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SCHEMER〈スキーマー〉  作者: 霧雨ウルフ
第一部 ファンブリーナ奪還任務
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第1章〈告知〉

 頭が酷く痛む。おまけに吐き気までする。典型的な船酔いの症状だ。

 ベルギナ帝国軍の軍曹――ライグ・ダンバーは、呻きながら体を起こした。

「おはよう。よく眠れたか?」

 椅子に腰掛け難しい顔をした小柄な男、トワ・ピトンがライグに声をかけた。そう言いつつも、ピトンの目線は狭い船室の中央に陣取る机の上のチェス盤に釘付けになっている。

「そう思うならお前は目がおかしい」

 ライグは掠れた声で毒づくと、皺の寄ったシーツを均し不機嫌そうに起き上がった。

 その様子を見たピトンが顔をしかめる。

「ひでぇ顔色だな。二日酔いか?」

 ライグは短い金髪を揺らしながらうんざりしたように首を横に振った。

「船が悪いんだ。畜生、この体質ばかりはどうにもならんな……早く帝都に帰りたいよ」

 ライグが住んでいた帝都アレクサンドリアは、内陸部に位置する城塞都市だ。全長およそ二百メートルの鋼鉄の外壁に守られた帝都は、都市全体が堅牢な砦であり、金属質で寒々しい雰囲気を漂わせている。

 そんな閉塞感満載の都だが、今は帰りたくて仕方がなかった。こんな海洋のど真ん中では、とにかく揺れない地面が恋しくてたまらない。本当に、ここまであの無機質な都市に帰りたいと思う遠征は初めてだ。

 そんなことを思いながら、ライグはピトンの前に置いてある飲みかけの酒瓶に手を伸ばした。それに気づいたピトンが慌てて止める。

「やめとけよ、悪化するぞ。いざ戦闘って時に千鳥足じゃ、あまりに情けねぇ」

 ライグは唸った。

「酒の力でも借りなきゃやってられてないだろ、こんなこと」

 ライグは勢いよく瓶を持ち上げ、安物の酒を咽に流し込んだ。が、予想以上に酒は温く、なんとなく苛つく。

 自分がこんなふうに酒を飲めるのは、あとどれくらいだろう。

 少なくとも今日までだろう。船を下りればあとはひたすら地を駆り続ける強行軍となるはず。とても酒を煽る余裕はなさそうだ。

 そう――もはや余裕はない。

 長い遠征に出て疲弊していた師団に任務を押しつけるしかないほど、我らが帝国は追い詰められている。

 その事実は何よりもライグの失意を煽り、彼は突っ伏したい衝動にかられた。

 ライグが所属するベルギナ帝国は、この大陸の中で最も古くから続く国家と言われている。時魔導と呼ばれる時を操る力を与えられし一族、それが帝国の大多数を占めるフレーザー一族だ。

 残念ながらライグに時魔導の才能はないが、フレーザー一族だけが持つこの特異な能力で、自分たちの祖先は帝国を興し、広げ、繁栄させてきた。世界一の武力と権力を持つ帝国は、この大陸の中心と言っても過言ではないのだ。

 それが、近年変わりつつある。

 アクロポリス皇国。帝国の宿敵にしてメトラ神を信仰する宗教国家であり、多数の民族が集まって起こした大国。約百年前から急速に力をつけ始め、今日に至っては帝国と並ぶ強国となっている。

 おまけに皇国と戦う帝国が弱りだしたのをいいことに、それまで傍観に徹していた北のアルトネアまでもが半年ほど前から帝国に攻撃を仕掛けてきた。

 皇国とアルトネア、二方面から攻められ、今の帝国はまさに窮地に立たされている。危機的状況が続いているのだ。

 ふと、ライグは自分の置かれた状況を改めて考え直した。

 自分たちは遠征の疲れを引きずったまま、何の備えもなしに国境という名の戦地に向かおうとしている。

 こんな状態で、この軍団はまともな戦闘ができるのか?

 増援として送られておきながら、既に戦意喪失した軍団と化してしまっているのではないか?

 ――本当にやってられない。まさしく死の行軍だ。

 ライグはおもむろに、また酒を煽った。

 直後――扉が弾けるように開け放たれる。

 ピトンが体を縮めた隣でライグは無様にむせ、慌てて顔を上げた。

 野太い雄叫びが室内に響き渡る。

「援軍だ、帝国からの増援だ!  約二万兵いる!  俺達はまだ見捨てられてねぇ、俺達は助かるんだっ!」

 部屋に飛び込んできた第二工作部隊隊長、アルガン・ゴイスが叫んだ。その眼には涙が浮かんでいた。



 潮風が乾いた肌を撫で、雲が重く立ち込め、波は威嚇するように激しく打ち寄せる。甲板はライグの予想以上に寒く、彼は青ざめた顔で必死で歯の根が合わなくなるのを堪えていた。

 外套を置いてきてしまったのはなんとも間抜けな行為だった。増援という言葉に舞い上がり、正常な判断力と吐き気が吹き飛んでいたのだ。

 ライグは震えながら、前方へと目を向けた。

 しかし、アルガンの背以外は何も見えない。アルガンという男は、二メートルもあろうかという大男だ。おまけに筋肉隆々。そんな男の後ろに整列していては、見えるものも見えないというものだ。

 それでも前方の方から、つまりアルガンよりもさらに向こう側からは、自分たちの上官が何かを話しているような声は聞こえてくる。どうやら、増援部隊の指揮官と情報交換しているらしい。

 ライグはゆっくりと辺りを見回した。遠征に出た最初の頃と比べると、仲間の兵士たちは半数以下に減っており、どの顔も無精髭を生やし疲れきった顔をしていた。精鋭と謳われてきたこの軍団が、ここまで戦力を削られたのだと思うと胸が重くなる感覚を覚えた。

 ふいに前方がざわつく。

 この部隊の指揮官であるオリンダ大尉が、ライグたちに向かって声を張り上げた。

「お前たちに極めて重大な話がある。よく聞け、今から話すことは帝国の命運にかかわるやもしれん。それほど深刻な話なのだ」

 オリンダ大尉の声がやんだ。ライグは前を覗き見ようとしたが、アルガンが邪魔だ。

 アルガンを押し退けてでも指揮官陣営の表情を確認したい気持ちを、ライグは生来の真面目さゆえに抑えつける。

 そうしてしばらくそわそわしていると、代わってやや高い声が響いた。

「今オリンダ大尉から説明があったように、私が今からする話は、帝国にとっても君たちにとっても至極重要な話だ。いいか。よく聞き、よく考えてほしい。君たちが成すべきこと――帝国の為に何が出来るかを」

 聞いたことのない声だ。少しざらついたような、どこか狡猾さを感じさせるような、若干耳障りな声。

 ライグの中で野生の勘のようなものがざわつく。

(この感覚はなんだ……? この男の声は、なぜだか俺の不安を煽る……)

 胸騒ぎを振り払うように、ライグは小さく首をふった。

 やがて、声だけの援軍指揮官は、ゆっくりと言い聞かせるように宣告した。

「我が国の最大貿易都市……ファンブリーナが制圧された。昨日の夕刻のことだ。憎き皇国軍は今なおファンブリーナを占拠し、その不遜な冒涜的侵略行為を続けている……――」

 辺りが水を打ったように鎮まり返る。

 ライグは指揮官が告げたことを信じられずに、ただ硬直する。

 そして、ようやく意味を理解し――戦慄した。

 ファンブリーナ。

 世界一豊潤との呼び名高い商業都市。

 帝国の興隆の証。この戦争における最大の要地。

 それが、皇国の手に落ちた?

「……終わりだ……」

 無意識にライグは呟いていた。

 ファンブリーナからの物質供給や支援が受けられないとなると、西の国境を守る戦線はきっと持ち堪えられない。西の国境での戦いだけでなく、南海での海戦にも大きな影響が出るのは明白だ。

 それに、混迷するのは軍だけではない。ファンブリーナが機能しなくなれば、帝国全土における市民の生活そのものが崩壊してしまう可能性だってある。

 帝国にあって唯一開かれた商業都市であるファンブリーナは、まさしく帝国の生命線だったのだ。

(結局運命は覆されなかった。援軍が来ようが来まいが俺達は終わっていた……)

 そもそもこの男は援軍なんかじゃなくて。

 ――死刑宣告人だったんだ。

 呆然と立ち尽くすライグや兵士たちをよそに、なおも件の指揮官は続けた。

「これの意味するところは、皆わかっていると思う。おおいに落胆したことだろう。そうとも……これは帝国の存在を揺るがすほどの、決して見過ごせぬ由々しき事態だ。……しかし、今一度冷静になり、どうか私の言葉を聞いてほしい」

 今更、何を聞けと言うのだ。

 ライグは肩を落とし、愛する祖国の敗北の気配と、どうしようもない絶望感に震える自分の脚を見て、自嘲気味に薄ら笑う。

 だが、そんなライグに反し、声は驚くべきことを告げた。

「我々は負けない。私にはその確信がある。ファンブリーナは、必ず奪い返す。奪い返すことができる。そして……ゆくゆくは皇国を潰す。可能だ――決して不可能ではない。まあ、皆が私を信じ、ついてきてくれるかどうか……という話だがな」

 絶句した。

 ファンブリーナを奪い返すと豪語するその声には、どこか面白がるような響きさえあったからだ。

 それに、最後の言葉に秘められた含意と、恐ろしいまでに絶対的な自信は、一体なんなのだ?

 自分の未来がねじ曲げられていくような感覚が広がっていく。

 それと同時にもたらされる、戦乱の世を変革せんとする“なにか”の気配。

 得体の知れない予兆を、変わり行く流れを、ライグは否定できなかった。

(この男なら、きっとやれる)

 直感的にそう確信したとき、彼の声が悠然と響いた。

「今から名を上げる者は前に出ろ。まずは、ライグ・ダンバー軍曹。つづいてトワ・ピトン伍長。君達にはこれから私の補佐官として働いてもらう。以下第六部隊、第七部隊、第二工作部隊、及びその部隊付き時魔導師は、私と一緒にファンブリーナ奪還作戦に同行してもらう。――わかったか?」

 驚きのあまり返事すらできなかった。

 はっとして慌てて辺りを見回して、近くにいた仲間たちの視線に気づく。

 ライグは同じく名指しで命令を受けた友人、隣に立つピトンと顔を見合わせた。しかし案の定、ピトンの眼にもありありと困惑が浮かんでいる。

 ピトンは口の動きだけで、「どういうことだ」とライグに尋ねてきた。

 ライグは、途方に暮れた。

「さっぱりわからんが、これは――“運命”なのかもな」


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