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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第一部 ファンブリーナ奪還任務
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第5章〈蛇〉

 ライグは焦っていた。

 その理由は例の面倒な門番にある。ライグとしては一刻も早く自由に議事堂内を移動したいのだが、門番は迷惑なことに議事堂内を丁寧に時間をかけて案内しながらライグたちに合わせて歩くので、こっそり姿をくらますというのは難しい。それに全身を鎧で覆い顔までしっかり防備しているので、なかなか攻撃を与えれそうにない。

 そういうわけで、ライグは荒技を行使することにした。

「いた……ッ!」

 そう小さく叫んだのはライグだ。しゃがみこみ右足首を抑える少年に、門番が何事かと慌てた様子で問いかける。

「どうした?」

 ライグは歯を食いしばり、できるだけ苦しげに唸る。

「すみません、前に捻挫したところをまたやってしまったみたいで……」

 お節介な門番は心底心配そうな表情を浮かべ、ライグの前に膝をついた。

 顔を歪めるライグに対し、彼は呆れるほど優しい言葉をかける。

「大丈夫か? だけどもう少しで猊下の部屋につくから、それまでは辛抱しろよ」

「はい、ありがとうございます。お気遣い感謝します。──悪いが、猊下に会うつもりはないけどな」

 ライグは自分の顔を覗き込んでいた門番のバイザーを素早く上げ、きょとんとする男の顔面に強烈な一撃を叩き込んだ。

 男の前歯を二、三本粉砕した拳を流れるように引き戻し、叫び声すら上げずに後ろに転倒した門番の右手を掴んで、ライグは転がるように近くの扉へ駆け込む。

 最初はそれを呆然と見ていたティリンスも、はっとしたようにライグの後を追った。

 部屋にティリンスが飛び込んだ直後、入り口付近に控えていたライグが扉をそっと閉め、耳を扉に押し当て外の様子を窺う。

 しばらくそうしていたが、廊下は相変わらず静まり返ったままだ。ライグがこちらを見て頷いたことから外部に特に動きはないとわかったティリンスが、どことなくほうけた顔で言った。

「大胆なことしますね。ここが空き部屋だってどうしてわかったんですか?」

「なんとなくな」

 ライグは曖昧な返事を返すと改めて辺りを見回した。実際ただの勘でしかなかったが、ライグたちが飛び込んだ場所は書庫のような部屋で、薄暗く人の気配はまるでなかった。これはついている。ライグはしめしめと思いながら足元でのびている門番を眺めた。

「ここまで来れたのはあんたのおかげだ。協力感謝する」

 そう言うなり男の鎧と兜を外し始めた。それが終わるとティリンスからローブを奪い取り、黄ばんだ布切れを細長く絞り縄のようにすると男を手際よく縛り上げる。何とはなしににそれを眺めていたティリンスは、白目を剥いている若い男の顔に猫に引っかかれたような傷跡が複数あるのに気づき、小さく声を漏らした。

「ごめん、アンダーソン。君だと知っていたわけじゃないんだ」

「……何の話だ。知り合いか?」

 ライグの言葉にティリンスは首を傾げ、剣の柄に手を乗せると困ったように笑った。

「この剣のもともとの持ち主です。僕にとってはある意味恩人かな」

 弓で射たれたあの夜は彼を盾にしていなければ上手く逃げおおせることはできなかっただろうし、アネリを連れ去られ落胆するティリンスを奮い立たせてくれたこの剣も本当はアンダーソンのものだ。恩人と言ってもあながち間違ってはいないだろう。

 それにしても不運な男だ。この失態が露見すればまたブレニム軍曹とやらにどやされまくるんだろうか。可哀想な気もしないではないが、今はそんなことを言っている場合ではないので、ティリンスは残念な男の目を軽く閉じてやるだけにした。

 ライグはわずかに怪訝な表情をしたが、ティリンスの行動を注意はしなかった。

「さて、お節介な門番のおかげで大分時間を食ってしまったが、任務に移るとするか。君はどうする?」

「僕は……やはり枢機卿に会いたいです」

 ティリンスの返答にライグは微妙な顔をした。彼はなにかを言いかけたが口をつぐみ、頷いてみせる。恐らくはティリンスの無謀を指摘しようとしたのだろうが、枢機卿がティリンスの話を聞いてみる可能性もなくはないと感じたのかもしれない。

「わかった。もし必要ならその鎧を着ていくといい。皇国の兵士のふりをすれば枢機卿に接触できる可能性も上がるだろう」

 ティリンスは礼を述べ、ライグに尋ねた。

「僕が教えたことは覚えていますか?」

「ああ。君も覚えているな?」

 二人は顔を見合わせ苦笑した。

 不思議な話だが、ライグはいつの間にかこのニグミ族の青年が嫌いではなくなっていた。最初はただの厄介者でしかなかったが、この短い間にティリンスが意外と芯の強い男であることに気づいたのだ。頼りない印象は拭えないが、若さゆえかもしくは天賦の素質ゆえか、時折見せる純真な眼差しは恐ろしいとさえ感じるほど真っ直ぐで曇りない。こんなことを思うなんて俺も大分歳をとったのだなとライグは感慨深く思うと同時に、もう若くはない己が残念な気もした。

 軍人になる道を選んでいなければ、今頃は郷里の農村で家族を作り慎ましくも充実した暮らしをしていたのだろうか。妻と共に子の成長を穏やかに見守る余生を望めたのだろうか。

 ──だが、今更後戻りはできない。軍人となることで得たものは数え切れないし、何よりも今自分は祖国を守るために戦っているのだ。帝国のために、延いては帝国に暮らす全ての人々を守るために、自分は剣を振るうのだ。その使命感こそが今のライグの生きる糧であり、戦う理由──。

 ライグは隣に立つティリンスを見た。ライグはもはや軍人以外の道は望めなくても、彼には真っ白な未来がある。ライグは臆病なくせに無鉄砲な青年のこれからの人生を思い、苦笑する。

 たぶん苦労はするだろうな。未だにニグミ族を差別する輩はいるし、おまけに彼は世間知らずだ。しかしこの汚れない真っ直ぐな心を持ち続けることができたなら、いずれは大物になるかもしれない。

 ライグは扉を振り返り、歩き始めた。

「────ふぅん。やっばり貴方、ただの子どもじゃないのね」

 柔らかいが、微かに狂気を感じさせる声が響く。

 ライグは開け放たれた扉の縦枠に寄りかかる人影を認め、目を見開いた。逆光ではっきりと顔が確認できないが、声を発したのはこの人物に間違いない。だがそれにしても、いつの間に──。

 ライグは本能的に殺気を感じ取り、懐から短剣を抜き出した。そして書庫にゆっくりと足を踏み入れた人物の正体に気づき、眉根を寄せる。

「お前……確か『メリダ』とかいったな。お前がここに来たってことは、俺たちの正体が皇国軍にばれたと考えていいんだな?」

「……ばれた? ばれたというより、最初から気づいてたわよ」

 メリダは毒を隠した微笑を浮かべ、また一歩ライグたちに近づいた。

「貴方の後ろ姿を見たときにね、『地下道でパラディオを斬りに走っていった人だ』ってすぐにわかったの。皮肉な話かもしれないけど、どんなに姿形が変わろうと、歩き方や佇まい、無意識に放つ気配なんかは変わらないものよ」

 ライグの隣でティリンスが後ずさったのがわかった。ライグはティリンスをたじろかせたメリダの冷めた笑みを見ながら、この女は相当危険だと気づく。

「さあ、パラディオの代わりに私が相手をしてあげるわ。そのちっさい体でせいぜいがんばりなさい」

 メリダは蛇を思わせる陰険な狂暴さを秘めた目でライグを見据え、自らの胸元まであろうかという大剣を勢いよく抜き放った。

 ──その刹那、ライグが声を張る。

「ティリンス! 俺が引き留めてる間に行け!」

 ティリンスは恐怖と焦燥に急き立てられたように猛然と走り出した。ライグはティリンスを庇うようにメリダと彼の間に立ち塞がり、女剣士が振り下ろした重い一撃を短剣で受け止める。

 そして、あまりの衝撃に思わず苦悶の声を漏らした。

 ──くそッ、短剣では不利すぎる……!

 ライグは両腕の骨が軋むような鈍い痛みに必死で耐えながら、メリダの剣を顔すれすれで押し留めた。女が握る剣とは言え、上から体重をかけてくる分凄まじい重圧だ。ライグは押し潰されないように関節が白くなるほど柄を握り締め足を踏張る。ついで唯一自由に動かせる目だけでティリンスを追い、扉の前で当惑する青年を怒鳴りつけた。

「早く行けッ!」

 が、直後。

 ライグの短剣が急に軽くなる。しまったと思った時には既にメリダは剣を引いていた。

 冷然と煌めく切っ先の延長線上に、ライグの喉。

 突きを食らえば間違いなく即死だ。

 ヒュン──と風を切る音が耳をつく。

 ライグは歯を食いしばり、重力に身を任せるままに背中から派手に倒れ込んだ。切っ先をよけるため顎を限界まで反らして地面に倒れたので、後頭部を強打し目の前の景色や音声が一瞬遠退く。だが、喉は痛くも熱くもない。

 ──とりあえず即死は免れたようだ。

 しかし、床に大の字に寝そべるこの体勢は殺してくださいと言わんばかりに隙だらけだ。思考が徐々に冴えてきたライグは、視界の隅でメリダが剣を振り上げるのを確認した。慌てて左側に転がり、なんとかこの追撃も回避する。

 回転しながら膝を屈めた状態で身を起こしたライグは、目の前に立つ無慈悲な表情を浮かべたメリダと目が合った。その目は憎悪から鈍く光っているようにも見え、ありありと彼女の心中を語っていた。

 この少女はあの男──虫飼いの男を愛しているのか。

 ライグはそれに気づき、無意識的にひるんだ。メリダはその隙を見逃さず、即座にライグに剣を突きつけ動きを制す。

 ライグを見下ろすメリダが緩やかに残忍な嘲笑いを浮かべ、ライグは慄然とする。

「死んでちょうだい」

 メリダが剣を振り上げる動作が、ライグには嫌に悠然として見えた。

「────ライグッ!」

 力強い響きが空気を裂いた。ライグは目の前のメリダのから目を離し、光が差し込む扉を──そして扉の前に立つティリンスの、濁りない水色の瞳を見た。

 ティリンスが大きく腕を振り上げ、体をやや反らした。ティリンスが握るのは、彼が恩人のものだと称したあの剣だ。ライグはティリンスが何をするつもりかはっきりと理解し、咄嗟に短剣を投げ捨て右手を前に差し出す。

 ティリンスの手から放たれた剣は、緩やかな弧を描きながらライグのもとへ辿り着いた。軍人としての経験のおかげかはたまた偶然か、ライグはティリンスが投げて寄越した一縷の希望を取り落とすことなくしっかりと受け止める。ライグは柄に素早く手を滑らせ、視界の外から現れた剣に目を丸くしているメリダに向かって剣を下から斬り上げた。

 金属同士がぶつかり合う耳障りな音が響く。ライグはメリダの剣を弾くとすぐに間合いをとり、微かに動揺しているメリダの隙をついてティリンスに呼びかける。

「助かったぞ、ティリンス。俺はもう大丈夫だから君は先を急げ。枢機卿に用があるんだろう?」

 ティリンスは一瞬だけ不安そうな顔をしたが、にっと笑ってみせたライグを見て表情を緩めた。

「……ありがとう」

 ティリンスはそう言うと、躊躇うそぶりをみせることなく走り出した。ライグは遠ざかっていく足音を聞きながら、満足げに息をつく。

 メリダが剣呑な顔つきでライグを睨みつける。

「逃げられるなんて思わないで。あのニグミ族の青年はどうでもいいけど、貴方だけは許さないから」

「まったく、薄情な部下がいたもんだな。枢機卿が聞いたらさぞや落胆するだろう」

 少年と少女はお互いの目を見据えたまま、柄を握る手に力を込めた。

「子どもの姿だからと言って遠慮するな。俺は敵には容赦しないぞ。……まあ、それは君も同じようだが」

 ライグの挑発めいた言葉に、メリダは例の柔らかい笑顔を見せた。だが、その目はまったくといっていいほど笑っていない。

「あぁもう、本当に腹が立つ人ね。嫌になっちゃうわ」

 彼女の台詞を合図に二人は飛び出し、煌めく剣が激しい金属音を散らせた。


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