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七章.孤と個の隙に揺れる(終)

 先程の感情に蘭自身が戸惑っていた。

 理由もわからずこの部屋で目覚め、形ばかりではあるが姫の代理をする事になり、そのまま暮らしてしまっている。見知らぬ土地に一人で放り出されなかっただけでも、蘭の待遇は悪いものではないのだろう。

 いや、良いと言った方が正しい。存在の意味があると言われ、大切に扱われている。

 蘭もそれを受け入れ、時期を待てという言葉を信じ今日まで過ごしてきたのだ。

 普段ならとうに眠りについている時間なのだが、どうにも眠れず蘭は一人ベッドの上に座り込んでいた。

 そして目の前には赤い表紙を持つ本を置き、当てもないままゆっくりとめくる。

 魂、欠片、失う、断片的な言葉が頭に浮かんでは消える様はやはり不思議だった。読んでいるという意識が全くないままに浮かび上がる単語は、確実に蘭が無関係ではないと語っているように思える。

「わたしが魂の欠片」

 だから読めるのだろうと思わざるを得ない上に、いくらめくり続けてもそれ以上の言葉が浮かぶ事はなかった。

「そしてユージィンと姫様が先視みを持っていて、それを手に入れる為に差し出したのが魂の一部」

 その魂の一部と自分に関わりがあるのだろうかとも思うが、仕組みがわからない。どうしたら魂の欠片というものが仕上がるのか、そもそも魂とは欠く事ができるのか。疑問が重なるばかりである。

 姫によって呼ばれたとは言っても、本当なのかもわからない。姫が身篭った事で蘭が呼ばれたのではないかとユージィンとセルアは言ったが不確かなのだ。そうなる過程があったとしても、全く別のところに真実が潜んでいる可能性もあるはずだった。

 何より、何故妊娠をきっかけにこの世界へ呼ばれなければならないのかも不思議だ。

「ユージィンと姫様が分かたれたもの、失われた欠片はわたし……?」

 だから何なのか、情報は集まっているようで肝心な事はいつもわからない。

「どうしてここにいるんだろう」

 答えが出ないままの疑問は蘭の中に常にあるものだ。

 来たばかりの頃に比べ、この世界の事も幾ばくかではあるが知れた。そして知り合いも増え、以前よりも心細いと思う事も少なくなっている。

 しかし先程、気にしないでいようとしていた事が突然、本当に思いもしない程急に押し寄せて来たのだ。どうしようもない不安が蘭の中には渦巻いている。

 寂しさと不安で泣きたくなった事も、涙を流した事も幾度もあった。だが、今回のようにセルアやユージィンの前で表に出す事は、随分前からなくなってしまっていた。初めの頃は騙されているのだと疑いながらに不安をぶつけていたが、最近では皆が答えを探しているとわかっており道を探す方に躍起になっていたのだ。

 アンヘリカで契約文字を読み、蘭は自分がここにいる理由を知れると思った。そこから帰る為の何かが現れるのだろうと期待を抱きながら過ぎしてきたのだ。

 しかしその後に出会った契約文字は、ウィルナの姫の為のものだった。更にはユージィンも読めるという事実が現れた事により、先視みの所有者へ向けた言葉なのだと嫌という程に思い知らされてしまう。

 自身がいる理由や帰る方法に直接繋がる文章ならば良かったと思いつつも、これまでならば新たな道があるのだろうと強くいられるはずだった。どうしてこんなにも急に不安は蘇ってしまったのかと蘭は一人戸惑い続けている。

 二人とも驚いた事だろう。しかし、そう思っても我慢できずに言葉は溢れ出てきた。

 ユージィンの迷っているという表現は当たっていると蘭は思う。

 ただ、自身が何に迷っているのかはわからない。

 帰りたいとは思っている。しかし、本当に帰らねばならないのか。半年以上もここにいると考えると向こうで蘭の扱いはどうなっているのだろう。捜索願いを出されているのか、両親や友人達は何を思いどう過ごしているのか。

「もし帰れたとしても……どうなるんだろう」

 異世界で過ごしていました。

 それが通じるとはとても思えない。

「でも、帰れるってわかってないし、ここにずっといるのかな」

 ならば、蘭はここへ定住する事について考えなくてはならないのだ。

 それはあまりにも両極端な選択肢な上に、自分で選べるとはとても思えない。

 そして、選ぶという言葉に改めてセルアとクロードの件を思い出す。

 どうせ帰るのだからと思いつつ可能性は零じゃないという返事をしたあの時の自分は、今のように悩んだりはしなかったのではないだろうか。ウィルナへは一時的に滞在しているのであり、思い入れを抱くなどとは欠片も思ってはいなかった。

 だからこそ深く考える必要もない程に二人の事に興味も持たずにいられたのだ。

「せめて帰れるか帰れないか、はっきりすればいいのに……?」

 蘭は無意識にそう呟き驚く。

 一瞬何かが脳裏に浮かんだ気がしたのだが、正体を自身で掴む事ができない。そんな感覚に戸惑いながら、手にしている本を強く握り締める。

 はっきりしたならば、いったい自分は何をするのか?

 どうにもまとまらない感情に蘭は頭を抱えたくなり、力なく溜息をつく。

「自分の事もわからないや」

 そしてまた答えが出る事もなく、ぐるぐると回り続ける疑問を考え始める。

 早く眠りたいと思いながらも今日に限って眠気は一向に訪れてはくれず、蘭はひたすらベッドの上で本を抱え過ごす事になった。



 翌朝、セルアが気分転換に街へ行かないかと訪ねて来た。最近は仕事も多く外出する余裕がなかった事を考えると、わざわざその為に時間を作ったのだろう。

 しかし、蘭は出かけられるような状態ではなかった。

 ソファに座りながら目元に濡らした布を載せている姿に、どうしたとセルアは聞いては来たが無理やり取るような真似はしない。

 布に覆われ見る事はできないが、側にセルアが歩いて来たであろう気配は感じられる。布を手で押さえたまま声がする方向へ顔だけを向けた。

「今日は無理」

 簡単に答えれば、ふわりと蘭の頭に手が載せられた感触がする。

「わかった。……今日はもう来ない方がいいか?」

 緩やかに撫でる仕草に心地良さを覚えながら蘭は首を横へ振る。

「夕方くらいには何とかなると思うから、その後ならいつでもいいよ」

「一人で大丈夫か?」

 そして詳しい事を聞かぬまま大丈夫かとたずねてくるセルアに、蘭は小さく笑みを零す。 

「うん、大丈夫。一応ユージィンにもそれまで来て欲しくないって伝えてもらえる?」

「ああ。何かある時はハンナに言えよ?」

 最後に髪を乱す程に大きく撫でると手は離され、セルアが部屋を出て行った事が扉の閉まる音でわかった。

 すると蘭は今ならば大丈夫だと、瞼の上の布をそっと外す。目元の熱を吸い取り温もったそれを、ハンナが用意してくれた器の中の水に浸し硬く絞るとまた瞼に当てる。

 昨夜は結局眠れず、ああでもないこうでもないと考えてばかりだった。そうしているうちに自然と涙が溢れ、流れ始めると止まらないそれに困りながら朝を迎えてしまったのだ。

 腫れぼったい瞳のままぼんやりとベッドにいるばかりでは駄目だと朝方に着替え、水を求めて厨房へ向かいハンナに遭遇した。

 泣きはらした顔を見てどうしたのかと心配をしてくれるハンナに、何だかわからないけど泣いちゃったと蘭は答えた。その曖昧な発言をどう受け取ったのかはわからないが、必要な物は運ぶとハンナに告げられてしまい部屋に逆戻りし今に至っている。

 さすがにこれでは出かけようがないと、蘭は小さく息を吐いた。

 何だかんだとセルアは優しい。昨日の様子を見てわざわざ外出しようと考えてくれたのだろうと思いながら、蘭は布の冷たさを感じようとする。

 そして、明日は出かけられないのかを聞いてみるのも良いと思いつき、早く瞼の腫れが引かないかともう一度布を水へ浸す事にした。



 今日もウィルナは晴れだ。

 蘭が知る限りでは晴れ以外の天気など数える程しか見ていない。数回曇った空を眺めた事はあったが、雨に至ってはただの一度きりだった。ウィルナは術の効力で雨すらも振り落とす事を許してはおらず、雨粒は透明な魔力の天井を伝い国を覆う大きな壁の外へと水を流していた。

 しかし水は貴重な為に壁際から回収はされているようなのだ。やはり見慣れぬ場所なのだと思わされた時を蘭は振り返る。

 刺さる程に熱いはずの日差しも魔力に遮られ焼ける心配すらない。ウィルナの街は今日も賑わい、蘭は雑踏の中をセルアと共に進んでいた。

 はぐれるのが心配だからと無理やり腕を組む格好で歩かされているが、今更気にする必要もない。自分を必ず守ってくれるのだろうと信頼し、この時を楽しもうとしていた。

 昨日再び屋敷へやって来たセルアにかけ合った結果、今朝は早くから露店巡りをする事が決まったのだ。難しいのならば諦めるとも思っていたが、蘭が夕刻まで屋敷へ入る事を拒んだ為か作業は常よりもはかどったらしくセルアはあっさりと外出を認めてくれた。

「んー、久しぶりかも」

 蘭は果物の汁を凍らせた菓子を購入し頬張る。程好く甘い薄い青の粒が口内で溶けて気持ちが良い。以前、どうやって凍らせているのかと不思議に思い聞いたのだが、姫が気まぐれに作り出した術が応用されたものらしかった。

 満面の笑みを浮かべた蘭につられてか、隣にいるセルアも笑う。

「それ好きだよな」

「うん、一番かも」

 溶けてしまう菓子の為、どうしても自ら町へ足を運ばなければ食する事ができない。その上、露店はいつも同じ位置に開かれているわけでもなく営業時間も曖昧だった。出会えるかどうかは運と言えるような状況がウィルナではあるべき姿なのだ。

 昨日はいなかったのかもしれない、そう考えると今日である事に意味があったと思える。

(だからわたしはあんなに泣いたのかも)

 蘭はそう考える事にし、言い表す事のできない不安に無理やりだが蓋を被せた。

 考えてもわからないのなら、とにかく今を過ごすしかない。心の内で言い聞かせながら、菓子を口に運び飲み下す。

 そして、それを綺麗に平らげると今度はセルアの腕を引っ張り別の店を探し始めた。

 どこか空元気な気がしなくもなかったが、このままいつも通りになればいいと思える。自身の置かれている状況の終着点は誰にもわからないのであり、気を晴らす事でしか逃れられないのではと蘭はとにかく楽しみを探した。

 そんな自分をセルアがどう考えているのかも気にはなったが、おそらく詳しくは聞いてこないだろうと蘭は思う。昨日も気遣ってはくれるものの、深く追求しようとはしなかった。こちらが言い出さない限りは踏み込んでくるつもりがないらしい。

 とにかく二人で色々な店を巡る。それが今日の目的なのだ。

「あれ可愛いかも、ね?」

「そうか?」

 蘭の指差した先は、日の光を浴びて輝くアクセサリーの並べられた店だった。

 様々な色の金属や石を使われた小物達は、どれ一つとして同じ物がない。例え同じような姿をしていても、手作りであるそれは微妙な違いが見て取れた。

 食べ物も良いが、身を飾る品を眺めるという行為だけでもじゅうぶんに楽しめると蘭は目を輝かせながらそれらを見つめる。

「俺にはどれも一緒に見えるぞ?」

 しかし、隣で小物達を見下ろすセルアの表情は不思議そうだ。どうやら全く興味のない品物らしいと蘭は小さく笑う。

「見るだけでも楽しいんだよ」

 そうして様々な方向へ目を走らせ好みの品を探そうとし始める。

 するとそこへ声がかけられた。

「なら、こんなのはどう?」

 あまりに聞き慣れた声色に蘭は慌てて真横を見る。

「クロード!」

 いつの間にか隣にはクロードが立っており、右手には商品が一つ握られているらしい。

「なんでお前はそう町中で現れる?」

 セルアが仏頂面を向ければ、クロードも不服そうに声を上げる。

「町を出歩いてる率で言ったら、絶対オレの方が多いと思うけど?」

 そして、視線が蘭とセルアの腕へ向けられた。

「はぐれない為なんだろうけど、気に入らないな。ま、今はそれよりもこれ」

 そう言って蘭の目の前に差し出されたクロードの手のひらには華奢な腕輪が載せられており、蘭は指先でそっと触れ持ち上げる。次に己の手のひらに載せ、じっくりと眺めた。

 極細い銀色の輪は単調な円ではなく、緩やかな楕円だ。それを幾重にも重ね、その一つ一つに淡い色の石が幾つもぶら下げられている。

 光の加減により色を変える不思議な石を見た蘭は、たちまち目を輝かせた。

「凄く綺麗!」

「だよね」

 薦めてくれたクロードを見れば少し得意気な笑みを浮かべ、腕輪を蘭の手のひらから取り上げてしまう。

「どうしたの?」

 折角見ていたのにと残念がる蘭へ、クロードは告げる。

「前に何か買ってあげるって言ったからね、これにする」

 すると、あっという間に会計を済ませ蘭の左手首にそれははめられた。

 見ているだけでじゅうぶんに楽しめたのだが、自分の物になるとは思ってもいなかったそれに蘭はうっとりと瞳を向ける。

「ありがとう」

 そしてすぐにクロードへ礼を言うと、少し恥ずかしそうに言葉を返された。

「どういたしまして」

「んじゃ、行くぞ」

 こうした様子を黙って見ていたセルアが急に腕を引いた為、蘭がそちらを振り向くと明らかに不機嫌そうな表情を浮かんでいる。

「どうしたの?」

「別に、なんでもねぇよ」

 大した返事もしないまま店から離れようとする姿に蘭が首を傾げていると、クロードがわざとらしく笑う。

「セルアも少しは小物にでも興味を持ったらいいんじゃないかな?」

「うるせぇな、邪魔しやがって」

 深く眉間を寄せたセルアを見たクロードが更に楽しげな笑い声を上げる。

 蘭は二人のやりとりに目を大きく瞬かせながらも、これこそが日常だったのかもしれないと思い至る。

 セルアとクロードが言い合い、今は叶わないがユージィンが二人を仲裁する。時折ハンナも交えながら皆の会話は続いていくのであり、蘭はその中で暮らしていたのだ。

 こうして三人となった露店巡りは度々セルアとクロードがいがみ合ってはいたが、それなりに楽しく蘭は久しぶりにたくさん笑う事ができた。

 後はもう屋敷に帰らなくてはと帰路へ着こうとすると、普段は気にならないはずの話し声が妙に気になり蘭は振り返る。

 騒がしい街の中ではいつも様々な会話が飛び交っており、それらはいちいち気にする必要もないはずだった。

 だが、今はそうはいかない不穏な言葉が飛び込んで来たのだ。

 ウィルナとシェラルドの間で戦いが起こる、と。


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