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九章.集う孤は楔(二)

 アンヘリカへ到着すると町は不思議な程に閑散としていた。普段であればそれなりに人の往来が見られるのだが、どこへ行ってしまったのだろうかと思う程に姿がない。

 さすがに乗り合い場で働いている人はいたが、それ以外は見当たらないのだ。

 まだ乗り合いから降りる事なく、乗車口の隙間から外を眺めた蘭は不思議だと首を傾げる。

「どういう事?」

 同じようにセルアも外へ視線を向けており、目隠しとして垂らされている布の位置を整えながら蘭へ戻れと告げた。

 今回は普段のように気軽に降りられはしないだろうと思っていた蘭は、素直に座席へ腰を下ろし言葉を待つ。到着する直前まで蘭にべったりと張り付いていたセルアも、少し距離を置き腰を据えてから言葉を吐く。

「いつ何が起こるかわからねぇんだ。誰もがなりを潜めてるんだろうよ」

 普段よりもだいぶ抑えた声になったセルアへ、蘭は目を向ける。

「何が起こるかわからない?」

「そうだろう? 長年いがみ合って来たウィルナとシェラルドがこの場で直接話をする。その結果の予想は大半が悪いもんだろうな」

「そう……だね」

 蘭自身は誰かの話としての知識を持っているだけであり、すぐ側に戦いがあるのかもしれない状況だと理解はしているが、本当の恐ろしさが今ひとつわからない。

 自身が恐れているのは戦いではなく姫の代わりをしている事だ。蘭はそう思いながら頷き、セルアは溜息混じりに続ける。

「俺だってそうは思いたくねぇが、最悪の事も考えてはいる。それだけ俺達は二国が平和に話をするような環境を見て来ちゃいねぇんだよ。今回の話で乗り合いも全部止まっちまってるしな。いるのはほとんどアンヘリカの奴らだろう。シェラルドはわからねぇが、おそらくウィルナと変わらず国民のほとんどを入れてはいないだろうな」

 常ならばウィルナとアンヘリカの間を乗り合いが往復を続けている。数日置きではあるが確かな交通手段が準備されていたのだ。

 しかし今回は姫がかなりの人数を連れてアンヘリカへ向かうと決まっている。今日に合わせて調整された日取りで乗り合いの往来は止められ、ウィルナの民は皆自国へと戻っているはずだった。

 互いに会話をする事に納得はしたが、それでも両国民はアンヘリカへ近づけない。透けて見える状況を蘭は言葉に乗せる。

「どっちも最悪の事態を考えてるって事?」

「そういうこった。戦わないと表面上は言っているが、互いに信用なんてしちゃいねぇ。むしろ信じたら負けそうな気もするな」

 首をすくめて見せたセルアの表情を見る限り、シェラルドへの信頼など欠片も抱いていないように感じられた。

「信じたら負け……か。わたしは信じたいけどな」

 あくまで自身の理想として蘭は呟いたのだが、耳にしたセルアは力無い笑みを浮かべる。

「俺もできるもんならそうしてみてぇが、さすがに無理だ」

「そっか」

 蘭もそれはそうだろうとも思う。ずっと戦いいがみ合って来た者同士、突然平和的になれるとは思えない。生まれた時から戦いはあり、お互いに敵だと認識して暮らしてきたのだ。二国の間にはだかる壁は随分と高く厚いようだった。

 そして、自分が話す事でそれが解決するなど本当に夢物語ではないのかと、蘭は強く不安を感じうつむく。

 この姿を見た為なのかどうか、セルアは珍しく蘭の両手を包み込むように掴む。どうしたのかと目を合わせれば、いつになく真剣な眼差しがあった。

「今回は本当に危ない状況だ。俺達はランを守る為に目を光らせはするが、それでも不安は拭えねぇ。油断をするなよ? シェラルドの奴らを信用するのだけはやめろ」

 セルアの発言は蘭を困惑させた。互いに信用する気もないまま同じ場に着き、意見をする。それではどうしても今回アンヘリカへやって来た意味が感じられない。

 全てを信用する事ができなくとも、わずかにでも互いを思えなければ話は進まないのではと蘭の疑問は深まる。

「信用しなければ、相手も返してはくれないんじゃないの?」

 徐々に増していく不安に耐え切れない蘭が思わず口にすると、セルアは諦めたように瞳を陰らせた。

「俺達はその信用を持ち合わせちゃいねぇんだよ……ユージィンの案に従いはしたが、俺は駄目だと思ってる。それを表に出しちまったら、最初からシェラルドに負けている。だから強気な事も言うが、本心ではねぇよ」

 ここへ来る道中、セルアは誰よりも自信を持った発言をしており、蘭はそれに勇気を貰い信じて来た。それが、ただの虚勢だと言うのか。

「駄目だと思ってるって……ユージィンだって」

 シェラルドの人間だ。ここでの会話は乗り合いに施された術の為に外へは聞こえない。しかし、だからと言ってはっきりと口に出せる内容ではなかった。

「ユージィンはあいつと一緒にいる所を見ているからな……信用できるとは思っている。それはシェラルドとは別物だ」

 ユージィンと姫、二人を見て来たからこそセルアは信用している。それは互いを知るきっかけがあったからなのだろうと蘭は思う。

 そして、そうしたきっかけを持たないシェラルドを信用する事はできないのだ。

「ユージィンと一緒に少しでもシェラルドを信用しようとは思わない?」

 わずかでも希望を持って欲しいと願う蘭へ、セルアはすぐに言葉を続ける。

「ここへ来た意味があると信じてぇが、俺には無理なんだよ。それだけのものを見て来てる。現に今、外へ出ているユージィンは戻って来ねぇ。何かしら揉めてるってこった」

「揉めてる?」

 確かにユージィンはアンヘリカに到着してすぐに外へ出ていた。姫は全てが整った後に出て来れば良いのだからと、セルアを残し一人で出て行ったのだ。

「俺達の為に場を準備しているアンヘリカの奴と会っているはずだが遅過ぎる。まあ、最初からすんなり行くはずもねぇがな」

 セルアは蘭の両手を開放すると、不愉快そうに自身の髪をかき上げ大きく息を吐く。そして一呼吸置いた後に笑った。

「ランはもっと危機感を持て。ちょっとはましになっただろう?」

 そうして見せる意地悪そうな顔はここへ来る道程でも目にしたものであり、蘭は目を数度瞬かせる。

「どこまでが本気なの?」

「全部が本気だ。俺達は博打をしてるって事を忘れるな」

 表情は柔らかいものの、セルアの目は確かに笑ってはいないようだった。



 普段のように他愛のない会話をする余裕もなく、蘭とセルアは乗り合いの中に座っていた。時折蘭が不安を口にし、セルアも否定はせずに危険を示唆する。

 そうしていると外にいる兵がセルアを呼ぶ為に顔を覗かせ、蘭はただ乗り合いの主として堂々とくつろぐという芝居を必要とされた。どうやら誰かがやってきたらしく、身元の確認を求める発言にセルアが渋々立ち上がる。

 面倒くせぇと呟きながらセルアが乗り口の布から顔を覗かせれば、蘭の元へも聞き覚えがある声が届く。あくまで閉め切る事が前提であり、隙間さえ作ってしまえば外の音は聞こえるものだった。

「アンヘリカの使者としてラン姫へのお目通りを願います」

 声は間近ではなく少々離れた位置から聞こえているらしい。セルアの後姿のみが見える為に状況はわからないが、すぐに助け船のような言葉がかけられる。

「そいつは確かに今回のアンヘリカの使者だ。俺もユージィンも知っている。入れて構わないぞ? 何かあったら俺がふっ飛ばすから気にするな」

 セルアの発言により周囲がざわめいたらしい声が聞こえた。蘭はどうしたのだろうかと思いつつもおとなしく座り、見知った人物が入って来るのを待つ。

 その後もいくつかのやり取りが聞こえ、どうやら本物らしいという台詞と共にようやくクロードが中へと顔を覗かせた。

「アンヘリカの使者としてこちらへ参りました。失礼させていただきます」

 普段とは全く違う口調で話すクロードは、ゆっくりと乗り合いの中へ足を入れ膝を着く。

「お初にお目にかかります。ウィルナの姫ラン様」

 そのまま丁寧に頭を垂れた姿を蘭はただ見つめる事しかできず、クロードは小さな笑い声と共に立ち上がった。

「お前、何やってんだ?」

 セルアが驚いた表情を見せれば、クロードは不満そうに口元を歪める。そして、小声でここの声って外には聞こえるの? と普段の調子で聞く。

 中の声は聞こえねぇよ、とセルアが返事をするとクロードは安心したと言わんばかりに背伸びをした。

「オレだって普段は仕事もしているし、それなりの事はできるよ。まあ、実際はウィルナの姫様にここまで丁寧な口を聞いたらマルタに怒られるかも。ランだから許されてるって感じかな?」

 いたずらでもしたように笑みを浮かべるクロードへ、セルアが呆れたらしい眼差しを向ける。

「本当に何事かと思ったぞ。アンヘリカではあいつに対して膝を着く必要すらねぇからな。まったくふざけやがって」

「折角ランが姫様の代わりをしてるんだし、オレもそれっぽく振る舞ってみたかっただけさ。乗り合いの中も全然違うし、気分的なものかな」

 ウィルナ城の中へ入ってしまえば、姫のふりをしている蘭へは誰もが今のクロードと似た対応をしてきた。しかし、実際はアンヘリカの者はそうした動きをしないらしい。蘭には理解できない状況のまま二人の会話は続けられたが、クロードは突然こちらを向いた。

「ラン、いらっしゃい」

 それは姫として振舞わざるを得ない蘭への唯一の歓迎の言葉だった。ここから先は誰もが蘭をウィルナのランとして扱うのであり、自分自身である事を主張できるのは今だけのはずなのだ。

「うん、五日ぶりだね」

 まだ姫を演じる必要はないと蘭は素直に頷く。

 今回の話はウィルナだけで準備を行なう事はできない。その為にもクロードは屋敷へ何度も訪れ話をしていた。さすがに全てを任せるわけにはいかず城内へ入らねばならない時にはマルタも来てはいたが、クロードは重要な役目を請け負ってくれている。

「屋敷では見慣れていたけど、アンヘリカで見ると不思議な感じがするな。でも、今日は仕方ないしね」

 クロードも状況が許さないとわかっているのだろう。口調は普段通りだが触れる動作は見られない。先程の堅苦しい印象ではないものの、アンヘリカの使者である立場は崩さないらしかった。

 誰かが顔を覗かせる可能性も零ではない。やはり自分もある程度はランでいるしかないようだと姿勢を正す。

「何かあって来たんだろう?」

 セルアが一つの座席を指差せば、クロードは素直にそこへ腰を下ろし頷く。

「現状報告ってとこかな。とりあえず、ヘンリク王子がごねてる」

 そうして口にした内容は予想内のものであり、セルアが冷静に言う。

「やっぱりな。それで、どんな感じだ?」

「オレ達が準備した場所が気に入らないらしいよ」

 ウィルナとシェラルドが会う為の場を用意する。それはアンヘリカとしてもかなり気を使うものだったらしい。どこへ不満をぶつけられるかがわからず、それを極力避ける為にはなるべく中立な状況を作り出すほかなかった。

 まず、場所をどうするかとなり、二箇所ある入り口のどちらかへ極端に近くなるのは避けようと決まった。しかしアンヘリカはちょうど中心に位置する土地は広場しかない。両国との関係を色々と考慮した結果、シェラルド側の門よりの広場に最も近い家屋を選び、住人には申しわけないが転居してもらったらしい。

「今回だけで終わるとも限らないし、しばらくの間は空いている家に入ってもらってるんだ」

 そうして確保した室内へはどちらの国製でもないアンヘリカのテーブルや椅子を運び入れ、何かを隠す事ができるような物も置いたりはしない。

「なるべく文句が出ないように気を使ったんだけどね。危ない物なんて何も置いてないし、豪華さがないのは仕方がないと思わない?」

 簡素過ぎると思える程に最低限の物しか入れない。それはその家屋へ足を踏み入れる者に対して害をなす物がなく、安心してテーブルを囲めると示す為であった。

 それはシェラルド側にも伝わっているはずなのだが、ヘンリクは納得していないらしい。

「アンヘリカはウィルナ寄りだから信用できないって事か?」

「そういう事。本当は何かを隠してるんじゃないかって言ってる。ただ、難癖つけたいだけじゃないかな?」

 足をぶらぶらと揺らしながら話すクロードは不満気であり溜息を付く。セルアも同じく表情をかんばしくないものへと変え、髪をかき上げた。

「面倒くせぇ奴だな……それで、そっちは誰が対応してる?」

「マルタしかいないよ。基本的に接点がないんだから」

 積極的にアンヘリカへ交流を持ちかけたウィルナの者を見知っている人物はそれなりにいたが、シェラルドはヘンリクが気まぐれに訪れているだけである。面識はあったとしても友好的な部分は存在しない。

 だからこそヘンリクへ顔を見せるのは代表者であるマルタとなり、こちらへはクロードが来るほかなかったらしい。

「こっちに来るのも本当はオレより適任な人がいるんだけど、今回はランの事があるからってマルタが押し通したんだ。向こうが片付いたらマルタも一度来るはずだよ? さすがにオレだけとはいかないからね」

 アンヘリカの中でクロードの位置取りは代表者のマルタと共に暮らしている人物というだけであり、決して代わりを務められるものではない。しかし、蘭が姫の代わりをしている事を知っているのはクロードとマルタのみ、他は使えなかったのだ。

「アンヘリカにもだいぶ負担をかけちまってるな」

 マルタの苦労を思ってかセルアは表情を歪めるが、クロードはそんな事はないと首を横へ振る。

「それは構わないよ。マルタも始めは渋っていたけど、ランが代わりに出るのならそれもいいのかもしれないって言ったんだから」

「わたしが?」

 蘭は黙って話を聞いているばかりだったが、思わぬところで自身の名を出され聞き返してしまう。

「そう。ランはアンヘリカの意志を読めたんだから、きっと良い事に繋がるんじゃないかって納得してる。周りには言ってないけど、話を知ったらたぶん皆そう言うと思うよ」

「そう……なんだ」

 笑って話すクロードを見つめながらも蘭は考える。ウィルナの人々が先視みの力と共に姫を信じるように、ここの人々は遠い昔から伝わるアンヘリカの意志を読めた蘭を信じているのだろう。

(ただ、板に刻まれた契約文字を読んだだけなのに)

 蘭は自分がウィルナだけの代表ではなく、アンヘリカでも同じなのだと嫌でも思わされる。

「そんな顔をしないでラン。オレは側にはいられないけど、何かがあれば助けるよ。アンヘリカとしてよりも個人として」

 どんな顔をしていたのかはわからないままに、蘭はクロードへ瞳を向け笑みを浮かべようと努めた。

「ありがとう。でも、何も起きないのが一番だけどね」

「確かにね」

 そう言うとクロードは立ち上がり、今度はセルアへ視線を向けた。その表情は嫌に真剣であり、蘭は何事かと見上げてしまう。

「ここへ来る前にユージィンと話したけど、最悪外で会う事になるかも……って言ってた」

 帰るのかと見せかけながら思わぬ事を口にしたクロードに対し、セルアも立ち上がり声を荒げる。

「外だと? むしろそっちの方が危ねぇだろうが! 向こうが何か考えてるって事か?」

「ユージィンも同意見だったよ。マルタがかけ合うだけじゃ望みは薄いかもしれない、気をつけて」

 そう告げるとクロードはこちらへ一瞬だけ笑みを向け、厳しい面持ちで乗り合いから出て行ってしまう。

 その姿を呆然と眺めていた蘭は、アンヘリカへ着けばどうにかなるだろうと考えていた事が甘かったのだとうつむく。

「……やっぱり上手くはいかないんだね」

 セルアは苛付いているらしい足取りで座席へ腰を据え直し、片手で頭を押さえる。

「いや、まだ始まったばかりだろう? 簡単に話が進む間柄じゃねぇんだ。だがな……」

 どのような状況でヘンリクと対面するのか、蘭の不安は増すばかりだった。



 相当な時間を置いてユージィンは戻って来た。

 アンヘリカとの打ち合わせや同行して来た兵の配置を決める為に行動していたらしいユージィンは、はっきりと疲れの見える様子で腰を下ろす。普段の余裕の笑みが見られないのだ。

「大丈夫?」

 お帰りなさいや、どうだった? と聞くよりも先に蘭の口からはこの言葉が飛び出し、ユージィンは表情をわずかにだが普段のものへと近づけた。

「色々とあるものですね。私の責任が大きいとはいえ、ヘンリクには困らされます」

 溜息混じりの発言に、セルアが聞く。

「何があった?」

 するとユージィンは困ったように視線を泳がせた後に告げる。

「さすがに表で会う事になろうとは思いませんでしたね」

 それだけは避けたいと思っていた事が現実になったと蘭は声を上げた。

「クロードが言ってた通りなの?」

「伝えてくれていましたか」

「ああ、最後の最後にさらっと言って帰りやがった」

 セルアの言葉を聞いたユージィンは、仕方がありませんよと苦笑する。

「ある程度の覚悟を決めてもらう為に私が言付けたのですが、時期を計るのが難しかったのでしょうね」

「あの時点で決まっていたのか?」

 覚悟を決める為にと言ったユージィンへセルアが鋭い視線を向けたが、返って来るのは穏やかな笑みだ。

「いいえ。あの時点ではまだマルタがかけ合っていました」

 首をほぐすような動きをしているユージィンへセルアが強く言う。

「それでもほぼ本決まりだと思ってたんだろう?」

「おそらくそうなるのだろうとは思いましたね、今言われるよりはずっと良いでしょう?」

「そうかもしれないけど」

 蘭はそう呟きながらも、戸惑いは隠せない。

 わずかでも早く聞いた事で心を構える時間があったようには思える。しかし事態が大きく変わりもしないのだ。

「どっちもどっちな気もするがな。なら、場所は決まったのか」

 こちらの気持ちを汲み取ったかのようなセルアの台詞に、蘭は思わず頷いてしまう。

「これでも気は使ったのですよ?」

 ユージィンはそう言いながら、一枚の紙を懐から取り出し三人の中心に来るように広げた。両手を広げた程の大きさのアンヘリカの地図であり、ユージィンは一箇所をしっかりと指差す。

「ヘンリクはこの町の中で最も開けた場所、ここで民を集めた上なら会おうと言っています」

「アンヘリカの民を集める? 何の為にだ?」

 地図を覗き込み、ユージィンへ目を向ける事なくセルアは告げる。

「何の為かはわかりません。とにかく私達とヘンリク達の周りを囲ませるようですね」

「囲む……か、互いの兵は?」

「その中には入れないそうです。代表の数は互いに五人となっています」

 話をしながらもセルアの瞳は指差された場所以外へも向けられ、何かを考えているらしかった。指が地図上をなぞるように動き、それは時折止まり、また動き出す。

「五人か、俺達以外は誰になる?」

「サイラスとデールになりますかね」

「妥当なところだな、それなら文句も出ねぇだろ」

 この場合の文句を言う人物とは、ウィルナ王宮内の者を指していた。姫を中心に上手く配置されているのだろうと蘭は思っていたのだが、どうしても不満を表す人間は出てくるらしい。

 その事例ならばこうなるはずだと口を挟む、セルアに言わせると頭の固い連中となる人達の事だった。

「これは罠だぞ? それでも行くのか?」

「そう思いますか?」

 はっきりと言ったセルアへユージィンが聞き返すと、明らかに苛付いた声が放たれる。

「明らかにそうだろうが! アンヘリカの奴らが人質になる可能性が高い。それを楯にヘンリクは何を要求してくるか……ってとこか?」

「それがわかっているのにアンヘリカの人達を集めるの?」

 危険を知りながらも集める行為は無謀なのではないかと告げれば、ユージィンはただ笑みを返してきた。

「マルタがそうと決めれば出ないわけにはいかないでしょう。彼女は断ると思いますか?」

 蘭は思わず押し黙ってしまう。

 アンヘリカの意志を読んだ自分がいる限り、マルタはそれに賭ける可能性が高いだろうと思わざるを得ない。今回の話を受け入れた理由は、蘭がいるからなのだと先程クロードが言っていたのだ。

 ユージィンは何も言う事のできない蘭へ言葉を続ける。

「ランはアンヘリカの意志を知り、何かを成すと考えているようです。きっと皆が集められる事でしょう。おそらく危険は承知していると思いますよ?」

「わたしがいるから……」

 予想はしていても、蘭にとっては重荷だった。いったい自分に何ができるのか? どうしてもただここにいるだけだと思ってしまう。

「ユージィン、あまりランに負担をかけるな」

 表情を曇らせた蘭を見たセルアが告げれば、ユージィンも言い返す。

「しかしこれが現実なのですよ? アンヘリカの民は過去にいたというアンヘリカの意志を大切にしている。長く受け継がれていた板の契約文字を読んだ事により、どうやら指し示しているのはランらしいと認識したのです。ならばそれにすがるのでしょう。二国の先視みと同じように」

 国を治める者が持つ未来を知る力。それと同じように信じられているアンヘリカの意志。

 全く違うもののように見えて、これらに関わりはあるのだろうかと蘭は考える。なぜアンヘリカの人々はあんなにも小さな板を信じる事ができるのか。

「先視みと同じ……」

 呟きながら地図を眺める蘭の頭をセルアが乱暴に撫でた。どうしたのかと見上げれば、随分とつらそうな表情が浮かんでいる。

「何もかもがランに集まる今の状況は、本当に意味があるのか? ユージィンの先視みはどうなってる?」

 セルアの言う全てが蘭に集まっているという表現は正しいのだろうか? 確かに自分をきっかけに物事が動き、今この場にはいる。だがそれはセルアもユージィンにも当てはまるのではないのか?

 心配そうに見つめてくるセルアを見上げながら蘭は疑問を抱いたが、それを口にする前にユージィンが言った。

「私も……未来が陰るのならば止めたいのですが、ランにもセルアにも未来は明るく見えます。先視みを信じるなら、これは正しい流れなのでしょう」

 ぼんやりと遠くを見るように、こちらへ顔を向けているユージィンの瞳には何が映っているのだろうか。明るい未来とは先視みとは何を指し示しているのか、意味までを図り知る事はできない。

 先視みが大丈夫だと表すのなら、信じるほかはない。それはウィルナもシェラルドも同じであって、アンヘリカの意志を信じるこの土地の人々にも通ずるものだ。

「本当に先視みを信じていいの?」

 見えないものを崇める行為に蘭が不安を漏らすと、ユージィンも困ったように眉を下げた。

「信じたいですね。ですが、これから会うヘンリクの未来が陰っているのは少々気になります」

 瞼を閉じ考えるユージィンへ、セルアが疑うような眼差しを向ける。

「さっきヘンリクを見たって事か?」

 すると、はっきりと首を横へ振ってユージィンは答えた。

「いえ、以前会った時に変わらぬ未来を持っていたので、今日も変わらないのであろうと思っているだけです」

「悪い未来を持っている人間に会う事は、本当に正しいのか?」

 セルアの意見は最もだった。全員の未来が明るいのならば先へ進めるのだろうと思える。しかし、ヘンリクの未来は暗いという。

 それが何を意味するのかとセルアは問うが、誰も答えなど知りはしない。

 ユージィンもその件に関しては引っかかりを覚えているらしく、すぐに言葉を返してはこない。

 じゅうぶんな時間を置き、呼吸を整えるように一息ついてから告げた。

「……ヘンリクは生まれながらにして陰っていた存在です。あれは環境が要因であり、変える事が可能だと私は思っています。ランとセルア、二人の未来が陰らなければ大丈夫だとは思いませんか?」

 見える本人ですら確信が持てないらしい内容に、セルアは呆れた表情を浮かべる。

「思いませんかじゃねぇだろうが! 見えもしねぇ俺達にはわからない」

「そうですね」

 ユージィンもそれを承知しつつ引く事もしない。

「何と言われても未来は明るく見えるのです。それを……信じてはくれませんか?」

 蘭とセルアの未来は素晴らしく確かな先を抱いていると、ユージィンには思えるらしかった。

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