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六章.孤がまみえるは虚実(四)

 ユージィンは厳しくクロードを問い詰めるのではないかと思っていたのだが、どうやらそこまではしないらしいと蘭は胸を撫で下ろしていた。

 アンヘリカへ来る機会の多かった蘭とセルアでは、温情なしに接する事などできないだろう。ユージィンはそうした発言までしていたのだが、端的に聞いていく姿からはそれほどの冷酷さは感じられなかった。

 沈んだ表情を変える事なく頷くクロードは、どこへ視線を向けるでもなく簡潔に答える。

「蘭がヘンリク王子に斬られそうだったのは覚えてる。でも……その後はもうあの後だったから、よくわからない。気付いたらオレは、苦しそうにしているランの前にいた」

 どうやらクロードは蘭が右腕を斬られた瞬間すらも覚えていないらしい。短剣を手に割って入った動きすらも記憶の中には存在していない。

「その間にも結構な時間があったでしょう? 本当に何も覚えていないのですか?」

「……何となくだけど、ランがいなくなるのは嫌だなって思ってた気はする。でも、それはその間ってよりはその前な気もするし、なんかぼんやりしてたっていうか、動いてはいたけど何も考えてなかったのかもしれない」

 そう答えたクロードの言葉に蘭は、ユージィンがウィルナで口にした内容を思い出す。

 蘭が死んでしまう事と、死なないという言葉に何か接点があるのでは? 確かにユージィンはそう言った。そして、それに通ずる言葉を今クロードが口にしたのだ。いなくなるのは嫌だという表現は、死に繋がっているように感じられる。

「ランが死んでしまうのでは? そう考えたのではありませんか?」

「そう、かもしれない」

 曖昧に答えたクロードへ、いつもならばからかったり強い言葉ばかりを向けるセルアが静かに声をかけた。

「俺は、ランが死ぬかもしれねぇと本気で思った。お前だってそうじゃねぇのか?」

 声音はおとなしかったが、瞳はいつも通りに鋭いセルアに見つめられたクロードは一気に表情を強張らせる。

「……そんな、気がする。ランが死ぬ、いなくなるのは嫌だって思った」

 申しわけなさそうに俯いていたクロードの瞳が蘭へ向けられたが、今のそれはどこか虚ろだ。セルアとユージィンが顔を見合わせ、小さくだが頷いた。

「ですがランは死ななかったでしょう? それでも貴方はどう思いましたか」

 そして、畳みかけるようにユージィンが告げると、クロードの視線は迷いがあるのが酷く落ち着きを失ってしまう。

「ランが死ぬところは見たくない……けれど、それは――それは、駄目なんだ。駄目なんだけれど、駄目なんだけれど」

 そう繰り返すと、今度はぴたりと動かなくなる。呟いていたはずの口元も、遠くを見つめるような瞳も瞬きすらせずに、まるで時が止まったかのように固まってしまったのだ。

「クロード、大丈夫?」

 不安を覚えた蘭が声をかけてもクロードの反応はない。ぼんやりとした表情で、何を考えているのかも掴めはしない。

「これか、原因は」

 セルアが溜息混じりに言えばユージィンも頷く。

「そのようですね。さて、どうしましょうか? 原因は見えたようで、根本はわからないようにも思えますが?」

 首を絞められた瞬間を思い出させるクロードの姿に戸惑う蘭は、何かに納得したらしい二人を見比べる。そして、正面にいるマルタが酷く眉を寄せているのに気付く。

「これで何かわかったってのかい?」

「全てがわかったわけではありませんが、クロードはランが死ぬかもしれない。そう思いあのような事をしでかしたのでしょう。それは当たっているはずです。見たくないと言っている事から、過去に誰かの死を目の前で見ているのでしょうか?」

 ユージィンの発言に、セルアは髪をかき上げながら嫌そうに口を開く。

「人死にはアンヘリカの奴らはほとんどが見てるだろうよ」

「そうなりますか」

 過去の状況を知っているセルアと知らないユージィンの会話を聞きながら、マルタが言葉を漏らす。

「確かにアンヘリカにいる人間のほとんどは見たくもないものを見ているよ。あたしだって思い出したくもない」

 そのマルタの表情は蘭が今まで見たどれよりも辛そうに感じられた。

「貴女にまで嫌な思いをさせてしまいしたね。しかし、クロードの行動の原因は誰かの死だと考えたくなるのですが?」

 ユージィンも気にはなったらしいが話が止まる事はない。必要があるのだと推し進められる。

 マルタは構わないよ、ここの連中はそういった過去ばかりだからねと言うと、すぐにクロードへと話を戻す。

「親の死に目を見ているのは確かだけれど、あたしは状況を知らないよ? 必要なら情報を得る事もできるかもしれない……ただ、あまり口にしたいとは思わない内容だね。そして必ずしもそれが原因とは限らない。他にもたくさん目にはしているはずだからね」

 マルタやクロードが目にした光景がどんなものかを蘭には想像する事はできない。考えを巡らせたとしても思い浮かぶのは映画やドラマで目にした映像であり、現実として見るものとは違っているのだろう。そう思いながら、意見を述べる。

「その話をする事で他の人も嫌な過去を思い出すんでしょう? そこまでしなければならないのかな」

 クロードをどうにかしたいのは確かだが、今出ている案が正しいとも言い切れない。

「確かにあまり根掘り葉掘り聞くのは気が引けますね。……今はランの身に危険が迫らなければ大丈夫だと思うほかないのでしょう。もしかすると時期があるのかもしれません」

 ユージィンの意見にセルアがはっきりと表情を歪めた。

「これもか? ……何でも時期が来りゃどうにかなるもんだと本当に思ってるのか?」

「わずかながらでも情報は得ていると考えるべきです。とにかくランを危ない目にあわせなければ、こうはならないのでしょう?」

 いまだにぼんやりと視線を泳がせているクロードをユージィンが示し、セルアが不信感を露にした眼差しを向ける。

「危なっかしいのには変わりがねぇ」

「確かに心配だね、一体何が原因だっていうんだか」

 そうして大きな溜息をついたマルタがクロードの頭を一つ叩くと、たちまち瞳に光が戻る。

「痛い。何するんだよ」

 そして何事もなかったようにマルタを見つめている姿は、本当に止まっていた時が動き出したようにすら見えた。

「このぼんやり癖をどうにかしたいんだけどねぇ」

 マルタの言葉を聞きながらクロード以外の全員が深く頷くと、当の本人は何の話なのかをわかっていない為に首を傾げながらぼやく。

「いったい、何の話をしてるんだよ。突然叩くし」

 結局クロード自身もわからない、周りもわからないという状態で結論を出す事はできなかった。しかし、思い返す限りクロードは愛着のある者程傷付ける傾向があり、そのきっかけは死に繋がっているのであろう事はわかった。しかし、それが何を意味しどうする事でクロードが抜け出せるのかはわからない。

「とにかく、根性でどうにかなんねぇのか?」

 無責任なセルアの発言だったが、ユージィンは首を捻る。

「気の持ちようで変わるのなら良いのですが……。まあ適当に誤魔化す癖をやめるのは勧めますがね?」

 何か気に留まる内容だったらしく、クロードは少し不機嫌そうに口元を歪ませた。

「最近はそうでもないよ。前はわざとしてたとも言えるから」

 全体の流れはわからないでいるが、どうやら誤魔化すという言葉に反応したらしい。そして、何気ないクロードの発言にマルタが声を荒げた。

「そのわざとにどれだけあたし達が困らされた事か!」

 しまったと表情を変えたクロードが、気まずそうにマルタに視線を向けながら言う。

「オレだって自分がした事を忘れるのは怖い。覚えてる事もなかった事にして誤魔化せば少しは楽になれるかと思っていたけど、実際はそうじゃないって思ったから止めたんだし」

「……クロード」

 呟くよう告げられたクロードの言葉に蘭が思わず名を呼べば、久しぶりの笑みが向けられる。

「ランに会ってから何かが変わった気がするんだ」

 蘭は以前、マルタにクロードが変わるきっかけを与えたと礼を言われた事を思い出す。本当に屋敷へ忍び込もうとした一件はクロードに何かの影響を及ぼしたのだろうか? それとも本人が言う通り蘭と出会った事に意味があり、何かを変えさせてしまったのか。

 確かに出会った頃に比べるとクロードの様子は違うとも思えた。しかし、蘭が知るクロードの姿などわずかなものとしか言えないはずだ。自身の行動すらも忘れてしまうと言うべきか、それとも無意識と呼ぶべきなのかもわからない癖のようなものを知ったのすら最近なのだ。

 はっきりと変化を感じ取れているのかは、蘭には正直わからない。

「最近は少しばかりだけど、変わったとは思うんだけどねぇ」

 長年見て来たマルタが言うのだから本当なのだろう。クロードは何かが変わった、もしくは何かを変えつつあるのかもしれない。

 何も言わずに見つめたままの蘭を不思議に思ったのか、クロードが少し照れたように目を伏せる。

「なんか、また普通にランと話せる気がして来た」

 そして、そこへ反応を見せるのはセルアだ。

「何調子に乗ってるんだ。お前なんてランの側に置いておけねぇよ」

「さっき根性でどうにかならないかって言ったくせに! 本当にどうにかしてみせる」

 突然自信を取り戻したクロードの頭へ、容赦なくマルタの拳が飛ぶ。

「あんたのその性格も問題なんだよ」

「酷い!」

 涙目になりながらも訴えるクロードの姿を見た蘭は思わず笑ってしまう。以前の姿に戻ったと表現できる様子には、どこか安心させられる。

 解決とまではいかないも、クロードが普段に近い様子で会話ができる状態にはなった。それだけでは何も変わっていないのかもしれない。しかし、とにかくそういった癖のようなものがあると認識できただけでも良いと考える事で、ひとまず話はまとまった。



「とにかくクロードと二人きりになるのは駄目だって事だな」

 二階の一室でセルアはベッドに陣取りながら手招きで蘭を呼ぶ為、側まで椅子を動かし腰かけながら同意する。

「仕方ないもんね」

「なんだよ、残念なのか?」

 二人でいるいないではなくクロードの様子が心配な為の発言だったのだが、セルアは不機嫌になってしまう。

「そういう意味じゃなくて、あのままじゃクロードが大変じゃない。これからもずっと無意識で行動する事を気にしながら生活しなきゃいけないんだよ?」

 これからと言うよりは、今までもなのだろうと蘭は思う。クロード自身がずっと思い悩んで来たからこそ、覚えている事すらも誤魔化していたに違いない。

「その理由が今ひとつわからねぇから、どうしようもないんだろうが」

 セルアは蘭の側にクロードがいない事を焦点としているようだが、本当に気にすべきはそこなのだろうかと溜息すらも零したくなる。

「ランの側にクロードが来る事も問題ですが、私は彼の存在にすら本当に意味があるのかと思っていますよ?」

 存在に意味があると不思議な物言いをしたユージィンへ蘭が聞く。

「どういう意味?」

 ユージィンは腰へぶらさげていた剣を外しテーブルの上へ置くと、側にある椅子へ腰を下ろしていた。以前は帯剣する事なく来ていたのだが、今回は身を守る物も必要ですと言い持ち込んでいたのだ。

「ランがここにいる理由、その中に彼は含まれるのでしょうか? 確かにクロードによってアンヘリカへ来る事ができ、情報も得ました。しかし、それ以上の役割はあるのか? という事です」

「役割って……会う人全員に意味があるとユージィンは思うの?」

「極端とは思いますが、そうではないかと疑っています」

 少し曖昧な表現をしたユージィンへ、セルアが眼差しを向ける。

「今までの出来事全てに意味があるのなら、ランが怪我をしたのも何もかもって事になりクロードの存在にもじゅうぶん意味があると捉えるしかねぇだろうが」

「まあ、そうなるのですがね」

 苦笑したユージィンへ、セルアは適当な事言いやがってと不満気に呟く。 

 仮に全てに意味があるとしたならば、確かにクロードだけを外すとはならない。むしろ、クロードが関わった事によって事態は動き始めたとも取れるのだ。

 その旨を伝えると、ユージィンとセルアは共に頷く。

「そうなるのでしょうね。ならば今のクロードにも意味があると捉えるほかはありません。きっと何かに繋がるのでしょう」

「確信できる要素は何もないのにか?」

 全員が信じ切れていない状況では、はっきりとした会話は進まない。

「これまでもそうやって来たでしょう? 信じる事で道が開けると思うだけです」

 ユージィンはどこか芯のある口ぶりであり、蘭は本当に意味があってクロードがあの行動を取ったのではないかと思ってしまう程だった。

「意味がある……わたしがいる事も、クロードがいる事も、全部」

 蘭が呟くと、セルアが腕を伸ばし静かに髪に触れてくる。

「なら、その中でも俺に意味があるだろうな。一番ランの側にいられる」

 そうして笑みを向けて来るセルアに、蘭は思わず笑いながら言葉を返した。 

「そういう事じゃないでしょう?」

「そういう事にしとけよ」

 軽くふざけたセルアの発言に、ユージィンも笑う。 

「本当にセルアにも私にも意味があり、すべき事が存在するのかもしれませんね」

 答えなど何も見えないままに、すべき事があると言う姿は不思議なものだった。しかし全てはどこかへ繋がっていくのではないかと思えるような感覚が、蘭の中には確かに存在していた。


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