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六章.孤がまみえるは虚実(三)

 アンヘリカの乗り合い場に降り立った蘭とユージィン、セルアの三人は突き刺さるような日差しに目を細めた。だが、それもすぐにセルアの施す術によって抑えられ、気に留める必要もなくなる。

「結局、結構な時間が経っちまったな」

 クロードのいる宿を目指し歩みを進めながらセルアが言えば、ユージィンは仕方がないでしょうと口を開く。 

「丸三日空けるのは大変なのですよ? また以前のように突然では周りも不信がるでしょうし」

 ユージィンが城から離れる事は本当に難しいものらしく、蘭がアンヘリカへ来るのは約三月ぶりになる。仕事を前倒しにしつつ僅かな時間を積み重ねて手に入れた三日間は、必ず何かを得なければならないと思わされる程に貴重なものだった。

 そしてそれだけの期間が空いたにも関わらず、クロードは一度も姿を見せてはいない。蘭はほとんどの時間をセルアと屋敷で過ごし、時折街へ足を向ける生活を続けていた。

 更には姫として数度執務室へ赴き、ユージィン、セルアと共にまるで業務をこなしているかのように過ごす時もある。ウィルナには姫が健在であり変わらず国政を行なっていると思わせる為にも必要な事らしく、定期的にしなければならないと言い含められ足を運び続けていたのだ。

「こっちも変わりはなさそうだな」

 のんびりと先を目指しながら、セルアの瞳は様々な方向へ向けられる。アンヘリカは蘭から見ても以前と何ら変わらないように思えた。

 先程から幾人も久しぶりだと声をかけては来たが、ソニアの事には触れるもののクロードの件は一切出てこない。それは皆が知らないのか、それともマルタによって抑えられているのかは判断ができなかった。

「すっかり顔見知りが増えたみたいですね」

 次々に声をかけられる蘭へユージィンが見せる表情は驚きであり、隣にいるセルアは笑う。

「ここでのランは慕われてるぞ。アンヘリカの意志が読めた上に子供一人を助けたって具合にな」

「なるほど。どちらも真実ですし、誰にでもできる事ではありませんからね。契約文字の効果もあるのでしょうが、まるでウィルナにおける姫の状況に似ているようにも感じられますね」

「わたしの場合はそんなに凄いものじゃないよ?」

 姫のようにウィルナとアンヘリカ間に乗り合いを走らせたのでもなく、先視みによる処刑を止めたわけでもない。ただ成り行きで期待されているような、おかしな状況と言うべきなのだ。

「まあ、規模はどうあれ似てるとも言えんじゃねぇか?」

「セルアまで?」

 蘭の手を掴みながら歩くセルアを見上げれば、仕方ねぇだろなんか似てんだからと告げられた。

「私は悪い事ではないと思いますよ? 色々と便利そうですしね」

 ウィルナにとって利点があるという意味なのだろう。ユージィンは蘭とセルアがアンヘリカの民と会話をする姿に、感心したように頷いている。

「あんまり期待されるのって嫌なんだけどな」

 姫に似ているからと代わりをし、アンヘリカの意思が読めるからと想いを込めた視線を向けられてしまう。決して蘭が何かをしているとは言えず、どうにも落ち着かないのは相変わらずだった。 

 そうやって会話をしながら歩いて行くと、目的地の宿が目に入って来る。セルアは辿り着くと扉をためらいなく開き、中へ声をかけた。

「クロードはいるか?」

「急にそれはないでしょう?」

 そう言ったユージィンと共に中を覗くと、目の前の食堂はまだ昼には早い時間の為か数人の男女がいるばかりで閑散としていた。

 突然扉が開かれた事に全員がこちらを振り返る。その中には見知った顔もあり、蘭の姿を認めるとすぐに奥の厨房へいるらしいマルタを呼ぶ。

 大きく返事をしたマルタが足音を立てて現れ、入り口でセルアとユージィンに挟まれる形で立っている蘭へ駆け寄る。そして、今までにない程の勢いで抱き締められた。

「よく来てくれたね! もう会えないかと思ってたよ」

 セルアもユージィンもマルタは害がないと考えているのか、それとも疑った上でそうさせているのかはわからない。だが、二人共が何も言わずさせるがままにしている。

 苦しい程の力が込められてはいたが、マルタはすぐに蘭を解放し視線が首へと向けられた。

「傷は大丈夫かい?」

 いつもなら嬉しそうに笑みを見せるマルタの表情が曇っていたのはその為かと蘭は納得し、しっかりと頷く。

「すっかり大丈夫。腕には痕があるけど、問題ないよ」

 本当に問題なく腕は動いた。しかし、傷痕が完全に消える事はない。引きつった痕はおそらくこのまま残るだろうと思っているが、こればかりはどうしようもなかった。

 マルタは蘭につられてか表情を崩し、三人を中へ迎え入れた。セルアと二人ではない時点で何か用件があると思ったのか、室内にいる全員を外へと追い出し中央のテーブルを囲むように勧められる。

「ユージィンがいるって事は話があるんだろう? まあ、あたしも想像はついてるつもりだよ」

 そう言いながら厨房へ入って行くマルタは、わずかな時間を置くと飲み物を手に戻って来た。どうやら蘭の嗜好に合わせ全員が同じ物になっているらしく、以前好きだと言った木の実のジュースがなみなみと注がれている。

 ここへ現れた時と同じく三人は並んで腰かけていた。蘭の左にユージィン、逆にはセルアがいる。マルタは蘭の真向かいに座り、真剣な眼差しでこちらを見つめていた。 

「クロードのした事は本当に済まなかったね。そして、ウィルナにも」

 そうして両隣の二人にも視線を向けたマルタへ、ユージィンは無表情のまま言葉を返す。

「その本人にお会いしたいのですが?」

 棘のある言い方に聞こえたが、マルタはただ静かに頷くだけだ。

「わかってるよ。クロードはもうじき帰って来るだろうから、待っとくれ」

 この言葉に三人は顔を見合わせる。てっきりアンヘリカにいるとばかり思っていたのだが、どうやら違ったらしい。

「クロードはウィルナへ行ったんだよ」

 申しわけなさそうに告げるマルタへ、蘭は驚きつつも聞く。

「ウィルナに来てたの?」

「あの時からだと、今回は二度目だね。最近ようやくウィルナへ行けるようになったんだよ」

「ランに怪我を負わせた人物をウィルナへ向かわせたと?」

 ユージィンの冷たい瞳を受けつつも、マルタはしっかりと言葉を紡ぐ。

「クロードにはウィルナへ行ってもらわなきゃならない仕事もあるからね、何もせずにここへ置いておくわけにはいかない。今までは一人で行かせていたけれど、前回と今回は同行者をつけたよ。クロード自身も一人ではウィルナへ行きたがらなくてね、おそらくクロードの方が相手から離れようとはしないはずさ。ランのいる屋敷だってセルアの許しがなければ入れないって話じゃないか、じゅうぶんに守られていると判断させてもらったよ」

「私達の所へ顔を出さない条件でウィルナへ行かせましたか……少々気にはなりますが、それはそれで構わないでしょう。ただ、クロードのした事を私は黙って見過ごすつもりはありませんよ」

 蘭がクロードへ会う事は好ましくないと言いつつも、ウィルナへ向かっているのは許せるらしい。

 あれだけアンヘリカへ行く気はないと言っておきながらのこの口ぶり、蘭は実際ユージィンがどのように考えていたのかがわからないと思いながらも、今は会話を見守るだけだ。隣にいるセルアも椅子の背もたれに寄りかかっているだけで口を挟む気はないらしい。

「あたしもさすがに放っておくわけにはいかないと思っていたよ。けれど、原因がわからないんだからどうしてやったらいいのか困るばかりさ。閉じ込めておけば解決するっていうもんでもないだろうしね」

 ユージィンの言葉をある程度予測していたのか、マルタは頷きながら本当に困ったと溜息を付いた。

「セルアとランにも聞きましたが覚えていないというのは本当なのでしょうか? にわかには信じられないのですが」

 マルタを見定めるかのように見つめながらユージィンが言えば、更に深い溜息が零れる。

「ユージィンの言う通りだよ。自分がした事を覚えてないってのはあたしの中にはない。ちょっとしたうっかりとかは除いてだよ? ただ、クロードを六つの時から見ている身としては本当だとしか思えない。いや、思えなくなった、が正解だね」

 この宿はアンヘリカで親を失った子供達を集め共同生活をしている。それはずっと続けられて来た事であり、マルタ自身もそうしてここで暮らすようになったらしい。一度は宿を出て外で生活もしたが、再び戻りまとめる役目に着いたらしい。

「ある程度の年になったらここを出て、一人で暮らすなり所帯を持つなりするのさ。そして、誰かがここに戻って代表を務める、それだけの事だよ。たまたま今はあたしなだけで、数年置きに代わるもんだ。ここで暮らした人間は大勢いるからね」

 その慣例からすると、クロードはもう宿から出ているべき年齢らしい。思い返してみると十代後半から二十代らしき人達の出入りはあるが、常に宿にいるのはマルタと同じくらいの年齢と年下である子供達ばかりだった。

「あの忘れてしまう事さえなければ、とっくに出してやってる。どうしても気になっていまだにここに置いてしまっているんだよ」

 アンヘリカは決して広い場所ではない為、町中の誰もが懇意ではないとしても顔見知りである。そして何かがあればあっという間に噂は広がってしまう。

 蘭はあなたが魂の欠片と告げる板を読んだ時と、怪我をし見舞いにたくさんの民が訪れた件を思い出し、そうなのだろうと素直に聞き入る。

 しかしクロードが宿で暮らす前にそういった噂は聞かなかったらしい。マルタはクロードの両親ともそれなりに仲が良かった。他にも親しい人物は数多くいた。だが、誰一人としてそのような話を聞いた事がなかったという。

「その時あたしはここで暮らしてはいなかったが出入りはしていたし、何だかんだと子供達をたくさん見てきたよ。気難しい子や意思表示が苦手な子、すぐに手を出したりと色々いたもんさ。しかし、それも個性だ。皆それなりに大人になって巣立って行ったよ。クロードもそれに足りるだけの能力は持っているはずなんだけどね」

 それでも自信を持って出してやれるかと言えば、躊躇してしまうらしい。

「あれだけはどう考えても危なっかしいからね。自分が執着するもの程、傷をつけてしまう節がある」

「執着するもの程ですか?」

 口に出したのはユージィンだったが、蘭も同じように思いセルアは隣で眉根を寄せている。

「可愛がっていたり、気に入っているものを壊したり傷つけたり、そう頻繁ではないけれど……少ないとも言えないかねぇ」

 マルタはこれまでの事を思い返しているのか更に表情を重くさせると、ユージィンが問う。

「人以外でも構いません。何かを殺してしまった事はあるのでしょうか?」

 するとマルタは苦虫を噛み潰したように顔を歪ませる。

「可愛がってた動物を殴り殺した事があるらしいよ」

「可愛がってるならどうして殺す必要があるんだよ。おかしくねぇか?」

 セルアの意見はもっともだった。どうして、可愛がっている生き物を殺してしまう必要があるのだろうかと蘭は頷く。

「そうなんだけどね。どうしてそんな事をしたのかはわからないよ? あたしは聞いただけでその場を見ちゃいない、そしてクロードは覚えていないんだからね。ただ、暴力を奮うクロードを見たって奴はいるんだよ。否定はできないね」

「覚えていない……ですか」

 前例があったとしても、本人が覚えていないのでは得るものが少な過ぎた。どのような過程でクロードはそうした行動を取り、命すらも奪ったのかがわからない。

「その後のクロードは相当泣き喚いたらしいけれど、それは自分の行ないを覚えていないでただ死んでしまった事を悲しんでいたって言うからよくわからない。本当に自分が思ってもいない事をしてるみたいなところが困ってるんだよ。ランに対しても首を絞めたいだなんて思っていなかったんだろうね。さすがに人を殺しそうになった事はなかったし、クロード自身も相当参ってるよ」

 説明をしているマルタ自身もどこか参っているのではないかと思わせる程に肩を落としており、やはりこれは真実なのだろうかと蘭は思ってしまう。

「結局はわからない、という事ですね。さて、どうしたものでしょう」

 ユージィンが眉を寄せると、マルタは本当に困ったと再び嘆く。

「間もなく本人が帰って来るはずだから、色々と聞いてみるといいよ。クロードも断りはしないはずだ。ランを目の前に逃げ出すような真似はさせないよ」



 マルタの話を聞いてもこれといった情報を得る事はできず、とにかく今はクロードを待つしかないと四人は当たり障りのない会話をしている状況になっていた。誰もがクロードに対する疑問を色々と口にはしたが、どれ一つとしてどこかへ辿り着くという事もなくわからないの繰り返しばかりだった為、自然と会話はそれてしまったのだ。

 そうしている間にもウィルナからの乗り合いはアンヘリカへ到着していたらしく、扉は当然のように開かれた。

 待ち望んだ人物が現れたのかと全員が入り口へ目を向ければ、取っ手を掴んだまま立ち尽くすクロードがいる。

「ラン……」

 声が聞こえはしなかったが、そう呟いたかのように口元が動いた。

 これまでなら満面の笑みを浮かべ蘭の元へ駆け寄って来たはずのクロードは、そのまま微動だにしない。隣には同行していたと思われる男が立っており、中の様子を確認すると共にマルタへ視線を向ける。

「お疲れさま、見ての通り今は立て込んでるんだ。悪いけどしばらくは他へ行ってくれないかい?」

 マルタが告げると、男はわかったよとだけ答え宿の外へと去って行く。その間にもクロードは何も言わずにこちらを見つめていたが、今はぼんやりとしているのではなく困った表情を浮かべ、入るべきか否かを迷っているようだった。

「クロード、あんたはここへ来な」

 自身の隣を指差すマルタにクロードは更に困り顔になりながらも、開けられたままの扉を閉める。しかし、こちらへ足を向けるまでには至らないらしい。

 クロードは首を絞めた事に対する感情で足を進められないのだろうと蘭が立ち上がれば、隣に座るセルアに腕を掴まれた。

「何をするつもりだ?」

「クロードをここまで連れて来るだけだよ、そのくらいいいでしょ?」

「そのくらいってな」

 簡単に告げた蘭に対し、セルアの表情は厳しい。

 クロードが近づいてこないのならば、こちらから向かえば良いだけの話だと蘭は告げる。

「今の状態なら危なくないでしょう? セルアもユージィンもマルタだっているんだから」

 するとユージィンが溜息をつく。

「ランの感覚には少々戸惑いますね。……仕方がありません、彼をここまで連れて来て貰いましょう」

 止められるとばかり思っていた蘭は驚いてユージィンを見返し、声を上げるのはセルアだ。

「ユージィン!」

「何かを見極められるかもしれませんし、危ない時は貴方がどうにかするのでしょう?」

 冷たい瞳を向けられたセルアが一瞬押し黙り、その後に蘭の腕を開放する。

「……何かあったらクロードだけ吹っ飛ばしてやるよ」

 物騒な台詞を受けながらも蘭はクロードの元へ行く事を許され、本当にそうした事態にはならないで欲しいと祈りつつも歩みを進めた。

 たくさんの歩数は必要もない位置にクロードはいる。近づいて来る蘭を見つめながらも表情を曇らせている姿は、落ち込んでいるのだろうと思わされた。以前の表情が読めなかった時とは違う、きっと普段通りのクロードなのだと蘭は目の前で足を止め見上げる。

「久しぶりだね」

 笑いかけた蘭へクロードの青い瞳は曖昧な笑みを浮かべて寄こす。違和感を覚えさせない雰囲気に、蘭はクロードの手を掴み引こうとしたが拒まれる。

「オレには触らない方がいいよ」

 悲しげに瞳を伏せながら腕を後ろへまわした姿に、どうしたものかと蘭は思った。しかし、今ここでクロードの意見を聞いているばかりでも仕方がないと、無理やりに二の腕を掴みしっかりと力を込める。

「大丈夫だから、向こうまで一緒に行こう」

 それでもクロードの足は先へ進もうとはせず、困ったように触れられている蘭の手に視線を落とした。

「また……何か……したら?」

 自分自身すらも信用できないと言いたげな姿に、蘭は問いかける。

「何かするつもりなの?」

 するとクロードは慌てながらも否定を寄こす。

「そんなつもりはないよ! 絶対ない」

 これを聞いた蘭はそうだよねと言いながら頷き、もう一度クロードの腕を引く。

「なら問題ないじゃない。とにかく向こうに行って話をしよう。ここなら大丈夫でしょ?」

 何が起きても止められる人物がいるのだと、蘭はこの場の安全性を訴えた。クロードはこちらに危害を加える気などないと告げている。しかし、問題なのは本人の意思とは関係なく、勝手に行動をしている点なのだ。不安を減らす方法でしか納得できないのかもしれない。

 昔よりクロードを知るマルタ、術という武器を持っているセルア。誰よりも疑うような素振りを見せているユージィンと思惑は個々で違っているはずだ。それでも二人きりでいたあの瞬間とは大きく違っている。

 ぐいぐいと腕を引く蘭に観念したのかクロードはゆっくりとだが歩き出し、そのまま付き従うようにマルタの側へ向かう。

「座りな。クロードも辛いのはわかるけれど、おそらくこれはあんたにとって必要な事だよ」

 そう言われ頷いたクロードは席へ付く、表情はやはり暗く俯きがちのままだ。 

 今クロードを席に着かせ話をする事に意味があるのかはわからない。だが、このままにしておいて解決するとも思えないのだ。とにかく少しでも何かを得る事が必要だと、誰もが自身に言い聞かせているような雰囲気に蘭の表情もわずかにだが曇る。

「マルタの話を聞く限り、貴方は本当に覚えていないのかもしれません。ですが、何も聞かないわけにもいきません。思い出せる限り話していただきましょう」

 口火を切るのはユージィンであり、容赦しない瞳がクロードを見つめていた。


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