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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第一部 ファンブリーナ奪還任務
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第1章〈合意〉

 狭い船の通路に足音が響く。先頭を行くのは先程の援軍の指揮官だ。淡い金髪に長身痩躯で一族らしい風貌だが、微かに爬虫類を思わせる顔つきから不気味な印象を受ける。

 しかし、ライグは驚きを隠せなかった。この指揮官――ガルアと名乗った――は、若い。

 フレーザー一族の年齢を特定するのはなかなか難しいと言われるが、それでもわかる。ガルアは若い。恐らくは十代後半、せいぜい二十代前半。

 そして、この若さで帝国軍参謀副長を務めていることにライグは驚嘆した。そもそも参謀本部の人間であるということ自体が、知性と策謀を重んじる帝国では畏敬に値するのだ。

 参謀本部というのは、帝国軍において重要な役割を占める軍事機関だ。彼らは普段は帝都アレクサンドリアで女王の補佐や軍議を行いながら帝国を支えているが、有事の際は様々な戦地に向かい、そこで戦う帝国軍の軍師として働く、いわば戦略の要と言える。

 ガルアもガルアで、若いのに難儀なことだ。よりによって、こんなに絶望的で勝ち目の薄い作戦に駆り出されるとは。

 ライグは前を行く指揮官の横顔をちらりと盗み見た。完璧な無表情からは何も読み取れない。さっきの演説の説明すらされない。

 敵国が侵入してきたという焦りと不安、そしてガルアの嫌味なほど悠長な態度からライグは徐々に憤り始めた。

 そもそもガルアには聞きたいことが山ほどある。第一に、何故ファンブリーナは落とされたのか。第二に、何故補佐官にオリンダ大尉ではなく下士官である自分たちを選んだのか。

 そして第三、何故そんなに余裕しゃくしゃくで悠然と落ち着き払っているのか。

「何か気になることでもあるのか、ダンバー軍曹」

 ふいに名を呼ばれ、ライグはぎくりとした。ガルアだ。彼は横目でライグを見ており、薄く笑みを浮かべている。

 ライグは幕僚からの視線を受け、微かにたじろいた。ガルアは恐らく若いが、その眼は老人のように冷え切っていたからだ。

 ライグは一瞬躊躇ったあと、口を開いた。

「お言葉ですが、司令官。今回の任務における要項と目的を詳しく説明して頂きたい。私たちはいましがた初めて貴方に御対面し、補佐官に任命された。我々はファンブリーナの状況も自らの役割もまだはっきりと掴みきれていません」

 ガルアは何かを咽に詰まらせたような声を出した。どうやら笑ったらしい。

「急くなよ、軍曹。君らが焦っていることはよくわかるが、詳しい話は部屋に着いてからにしよう。焦燥は過失の元だ。戦場では冷静さこそが命だ」

 ガルアはそう言うとしばらく無言で歩き、第二軍議室とかかれた扉の前で立ち止まった。そして、ライグ、ピトン、アルガン、続いてその後ろに並ぶ兵士達を見やり、片眉を吊り上げる。

「それはそうと、君たちの身嗜みには些かの不快感を覚えるな。話をする前に顔を洗って髭を剃った方がいい。僕はこの緊急事態をどう説明するのが最善かを考えながら、君たちを待つことにするよ」

 ライグは憤慨の唸り声を飲み込んだ。

 なるべく早く済ませようと思い、敬礼をするなり足速にガルアの横を通り過ぎると、ガルアの声が追ってきた。

「迷子にならないようにね。この船は広いから」

 小馬鹿にされた気がし、ライグはますます不愉快な気分になった。

 頭の良い人間というのは、どうも現場の人間の身だしなみにけちをつけたがるらしい。




 身支度を整えたライグ達は軍議室に上がった。ガルアが隊長格だけ入るように命じたので、ライグ、ピトン、アルガンの三人が部屋に入った。

 室内は驚くほど整然とされており、ライグ達が今まで乗っていた一般軍事船とは大違いだ。帝国軍参謀副長の所有物だけあって、支給品も戦艦も上等で手入れが行き届いている。

 ライグは羨ましく思う感情を抑えながら、きれいに剃り上げた顎を撫で、目の前で羽ペンを弄ぶガルアに声をかけた。

「これで満足でしょうか。ガルア司令官、お話を聞かせて頂きたい」

 ガルアは回転させていたペンを止めると、ライグたちを見てにやりとした。

「少しは軍人らしくなったな。よろしい。席についてくれ」

 ライグたちは司令官の前に並んで座った。机は傷や汚れ一つなく、覗けば顔が映りそうなくらい綺麗に磨かれている。

「率直に聞きますが、ファンブリーナは何故制圧されたのですか?」

 ライグの尤もな質問にガルアはわざとらしく困った顔をした。

 意図しているのか知らないが、先程の態度といい今の表情といい、やはり時々幼さを感じる。参謀副長なのだから能力はあるのだろうが、ライグは不安を拭いきれなかった。この男は何を考えているのかまるで読めない。

 ガルアは少し面白がるように言った。

「残念だが詳しいことはわかっていない。情報も連絡網も完璧に遮断されてしまったからね。ただ、都市自体の機能は生きているようだ。ちらほら煙が上がる他、壊滅的な損傷はないみたいだし」

 ピトンが厳しい表情で追求した。

「帝国軍から何も情報はないんですか? 本当に?」

 ガルアは短く溜め息をつくと、机の上の地図に目線を落としながら答えた。

「あるよ。ファンブリーナと完璧に連絡がとれなくなる三時間前に一度ね。ただし、あまり楽しい内容じゃない」

「どんな内容だったんですか?」

「『北北西約七km、クロム砂漠に一万人規模の皇国軍師団が待機している模様。引き続き監視する。以上』」

 ピトンが眉をひそめた。恐らくはライグも同じ顔をしていただろう。ただしアルガンだけは話についていけてないようで、二人の顔を交互に眺めていた。

 ライグが口を開いた。

「最近皇国軍はクロム砂漠付近の防衛態勢を強化したと聞いています。ならば、確かに皇国軍が警戒を強め戦線を敷いたとしてもおかしくない。しかし何故ファンブリーナを? それに、それ以降連絡がない理由は? 監視していたなら他の動きも報告されていておかしくないはず」

 ガルアが手にしたペンをくるくると回し始めた。どうやら考え込む時の癖らしい。

「そこがはっきりしないんだ。師団が動いたという報告もないし、攻撃を受けたという報告もなかった。しかし、その三時間後に皇国からファンブリーナを占拠したという宣告があった。先遣隊が様子見に行ったところ、案の定ファンブリーナには皇国軍がうじゃうじゃいてね」

 ライグは酒のせいで鈍くなった頭を回転させた。帝国に気づかせることなく三時間でファンブリーナを落とすなど、皇国軍は一体どんな手品を使ったのだろうか。

 ふと、ライグはあることを思い起こした。

「司令官、貴方はファンブリーナを奪還すると言われた。それはつまり、皇国軍をファンブリーナから完璧に排除するということ。しかしそれには兵が少な過ぎるのではありませんか? 貴方が連れてきた二万人の兵を足したとしても」

 ガルアは何を言うんだというような顔でライグを見た。

「さっき説明しなかったか? ファンブリーナ奪還に当たるのは僕らだけだ。残りの兵は当初の予定通り、オリンダ大尉と一緒にアルトネアとの国境の防衛に行ってもらう」

 ライグが唖然としていると、アルガンが頓狂な声を上げた。

「何を言ってるんですか! たったこれだけの人数で何が出来るんですか!」

「てっきり我々は陽動部隊だと思っていました」

 ピトンが半ば呆れたように続ける。

 それもそうだろう、たかたが三十人程度の軍事力で何が出来ると言うのだ。ライグは驚きを通り越して怒りを覚えた。

 彼はおそらく、所詮実際の戦場のことなど何一つ理解していない。おまけにこの若さだ。戦争を机上の遊び事だとでも思っているのではないか? 

「貴方の計画には賛同できません。いいや、ファンブリーナ奪還任務自体にも。何も今すぐにことを起こす必要はないはず。せめて、増援が来るのを待ったほうが……」

「そして、増援と共に武力で街を奪い返すのかい?」

 ライグの言葉はガルアの威圧的な台詞に遮られた。その声はどこか苛立ちを含んでいるようにも聞こえ、ライグを当惑させる。

「僕は増援を待つことが最適だとは思わない。なぜなら、そうしている間にファンブリーナは完璧に皇国軍に圧制されてしまうからだ。そうなったら、あの貿易都市を奪い返すのはますます難しくなる。それこそ徹底的な武力で臨まなければ、僕らに勝ち目はないだろう。しかしそうすると、ファンブリーナはどうなる? 帝国を潤す豊かなあの商業都市は? 激しい戦場となり、疲弊し、破壊され、もはや都市としての機能すら失うだろう」

 ライグは尤もだ、と頷いた。いくら帝国最大の都市であっても、二ヵ国から同時に攻撃を喰らえばただでは済まない。

 軍人だけでなく、住民も然りだ。恐らく多くの犠牲が出で、ほとんどが住居や生活手段を失うだろう。

 しかし、それが戦争だ。国と国の諍いの前に、人命は塵も同然に儚く消えてゆく。それは、一般市民も軍人も変わらない。

 ライグはそのことを告げようとし、やめた。

 言ったところでどうしようもないと思ったからだ。ガルアがそれをわかっていようがいまいが、結果は変わらない――そう、戦争が続く限りは。

 しかし、ガルアは意外なことを言った。

「軍曹、君の言いたいことはよくわかっているつもりだ。それが戦争だと言いたいんだろう? そうだ、僕もそう思う。しかし、ファンブリーナを壊滅させるわけにはいかない。あの都市は我が国の要だ。だから今すぐに行動を起こす――ファンブリーナを生かしたまま奪還するために。皇国がわざわざ機能を奪わずに占拠してくれたのに、僕らがファンブリーナを潰してしまうのは余りに無粋だ」

 ガルアは淀みなくそう言い切ると、試すような目でライグたちを見やった。その表情はどこか楽しげで、何かを確信しているかのような冷静で満ちている。

 ライグは腕を組み、逡巡する。

 もし自分たちがファンブリーナを力尽くで奪い返したとして、その後、帝国は皇国と渡りあっていけるだろうか。物資も人材も奪われ壊滅寸前のファンブリーナを手中にし、帝国は何を得られるだろうか。

 勿論、戦略的な問題ではそんなファンブリーナでもあったほうがいい。ファンブリーナは海を跨いで皇国に最も近い都市だからだ。

 しかし、ガルアが言うように徹底的な武力で戦いに臨むとなると、大量の兵が死ぬ。向こうは資源に溢れた都市を背に戦うのだから多少は有利に違いない、しかし帝国軍はどうか。大勢でファンブリーナになだれこもうとしても、見通しのいい荒野からでは丸見えで簡単に対抗策を打たれてしまう。

 そうなると更に多くの兵が死ぬ。それこそ何万、何十万単位で。

 ライグは詰めていた息を吐き、微かに苦笑した。

 今までの態度から見て、ガルアには何かしらの妙案があるに違いない。

 そうだ――ガルアが語ることは理想論のようでいて、確かに理に適っている。

 やはりこの男は若いな、と思わされた。ガルアはライグたちとは全く異なる物事の見方をしている。ライグが考えていたのは、皇国軍を撤退させるのに何万の兵が必要かということだったからだ。

 どうせあのまま船に乗っていても、過酷な戦場行きは免れなかっただろう。これがいかに無謀な計画だとしても、ついていく価値はあるのではないか?

 ライグは呆れと期待を感じさせる声で言った。

「それはそれで尤もですね。しかし、やはりうわついた計画のように聞こえる。教えて頂きたい。我々は何を目的とし、何をすべきかを」

 ガルアは満足げな眼をライグに向けた。そして、地図の上のファンブリーナを二、三回指で叩いた。長い爪が机にあたり、コンコンという音が耳につく。

「その台詞を待っていたよ、軍曹。まあ、とにかく、楽に聞いてくれ。長くなるかもしれないし、そこにいるちょっと鈍い工兵隊長が理解出来るように、なるべく丁寧に説明するから」

 茶化すように指名されたアルガンは、むっすりとした表情で答えた。

「お気遣い、ありがとうございます」

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