euphoria
ちーちゃんが何を考えているのか、わたしには分かりません。
でも、ちーちゃんはわたしの可愛い妹です。それは何があっても、変わりません。
ちーちゃんはわたしの事を「林檎」と呼びます。ですが、わたしの名前は林檎ではありません。
「林檎、アタシは無罪だよね?」
「はい、博士がその様にお作りになりましたから」
ちーちゃんはわたしに毎朝、同じ質問をします。きっと、不安なのでしょう。
なんでも、博士いわく、ちーちゃんは空っぽなので、精神が不安定なのだそうです。
「散歩に行くから、鍵開けて」
「はい、分かりました」
ちーちゃんは散歩が大好きです。
「林檎、今日はどこに行こっか?」
「ちーちゃんが望むなら、何処にでも行けますよ」
「うん。でも林檎はどこに行きたいの?」
「わたしは何かをしたい、という感情が希薄になるように作られています。わたしに行きたい場所はありません」
「つまんないの」
ちーちゃんは頬を膨らませました。
「あ、でも、今日は行きたい所あったんだ」
「何処ですか?」
「シンジュク」
まだ、Homosapienceが世界中に生息していた頃、シンジュクは発展した都市だったそうです。ですが、今では草木が生い茂り、倒壊した建物の瓦礫が散乱しています。また、Homosapienceや動物の死体が腐って、強い腐臭がします。凶暴な犬やカラスが死体を目当てにうろついているので、わたしにとっては少し危険です。
「ねーねー、林檎、ニンゲン居るかな」
「分かりません。ですが、『検索』すれば直ぐにでも」
「いーよ、分かったら面白くないから」
わたしは視覚情報で調べるのは、ずっと効率が悪いと思いましたが、Homosapienceを探す事に意味がない事に気付いてしまい、最善の方法を導き出す事が出来なくなりました。
そもそも、わたしも、ちーちゃんも、博士ですら、突き詰めればただの物質でしかないのです。自己とやらも只の化学反応ですし、生きている意味など、有るのでしょうか。
わたしはちーちゃんと違い、前の記憶が無い訳ではなく、忘れてるだけなのだそうで、それも影響しているのかも知れません。無駄な事ばかり考えてしまいます。
わたしが無駄な思考に時間を浪費している間に、ちーちゃんは歩いて行きます。
「あっちに隠れてるかも」
ちーちゃんはどんどん進みます。
「林檎はそっち探してて」
「いや、わたしは……」
ちーちゃんは姿を消しました。『移動』してしまったようです。
わたしは慌てて、ちーちゃんの場所を『検索』します。
その時です。
鋭い爆発音。
わたしは胸に強い衝撃を感じました。
「は…ははは、ハハハハハ!やってやったぞ!オヤジの仇だ!」
「馬鹿野郎、出るな!潜れ!」
Homosapienceです。
瓦礫の陰から出てきた一匹は猟銃のような物を手にしています。
恐らくは、それでわたしを撃ったのでしょう。
どうやら、Homosapienceの群れが瓦礫の陰からわたしたちを狙っていたようです。
「人の皮を被った化け物め!」
Homosapienceは膝をついたわたしの頭に銃口を向けました。
「俺のオヤジはな、お前らを倒すべく立ち上がった英雄なんだ。当時、どいつもこいつもヘタレばっかで行動を起こす者は全く居なかった。そんな中!俺のオヤジだけがっ!まさに英雄!オヤジは俺の目標だった!」
わたしは何故早く撃たないのか、とても不思議に思いました。
「ここで、お前を殺し、俺は英雄にゅっるればびばび!ぶぶぶぅ!」
Homosapienceの顔が見る見るうちにねじれていきます。そしてついに、Homosapienceの頭が弾け飛びました。
舞う血煙の中現れた人影があります。ちーちゃんです。
「汚ぇニンゲンが、アタシの林檎何してやがる!」
男前だな、と思いました。
「狙え!」
いつもの間にか、わたしたちはHomosapienceに囲まれていました。
各自、散らばって瓦礫の陰からわたしたちを狙っています。
なるほど、さっきの一匹に囮と時間稼ぎをさせたという訳です。理解しました。とはいえ、どうせ意味がないだろうと思いますが。
「撃て!」
確かに掛け声はしましたが、銃声は一発も響きませんでした。
なぜなら、その時、わたしの視界に入っていたHomosapienceは一匹残らず弾け飛んでいたからです。
「林檎、ゴメンね。いま、血を止めてあげるから」
「何を、言ってるんですか。いくらちーちゃんが強くても、死なない訳ではないんです。まだ、Homosapienceは居ます。早く家へ『車』で戻りなさい」
「でも、林檎が…」「代わりなら幾らでも作れるでしょう!」
「代わりじゃ、意味ないよ…」
ちーちゃんはいつも、我が儘を言ってわたしを困らせます。
「はぁ…。仕方ないですね。止血は絶対に不可能ですから、首を切り取って『車』にある保存容器に保存して下さい。この体は捨てます」
わたしがそのように言うと、ちーちゃんは満面の笑みを浮かべました。
「うん。分かった!」
ナイフを取り出したちーちゃんに向かって、一つだけ、喋れなくなる前に言います。
「次は許しませんよ」
「大丈夫、これからはずっと一緒だから」
それは、
これから『も』、でしょう?ちーちゃん。
「ニンゲンってさ、減らしても、減らしても、直ぐに増えるよね。なんでだろ」
「動物は生命が危険に晒されると、性欲が強くなる為、子供を増やし易くなるのです」
「じゃあ、いくら減らしても無駄って事?」
「減らす事によって絶滅させられるか、という意味でしたら無駄ではありません。Homosapienceは非常に脆い為、博士の技術やあなたの力なら容易く終わらせる事が出来るでしょう。意味のある行為かどうか、という意味でしたら、それはわたしには分かりません」
「あー、絶滅させるのは、なんか違うんだよなー」
「ちーちゃんはHomosapienceを嫌っているのでは?」
「うん。昔、撃たれて、凄く痛かったから」
「油断しているからですよ」
「でもね、好きの反対は嫌いじゃないんだよ」
「?」
「好きの反対は無関心。嫌いって事はそれだけ興味があるって事だから」
「なるほど面白いですね。ところで」
「なに?」
「いつになったら、この目隠しを取っていいのですか?」
「えへへ、もういいよ」
わたしは、目隠しを外しました。
瞬間、目に映ったのは、瓦礫の山の中を押しのけるように桜の木です。
「ねぇ、これなんて名前の木か知ってる?」
「知ってます。サクラ――バラ科サクラ属の落葉高木、または…」「知ってるの!?」
「勿論です」
「…なんだ、教えてあげようと思ったのに」
「春には濃紅、または薄紅色、または」「ピンク色!」「の花が咲きます」
ちーちゃんは『車』から降りると、桜の幹に手の平を当てながら、心底幸せそうに言いました。
「綺麗なんだろうな」
わたしはそんなちーちゃんを見詰めながら、答えます。
「さぁ、わたしには分かりません」
だけど
「ちーちゃんがわたしの可愛い妹だという事だけは分かります」
ちーちゃんがわたしに手招きをするので、わたしも『車』から降り、ちーちゃんの横に寄り添いました。
「大好き」
「わたしもです」
わたしには、生きてる事の意味や、難しい感情や、欲望や、この世界や、善悪や、特にちーちゃんの考えている事など、何一つとして分かりませんが、少なくとも、ちーちゃんがわたしの可愛い妹で居てくれる。
それが事実である限り、
わたしはこの上なく幸せです。