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一章.砂礫と岩の狭間(一)

 蘭がウィルナへ来て、すでにニヶ月が経とうとしていた。見慣れはしたが、それでも珍しいと思える景色に目を奪われていると足は小さな段差に引っかかる。

「わわ……っ」

 ぐらりと傾いだ体は地面に向かう事はなく、何かによってその場に留められた。

 石畳に叩きつけられずに済んだと安堵しながら見上げれば、蘭を支えていたのは背の高い青年だった。日焼けをした肌に力仕事でもしているのであろうか衣服越しでもわかるがっしりとした体。灰色の短髪に、青い瞳という見慣れぬ色合いが印象的だ。

「大丈夫?」

 どうやら正面から歩いてきた人に倒れ込んでしまったらしい。すっかり寄りかかる格好になっている姿勢を正すと、蘭は慌ててお辞儀をしようとしたが思いとどまり言葉だけを向けた。

「すみません。ありがとうございます」

「気にしないで、足元に気をつけていないとまた転ぶよ」

 ぶつかってしまった事への不快感も見せぬ笑顔は魅力的なものであり、蘭の瞳は吸いつけられるように青年を眺める。しかし、相手はこちらに興味もないのか羽織っている厚手のコートを揺らしながら先へと進んでいってしまう。

(なんだか格好いい人だったな)

 そう思いながら遠ざかる姿を追っていれば、聞き慣れた声が降りかかる。

「おい!」

 目の前にやって来たのはセルアなのだが、蘭の方が背が高い為に視界を阻まれる事はない。人ごみの中で頭一つ分飛び出ている青年の姿を見せないように、セルアの手のひらが目前へ現れた事でようやく気付く。

「あ、セルア」

 明らかに不機嫌な表情の少年に視線を落とすと、手首を強引に掴まれ引っ張られる。

「勝手にいなくなるなって言っただろうが?」

 セルアが進み始めた方向は青年とは逆の為、蘭は目で追う事をやめ体の向きを変えた。

「ごめんね、気になるお店があって。今ね、転びそうになったところを支えてくれた人がいたんだ」

 とりあえず離れた理由と出来事を口にすれば、セルアの眉は更に潜められる。

「それは俺も見てた。お前足が上がってないんじゃねぇのか?」

「そんな事ないよ! 上がってるって」

 セルアと一緒にいるならばと許された外出にも関わらず、勝手な動きをした自分を怒っているように見えた瞳が細められる。

「なら転ばないだろうが」

 口端を上げる仕草に安堵しながらも、蘭はセルアと共に街を歩き始めた。



 理由もわからぬままに姫の代わりをする事となり、何をさせられるのかと内心怯えながら過ごし始めたのだが、ユージィンとセルアが蘭に求めたのはただいる事だった。

 食事、睡眠をきちんと取り、規則正しい生活をしていればいい。その他に求められたのは、敬語を使わず、ユージィン、セルアと名だけで呼ぶ事と絶対に頭を下げないというものだった。

 お辞儀をするなというのは不思議に思えたが、この場所では滅多に使うものではないらしく、蘭の動きの中で最も気にしなければならない点だと注意されている。

 更には勝手に屋敷から出ないという条件もつけられたが、蘭は素直に受け入れていた。見知らぬ場所で単独行動をする勇気もなく、とにかく居場所があるのならと従ったのだ。

 屋敷には身の回りの世話をしてくれる女性が一人いる。ハンナは蘭の母親程の年齢で長い間王宮に仕えているらしい。姫の代わりに住まわせると聞いて驚いた顔をしていたが、すぐにラン様のお望みなんですねと納得していた。

 通常ならば騒ぎ立てるべきではないかとも思えたのだが、ハンナはラン様は何をしだすかわかりませんからねと笑うばかりだ。今回は何をお考えなのでしょうと、蘭には随分と呑気な発言をする人物にも見えている。

 よく似ている蘭にまるで本物のラン様のようだと言いながらも、しっかり別人のランとして扱ってくれている。姫の代役ではあるが、それは見た目と屋敷にいる部分であり蘭らしくしていて構いませんよと笑う。

 そのハンナは空いた時間に話し相手になってくれたりもするが、やはり忙しいらしく微々たるものだ。

 ユージィンは毎日顔を見せはするのだが仕事が多いらしくあっという間に帰っていき、セルアは気が向くと一日中いてくれたりもするが数日置きにしか現れない。

 何日かは屋敷内を歩き回り、眺めているだけでも時間が経った。しかし、その物珍しさも次第に飽きが出始める。本でも読めるのであればどうにか頑張れそうな気もしたが、文字が読めない。初めは五十音と照らし合わせればある程度読めるのではないかと頑張ってもみたが、何か色々と法則があるようでうまく当てはめる事はできなかった。

 外へ出るには付き添いを必要とされるがセルアとユージィンの都合は付かず、屋敷内でもはっきりとするべき事はない。与えられた範囲で興味のあるものへ意識を向けるだけであり、安穏と過ごしているだけなのだ。

 どうにか家へ帰りたいとは思っても、周りは日本を知らないと言い放つ。蘭自身もウィルナという国は聞いた事もなく、景色や服装を見る限りでは見知っているとも言えはしない。

 これは夢であり、寝て覚めれば当たり前の空間が広がると期待して床につく日が幾度もあった。しかし、蘭は姫の為に置かれているというベッドで目覚めるばかりであり、泣こうが焦ろうが喚こうが、ウィルナという国だけが目の前に現れる。

 理由があるに違いないと二人は言い、蘭もわずかに納得はしていた。初めのうちは何かに騙されていてすぐにからくりが現れると思いもしたが、そういったものでもないらしい。食べ物も知らない食材が使われているのを厨房で目にしており、日々違和感ばかりが増している。

 ただ屋敷にいるという約束は、初めは本当に簡単に思えていた。しかしするべき事がないというのは思っていた以上に大変だったのだ。とにかく時間ばかりが過ぎていくのだが、できる事が少な過ぎる。そこへ見知らぬ土地にいて、何をどうすれば帰れるのだろうかと不安も募っていく。まるで閉じ込められているような状況に息が詰まりそうだと溜息ばかりがこぼれる。

 二週間もすると蘭はすっかり元気がなくなり、ぼんやりとしているようになった。外にも出ず屋敷の中にばかりいるせいか気が滅入って仕方がない。

 その姿を見かねたセルアがようやく屋敷の外へ連れ出してくれるようになり、今日は五度目の外出だった。

 さすがに屋敷で過ごしている服装ではなく、初めて外へ出た時と同じくウィルナで一般的らしいワンピースを着ている。髪を一つに纏め高い位置で結うのも変わらず、セルアと並んで街へと向かってきたのだ。

 赤と黒は王宮にいる者のみが身に着けられる色らしく、あの髪型にも意味があるという。本物の姫であればそのままの姿で出かけるのだが、さすがに似ているだけの蘭は許されないらしい。あくまで姫は国内にいると思わせる為に、あの服装で屋敷に置かれているようだった。

 姫は何かに没頭すると何ヶ月も屋敷に閉じ篭ったままという事も珍しくなく、蘭がただ屋敷にいるだけでも不自然には見えないらしい。そのせいもあってか、外出させるという発想が生まれなかったとユージィンが散々謝ってくれた。

 セルアもあいつに必要なものが揃っているだけだから、確かに大概の奴は暇になるに違いないと、より気にかけてくれている。

 蘭が似ている顔を出して歩いても大丈夫なのかと聞くと、雰囲気があまりに違う為、誰も気付かないだろうとセルアに言われた。お前は庶民向きだと馬鹿にされているような口調も付随していたが、ユージィンも否定はしないという反応だった。

 何故城の中ではなく小さな家屋にいるのかと不思議に思えば、姫本人が望んで建て住んでいたものだと説明を受ける。

 決して無下に扱われているわけではないのだが、優遇されているわけでもない。姫の格好をして屋敷の中にいるのならば、邪険にはされないといった状況だった。

 ウィルナは蘭が見知った世界とは大きく違っている。城を中心にたくさんの家屋が立ち並び、その中を蜘蛛の巣状に道が広がる。更にはその周りを驚く程高い壁が国を丸ごと囲んでいるのだ。城よりも高い壁の外には砂漠が広がっており、砂が入り込まない為にも高さが必要とされているらしい。

 建造物は全てが白い石を積み上げた造りであり、道は様々な色合いの石を並べている。ただ、道の石の高さが揃っていない為に先程のようにけつまずいてばかりいた。

 そして、石と同じ位に存在するのが木と水だ。どの家の周りにも木があり池がある。外は砂漠らしいというのに、内側はそんな事を忘れさせてしまう程に緑と水が多い。何か全てが輝いて見えるような美しい街だと、初めて見渡す余裕を得られた時に蘭は思ったものだった。

 ここには魔力があり術があるとは言うが、そのわりには皆何をするにも自分の手で作業をしている。不思議に思った蘭がセルアに問うと、誰にでもあるもんじゃないからだ、と簡潔に言われた。

 魔力というものは限られた人にしか宿らない力で、あまり頻繁に使って良いものでもないらしい。素質があると認められた者は王宮で働くのが一般的であり、城下に使い手はいない。

 町の中にはそれぞれの区画毎に、作物を育て家畜を飼う場所もあるようだった。それは個人であったり共同であったり多少の違いは見られたが、自宅の近くにありそこで得たものを市場で売ったり交換する事で町は成り立っているらしい。

 今、蘭がいるのは市場だ。露店を置く為なのか他の道よりも幅が広い。道路の両脇に様々な店が建ち並び、たくさんの人で活気に満ちていた。見知らぬ野菜や果物、肉はさすがに切り身になっている為どんな生き物かはわからないが、ハンナの作ってくれる料理で食べた物のどれかだろうとは思える。それ以外にもアクセサリーや衣服を並べている店舗も見えた。

 道を埋め尽くす程の人垣を縫うように移動しなければならず、セルアはいつも蘭の腕を掴んで進んでいくのだ。

 日替わりなのか週替わりなのか、来る度に店の種類が違っている。様々な物に目を惹かれる蘭はセルアが手を離した隙に移動してしまう事も度々あった。

「お前、思っていた以上に落ち着きがねぇな」

 混雑した場所を抜けたセルアが溜息まじりに見上げてくる姿に、蘭は首を傾げる。

「そう?」

「そう? じゃねぇだろうが、よく転ぶ、いなくなる、ぼんやりする。もっとしっかりしてろ」

 セルアが疲れたと言わんばかりの表情を見せ、自分の行動を思い返すと確かに否定はできないと蘭は頷く。

「努力はする」

「努力しないと無理って事かよ。危険な目にあっても知らねぇぞ。お前んとこじゃそれが普通なのか?」

 蘭は十九歳。本来ならば専門学校へ通っているはずが、何故かウィルナにいる。

 学校へ行き、終わればバイトに向かう。その後は真っ直ぐ帰宅する事もあれば少々寄り道する事もある。一人の時もあれば友人達との時もあり、それらが生活の主でごく普通の学生だと思っていた。

 時折友人達にどこか抜けていると言われたりもしたが、生活に支障が出る程のものではないはずだと自分では思っている。


「少しうっかりしているのは認めるけれど、普通のはず。セルアがしっかりし過ぎなんじゃない? 時々、お兄ちゃんみたいな感じがするんだよね」

 兄と言ったのが気に入ったのか、少年は声を上げて笑う。

「ああ、それは言えてるな。俺はお前よりしっかりしてる。だから言う事は聞いとけ」

「それを否定できないのも嫌になるのよね。わたしの方がずっと年上のはずなのに」 

 実際セルアと喋っていると年上の人物と話しているような錯覚に陥る事が度々あった。もちろん子供っぽい時もあるのだが、大抵蘭よりも落ち着いて構えている。

 セルアは十二歳。ウィルナには読み書きを覚える施設があり、まだそこへ出入りしていてもおかしくない年齢らしいのだ。城という場所で姫の側にいる事が異例であるとは蘭ですら感じるものだった。 

 しかし不自然なのは王宮にいるという部分だけであり、働くのは当たり前のようだった。ウィルナの子供達は大人に混じって仕事をしている。親や近所の者達と一緒に農作業をし家畜を育て、市場にも顔を出す。その合間に文字を覚えたり遊んだりしているようだった。大人達も毎日市場にいるわけでもなく昼間から酒を飲んでいたりする姿も見える事から、あまり年代による生活の違いはないのかもしれない。

(セルアとの会話もあまり子供扱いをしていない感じがするし、意識の違いかな?)

 ユージィン、ハンナとのやり取りを見ての感想ではあったが、確かに三人は対等であると感じられた。

 蘭が長年暮らして来た場所とはやはり違うらしいと思いながら話を続ける。

「ユージィンもしっかりしてるよね?」

「あいつは年寄りくさいと思うぞ? 二十四であれは気持ちわりぃ。いや、あいつの場合は口調が原因か?」

「そう?」

 喋り方や態度は違うが、蘭からすると二人共あまり変わらないように思えるのだが、これは口にしないでおいた。

 手を引かれながら歩く姿はすっかり習慣になってしまっている。離せばいなくなると思われているからなのだが、この人ごみの中ではすぐにはぐれてしまいそうになるのも事実だ。

 強引に引っ張りながら進んで行くが、歩幅は蘭の方が広い為に急かされるという程でもない。勝手知ったるといった様子で前を歩くセルアは、突然足を止めると振り返る。

「何か必要な物があるんじゃねぇのか?」

「うん、ハンナに買い物を頼まれてる」

 セルアが大事な用件を思い出させてくれた。ただ見て周るのも良かったが、そこにわずかでもできる事を与えてくれるのはハンナの優しさなのだろう。聞き慣れない食材名を忘れないようにとメモも預かっていた。

「とは言っても、わたし読めないんだよね。言葉が通じているのに文字が読めないっておかしいと思わない?」

 ウィルナの文字は蘭の目には謎めいた記号にしか見えない。横書きでつづられていく羅列を丸暗記するしかないのかと思っていると、セルアは首を傾げる。

「前からそう言ってるが、おかしな事か?」

「普通、同じ言葉を話せるなら同じ文字になるんじゃないかな?」

「俺にはわからねぇ感覚だな。しかしお前の覚えが悪いとは思ってるぞ」

 意地悪そうな笑みに含まれる馬鹿にした雰囲気に、蘭はただむくれた。

「何よそれ、だって凄く難しいんだよ?」

「ああ、俺も嫌という程にわかってる。お前に文字を教えている時が一番話が噛み合わねぇからな。だから仕方がねぇと考えるしかないだろうが」

 セルアが言うように文字についてを語ると、おかしなくらいに会話が噛み合わなくなっている。

 何故か意味合いの違う言葉に同じ記号を書かれたかと思うと、似たような単語に全く別の記号を示されてしまう。前後の単語により意味合いが変わる雰囲気は感じられたが、法則が掴めず本を読めるような段階には至れそうもない。

「何でも仕方がないで済ませるのもどうかと思うよ?」

 どうして姫の屋敷で目覚めたのかと言えば、わかりはしないが仕方がないのだろうと言われる。国の外を見たいと願えば、危ないから諦めろ仕方がないんだと告げられる。

 疑問や不満があっても仕方がないと一蹴され、どうにも釈然としない状況ばかりが続いていた。

 しかしセルアもそれがわかってはいるらしく苦笑する。

「理由を知りたいのは俺達も一緒なんだよ。まあ、そのうち読めるようになるかもしれないだろ? とにかくこれは俺が一緒だから書いたんだ。さて近場から周って行くか」

 蘭の手からメモを取り上げると、セルアはこちらの腕を引っ張りながら新たな店へと足を向けた。



 屋敷へ帰ってくるとセルアはしばらくソファに寝転んでいたが、何やら用事があるらしく城へと戻って行った。蘭はやけに長く感じる一人の時間を過ごし、夕食はハンナと共にする。

 寝泊りをしている部屋の隣は食堂であり、毎日夕飯を済ませた頃にユージィンが立ち寄っていくのが習慣になってしまっていた。

 隣室程ではないが広い室内は中央にテーブルと椅子が置かれている。食器棚等が壁際には立ち並ぶが、狭苦しい印象ではない。十人でも余裕がありそうな大きさのテーブルは二人だけには勿体ないようにも思えたが、常々少人数で使っていたものらしい。

 目の前に座るユージィンは蘭の過ごした内容を必ず聞いてくる。ほとんどが屋敷の中をうろつき文字を目にしては悩むような生活なのだが、小さな変化でも構わないと事細かに確認していた。

 今日は街へ出かけるという出来事があり、蘭は普段よりも饒舌に一日の説明をする。

「それは良かった。しかし、セルアの側を離れるのはやめてくださいね」

 柔らかく微笑んでいるユージィンだが、その目はあまり優しさを含まない。

 穏やかで優しい印象の青年ではあるが、実際は腹の底で色々と考えている人物というのはセルアからの情報だ。蘭も日々会話をしている中でその意味がわかるような気はしている。

 優しく言葉をかけてはくれるが、厳しい面もしっかりと示してくる。褒めるべき時は褒め、叱るべき時は叱る事のできる人なのだろう。

 蘭は精々たしなめられる程度の為、本当に怒っている姿は想像ができない。

「は……い」

 セルアと同じく一人になるなとは言われたが、正直少しは離れて歩きたいという気持ちもあるのだ。屋敷内を自由に動けるだけ良いのかもしれないが、ぐいぐいと引っ張られるような外出ばかりもつまらなく思える。もしかするとどこかに重要な何かがあるのかもしれないと、期待と共に足を進めてしまっていた。

「その自信のない返事はなんです? 私もセルアも心配しているのですよ。平和な街ですが危険がないわけでもありませんからね。貴女にいなくなられてはこちらも困ってしまうのです。わかっているでしょう?」

 あくまで蘭が見ているのは華やかな街の一部であり、それ以外の部分もあるとは前々から言われていた。確かにそうなのだろうとは蘭も思っている。世の中に善のみで成り立っている場所があるとは考えにくい。

 そして、蘭がいなくなっては困るという意味もわかっていた。

(いなくなった姫様に繋がる手がかりかもしれないから置いてもらえるんだもの)

 実在しているのかもわからないウィルナの姫、その人物がいなくなり蘭がいたからこそ屋敷に置かれているのだ。ユージィンも目的を持っているが為に、こちらの動きを把握したがっている。

「気をつけます」

 見知らぬ場所でこれだけの生活ができているなら良いのだろうと、蘭は不満を自身の中へとしまい込む。

 姫が不在の代わりに何かと動かなければならないらしいユージィンは、ほんの短時間蘭と会うのが精一杯のようだった。今日のように外出した日は目新しいものに出会った刺激で蘭がよく喋る為、話を聞くだけで帰ってしまう事がほとんどだ。そうではない時はウィルナの事を教えてくれたり、他愛もない会話をして過ごす。

 初めの頃の蘭はどうしたら帰れるのか、本当に必要があってここにいるのならば何をするべきなのかと不安ばかりを漏らしていた。ユージィンとセルアも姫がいなくなった事に関係があるのだろうと、何やら情報を集めたりと動いてくれていたようなのだ。

 しかし最近は気負うよりも時期を待ちましょうとユージィンは言い、セルアもあまり話題にしようとはしなかった。蘭も同じ事を言い続けても不毛な気もし、誰もが触れない状態になってしまっている。

(時期……か。結局は何もわかってないって事なんだよね)

 確かに騒ぐばかりではどうにもならないのだが、蘭自身が情報を得られる立場でもなかった。もしかすると皆に真実を隠されているのではないかと、疑いたい気持ちもいまだに存在はしている。

 だが決して酷い扱いをされているわけでもない。

(どうしてこんな事になっちゃってるんだろう)

 不思議な服装で一つの建物に留まらされたままであり、外出する際には同伴を必要とし全く別の衣装に着替えさせられる。町だけではなく国を覆う壁の外にも興味はあったが、危ないと連れて行ってはもらえない。

 室内にはたくさんの書物が置かれてはいるが、読めるにはまだまだ知識が足りない状態だ。この中に得るものはないかと考えつつも、結果は芳しくない。

「どうしました?」

 黙り込んだ蘭を気にしたらしいユージィンに素直に言葉を返す。

「なんでここにいるのかなって考えてるだけ。言わなくてもいつも思ってはいるんだけどね」

「私達も何も見つけられないままですからね。不安でしょうが、このまま生活していただきたいと思っていますよ。何か辛いですか?」

 蘭が必要としているのは情報だった。どうしてこの屋敷内で目覚めたのか? ウィルナという場所は日本ではないのか? もしや近隣なのではという疑惑も拭えないでいる状態だ。この建物の中と、たくさんの人にあふれる商店街が蘭の行動範囲なのであり、それ以外の状況はどこか曖昧なままだった。

「帰るにはどうしたらいいのかを知りたい。そして、帰りたい。そうするとユージィンにも希望があるんでしょ?」

 蘭だけではなくユージィン達も求めている事があるのだ。

「ええ。姫がいたはずの場所にランがいたのですから、なんとなく逆の事が起きるのではないかと思ってはいますね」

「でも、私が帰れたら姫様が戻ってくるっていうのは本当なのかな?」

 すでに幾度も繰り返された会話だが、新たなものはないのかとわずかな希望が常に生まれる。

「あくまでセルアによる予想であり、確証のあるものではありませんよ。それでも姫が生きておられる事はわかっているので、不安も少なくいられるのです」

「その姫様が生きてるって状態もわからないのよ。わたしの家族はどうしているんだろうって思うけれど、連絡のしようもないし確証なんて持てないもの」

 いなくなってしまった姫をユージィンとセルアは必ず生きていると言うのだ。何の手がかりもないままの人物に対する発言とは思えない。

「不思議に思うのは当然でしょうね。しかしセルアがいる限りは大丈夫と考えるほかはないのですよ。私はセルアのようにはっきりと知れるわけではないのですが、信じなくてはならないのです」

 どうやらセルアによって姫の生存は決められているようなのだが、詳しく教えてはもらえない。とにかく無事なのだろうと思っておくのが精一杯だった。

「まあ、大丈夫と言えるのなら構わないんだけど……」

 自分の代わりにいなくなった人が死んでいては気分も悪い。理由はわからずとも生存しているという言葉を信じていた方が良いと、蘭は認める事で自身を慰めてみる。

(進展もしないし、どうしたらいいんだろう?)

 理由を探っても見つからない。時期を待てとは言われるが生活にも変化は起こせそうもない。 

 ある時ふと強い不安感に煽られもするが、何の答えも出ないままに二ヶ月が過ぎている。

「不安ですか?」

 ついぼんやりとしてしまった蘭は慌てて視線をユージィンに戻した。そんなにも不安そうな顔をしてしまったのかと思いながらも、今更否定をしても仕方がないと頷く。

「確かに不安はずっとあるよ、よくわからないでここにいるんだし。でも最近はここにいるのが少し楽しいとも感じてるの。それが怖いっていうのもあるかも」

「怖い?」

「こうしてユージィンは話をしてくれるし、セルアも言葉はきついけれど凄くわたしを気にしてくれるでしょ? ハンナだって優しいし……生活できてるだけでもありがたいくらいなのに、恵まれているとは思っているの」

 あの町の中に放られていないだけでも運はいいはずなのだ。勝手もわからぬ場所で上手く立ち回れる自信はない。

「私達もランがいなくては困るのですよ? 姫に繋がる手がかりは貴女のみ。今はまだわかりませんが、何かがあるように思えてならないのです。一方的な利益ではないでしょう?」

「確かにそうなんだけれどね。――早く、帰りたいな」

 蘭は最近、本当にそう思っている。自分の意思ではなく決められた場所へ置かれているような生活であるのにも関わらず、愛着が湧きつつあるのだ。ユージィン、セルア、ハンナと親しくなった人がいるせいなのか、退屈や不安は常に付きまといつつも嫌とは言い切れない。

「それは」

 ユージィンが何を言おうとしているのかは蘭にもわかる為、遮るように続けた。

「時期が来る。何かのきっかけがあるはず? だよね」

「そうです」

「ただいるだけで何かが起こるのを待つっていうのは虫が良すぎない?」

「それでも待ちましょう」

 何を確信しているのかはわからない。だが、ユージィンは必ずその時が来ると思っているようなのだ。

「居心地が悪いよりは良い方がいいでしょう? それに、嫌われていないようで私は嬉しいですよ。不安や恐怖もあるでしょうが、できる事をして過ごしましょう」

 何も起きないまま時間は過ぎて行くだけであり、蘭は帰りたいと願いながらも目的の見つけられない事態が恐ろしかった。

(本当に、時期なんてくるのかしら?)

 こうして優しい言葉を残し帰って行くユージィン達がまた居心地を良くさせるんだと思いながら、蘭はまた新たな一日をウィルナで迎える事になる。

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