第4章〈一時の安息〉
ライグは不機嫌だった。
その理由のうち一つは、虫飼いを取り逃がしたうえに部隊から死傷者を出してしまったということだ。
ガルアは気にするほどのことではない、むしろ奇襲から得た情報の方が有益だと言っていたが、三十名程度しかいなかった仲間のうち六人をなくしたというのは、かなりの痛手だ。おまけに取り逃がした奇襲者たちから、ファンブリーナにいる皇国軍に自分たちの情報が伝わるかもしれない。いくら向こうが土地勘に乏しいとは言え、この地下道中に兵を送り込まれたらたまったものではない。
先ほどから黙り込み淡々と歩き続けるライグに、やや後方からついていくピトンが呆れた調子で言った。
「気持ちを切り替えろよ、ライグ。俺たちはお前が虫飼いを逃がしちまったことを責めるつもりはないし、ガルアだってさして気にしていないみたいだから思い悩むな」
「俺が気にしているのはそれだけじゃない。そのガルアについてだ」
ライグは怒ったように答えた。ピトンは肩を竦め、多少の同意をみせる。
「確かにガルアは不愉快だけど。だが頭が切れるのは事実だし、奇襲を受けたということ以外は今のところ作戦通り上手くいってる。少しは信用していいんじゃないか?」
ピトンの返答にライグは何も言わず、代わりに鼻を鳴らした。どうやら納得できていないらしい。
ライグは奇襲のあとで仲間に向かってこれからの予定を説明するガルアを思い返していた。すっかり意気消沈して帰ってきたライグを、ガルアは咎めることもせず一言「ご苦労さん」と言っただけだった。それだけでも拍子抜けしたが、続いて彼が楽しげに作戦に大きな変更はないと言ったのには驚かされた。
変更はないにしろ、なぜあんなにも期待に満ちた楽しげな目をしていたのか。普通の感覚ならば、奇襲され仲間が減り敵に情報が渡りそうとなれば少しは憂鬱にもなるはず。
ライグは確信した。
この男は何か隠している、と。
そんな事情がライグを不機嫌にしているもう一つの理由なのだが、ピトンには知る由もない。だから二人はただ黙々と歩き続けた。
状況を説明するなら、今ライグとピトンは地下道の偵察を行っている。さきほど述べたように皇国軍が侵入してくるかもしれないし、地下道に欠陥が生じている可能性も否めないので、先に進路の安全性の確認をしているのだ。
幸いなことに、今のところ特に変哲はない。ガルアに教えられたとおり進んできたが、何もないのでそろそろ引き上げ時だろう。
実は、今回は地図を一つも持ってきていない。皇国軍の手に渡る可能性を危惧し地図や暗号表などの類は全て船に残していくことにしたのだ。そのため地下道の地図はガルアの頭の中に収まっている。信じられない話だが、彼はこの地下道のほとんどの道を丸暗記しているそうだ。
つくづく自分とはかけ離れた存在だ、などと思いながらライグは立ち止まりピトンを振り返った。そして来た道を指差し、帰ることを促す。
ピトンが言った。
「十字路を左に曲がったら、その次は二個目の角を右だよな」
「……左じゃなかったか? とりあえず紙で確認しろよ」
紙とはガルアが道筋の説明を書いた簡易地図のことだ。残念ながらライグとピトンにはガルアのような超人的記憶力はないので、やむを得ず地図の代用品を持って行くことになったのだ。必要なくなれば燃やして情報を隠蔽するが、この地下道は上下左右に複雑に繋がっているうえに一部の道は歪に湾曲しているため、普通の人間なら地図なしでは行きたい方向に進むこともできない。下手をすれば本当に二度と日の光を拝めないだろう。
ライグに言われピトンは軍服の内ポケットを探り始めた。右側にないとわかると、続いて左側に手を突っ込んだ。そして次はズボンの右ポケットに手を入れ、ついで左に──。
ピトンの動きが止まった。
眉根を寄せじっと手元を見ている。そしておもむろに軍服の上着を脱ぐと、今度は丁寧にポケットに手を入れた。
ライグは嫌な予感を拭えなかった。妙に慎重にポケットというポケットを確認していく友人を前に、こらえきれず尋ねた。
「ないのか」
ピトンは腹が立つくらい冷静に答えた。
「ないな」
「冗談はよせ」
「こんなつまらないジョークがあるかよ」
服を脇に挟んだピトンが疲れきった顔でライグを見た。ピトンの静かだが明らかに狼狽している様子を感じ取り、ライグは思わず天を仰ぐ。
「お前じゃなくてベズレーを連れてくればよかった」
ベズレーとは、ライグが率いる第六部隊に所属する軍人だ。戦闘能力は並み以下だが、ガルアに匹敵する記憶力の持ち主で何かと役に立つ男である。もし彼を連れてきていれば、たとえ紙をなくしたとしても無事に仲間のもとへ帰れたに違いない。
だが、まさかこの年になって迷子とは。おまけにこんなかび臭い地下道で。
ピトンがおずおずとライグに近づいてきた。
「悪い、ライグ。どっかでうっかり落として来たみたいだ。本当に済まない。俺が責任を持って絶対なんとかする。だから、とりあえず落ち着いてくれ」
なんとかしなければならないのは当たり前だろうと怒鳴りつけたい衝動にかられながら、ライグは目元を覆っていた手を離した。そして、目の前には情けない表情のピトンが立っているものと思い、険峻な表情を浮かべる。
しかし、ライグが目にしたのは白っぽくて四角い何か。
ライグは状況を理解するのに数秒かかった。恐らくは疲れと動揺のせいだろう。やがて、まじまじと目の前の不審物を眺めていた彼の面持ちが徐々に緩んでいった。
ライグは苦笑いに近い表情で毒づいた。
「いい加減にしろ」
それを聞いたピトンが押し殺した笑い声を上げ、手にした羊皮紙をひらひらさせた。もちろんそれはガルアお手製の例の簡易地図だ。
「少しは楽しめたか?」
「まったく、つまらないジョークはよせ。余計気が滅入ったぞ」
そう言いつつもライグは笑っていた。ピトンはホッとしたように息をつくと、ライグの横に並び自分より頭一個分ほど背の高い友人の背を強めに叩いた。
「お前は昔から気難しすぎるんだよ。悪いことじゃねぇが、あんまり堅物だとバレンシアに嫌われちまうぞ? 少しは気楽に考えろよ」
「ガルア司令官にも似たようなことを言われたよ。やれやれ、お前らは共謀者なのか?」
「単純にお前の恋路を応援してるのさ。ガルアがどうかは知らないけどな」
ピトンは真面目一辺倒のライグに浮ついたネタができて何やら嬉しげだ。ライグにとってはありがた迷惑な話だが、からかう楽しみが増えたとでも思っているのかもしれない。
ピトンがわざとらしくかしこまった表情で尋ねた。
「それはそうと、バレンシアにはいつ告白するんだ?」
ライグはピトンに合わせ真面目腐った顔で答えた。
「勝手に話を進めるな。司令官といいお前といい、お節介が過ぎるぞ」
二人は若い頃にもどったように、だらだらと他愛のない話をしながら来た道を戻り始めた。
偵察から戻ってきた二人を出迎えたのは、例のベズレーだった。
身長も顔つきも平均的で取り立てて特徴がある男ではないが、フレーザー一族らしい冷めた目つきが特徴と言えば特徴だ。また、どことなく人との関わりを避けているような節からも一族性が顕著に出ている。要約して“一族らしい”と言えばわかりやすいだろうか。
どうやらベズレーはここで見張りをしていたらしい。彼は戻ってきた二人を見るなりなんとなく不愉快な笑みを浮かべた。
「もう戻ってこないかと思いましたよ」
「残念だったな」
お互いの皮肉に動じることもなく、彼らはガルアが一時的な砦にしている地下道内の軍用休憩所へと入っていった。地下道から扉で繋がるそこは、めったに使うものがいないため殺伐としていてどこか埃っぽいが、無駄に広いため窮屈ではない。天井からところどころつり下げられているランタンしか明かりがないため薄暗いが、そんなに長く留まるわけでもないので気にしないことにした。
ライグたちが一番広い会議室に辿り着くと、アルガンたち工作部隊を相手にガルアが苦心した様子で何かを説明していた。
アルガンは仲間思いな好漢だが、あまり賢いとは言えない方なのでガルアの指示を理解するのに時間がかかるのだろう。あの抜け目ないガルアが、珍しく言葉を選びながらつっかえ気味に話している。
「大丈夫なんでしょうか」
ベズレーの冷めた口調にライグは口をへの字に曲げ、自分に言い聞かせるように言った。
「アルガンはいざとなったらやってくれる──たぶん」
ベズレーは鼻を鳴らし、思い出したようにライグに告げた。
「そうそう、ミス・エルフォードが貴方を呼んでましたよ。なんでも作戦のために少し細工をするそうですから、すぐに隣の小部屋へ行ってください」
「わかった」
ライグは微かに驚きつつも、にやにやとするピトンとベズレーを見てげんなりした。
「いちいち面倒臭いな、お前らは。なんでそこまで俺とバレンシアが気になるんだ?」
「お堅い軍曹にやっと春がきたのかと部下一同で喜んでいるんです。安心してください、誰も貴方たちの邪魔をしようなんて思ってませんよ」
ベズレーの言葉を聞いたピトンがげらげらと大笑いした。ふと気づくと、近くにいた兵士の何人かもこちらを見てにやけている。どうやらライグとバレンシアの噂はかなり広まっているようだ。恐らくはピトンの仕業だろう。
ライグは相手をする気にもなれず、黙ってかぶりを振ると大股に会議室を出て行った。




