向かう覚悟を決めていた。お互いがいれば、どんな過酷な試練にも打ち勝てる気がした。

 ライグは真っ直ぐにバレンシアを見つめ返し、静かに息をつく。

「……ありがとう、バレンシア。俺も、この半年間君のことが忘れられなかったよ。君が俺を選んでくれたことに感謝する」

 ライグはバレンシアを抱き寄せ、彼女の額に軽く唇をあてた。愛しい人を確かにこの腕に抱いているという感覚が、ライグの不安や焦燥を溶かしていった。

 現在、三国は大きな転機と波乱を向かえようとしている。

 だが、せめて今は、愛する人と同じ時間を、景色を、喜びを、分かち合える幸せを噛み締めていたい。

「……逢いたかった」

 そう囁いたライグの腕の中で、バレンシアが彼の胸元に顔をうずめ小さく頷いた。微かに肩を揺らすバレンシアは、涙をこらえているようにも見えた。

 が、そんな良い空気の中、ライグはある素朴な疑問に行き当たる。

「それにしても、どうして俺の居場所がわかったんだ? 決して偶然ここに来たわけではないんだろう」

 バレンシアはきょとんとした顔でライグを見上げ、意味深に微笑んだ。

「愛の力よ」

 とぼけてにこにこするバレンシアにライグが呆れていると、薄暗い廊下の奥から足音が近づいてきた。こんな場所で男女が抱き合っているのはなんとなく不謹慎に思え、ライグはバレンシアから離れようとしたが、バレンシアはライグから離れようとしない。

「おい」

 強く押しのけるのも冷たい男のように感じられたので、ライグは自分に抱きついたバレンシアに小さく呼びかけた。困った顔をしているライグに、バレンシアは甘えた目を向け黙ったままだ。

 ライグが何もできずに焦っていると、廊下の奥から短く息を呑む音が響いた。どうやら誰かに目撃されてしまったらしい。

 ライグが気まずい思いでそちらに目を向けると、ライグたちから少し離れたところに見覚えのある青年が立っていた。

 青年──ティリンスは、焦ったような照れたような顔でライグとバレンシアを交互に見やり、どもりながら謝る。

「ご、ごめん、邪魔する気はなかったんだけど……。あ、僕、部屋に戻るね」

 ライグは慌ててティリンスを呼び止めた。

「待て、変に気を使わないでくれ。どちらにしろ、彼女のことは紹介しようと思っていたんだ」

 ティリンスがぴたりと足を止めライグたちを振り返る。さすがにバレンシアも満足したようで、ライグから体を離しティリンスに優しく笑いかけた。

「初めまして。えーっと、ライグのお友だち?」

 ティリンスは状況を理解できていないらしく、謎の女性をしばらく眺めていたが、ハッとした顔で声を上げた。

「もしかして、ファンブリーナでライグを止めにきた……?」

 どうやらティリンスはバレンシアを覚えているようだ。気を遣って姿を隠していたティリンスのことを、バレンシアの方は知らないようだったが、ティリンスが彼女の所属を知っているのなら説明もしやすい。

 しかし、どうせなら仲間全員がいるところで紹介するべきだろう。ライグは咳払いし、ティリンスに向かって言った。

「その通りだ、ティリンス。彼女は俺と同じく元々は帝国軍人で、その……俺にとっては大切な人だ。だからこそ、ぜひ君以外の仲間もいる場所で紹介しておきたいんだが」

 “大切な人”という言葉だけでティリンスは全てを理解したようだ。彼は少しの間驚いた表情をしていたが、どこか嬉しそうな微笑を浮かべ素直に頷いた。

「わかったよ、ライグ。今から皆に声をかけて、一部屋に集めておくね。準備ができたら呼びに行くから、それまでは彼女と一緒に待ってて」

 ティリンスはバレンシアに軽く頭を下げ、来た道を戻って行った。ライグはなぜか妙に畏まった気持ちになり、微かに緊張し始める。

「どうしたの、急に怖い顔になって」

「なんでもない」

 ティリンスとウラジーミルはともかく、イグアスとバフラには確実に冷やかされるだろう。特にバフラは、あの性格を考えればしばらくはからかわれそうだし、バレンシアを迂闊に近づけるのはあらゆる意味で危険だ。

 ライグはにやつく美女と小男の姿を想像し、少しだけ憂鬱な気分になった。


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