一章.砂礫と岩の狭間(五)
まず蘭とセルア、ユージィンが並び、テーブルを挟んでマルタとクロードのいる形で会話が行なわれた。事の次第を見届けたいといった素振りの者達もいたのだが、マルタによって全員が外へと出されてしまっている。
会話とは言っても大半がクロードによる説明であり、蘭はそれに頷きながら時折三人の質問に答えていたくらいだ。
とにかくクロードが蘭を連れ去った理由と、二人きりの間に何があったのかをはっきりとさせた。どうやらそれが本当らしいと納得すると、今度は蘭とセルアが部屋から出されてしまう。
「二人は休んでいて構いませんよ。後は私に任せてください」
ユージィンの優しいが恐ろしさの潜む声色には同意するほかはなく、蘭とセルアは同じ建物の二階へと通された。
ここはどうやら宿泊ができる場所らしく、廊下を挟んだ両側には扉が十ばかりある。その一室を使うといいと言われ、二人で入り込んだところだった。
狭い室内には簡素なベッドが片側を壁に押し付けるようにして置かれている。テーブルと椅子二脚はわずかな空間の中央に陣取り、それ以外の物は見当たらない。
小窓が一つ付いており外が見渡せるようではあったが、今はそういった時ではない。蘭は椅子に腰を預け、セルアはベッドにだるそうに座り込んだ。
「本当に後はないんだな?」
この部屋に来る間にも聞かれたが、アンヘリカに来る道中クロードに何かをされたという事はない。担がれて運ばれた以外は特に辛い目にもあわず乗り合いに揺られていただけだった。
「ないよ、一番酷かったのは最初に連れて行かれた時だから」
あの時の体調の悪さを思うと嫌になる。目くらましを目的とした爆薬を叩きつけた衝撃がより拍車をかけたようなのだが、護身用として一般的なものだというのだから蘭は驚かされた。
「ユージィンなら大丈夫だと思っていたんだがな。あいつは実戦向きじゃねぇのを忘れてた俺の落ち度もあるっちゃあるな」
普段のように強く言われるのかと思えば、セルアは自身にすら落ち度があったと言い始める。
蘭は驚いて見返すのだが、少年は普段のような意地悪そうな笑みを浮かべるばかりだ。
「あほ面してんじゃねぇよ」
「酷い……でも、ありがとう」
こうした状況でなければ言い合いを始めるところなのだが、蘭は素直に礼を述べる。
確かに酷い目にはあったのだが特に怪我もなく、こうしてセルアとユージィンがすぐに来てくれた。クロードに帰してもらうと約束はしてもらったが、どこまでを信じるべきかは難しい。かといって一人で行動できる程の知識もなければ先立つものもなかった。
追いかけてきてくれた上で、こちらを強く責めもしない少年は蘭にとって本当に心強い存在だった。
「本当だ。感謝しろ」
セルアはふてぶてしく笑ったが、どうもその顔色は悪い。いつものきつく煌く碧の瞳もどこかかげったように見える。
普段からだらしなくソファにあぐらをかいたりねそべったりしているセルアではあるが、今の体勢には違和感を覚えた。ベッドに座るだけではなく両手をしっかりと布団に乗せて、まるで腕で支えているような姿勢で辛そうにこちらへ顔を向けてくる。
先程も思った事だが、体調でも悪いのだろうかと蘭は聞く。
「セルア、具合悪い?」
「ん? ああ」
何故かそのまま椅子を持って近くまで来いと言われ、蘭はベッドの側まで移動して座りなおす。するとセルアはベッドへ横になり、片手で蘭の手首を掴んでしまったのだ。
「何?」
「疲れたから、寝る」
よくわからない行動に首を傾げる蘭を気にせずに、セルアはあっという間に瞼を閉じてしまう。
「寝るの?」
しかし答えはなく、セルアは本当に眠ってしまったらしい。青白い顔色が不安になり空いている手でセルアの頬に触れてみた。
温もりはあり寝息も聞こえる為に、大事ではないのかと思いながら幼い少年の寝顔を眺める。
蘭よりもずっと小さな体は、普段の振る舞いでは忘れがちだが十二という年齢を思い出させる。腕も手もまだまだ細く小さく、蘭の手首を掴んではいるが一周する程の大きさも持ち合わせてはいない。
(しっかりしているけど、子供なのよね)
七つも下の少年に世話を焼かれている自分が恥ずかしくもなったが、過ぎてしまった事は仕方がない。これからについてを考えようと、瑞々しく滑らか頬から手を離す。
(でも、随分と疲れてるみたい?)
寝ると言った瞬間に眠ったようにすら見えた少年は、蘭を掴む腕にだけ力を込めて横たわっている。
セルアは蘭を探すのに手間がかかったと言っていた。情報を伝える手段などないと思っていたが、何かしらの方法で二人は蘭の位置を知ったようなのだ。
(術とか?)
国一番の使い手だと称されるセルアなら、何かできるのではないか。そんな考えも浮かんだが、とにかく今は見守るべきかと蘭はセルアを眺めている事に決めた。
しばらくするとわずかに軋む音と共に扉が開かれた。蘭が目を向けるとマルタとクロードとの話がついたらしいユージィンの姿が見える。
「随分と可愛らしい事をしていますね」
それは蘭の腕を握り締めぐっすりと眠り込んでいるセルアを見ての言葉だ。
「わざわざこうしてから寝たのよ?」
側に呼ばれた経緯を簡単に説明すると、ユージィンは珍しく声を上げて笑いかける。
「そう……でしたか。また貴女がいなくならないか心配だったのでしょうね」
「さすがに今は大丈夫だと思いたいんだけどな」
いまだにしっかりと掴まれている腕を見下ろしながら、軽く引っ張ってはみるがびくともしない。
あまりに長時間同じ体勢でいるのはつらくなり、どうにか外そうと試みてはいた。しかし想像以上にセルアの力は強く、蘭は諦めておとなしくしていたのだ。
「私も来た事ですし、そろそろ離しても良さそうですね」
事情を理解したらしいユージィンが手を貸してくれた為、蘭の片腕はようやく自由を得る。動かせなかった為に痛む関節を気にしながらも、数度曲げ伸ばしながらセルアについて聞く。
「疲れたから寝るとは言ってたけど、大丈夫なの?」
先程の蘭と同じようにユージィンがセルアの様子を確認する。青白い肌で眠っている姿に少々心配はしていたが、静かな寝息に安心はしたらしい。蘭を掴んでいた腕をそっと移動させると、しっかりと布団をかけ直す。
「少し、無理をしましたからね」
「もしかしなくても、ここへ来るために?」
そうですと言い、もう一脚あった椅子に腰かけたユージィンに手招きをされる。
セルアの邪魔にはならないように、離れた位置で蘭が連れ去られてからの説明をしてくれた。
あの爆発でクロードと蘭を見失ったユージィンはすぐに屋敷へと戻った。そして、城にいたセルアを呼び事情を説明する。セルアが術を使えば蘭の場所を特定できると言い探し始め、どうやらアンヘリカの方角へ移動している事だけはわかった。
そこで、すぐに追いかけようとセルアは言ったのだが、さすがに急にウィルナから離れるわけにもいかない。まず、数日ウィルナを離れられるだけの準備をしようとユージィンが提案し、その日は色々と動き回っていたらしい。その間にもセルアは蘭の位置を確認し続けてくれたようだ。
そうして翌日、二人はウィルナから出発したという。丸二日かかる道程を一日遅れで出たのに、どうして蘭のすぐ後に到着できたのかと聞けば術のせいらしい。
乗り合いには魔力を込めた石を使い、大した力をかけずとも荷台を引けるようにしている。それは魔力が多ければ多い程効果を発揮できるらしい。石だけではなく、セルア自身の魔力も消耗して来たのが早さの理由とユージィンは言い切った。
「今回、セルアは相当な魔力を使いました。おそらく現在は空に近いのでしょう。更にランの居場所を見失わないように睡眠時間も削っています。眠ってさえいれば平気なはずですよ」
「わたしの為に……」
「ランは必要があってウィルナにいるのですから、探すのは当然でしょう? セルアはおそらく数日で普段通りになります。あまり気にしないでください」
眠っているセルアだけではなく、ユージィンも相当無理をしているに違いないのだ。詳しい内容はわからないが、姫がいなくなってしまった事実を隠そうと動き回っているらしいセルアとの会話をよく耳にしている。
「ありがとう」
ごめんなさいと言おうか迷ったのだが、こうして追いかけてくれたのだ。感謝をしようと蘭は改めて礼を述べる。
しかしセルアと同様ユージィンもそれ程怒りはしないのだ。クロードやマルタに向けていた冷たい瞳が蘭を見つめる事はない。
「貴女も災難でしたね、結局はあの人が無理に連れ去ったのですからランが気にする必要はありせん。ただし、一人で出歩く事だけは絶対に禁止します。おそらくこれまで以上にセルアが見張ってくれるはずですよ」
いつも通りだと思える笑みを浮かべているユージィンに安堵しながら、蘭はしっかりと頷く。
「わたしも二度とあんな目には遭いたくないし、側を離れたりはしないわ」
どこか大丈夫だろうと思っていた部分があったのは否定できず、蘭は見知らぬ土地の危険性について改めて自覚しようとする。
「それなら安心ですね。セルアは貴女といるのを楽しんでいるようですし、付き合ってあげてください」
「わたしが付き合ってもらっていると思うんだけど?」
セルアは何も知らずにいる自分のお守りをしているようなものだ。あれは何だ? これは何だと連れまわしてしまっている。ユージィンもさらわれる直前までを知っているのだから、おかしな発言だと蘭は思う。
「そうでもないと私は思っていますよ。セルアはなかなか気軽に出歩ける立場でもないのです。遊び相手を得たのは向こうとも言えるのかもしれませんね。良い刺激になるのではないでしょうか」
この言葉は本人に伝えてはいけませんよとユージィンは釘を刺す。
子供扱いを嫌う少年には確かに不向きな言葉に聞こえた蘭は、頷きで答える。
「まだ働く年齢には見えないもん。わたしがセルアくらいの時は学校か遊ぶかで、家の手伝いくらしかしてなかった」
「それが普通でしょう? 私達だって似たようなものですよ」
二人で眠るセルアに視線を向けながらも会話は続く。
「なのにどうしてセルアはお城にいるの? もっと遊べるような環境でもいいんじゃない?」
するとユージィンは困った表情を見せた。
「魔力を持っている者は皆城に入るのですよ。その中でも突出した才能を持っているセルアは当たり前の生活では許されないのです。詳しい説明は難しいのですが、とにかく変わった環境にいると思ってください」
子供らしい事ができないのだろうかと考えながら、蘭も自分の思いを告げる。
「乗り合いの中だけでも色々な事を知れた気がするし、一緒に街へ出るのも私には勉強みたいなものなのよね。セルアがそれで楽しんでくれるならいいんだけど……それで本当に大丈夫?」
もっとすべき何かがあるのではと思ったのだが、ユージィンは嬉しそうに同意した。
「ええ、それで構いませんよ。ただ普通にしているのが一番なのですから。しかし、ランはクロードが言う理由に納得したのですか?」
セルアについてはもうじゅうぶんらしい。あまり気にせず一緒にいればいいのだなと蘭は受け入れ、今度はクロードについてを考える。
「納得したというよりは、諦めた感じかな? わたしはずっと一緒にいたけれど、本当に何て事をしたんだろうって反省はしてたように思える。たまに疑っている部分もない事はないにしてもね」
どうしても蘭を連れてこなければならないと思ったとクロードは強く訴えていたのだ。何が何でもアンヘリカへ連れて行きたいと、自分でも驚く程に思ったと何度も繰り返した。
誰もがおかしな理由だといった反応を示したが、深く反省している様子も感じられる。ユージィンもあまり変わらない感想なのか苦笑するだけだ。
「確かに反省をしているようには見えましたね。そして、それだけでもなさそうなのも同意です。何かをされたわけではないのでしょう?」
セルアと同じ質問に思わず蘭は笑う。
「大丈夫。担がれた以外は普通に乗り合いにいただけ。二人共心配し過ぎ……とは言っても運が良かっただけなんだよね」
「ええ、こうして無事だから笑っていられるのですよ。しかし話を聞く限りではセルアならば貴女がさらわれる事態にはならなかったようです。もっと気を配るべきでした」
やはり己の失態だったと言い始めるユージィンはセルアと変わらない。
「ユージィンのせいじゃないわ。だって、普通はさらうなんて駄目でしょ?」
「そうはなるのですがね。謝りあったとしても、どこか納得もできないようにも思えますね」
迂闊にユージィンの側を離れてしまった蘭。そして、その隙を狙ったクロード。更にはセルアではなかったから可能だったと言葉が続き、様々な理由が現れてはいる。
「確かにそうなんだよね。結局はクロードがわたしを連れてこうとさえしなければ何も起きなかったのに」
「でしょう?」
これ以上は何を言っても仕方がないと二人で割り切る事にし、ユージィンとの間にわずかなくつろぎの瞬間が生まれる。
しかし、すぐに扉を叩く音に遮られた。
「どなたです?」
ユージィンが問うと、今まさに話題になっていた人物の声が聞こえる。
「クロード。開けてもいい?」
「いいえ。こちらが開けるまで待ってください」
珍しく嫌そうな表情を見せたユージィンが立ち上がると扉を開けに行く。
「何のご用でしょう」
ユージィンのクロードに対する態度は明らかに冷たい。爆薬を投げつけられた相手だと考えると仕方ないのかもしれず、クロードもわずかに怯えた様子を見せる。蘭とセルアがいなくなった後の事はわからないが、もしかするとユージィンが何かをしたのだろうかとも思える反応だった。
「マルタが今日明日はここに泊まるといいって。隣二つも使って」
「それはありがとうございます」
用件を聞き終えるとユージィンはすぐに扉を閉じようとしたが、隙間からクロードが手を振りながら笑顔を見せる。
「ラン、また後でね」
その晴れやかな笑みを見た為かユージィンは随分と疲れた様子で戻って来ると、溜め息を付きながら椅子に座り直す。
「何というか、あまり懲りていないように思えますね」
「確かにね……でも、あれだけ反省してるって言ってたんだし同じ事はしないと思うよ?」
「それは当然です」
今の状況では帰るわけにもいかず、三人はアンヘリカで過ごす以外の方法は持っていない。クロードの様子も気にはなったが、深入りしなければ平気だろうと蘭は考えていた。




