塵愛
ええ、その通りで御座います。
昨夜、生みの親に再会致しました。およそ十年ぶりでした。
久し振りに会った母は随分と小さく成っていて、十年という時の長さを強く思い知りました。
彼女の車輪は空気が抜けて萎れておりましたし、傘は只の針金の塊でしか有りませんでした。
正に「沸き虫流る」と言った様相で、錆も彼方此方に顕れ、触る事も躊躇われると、その様な具合で。
あの愛らしい魚達の顔が電子レンジの隙間から覗いて居ましたので、辛うじて私の母だと気付く事が出来たものの、其れが無ければ奇怪な塵屑程度に思い見過ごしていたかも知れません。
いやはや、お恥ずかしい。
実の親の顔も見分ける事も出来ない親不孝者で御座います。
しかしながら、この親不孝にも確と理由が在りまして……そうです、よくよく考えてみれば話には順序というやつが必要ですね。先ずは私の生い立ちについて、語りましょうか。
物心ついた時、私の両親は既にこの世の人では有りませんでした。一家心中だそうです。車の中私だけ運良く助かったらしく。あまり覚えていませんが。
その後、施設に引き取られ、そこで愛情深く育てられたそうで。やはり、覚えていませんが。
やがて、職に就き、結婚もしていたようですが、例によって、記憶に御座いません。
私の記憶と周りの記録が合致するのは、雷に打たれて以後。つまり、私は殆ど、私としての自覚が無いのです。
対して、私の記憶はこのような物です。
私が生まれた町は酷く治安が悪く、一日に一回傷害事件、1ヶ月に一回殺人事件が起きるような場所でした。町の住人はこの町を「正」と呼んでいましたが、これは恐らくこの町特有の皮肉でしょう。
私はそんな最悪の町の中、さらに最悪なゴミ屋敷で生まれたのです。このゴミ屋敷は、屋根も壁も張りぼてで、しかし中にはゴミが沢山詰まって、外もゴミで装飾されていました。さらには、無人のこの屋敷は成らず者ですら近付かない酷い臭いを発していたのです。
いえ、本当の話です。
私の母は私を身ごもり、苦しみさすらいゴミ屋敷へ辿り着きました。母は私を芥屑に囲まれた中で産み落として死にました。
おや、話が見えないと?親が死んでいるではないか、と?いいえ、母は死にましたが、蘇りこの世に戻って来ました。愛の為で御座います。全ては親が子へと向ける、強い愛故。
但し、その身体はゴミに成りました。
母は、脚を自転車の車輪に、腕を傘に、頭を電子レンジにして、蘇りました。
腐った粉ミルクを川の水で溶かし電子レンジで温めて、私に与え。私が泣けば、傘であやして。そんな母に私は育てられました。
どうにか育ったのです。
私が言葉をある程度喋れるようになった頃、町の高台にある神社でお祭りが行われました。まあ、お祭りと言っても、あの様な町でしたから、それがどのような人間によって行われるどのような物か、など、言わずもがな知れますが。
とはいえ、お祭りはお祭り。当時の私も行きたがりました。母は姿が姿ですから出て行く訳にもいかず、私独りで行く事は危険だと、母は止めて。
それで、
どうしたのでしょうか。
魚を盗った事は覚えています。それ以上は、どうしても。
思い出せる事は、只ひたすらに愛。強い愛情が、詰まって。
ああ、確かに母はゴミ捨て場にいました。会いますか?この病院の裏です。
私?私は、いいです。
何故か会う事が恐ろしい。
この幸せが、純粋な日々が、壊れてしまうような、気がします。
そんな、気がします。