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序章.夢じゃない世界(三)

 見た事のない服装でいられるのは困るという理由で、ユージィンに姫の物だという衣服を渡された。

 着替え終わるまでは扉の外にいると言われた為に、蘭はとにかくパジャマを脱いだのだがどうにも落ち着かない衣装にとまどう。

(どうしてこんなにお腹が出るような服なんだろう)

 黒のチューブトップ、そして赤いミニスカート。その上にチャイナドレスを思い出させる雰囲気の赤い上着を羽織る、それが後身頃は膝裏の辺りまであるのだが、前身頃は胸の下辺りまでしかないのだ。チューブトップも前身頃と似たような位置までしかない。

 腹が冷えないのかと思いながら黒いブーツを履き、白い手袋をはめた。左腕と言われた方には金の腕輪が付いている。

 もっと地味なものがいいと言えば、とにかく今はこれを着てくださいと強引に推し進められた。パジャマ姿のままも嫌ではあったが、こうも派手な服装も納得はできない。

 二人が舞台衣装のような服装をしていたのだから、これも仕方がないのかと溜め息をつく。

「聞いた事もない国、いなくなったお姫様。そしてここにいるわたし……か」

 本当にそうなのだろうかと疑問は拭えなかったが、流れに任せて着替えてしまっている。

(何かのイベントみたいなものとか?)

 散々悩ませた後に真実を明かされるのか、笑われる為にこうした事をさせられているのか。

 正直、頭が追いつかないままに物事が進んでしまっている。

「どうやったら、帰れるんだろう……?」

 とりあえず見知らぬ場所にいるのだから、帰る方法を考えるべきだと蘭は目的を決めた。

(今はこのまま様子を見るべきよね?)

 情報が足りないのだと無理やり自分に言い聞かせる事にして、蘭は扉を軽くノックする。

「ユージィンさん?」

 まだ二人以外には見られない方がいいと言われた為、蘭が扉の外を知る事はできない。それがさらに不信感を煽っているのだが、無理な行動で危険な目に合うのも嫌だと蘭はとりあえずユージィンを呼び込む。

 扉が開かれるとユージィンだけではなくセルアも入って来たのだが、何故か少年は一抱えもある黒い糸の束を抱えていた。

 お疲れ様です、とユージィンは声をかけると先程と同じようにソファを勧めてくれた。蘭が素直に腰をかければ、側へセルアがやって来る。

「やっぱり似てんな」

「そうですね、似ている方がここにいる理由もつけ易いですし、良い事なのでしょう」

 二人にはわかる会話がされる中、蘭は似ているというランについてを考えるがやはり情報が足りなかった。

(いなくなってるのと似ているって事しかわからないんだよね)

 性格は違うようだと言われたが本当に見た目は似ているのかと聞こうとすれば、ソファの後ろへ周ったセルアが蘭の髪に触れる。

「最後の仕上げをするか」

 そうして放たれた台詞はどこか不穏なものがあり、蘭は振り向こうとするのだがセルアが両手で頭を押さえた。

「動くな、作業がしづらい」

「な、何?」

 小さな手ではあるが随分と力があるらしい。動けぬままに蘭が声を上げると、ユージィンが咎めるように口を挟む。

「説明もなしに触るからでしょう?」

「ああ、悪い。これから髪を伸ばすからじっとしてろ」

「はい、……って、伸ばす?」

 謝られた事に返事をした蘭だったが、その後の言葉に大きな声を上げてしまった。

「なんだよ、伸ばすって言っても術で付けるだけだぞ」

 驚いたのかわずかに緩んだセルアの手の隙を縫って蘭が振り向けば、目の前には黒い糸の束が差し出される。

「これをくっつける? 術で?」

 エクステの事かと思いながらも、この糸が髪の毛の代わりをするとはとても思えない。二人の着ている衣服に似た色の糸は無造作に束ねられており、とてもではないが髪の毛の代用品とは言えないものだ。何よりも術という胡散臭い言葉が蘭を警戒させた。

「そうに決まってるだろ。あんまり見れるもんでもないから驚くのも仕方がねぇか」

 術そのものに対する説明がされないままに、セルアの手は再び髪に触れてくる。蘭はとにかくかぶりを振って聞いた。

「術っていったい何ですか?」

 跳ね除けるような動きを蘭はしたが、セルアは髪に触れ不思議そうな声を出すだけだ。

「魔力を使ってに決まってるだろ、何を当たり前の事を言っ」

「待って、待ってください! 魔力って何ですか!」

 セルアが言い終わるのも待たず言葉を挟めば驚きの表情を返される。

「もしかして、術そのものを知らないのか?」

「知りません! いったい何をするつもりなの?」

 ようやく意識の違いを認識したかと思ったが、セルアの様子は変わらない。

「そうか。でもここにはあるんだよ。必要だからとにかくおとなしくしてろ」

 どうにも怪しげな事をされるのではないかと思えてきた蘭は首を振るのみならず、腕も使って抵抗する。

「嫌よ! 何なのよ胡散くさい」

 蘭がセルアの手を振り払った事により、荒げた声が返された。

「胡散臭いとはなんだ。こっちは面倒だがやってやるんだよ」

「わたしはそんなの望んでません! もう、そんな糸をくっつけるなんて信じられない」

「動くな、やりづらいだろうが」

 しかしこちらの意見を聞き入れる気はないらしい、何が何でもとセルアが髪を掴んでくる。

「やめて、嫌よ!」

 折角伸ばそうと手入れをしていた髪に、そんなものを付けられてたまるかと蘭はソファから立ち上がり逃げようとした。そこへようやく止める声が挟まれる。

「セルア、一旦止めましょう」

 こちらの会話をただ眺めるだけだったユージィンが移動し、セルアから糸を取り上げた。

「ランは本当に術を知らないようです。見知らぬ物を怖がるのは当然の反応でしょう? 術師に出会わぬままに生きる者も多いのは確かですよ。もっと考えて対応なさい。貴方はこれだから」

「なんだよ」

 まだ続きそうなユージィンの言葉をセルアが遮る。元からきつく睨みつけるような瞳をした少年ではあったが、更に怒りが加わったように蘭には感じられた。

「俺が子供みたいだって言いたいのか?」

 不服そうな姿にユージィンははっきりと言い放つ。

「そうです。ランは城内の者とは違うのですから、気をつけてください」

「ったく……悪かったな」

 不機嫌そうに言葉を漏らしたセルアの姿に溜め息をついたユージィンは、今度は蘭の正面にやってくる。

「セルアが無理をしてすみませんね。貴女のいた所には術がなかったのでしょう?」

 蘭が頷けば、ユージィンは笑みと共に元のソファを勧めてきた。

「お座りください。貴女が納得するまでは何もしません」

「本当に? わたしは髪を伸ばす意味もわからないんですが? どうしてそんな事をしなければいけないの? このままでも構わないでしょう?」

 警戒し立ったまま疑いの言葉を向けてみれば、ユージィンは表情を困ったものへと変化させるだけだ。

「姫の代わりをしていただく為にはその長さでは大事になってしまうのですよ。髪はとても重要な存在なのです。術は怖いものではありません。貴女がここにいる為に必要な事であり、体に害のあるものでもありません」

「だってそれを付けるんでしょう? 取れるものなの?」

 ユージィンがセルアから取り上げた一掴みの糸へ目を向ければ、やはり髪の代わりにはなりそうにもなかった。

「今の髪型に戻したい時も大丈夫ですよ。本当に危ない事などありはしません。申しわけありませんが、どうしても髪を伸ばしていただきたいのです。座っていれば終わってしまう簡単なものですからね」

 納得するまではしないと言いつつも、ユージィンも髪を伸ばせと告げてくる。

(あんなもの付けるのなんて嫌よ。それにここがどこかもわかってない)

「もしそれを付けるのだとしても、一度外を見せてもらえませんか。窓から見える壁だけじゃ何もわからないもの」

 するとユージィンの表情は更に困ったものへとなってしまう。

「外へ出るのなら、なおさら髪を伸ばしていただきたいのです」

「意味がわからないわ」

「そうかもしれませんが、伸ばしていただけないのなら外出はできません」

「長いものが短くなる分には切ったと言えば済むじゃない。逆の方がよっぽどおかしな状況だと思います」

「それができねぇから伸ばせと言っているんだ。俺が説明もしなかったのは認めるが、この場に留まるには譲れない条件なんだよ。恨むなら全部俺に向けとけ」

 そう口にしたセルアが蘭の髪にもう一度手をかけ、ユージィンが顔を向ける。

「セルア、そこまでは言っていないでしょう?」

「ああ、わかってる。それでも俺が適任なんだよ。ちょっと髪が長くなるだけなんだ。お前今度は動くなよ」

 何となく口を挟みづらい雰囲気に、蘭は必要と言うなら受けてやろうと腹を括った。

(でも髪が長くないと外に出れないって、そんな事あるのかしら?)

 どうやら直せるものらしいのだ。ならば構わないだろうと背筋を伸ばしソファに座りなおす。

「動きません」

「なら、いい。別に怖くないからおとなしくしてろ。綺麗にくっつけてやる」

 セルアは蘭の髪に糸の束を当て、静かに梳くように手を動かしているようだった。ゆっくりとその動きを繰り返し、しばらくすると新たな束を当てる。そして、また静かに梳く。何度も何度も繰り返す。他にも何かしら道具があるのかと思えば、そうした様子は見られない。

(こんなので付くわけがないじゃない)

 何の茶番かと思いながらも、徐々に髪が重くなっていくように感じられるのだから不思議なものだ。

(気分的なものかしら?)

「終わりだ」

 大事には至らないだろうとおとなしくしていれば、セルアは急に手を離すと部屋から出て行ってしまった。その素早い動きは声をかける暇もなく、蘭はただ驚くばかりだ。

「え?」

 閉められた扉を眺めていると、ソファに座りこちらの様子を眺めていたユージィンが苦笑する。

「私が機嫌を損ねてしまったようですね。貴女は気にしなくても大丈夫です、セルアは子供扱いをされるのが嫌いなだけですから」

「子供扱い?」

「難しい年頃なのでしょうかね」

 あまり背も高くなく細い体、そして幼く見える顔を思うと十一、二歳程に思える。見るからに子供ではないかとも思ったが、あのくらいの頃はそうだったのかもしれないとも蘭は考える。

「それよりも自分の髪をご覧になったらどうです?」

 ユージィンの言葉に蘭は髪へと手を伸ばす。上から下へ動かし辿って行くと、普段は肩程でなくなるはずの髪が続いていた。それは、座っているソファの背もたれにかかり裏側へ下がっている。

 全貌を確かめようと立ち上がった蘭は驚く。膝裏まで届きそうなそれは、本当の髪と変わらぬ色、艶、手触りで、継ぎ目も見当たらない。まるで、最初からこの長さだったかのように流れている。

「糸……じゃない?」

 とても髪の代わりにはならない糸だったはずだと我が目を疑った。

「セルアはこの国一番の使い手です、ただの糸を本物の髪に見せてしまう程にその力は強い」

 ユージィンが赤い紐を取り出し、両耳の上辺りの髪に結びつける。そして、広がった髪全体をゆったりとさせたまま毛先付近で一つに纏めた。その後、左右から数本ずつ髪を引き出し散らす。

「これで、貴女は姫と瓜二つ。いなくなった姫が代わりに置いたといえば、疑う者はいないでしょう。まあ、実際にそれを知らせる者はわずかですがね」

 見知らぬ場所ではあるが、あくまで何かの余興だと蘭は思っていた。誰かが自分を驚かす為に何かをしたのであって、決して見知らぬ場所だとは本当に思っていなかったのだ。

 しかし、糸は何故か自分の髪となり艶やかになびいている。

「本当に……魔法、なの?」

 散らされた数本を手に取り眺めればユージィンが小さく笑う。

「貴女の言葉ではマホウですか? 私達は魔力を行使している事を術と呼ぶのですよ」

「……術」

 魔法だろうが術だろうが蘭には関係がなかった。どうしてありえない事が起きるのか、それこそが問題なのだ。しかし、目の前のユージィンには伝わりそうもない。

「ウィルナの姫、ランとしてここにいてくださいね」

 穏やかそうな笑みではあるがどこか有無を言わせぬ雰囲気に戸惑いながら、蘭は改めて周囲を見渡した。


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