第1章〈女時魔導師〉
ライグたちが注目する中、部屋に入ってきたのは小柄な女性だった。紫色のローブを着ているので、部隊付き時魔導師の一人だろう。
女性はフレーザー一族には珍しい黒髪を長く伸ばし、高い位置で結っていた。大きなアーモンド型の目に通った鼻筋、小さく厚い唇。はっとするような美人だ。
しかし、何よりも目を引くのは彼女の右目尻から顎の下まで続く痛々しい傷跡だった。鋭利な刃物で斬りつけられたようで、整った顔立ちの中にあって傷跡はかなり目立つ。
失礼だとは思ったが、ライグは思わず彼女を凝視してしまった。たとえ酷い傷跡があろうと戦場には似合わない美しい女性で、ピトンも同じように彼女に見惚れているのがわかる。
と、女性がライグを凛とした表情で見つめた。フレーザー一族特有の金色の目に正面から射抜かれ、ライグは不覚にも緊張する。
女性は厳しい口調で言った。
「すみません、突然。ガルア司令官を見ていませんか?」
ライグはきょとんとした。
ガルア? ガルアなら目の前でチェスを――。
だが、ライグが答える前に女性が部屋の奥を見て目を見開いた。ライグが女性の目線を追うと、背を向け無関心を装ったガルアが目に入った。
ライグは明らかに女性を避けようとしているガルアを不審に思い、どうしたんですかと尋ねようとしたが、先に女性が大声を上げた。
「ちょっと、リマ! 背を向けたって無駄よ、その参謀部の制服で一発で見抜けるもの! 全く、こんなところで何してるのよ?」
ライグは女性のあまりの剣幕に身を引いてしまい、事態が全く読めずに困惑する。
『リマ』とはガルアのファーストネームだ。だとすれば二人は顔見知らしい。しかしながら、この女性、参謀副長を怒鳴りつけることができる立場には見えない。
参謀副長は迷惑そうな顔で女性を見ていたが、観念したように深く息を吐く。
「チェスだ」
ガルアは先ほどと全く同じ様に答えた。
「見ればわかるわ、そんなもの!」
しかしそれに対する反応は激しく、女性は大股でガルアの前に行くと机に掌を叩きつけた。バンッ、という乾いた音が室内に弾けライグとピトンが呆然とする中、ガルアを睨みつけながら女性が低い声で言う。
「貴方、わかってるの? 私たちは重大な任務を控えているのよ。それなのにこんなところで遊んでる場合なの? 作戦を見直すとか、武器の手入れをするとか、戦いに備え睡眠をとるとか……やるべきことは沢山あるでしょ?」
彼女の言ったことが先ほど自分が言ったこととまるで同じだったことにライグは驚いた。ライグは恐ろしく不遜なこの女性にそのことを告げようとしたが、またしても邪魔が入った。
「丁度そのことを言われたところだ。そこのダンバー軍曹にね」
ガルアがライグを指差し、女性が振り返った。自分を見ながら険しい表情をしている女性に向かって、ライグはおもむろに口を開く。
「司令官が仰った通りです。僭越ながら、概ねそのようなことを進言させて頂きました」
「そうでしたか」
女性はあっさりと認め、ガルアから離れた。そしてライグとガルアを交互に眺めたのち、愉快そうに声を弾ませる。
「リマ、貴方を補佐してくださるダンバー軍曹はとても頼りになるお方よ。だから、彼の話をちゃんと聞くのよ。私も出来る限りお手伝いするから」
リマ――ガルアはちっとも嬉しくなさそうに同意した。
「そうだね。ありがとう」
ライグは戸惑いを隠せなかった。この女性は恐らく部隊付き時魔導師(ライグとピトンは知らなかったので、アルガンの部隊か?)で、今まで自分たちと一緒に遠征をこなしていたのだろう。こんな目を引く人物に気づいていなかったのも驚きだが、彼女のガルアに対する態度はなんだ? まるで家族か友人のようだ。
となると、彼女の身分は貴族階級だろうか。ガルア家は代々帝国に仕える参謀や官僚を輩出している一族だと聞く。そんな名家の人間にこんな口を利けるとなると、その可能性しか――。
しかし、それはライグの思い過ごしだった。ガルアが女性にやんわりと促した。
「軍曹と伍長が貴女の正体を計りかねているようだ。せっかくなんだから自己紹介でもしたらどうだ?」
女性はあら、と気抜けした声を出し、ライグとピトンに笑いかけた。どこか照れているようにも見える。本当にころころと表情を変える人だ。
「ごめんなさい、ダンバー軍曹、ピトン伍長。自己紹介が遅れました。第二工作部隊付き時魔導師、バレンシア・エルフォードです。以後お見知りおきを」
ライグは相手の正確な身分がわからないので、敬語で返事をした。すると、女性は慌てて言った。
「敬語なんてやめてください。ただの軍属時魔導師ですから」
「しかし……」
ライグは言葉を濁す。ガルアと対等に話せるというのは、どう考えても普通の時魔導師ではない。困惑した目線をガルアに向けると、参謀副長はだるそうにこう言った。
「ミセス・エルフォードはどうにも鈍いからな。しょうがない、僕から教えてあげることにしよう。ダンバー軍曹、ピトン伍長、彼女はただの軍属時魔導師だ。しかし、昔は時魔導の教師として帝都で働いていた。僕も彼女の教え子の一人だ」
予想外の言葉に、ピトンが瞠目する。
「時魔導? 貴方、まさか時魔導が使えるんですか?」
ガルアは鼻を鳴らした。どうやら肯定したらしい。ライグがバレンシアに顔を向けると、彼女はわざとらしく澄まして答えた。
「彼は時魔導師としても優秀なんですよ、軍曹。ちなみに、リマと私の家はちょっとした交流があったので、彼のことは子供の頃から知っています。相変わらず生意気でひねくれていたので、ちっともかわいくない教え子でしたけど」
「その生意気さも貴女のおかげで大分薄れましたよ。大体僕のどこが生意気だって言うんだ。それを言うなら貴女だろう、参謀副長に向かってそんな態度は考えられない」
どことなくいらついた様子のガルアを気にもせず、バレンシアは快活に笑った。
「これまでの付き合いもあることだし、同じ軍隊に所属する仲間なのだから、今まで通りお互い敬語はなしにしよう、と言ったのは貴方じゃない。まあ、私は別に敬語を使っても構わないけど? 帝国軍参謀副長殿」
ガルアは溜め息をついた。慣れているのか、本気で怒っているわけではなさそうだ。軽口を叩き合う様子はさながら姉と弟だ。
ライグは食えない司令官の思わぬ事実を目にし、不思議と愉快に思っていた。それに、このバレンシアという女性、なかなか好感が持てる。
ライグは思い切って彼女に告げた。
「ではミセス・エルフォード、私にも敬語は使わないでくれ。同じ戦場に立つ仲間なのだから」
実際、時魔導師にははっきりとした階級はないので、歴戦の時魔導師であれば士官から敬語を使われることも少なくない。逆も然りだ。士官に敬語を使わない時魔導師もいるし、お互いを呼び捨てにしあう者もいる。
それにしてもこの提案は急だった。ライグは自分の予期せぬ大胆さに驚嘆しながらも、バレンシアを見守った。
バレンシアは案の定驚いた顔をしていた。ピトンも、ライグの言葉が信じられないという顔をしている。
やがて、バレンシアが柔らかい笑みを浮かべた。
「わかったわ、ライグ。その代わり、ミセス・エルフォードなんて堅い呼び方はやめて。バレンシアでいいわ」
そしてピトンのほうを向き、
「貴方もそれでいい? トワ」
と了承をとる。
それを受け、ライグとピトンはほぼ同時に頷いた。




