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五章.孤の秘匿と影(二)

 屋敷へ戻った三人を出迎えたのはハンナとユージィンだった。

 ハンナが顔を見せるのは当たり前だが、ユージィンがいるのは想定外だ。先程セルアが言ったように仕事を終えた夕食後に現れるとばかり思っていた。

 屋敷にいるというだけでも驚くというのに、わざわざ玄関まで出てきた点も違和感を抱かせる。ハンナ以外が出迎える事など今までにはないものだった。

「またお城にでも行くの?」

 昼前から屋敷にいる事は珍しい為、また城へ向かわなければならないのかと思った蘭にユージィンは苦笑する。

「私にも仕事が少ない日はあるのですよ? そろそろ帰って来る頃合だと思い来たというのに酷いですね」

「ごめん、珍しいと思って」

「本当にそうだろうが、ユージィンがこの時間に用事もなしにいるなんて雨でも来るんじゃねぇのか?」

 何故かセルアは眉を寄せながらユージィンを眺め、不審がっているような素振りすらも見えた。

 ハンナが抱き締めながら迎えてくれる為、屋敷に着くとセルアもクロードも蘭から離れている。しかしその挨拶も済んでいる今、セルアは再び蘭の腕を掴んだ。引き寄せはしないがどこかは触れていたいらしい。

 その仕草を見た為か、ユージィンが笑い声交じりに告げる。

「そこまで言いますか?」

「それだけ珍しいってこった。こんな所で話していても仕方がねぇ。部屋に行くぞ」

 セルアが蘭の腕を掴んだまま歩き出し、引きずられるように続くとクロードもそれに倣う。三人が固まるように動く後ろに数歩遅れてユージィンがおり、ハンナは先に奥へと戻って行った。

「そういえばオレがさっき来た時もユージィンが出たから、結構前からいたみたいだな」

 クロードが呟き、蘭とセルアは振り返る。

「そうなんだ」

「今日は朝から空いていたのですよ」

「何か用事があって来たのか?」

 セルアの問いにユージィンは口元に人差し指を当て、意地悪そうに笑う。

「秘密です」

「気持ち悪ぃな」

 そのまま渋面を作ったセルアが扉を開ければ、室内は見知ったものとは違っている。

「どうしたの? これ」

 蘭は思わず声を漏らし、部屋中へ目を走らせた。

 何故か室内に花が溢れているのだ。床や棚、とにかく豪華に活けられた花が所狭しと置かれている。皆がくつろぐソファとテーブル周辺のみを残し、花畑かと思う程の空間になってしまっていた。

「そういう事か……今いるのはランだぞ? しかも、やり過ぎだろうが」

 どうやらセルアは何かを承知しているらしく、ユージィンへ目を向ける。

「それはわかっていますが、こんなにも似ていると同じかもしれないでしょう? 折角なのでこっそり準備してみました。ランの生まれはいつ頃です?」

「生まれ?」

「ええ、姫は本日で二十歳になられるのですよ」

 その為に並べられたのかと納得しつつも、蘭はこれまでの日数を思い出そうとする。

 蘭は十月生まれだ。そしてこの世界に来た時向こうは五月、それから何かと時が進み五ヶ月は経っているだろう。そのまま考えると。確かに誕生日を迎えているのかもしれなかった。

 ここは四季がないらしく常に暑い、毎年秋風を感じながらその日を迎えていた為か全く思い出しもせずに過ごしていた。それに加え、生まれた日を考えるよりも気にしなければならない事が多かったとも思う。

「こっちに来てからの日数で考えると、そろそろなのかもしれない」

 蘭の認識している一年がこの世界にも通用するのかはわからないが、確かに常ならば一歳年を重ねたと言える期間だった。

(そういえば、年も一緒だったんだ)

 容姿が似ているだけでもじゅうぶんに驚いていたが、細かな部分まで重なるのかと不思議に思いつつも目の前の会話は続く。 

「当たりかよ」

 セルアが花を避けながら室内を進み荷物を置いて告げれば、ユージィンが少し得意気な表情を見せる。

「私の勘は馬鹿にできませんよ」

「違っていたらどうする気だったんだか」

「どうもしませんよ。今日と本来の日、どちらも祝えば良いだけです。今日はどうしてもしなければならないでしょう?」

 ユージィンの物言いに蘭も気付く。毎年姫を祝っているのならば、身代わりの蘭もそれを行なわなければならないはずだ。こうして花を活けるという習慣があったのかと、数種類の花を見渡す。

「そりゃそうだな。俺はすっかり忘れてた」

 理由を聞きながらも蘭の側へ戻って来たセルアは首をすくめ、ユージィンは諦めたように肩を落とした。

「貴方はいつも覚えていないでしょう? 覚える気がないとも言えますが」

「仕方ねぇだろ? 興味がないんだ」

 ユージィンは少々嫌味を含んだらしかったが、セルアは気にする様子も見せずに答える。

 二人の会話を何となしには理解している蘭に対し、クロードは何の事かと不思議そうにしていたが、部屋の様子を見回しつつも一輪を手に取りしげしげと眺めている。

「とにかく、今日はランのお祝いって事でいいの?」

 蘭がウィルナの姫の代わりをしているとは理解している為、状況は把握できているらしい。違和感を覚えさせたのは、そろそろかもしれないと曖昧な言葉を口にした蘭自身だったのかと思っているとユージィンが返答をする。

「そうなりますね」

「だったら何か買ってこれば良かった。ユージィンもさっき来た時に教えてくれれば良かったのにさ」

 心底不服だと言いたげなクロードへ、ユージィンは冷めた瞳の笑みを浮かべるだけだ。

「貴方に告げてしまってはランに伝わる恐れがあるでしょう? それにこうして一緒に来るとも限りませんでしたからね」

「黙っておけと言われればオレだって言わないよ。知ってたら色々と準備できたのに」

 クロードは花を戻しつつ心底残念そうに言うも、すぐに満面の笑みを浮かべ蘭へ近づく。

「おめでとう!」

 これは祝いなのだと言わんばかりに抱き締められた蘭は、一応礼を述べる。

「あ……ありがと」

 しかしすぐさまセルアがクロードの襟首を掴み、無理やり引き剥がす。勢いよく引かれた為、クロードは呻き声を発しながら蘭を離すと苦しげに告げた。

「死ぬかと思った……」

 首元を抑えたまま顔をしかめているクロードに、蘭は声をかける。

「大丈夫?」

「大丈夫だけど」

 クロードが恨めしそうに睨む先にいるセルアははっきりと言う。

「面白くねぇ」

 このまま言い合いが始まるのではと思われたその時、ユージィンが声を張り上げる。

「いつも通りの光景ですが、とにかく今日は全員でここにいる事にしますよ? ハンナにもランが好きな料理を準備してもらっていますし、彼女も一緒に入っていただく予定です」

「ええ!」

 クロードが声を上げた。普段であればクロードは蘭をある程度独占できたが、今日ばかりは無理だとユージィンに言われ頬を膨らませながらこちらを見る。

「折角来たのになぁ」

 訴えるような眼差しに困り蘭が何も言えずにいると、クロードはすぐに表情を笑みへと変えた。

「まぁ、今日はお祝いだもんね。今度二人で町に行けないかな? 何か欲しい物買ってあげるよ」

 この切り替えの早さがクロードらしいと蘭が笑みを浮かべると、二人で出かけようと更に聞いてくる。

「それは駄目だ」

 すぐにセルアの反対意見が出されクロードはまたも不満を口にするが、そこにはユージィンも同意した。

「私も反対しますね」

 二人のきっぱりとした物言いにクロードは大きく肩を落とす。

「仕方ないのはわかっているけど、オレって信用ないな」

 その言葉にセルアは当然だと頷き、ユージィンはどこか怖い笑みを浮かべた。

「自覚はあるんじゃねぇか」

「そのようですね」

「酷い!」

 本当に酷いとクロードは思っているようだったが、蘭自身も信用しきれているかと問われれば難しい部分ではあった。



 砂漠から帰って来たばかりという事もあり、一度蘭以外は屋敷から外へ出ていた。ウィルナの姫の代わりをする為の身支度を済ませ、再び全員が集まったささやかなパーティは終わりを迎えている。

 クロードはそろそろ宿へ向かえと追い出されるように帰らされ、ハンナも後片付けを終え自宅へ戻って行ったところだ。

 いまだ花に覆われた部屋では蘭とセルア、ユージィンの三人がくつろぎながらも会話を行なう。

 姫は何かを貰う事を望む人ではないらしく、それに倣い特にプレゼントはなかったがこれだけたくさんの花に囲まれる事はない。それだけでもじゅうぶんだと蘭は美しい空間を眺め楽しんでいる。

 セルアが言うには、姫にこの部屋を見せたら怒られる程にユージィンは張り切ってくれたらしい。

 香りの弱いものばかりを集めたらしく、部屋の中はむせ返る程でもなく色とりどりの花に彩られている。

「本来なら生誕祭を行なうのですが、王が病に伏せってからは控えていたのですよ。姫自身が望んでそうしたのですが、残念がる声が多いですね」

 ユージィンの言葉に蘭はやはりと思う。

 一国の姫だというのに、こんなにも簡単に自室で食事をするばかりで良いのかと思っていたのだ。本来は盛大に行なわれるべきものらしかった。

「あいつの事だから、面倒だっていうのもあったと思うぞ? 大きく祝われるのは好んじゃいなかった」

 蘭の肩を無理やり抱き、寄りかからせながら告げるセルアにユージィンも同意する。

「そうした方ですからね」

「じゃあ、ここ三年はこうしてここで祝っていたの?」

「そういうこった」

「何もしないわけにはいきませんから、半ば無理やりですね。せめて城内が良いのですが、今回は助かったので悪くはなかったと考えるしかないのでしょう」

 正面に座っているユージィンが笑うと、セルアがまったくだと頷く。

「おそらく城には祝いだとして色んな品が贈られているはずだ」

「へえ。じゃあ、そういった物はここへ持ってくるの?」

「残念ながらここには収まりきりませんからね。城内で管理されるのですが、姫はあまり興味を持ってはくださらない。たまり続ける一方です」

「それはもったいない気もするね」

 そうなるとあまりに多い花も同様なのではないかと思い告げれば、これらは花瓶一つ分以外は全て明日運び出されてしまうらしい。

「この花々は姫の部屋に飾られた物として城下に振る舞うのですよ」

「振る舞うの? 何の為に?」

 するとセルアが届く位置にある花へ手を伸ばし、一輪を差し出してくる。

「国民のラン様信仰はなかなかのもんだからな。こいつを手に入れるだけでも大盛り上がりなんだぞ? あいつのいる空間にあったらしいと喜ばれる」

「ラン様信仰?」

 初めて出会う表現に聞き返しながら、蘭が黄色の花弁を持つ可愛らしい花を受け取ればユージィンが答えた。

「姫は先視みで国民を殺さないと示した上で、アンヘリカとの行き来も良くしたり、まあ他にも色々と変えました。私達が町で暮らしていた頃とは大きく違いますね。今までの恐れを含むものとは違った感情を持っているらしく、だからこそ小さな花一つにも皆は喜んでくれるようなのです」

 どうやらここにある花達は、一日置かれただけで随分と価値を変えてしまうものらしい。

「そんなに喜んでもらえるのに、実際にいたのはわたしって酷くないかな?」

 城に入った時にも見舞われた騙すという感情に蘭は疑問を抱く。しかし、二人共に気にする気配は見られない。

「気にする必要なんてねぇよ。場所は合ってんだから構わないだろ」

「ええ、むしろ私はいい機会だと思っていますよ。こうしてたくさんの花を振る舞った翌年は減らすわけにはいかないでしょう? 増えるのは喜ばれるので構いはしないのですよ」

 随分と楽しそうなユージィンの口ぶりに驚けば、セルアが笑う。

「あいつに対する嫌がらせって事か」

「失礼ですね。これまで民は更に多くをと望んでいたにも関わらず、姫はいらぬと言うばかりでした。戻られたならば、次は姫にもこうした部屋で過ごしていただく予定なだけです」

「それが嫌がらせなんだろうが。まあ、こうでもしなきゃあいつは受け入れねぇだろうし、いいんじゃねぇか? ランはむしろ貢献してるとも言えるんだ。気にするな」

 何やら思惑があったらしいと蘭は頷きながら、ふと思い出す。

「そういえば二人共、前は町で暮らしてたって事なんだよね?」

「どうしました?」

「そうに決まってるだろ?」

 当然だといった反応が返ってくるが、蘭は先程のユージィンの発言に引っかかりを覚えたのだ。

「なんだかユージィンって町が似合わない気がする。セルアはそうでもないかな? でも、ずっと今の姿じゃないなら、やっぱりおかしいのかも?」

 失礼な事を言っているとも思えたが、城以外の場所で暮らしている二人の姿が想像できず蘭は告げた。

「わからなくもねぇな、今となってはあっちで暮らせる気がしねぇよ。ユージィンが似合わないのは俺も認める」

 そしてセルアは声を上げて笑い、ユージィンは少々眉根を寄せる。

「貴方が城内に馴染んでいないだけでしょう?」

「ああ、そうだな。城にいる方が長くなっちまった俺よりも、ユージィンの方が馴染んでるのは確かだ」

「セルアの方がお城にいる期間が長いんだもんね」

「そりゃそうだろう。俺は十二からいるが、ユージィンは五年位か?」

「十九で仕官したのでそのくらいですね」

 確かにセルアは通常よりもかなり早く城に入っている上にユージィンよりも年上だ。よく考えると当たり前の事なのだが、何となく不思議に思えてしまう。 

「なんだかユージィンの方が長くいそうに思えるんだよね、ずっとお城にいましたって感じっていうか」

 ユージィン、セルア、ハンナ、三人以外の城の人間など知らないが、その中ではユージィンが最も異質さを覚えさせる。単にセルアの乱雑な口調との対比で際立っているのかもしれないが、どこか物腰の違いを感じるのだ。

「面白い事を言いますね。私だって普通に町で暮らしていたのですよ?」

 軽く笑いながら言ったユージィンに、セルアも頷く。

「まあ、ユージィンは異例の出世をした変人だ。こっちの方が向いてたんだろ」

「変人とはないでしょう?」

 少々引っかかりがあったらしいユージィンが強めに反応すると、セルアは鼻で笑う。

「それがしっくり来るんだよ。一年で王の側に控え、王が倒れてからは姫に付く、そうそうある例ではねぇぞ。まあ未来が良い奴は出世するようになってるからな、先視み通りとは言えるんだが」

「へえ……」

 その地位に就く為にどのような能力を求められるのかはわからない。だが、セルアの言う通りならユージィンは異例の出世を遂げたのだろう。ユージィンも自身で城内の作業に向いているような事を口にしていた。しかしそれだけではなく、影には努力があり今の位置に上り詰めたのかもしれない。更には先視みが良い人物はそうなるのだという、不思議な意見すらも付随しているのだ。

「セルアも姫付きには変わりありませんよ?」

「俺は姫付きと言うよりは、側にいないと生活できないだけだ。お前とは違う」

 自分だけが特別なのではないと言いたげなユージィンにセルアがきっぱり言い切ると、どこか不服そうな様子が見える。

「私にはどちらも同じに思えますがね。未来の良さだって変わりはしないでしょう? 姫はセルアの未来は素晴らしいものだと告げています」

「まあ、そう言われちまうと否定もできないが――俺達は特殊って事なんだろうよ」

 お互いの未来が良いと言いながら続けられていく会話は、とてもではないが蘭に理解できるものではない。先視みというものがある場所なのだと認識しているだけで、実際の効果を信じられるとは思えなかった。

 しかし否定する理由にもなりはしないと言葉に乗せる。

「先視みって本当に意味があるものなんだね」

「ええ、そうですよ。無意味とは言えない存在です」

「ああ、確かな成果は上げるもんだからな」

 二人は疑問もなさそうに思える返答をすると、城で暮らすようになるまでの経緯を説明し始める。

 ユージィンはウィルナの町で他の民と同じように暮らしていたらしい。そこへ仕官をしないかと声をかけてくれた人がいた。これはごく一般的な方法であり、大部分が周囲の推薦により城内へ入るきっかけを手に入れるらしい。

 現在では先視みの結果が悪くとも、殺される心配がない為に誰もが気軽に返事をする。しかし以前は即座に命を奪われるという危険が存在していたのだ。

 王の目に触れ悪い未来が見えたなら殺されてしまうと恐怖が強く、ユージィンは気乗りせずに初めは断ったらしい。しかし、ユージィンならば大丈夫だと何度も勧められ、結局は城へ仕える身になったという。

「その話をしている間に両親が事故で亡くなりましてね。何となく一人で家にいるのも嫌になって、承諾してしまいました。町で畑仕事をしている生活も良かったのですが、どうやら私にはこちらが合っていたようです。向き不向きはあるものですね」

 ユージィンが畑仕事をしている姿は想像しづらいと思っていると、セルアも同じように考えていたらしい。

「なんか似合わねぇんだよな。まあ、しっかりと出自がわからねぇ奴は城には入れねぇし、町で暮らしてたのは確かだな。そういやユージィンは農地に関する知識も豊富で、初めはそっちの担当だったな。しかも結果も出していやがる」

「そちらの方が長いのだから当然でしょう?」

 あまりにも似合わないと言われたユージィンは、どうやら少々面白くない様子だった。珍しくいつもの笑みがないまま話を続ける。

「もう住む事もありませんが、町の北側に家もありますよ?」

「家に帰ったりはしないの?」

 するとユージィンが不思議そうに目を瞬く。

「すでに別の者が住んでいるのですから、帰りはしませんよ」

「そうなんだ。じゃあ帰る家がないって寂しくはないの?」

「寂しいですか?」

 ユージィンは眉を寄せてしまい、まるでこちらの意図が伝わっていないようにも見える。

「だって、帰る場所がないんだよ?」

 そうなるとセルアにまで訝しげな瞳を向けられてしまい、蘭は戸惑う。

「おかしな事を言ってる?」

 確認するように二人を見れば、セルアが困ったように髪をかき上げる。

「ああ、なんか違うんだな。ランが自分の住んでいた場所へ帰りたいと思っているような感覚が、家にもあるかって事になんのか?」

「それはアンヘリカへ行って、そこからウィルナへ帰るという感覚ではありませんか?」

「それはそうなんだが、何か根本的に違うもんがあるように思えるぞ? ランの所では家が変わったりはしないのか?」

 蘭には二人の会話こそおかしなものに感じるのだが、どうやら本当に伝わってはいないらしい。

「引越しの事? 必要があればするけれど、持ち家があれば大抵はそこに住んでると思うよ?」

「持ち家? 個人的に所有しているという意味ですか?」

「そう、買った家があればそこに住むでしょ?」

 この発言で何かに至ったらしい。二人が頷くと共に、セルアが説明を始める。

「ウィルナでは新しく建物を造るなんてしねぇからな。住む場所があるという事だけが重要なんだよ。家族が多ければ一軒を割り振られるが、減ってしまい戻る見込みがなきゃ別な建物へ移動させられる。ユージィンの場合は両親が健在で妻を迎えて子供が増えるという前提がなきゃそのまま暮らせなかっただろうな。野郎一人だけが暮らすなんて状況にはならない。似たような奴らと暮らす為の家屋に分配される」

 どうやら家という物に対する感覚が自分とは違っているらしい。国そのものが蘭の捉える家という形に近いようにも感じられた。

「そういうものなんだ」

「ええ、建物は個人の物ではありませんからね。条件を満たせないのであれば退去する必要があるのですよ」

「数が決まってるんだから、うまく割り振らなきゃ困るもんね」

「空きなんてすぐに埋まっちまうからな。それだけ貴重な物を俺は吹っ飛ばし、残念ながら今は農地になっちまってる」

 過去に触れたセルアを見上げれば特に表情が変わってはおらず、むしろ視線を向けた事に対して眉を潜められてしまう。

 そうしてセルアの手が頬に触れると思えば、結構な力でつねられる。

「痛っ」

「気にしてんな。別に大した話じゃねぇよ」

「もう……なんでつねるのよ」

 するとユージィンが目を細めているのがわかり、セルアが何故か不機嫌そうに言う。

「ユージィン、続きだ続き」

「はいはい。セルアが住んでいたものは、唯一壊れた家屋になりますからね。一軒に使う魔力も相当な量ですが、それを破ったのは前例がありません」

「魔力って一軒毎にかけてあるの?」

 国中が魔力に覆われていると理解しているが、どのような仕組みなのかと聞けばセルアが答える。

「国全体、区画毎、家毎、幾重にもかけてあるが一番重要なのは家毎の部分だ。俺はそれを打ち消しちまったせいで粉々になっちまったんだろう。区画までに影響があれば近隣にも変化が見られるはずだが問題は起きちゃいねぇ」

「全部がなくならない限りは、どうにかできるって事?」

「どうにかできるって程ではないだろうな。家毎の魔力を失っても形が残っていればすぐには崩れないといった程度だろう。区画と国で保っている間に避難して、その建物は潰した方が他への負担が減りそうだな」

「じゃあ、区画と国全体は補強みたいに考えていいのかな? あった方がいいけどそれだけでも成り立たない感じ?」

「そういうこった。備えがあるに越した事はないだろ? 造ったのは大昔の奴だけどな」

 これでも大まかな説明なのだろうと思いながらも蘭は頷く。

 ウィルナは家屋を造る為に必要な石材を持っていない、今ある物を魔力で守り暮らしているのだ。国中に生い茂っている木々は建材として使えそうな大きさではない。おそらく国中の木を全て使って数十軒を建てるのが精一杯だろう。

 つまり、人口が増えると家屋が足りなくなってしまうという事だ。それをうまく解決していたのが、王の先視みによる人減らしに当たるのだろうかと蘭は思い口を開く。

「姫様が先視みで人を殺さないと決めて、戦争もしていないなら人は増えるよね?」

「そうだな」

 セルアはただそう答え、蘭は首を捻りながら更に聞いた。

「どうする気だったんだろう?」

 全てを口にせずともユージィンには伝わったらしい。

「おそらくアンヘリカを通して道を探すつもりだったのでしょうね」

 アンヘリカは魔力で守られていない。そうなると建物は定期的に直さなければならなくなる。その材料をアンヘリカは普通に買い付ける事ができる為、シェラルドから入手している。そこから更にウィルナへ運ぼうとしていたのだろうとユージィンは話を続け、セルアも頷いた。

「上手くいくかはわからねぇが、それしか道はないからな。それ以外にアンヘリカへ魔力を提供し結果を得る事でウィルナの国土を広げる方法を模索しているっていうのもある」

「国土を広げる?」

「ええ、豊かとは言えませんが魔力を必要としない土地を潤おす術が成功したなら、砂漠を人の住める土地へ導く方法が見つかるかもしれません。はっきりと耳にしたわけではありませんが、姫の考えはそこへ行き着くと思いますよ」

「じゃあ、このまま人が増え続けたら問題があるって事なんだよね? そう考えると、わたしは先視みで人を減らす事に意味があるように……ちょっとだけ思えるかな」

 正直口にして良いのかを悩む発言ではあったが、ウィルナが抱えている問題は随分と大きなものだと気づく事ができた。魔力を失って崩れ去るだけではなく、定員そのものが決まっている状況なのだ。それを変えようとしていた姫と関わりがあるのなら、気にするべきなのかと蘭は言葉に乗せた。

 何故か二人は驚いた表情を浮かべ、セルアが隣からこちらの顔を覗き込んでくる。

「お前はそういう考え方をしないと思っていたぞ?」

「勝手な理由で殺されるのは嫌だけど、それでも全員を生かそうとすると無理が出るんでしょう? それを回避するには……」

 仕方がないと言いたかったが、そうした理由で殺されてしまう人を思うと上手く口に出せなかった蘭にユージィンは苦笑する。

「そうは思えても実行できる人ではないでしょう。姫と同じように」 

「あいつもわかっていて止めたんだろうしな。そして、国中の奴らも理解しながら希望を抱いてんだ。何かが大きく変わるかもしれないとあいつの采配に夢を見てる」

 一定数以上では成り立たないとわかっているからこそ、先視みは受け入れられているのかもしれない。国の長が不思議な力で不要な者を排除しているという理由があれば、それにすがれば仕方がないと思える。あくまで蘭個人の感覚ではあるが、先視みというものの必要性が見えたよう感じられた。そして、それはもう一方の疑問にも当てはまるのだ。

「戦いもそれが目的って事ではないのかな? アンヘリカが欲しいんじゃなくて国民の数を減らしたいっていう思惑が出てくるんじゃない?」

「ああ、それもあるんじゃないかとは思ってる。だがよくわかんねぇんだよな」

「そうですね。姫もアンヘリカへ向かわれた際に、戦をしないわけにはいかないと不思議な内容を口にされましたからね」

「姫様が?」

 先視みの結果で人を殺す事を止めた人物が、どうして戦いを否定しないのだろう。

「ああ、あいつはアンヘリカに行くと様子がおかしくなるからな。何か先視みがアンヘリカを欲しがるとか言ってたな」

「アンヘリカを欲しがる?」

 これまたよくわからない表現に蘭が首を傾げれば、ユージィンが深く頷く。

「本人が言うには、欲しくもないものが欲しくなるそうです」

「欲しくもないものが欲しくなるの?」

「直接見た俺達にもよくわかんねぇ状況だったからな。とにかく先視みはアンヘリカが欲しいと思うもんらしい」

「なんだか難しいものなんだね。わたしには先視みがどういうものなのかさっぱりわからないよ? 欲しくもないものが欲しくなるなんて強引過ぎるっていうか、随分な感じがするっていうか」

「なんか聞いた事があるような台詞だな」

 セルアは蘭の様子に何か思い出すものがあったらしく言葉を紡ぎ、ユージィンが懐かしげに頷いた。

「暮らした環境は違えども、どこか似た考えを持っているのかもしれませんね」

「似過ぎな気もする……な」

 そう言いながらセルアが頬に触れた為、蘭の視線はそちらを向く。

「似過ぎ?」

 以前、同じ事を言われたと蘭が思い出しているとユージィンが告げる。

「だからここにいる。それで構わないでしょう?」

「似ているからここにいる。なら、あいつは今どこで何をしてるんだ?」

「それは、わかりませんよ」

 わかるはずもない、誰も蘭がここにいる意味など知らないのだ。そして、姫がどうなっているのかも知り得る手段はない。三人は一様に口を紡ぎ、それぞれに何かを考えているようだった。

「いつも答えは一緒になるな」

 随分と長い沈黙を破ったのはセルアであり、蘭はその声を聞きながらここにいる理由が本当にわかる時は来るのだろうかと思っていた。

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