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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第一部 ファンブリーナ奪還任務
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第1章〈皇国の使徒〉

 強い西風が吹き荒れ、霞む太陽が鈍く地上に照りつける。視界を曇らせる砂塵とどこまでも続く砂の大地に、パラディオ・ラムは目眩を覚えた。

 パラディオは背の高い黒髪の男だった。剽軽そうな人相と細長い手足が印象的な、なんとなく猿を彷彿とさせる容貌の男だ。

 が、そんなパラディオも今は険相を浮かべていた。彼はこの大地――皇国、帝国、アルトネアを跨ぐ不毛のクロム砂漠には来たくないとずっと思っていたからだ。

 パラディオに限らず大抵の人間が疎むクロム砂漠は、人喰い蜘蛛をはじめ奇抜で危険な生物の根城である。おまけに全く実りを期待できない枯れた大地で、どの国も特に欲しがりはしない。故に、ここには国境がなかった。

 いや、その言い方には語弊があるかもしれない。もっとわかりやすく言うなら、この砂漠自体が広大な国境なのだ。

 まあ、そのお陰で帝国領土の近くまで威嚇されずに近づけたが。前述した理由から国家間の暗黙の了解としてどの国もここは宣告もなく使用しているので、皇国軍がここにいることが発見されても「国境近辺の警備だろう」くらいで怪しまれることは少ない。帝国やアルトネアの軍隊も然りだ。また、クロム砂漠中ではたとえ近くに敵軍がいても無関心を装い干渉しないことがほとんどである。

 そもそも、普通の神経をしていれば砂漠のど真ん中で戦いたいなんて思わないだろう。パラディオはぽつりと呟いた。

「枢機卿は特にそうだろうな」

「ヴァルカモニカ様がなんだって?」

 パラディオの後方から声が響いた。彼は面倒そうに振り返り、砂に霞んで見える声の主を一応確認する。

「枢機卿が砂漠嫌いだって話だよ。ナスカ、お前も知ってるだろ?」

 独特の民族衣装を纏う少年、ナスカが頷いた。確か今年で十六になるはずだが、銀髪を肩口でおかっぱのように切りそろえており、小柄で痩せぎすなため彼は実際より幼く見える。しかし切れ長の眼から放たれる眼光は異様なほど鋭く、パラディオはナスカの眼がどうしても好きになれない。たぶん、その眼が残酷で狡猾な猛禽類を思わせるからだろう。

 ナスカは薄ら笑いを浮かべパラディオに近づいた。こんな態度も子供らしくないので苦手だ。

 ナスカが冷えた笑みをたたえたまま話し出した。

「帝国はさぞかし狼狽えているだろうな。俺たちがファンブリーナをあっさり制圧したことに」

 この場合の“俺たち”は“枢機卿の部下”という意味だろう。

「帝国の奴らじゃなくても驚くだろうね。例えば、我らが皇帝陛下とか」

 パラディオの言葉に、ナスカは愉快そうに笑った。まだあどけなさの残る顔を破顔させると、彼は予想以上に愛嬌のある顔立ちになる。こんなときは子供らしいんだがな、とパラディオは思う。だが、楽しげなナスカの口をついでたのは全然年齢相応の言葉ではなかった。

「あの国王は馬鹿だから、ヴァルカモニカ様の偉大さに気づいてないのさ。耄碌した死に損ないの爺め、さっさと全部の権力をヴァルカモニカ様に譲ればいいのに」

 聞かなければよかった、とパラディオは顔をしかめた。

 ナスカが崇拝する枢機卿ヴァルカモニカは、現皇帝アクルの右腕的存在でありパラディオやナスカが仕えている相手でもある。枢機卿は真摯で穏やかな気性と博学で聡明な頭脳の持ち主であることから、アクルにほとんどの政を委任されるほど信頼されており、この国を実質的に統治する存在と言っても過言ではない。

「パラディオ、ナスカ、戻れ。話したいことがある」

 またしても後ろから声がした。パラディオとナスカは別段驚いた様子もなく顔を見合わせ、揃って歩き出した。辺りはひたすら砂の海で何の目印もなく、不思議なことに先ほど呼びかけたはずの人物の姿も確認できないが、パラディオ達は迷いなく歩いていく。

 やがて、ある場所でナスカが足元の砂を蹴り上げた。そこには、砂に埋もれるようにして人一人が乗れるほどの複雑な魔法陣が描かれた紙が敷いてある。

 微かに白く光るそれを見ながら、パラディオが言った。

「よく一発で見つけたな。目印でもあるのかい?」

「勘だ」

 ナスカはそっけなく肩を竦めた。少年は躊躇うことなく魔法陣に踏み込むと、一瞬で跡形もなく消えた。パラディオもそれに倣い、魔法陣に足を踏み入れた。



 一瞬の浮遊感と共に魔法陣を通り抜けたパラディオが真っ先に眼にしたのは、ナスカの銀色の頭髪。

 パラディオは辺りを見回し、どうやらここは野営用のテントの中のようだと気づく。五、六人用くらいの大きめなテントで、床には敷物が敷いてあるので快適に過ごせそうだ。

 たぶんパラディオがクロム砂漠で見張りをしながら物思いにふけっている間に、仲間たちがせっせと組み立てたのだろう。土地勘の乏しいパラディオにはここがどこなのか正確なことはわからなかったが、恐らくはクロム砂漠付近の皇国領土だと思われる。

 パラディオが頭上から吊された幾何学的な図面やタペストリーを眺めていると、前方で舌打ちの音が聞こえた。続けて「さっそく散らかしやがって」と小さく毒づいたナスカが、足元に散乱した呪術的な装飾品や何に使うのかわからない人形や道具を器用によけて歩いていく。ナスカの進行方向に目を向けると、薄暗いテントの中央に円形の木製机が置いてあり、そこに大柄な太った男が手をついて難しい顔をしているのが見えた。パラディオはおどけた調子で尋ねた。

「何の話だい、トロギル」

 トロギルと呼ばれた男はパラディオを一瞥すると、目の前に広げた地図を顎で示した。ただし、普通の地図ではない。表面の至る所に赤や緑、青の大小様々な光る点が浮かんでおり、それはじわじわと移動している。

 彼、トロギルは色彩魔導師だ。色彩魔導師とは、読んで字のごとく“色”を操る術者である。彼らは事象を色で区分し、それぞれの色に抽象的な意味と効力を持たせることでイメージを具現化するのだ。

 たとえば、“赤”。赤は色彩魔導における“活”を表す色で、万物を活性化、増強させる効力を持つ。反対に、“青”は“静”を表し、あらゆるものを静める効力がある。

 だが、トロギルが広げている地図は色彩魔導の産物としては異質だ。それはこの地図が極めて優秀な色彩魔導師であるトロギルにしか作れないという理由もあるが、最たる理由はこの地図上でそれぞれの色が表しているものが色彩魔導における普遍的概念と異なるからだ。

 ならば何を表しているのかというと、それは“生体反応”である。しかも、赤い点はフレーザー一族、青い点はアクロポリスの民といったように、血統や魔力系統などの波長を読み取り、それを色や光度で細分化して表示するのだ。

 不便な点としては、トロギルが把握していない血統や波長を持つ者については地図上に表示されないし、トロギルが魔力を注いでいない間はただの地図でしかない。それに、表示できる範囲も限られている。また、向こうがある時魔導を使って存在を隠蔽すると地図上に写らないこともある。

 それでも国民の大多数がフレーザー一族である帝国との戦争では、彼の地図は重宝されていた。

 トロギルは画期的なこの地図を開発するためだけに、曾祖父、祖父、父、そして俺の半生を費やしたのだとおかしそうに笑っていたが、それだけあって彼の能力は枢機卿に高く買われており、彼は今や皇国には必要不可欠な存在だ。

 だからこそ枢機卿は自分たちをファンブリーナに置いておかなかったのだろう。確かに、帝国が攻め入ってくる可能性があるファンブリーナにトロギルのような逸材を残しておくのは懸命ではない。自惚れるつもりはないがパラディオ自身も奇特な能力の持ち主であるので、ご丁寧にナスカのような腕の立つ護衛までつけてこんな辺境まで避難させているのだろう。

 パラディオはぼんやりそんなことを思いながら地図を眺め、微かに頬を緩めた。

「こちらが優勢のようだね、色彩魔導師さん。ことは順調に進んでいると思うけど」

「俺が気にしてるのはそっちじゃない。海だ」

 トロギルはあからさまに顔をしかめ、ファンブリーナの下に広がる海域を指差した。その辺りには一つだけ小さい赤い点が浮かんでおり、他の点に比べると異常なほど移動速度が速い。

 ナスカが剣呑な声音で言った。

「ファンブリーナを目指しているようだな。おまけにかなり飛ばしてる」

 トロギルが嘲りを含んだ顔つきで答えた。

「時魔導を使ってるんだ。外道と変人が好む魔導をな」

「この大きさだと、どれくらいの勢力になるんだ? 見たところたいした数ではなさそうだけど」

 パラディオの問いかけに、トロギルは何かに神経を集中させるかのように目を細める。もともと細い目が肉に埋もれ見えなくなってしまいそうだ、などとパラディオが下らない心配をしていると、トロギルが少し安心したように答えた。

「お前が言うとおり、たいした数じゃない。全体で三十人弱、時魔導師はせいぜい三人だ」

 ナスカとパラディオはほっと胸を撫で下ろした。時魔導師の部隊がいないとわかっただけでも少しは安心できる。

 しかしそんな二人を見て、トロギルはしっかりと釘を刺した。

「少ないからと言って安心するなよ。実際俺が探知出来た範囲では敵はかなり小規模だ。しかし、時魔導師がいるということに変わりはねぇ。奴らは神の領域を汚す冒涜の徒だ。そんな図々しい一族相手には、いかなる油断も命取りだぞ」

 だが、ナスカはトロギルの忠告を鼻で笑った。

「時魔導なんざ使わせる間もなく殺してやるさ。頭でっかちで軟弱な一族が俺の速さに敵うかよ」

 トロギルは溜め息をついたが何も言わなかった。実際、ナスカの暗殺能力は極めて高いのだ。猫のように俊敏で鷹のように抜け目なく、暗殺対象を確実に処理していく様は子供とは思えないほどに鮮やかだ――見ているこちらが彼の残酷さに吐き気を覚えるほどに。

 パラディオは無意識にナスカの左腕に目をやった。長い袖で隠れているが、少年の左手は精巧な義手になっている。トロギルによるとナスカの義手は金属の骨格に魔術で形成された肉や皮を張り付けたもので、魔力を得て機能しているとのことだ。傍目には生身の人間の手と全く変わりないように見えるので、一体どういう造りになっているのか不思議である。

 地図を見つめていたナスカが顔を上げた。彼は自分より頭一つ分以上高い場所にあるパラディオの目を見据え、脅すように言う。

「お前の虫はどのくらいファンブリーナにいる? ヴァルカモニカ様を守るのに充分か?」

 パラディオは呆れを隠しながら答えた。

「多分ね」

 ナスカは暫くパラディオとトロギルを睨みつけていたが、やがてくるりと踵を返した。パラディオがその背中に声をかける。

「どこに行くつもりだ? 僕らの仕事は、ここで帝国とアルトネアを見張ることだぞ」

「たとえ小規模だろうが、帝国軍がヴァルカモニカ様に近づくのは許さねぇ。奴らを潰しに行く」

 ナスカの毅然とした答えに、トロギルが驚いて声を上げた。

「馬鹿かお前は。枢機卿なら大丈夫だ。メトラ神に加護されているとかなんとか言われるあの人は、槍の雨が降ったって無傷で平然としていそうだからな。どうせ近くにいる皇国軍が奴らを始末するだろうし、お前が行くまでもない」

 しかしナスカは頑なだった。首を横に振り、トロギルに向かって乱暴に吐き捨てる。

「ヴァルカモニカ様の力を疑ってるわけじゃねぇよ。だが、もしものことだってあるだろ。とにかく俺は行くからな。あとは頼んだ」

「おい!」

 トロギルの制止も無視しナスカはテントを飛び出す。太った魔導師が慌てて後を追ったが、やはり間に合わなかった。ナスカは馬に飛び乗り颯爽と駆け出し、瞬く間に遠ざかっていく。

 その後ろ姿を見ながら、トロギルが憮然とした面持ちで呟いた。

「枢機卿にもしものことなんてあるかよ」

 パラディオは苦々しい笑みをたたえ、トロギルの肩に手を置いた。ナスカの奇行には慣れているのだ。

「仕方ないさ。ナスカなんだから」

 トロギルは納得がいかないといった顔でパラディオを見返したが、やがて観念したように溜め息をつく。

「そうだな。まだ子どもだからな」

 すると、テントの外から面白がるような声が返ってきた。

「そう、まだ子供のナスカなんだから」

 垂幕を開けたのは背の高い赤毛の女だった。

 差し込む日光に目を細めた二人を見て、彼女は優しげに微笑む。眩しさのせいで目が眩んだのか、相手の呑気な態度に呆れたのか、トロギルが呻くように訴えた。

「見ていたなら止めろ、メリダ」

 メリダと呼ばれた女、いや、少女がくすくすと笑う。くせ毛なのか、短い赤毛はいつも無造作に跳ねている。パラディオがメリダを眺めていると、メリダが顔を上げ翡翠色の目でパラディオを捉えた。美人とは言えないが、眠そうな目や人懐こい表情から愛嬌のある人物だ。

 パラディオは微笑むメリダに軽く笑い返した。ナスカに比べれば、この少女はずい分穏やかだし話しやすい。

 桜色のチュニックを整えながら、メリダが澄ました顔で弁明した。

「ごめんなさい。私じゃ止められないとわかってたから」

 トロギルがますます不機嫌な顔になったが、メリダは気にする様子もなく歩を進め机上の地図を眺め回した。そして、パラディオとトロギルに例の眠たげな視線を向ける。

「それで? 私たちはどうするの?」

 トロギルがお手上げといったように天を仰ぎ、大きな嘆息を漏らした。

「お前までそんなことを言うのか。やれやれ、枢機卿の鉄槌が下ってもしらんぞ」

「でも、命令違反してでもナスカを追う意味はあるわ。だって彼は枢機卿のお気に入りだもの。もし死なせたりしたら、猊下がどれだけ悲しまれることか」

 確かに彼女の言うことにも一理ある。パラディオ達がナスカを一人で敵前に送り込んだ(正しくはナスカが命令違反し一人で飛び出した、なのだが)となれば、枢機卿の機嫌を損ねることになるかもしれない。いや、ヴァルカモニカは感情に振り回されるような男ではないが、それでも彼を失望させることは避けたい。ヴァルカモニカには、何故かそう思わせる独特の雰囲気があるのだ。

「メリダの言う通りだ。ナスカを失うわけにはいかない。ここには僕の虫と魔法陣を残していこう。そうすれば、見張らせることも出来るし何かあったときにある程度の距離なら戻れる」

「なんで俺まで」

 トロギルが大げさに嘆くふりをしてみせが、本気ではないと見える。トロギルだって枢機卿のお気に入りであるナスカを死なせるのは怖いはずだ。

 そもそも、ここでの仕事は見張るだけ。実戦好きのナスカやメリダが納得するとは思っていなかった。それに、パラディオ自身も少しは現場に近づきたいと――虫たちが血の匂いに騒いでいるのにつられたのもあるが――思っていたのだ。

 しばらくし、トロギルが低く唸った。トロギルといるとよく聞く音だが、まるで地鳴りのようだとパラディオは毎回笑いが込み上げてくる。

 パラディオは友人に対し、嫌に優しく言った。

「わかったよ、トロギル。馬は君に使わせてあげるから」

 トロギルが唸るのは、大抵が肉体労働を渋る時だ。付き合いの長いパラディオには無論それがわかっていたので、寛容な彼は気を利かせてあげた。

 パラディオの気遣いに対し、トロギルは臆面もなく答えた。

「お前らがそう言うなら、使ってやるよ」



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