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三章.止められた孤に灯る想い【二】(五)

 蘭は執務室へ移動し、置かれている椅子に座り込む。

 あの後も他に読めるものはないかと色々と道を探ってみた。確かにいくつか読めはしたのだが、どれも魂、欠ける、戻す、と同じような単語ばかりで要領を得ない。

 根を詰めても仕方がないだろうと、諦めて移動して来たのだった。

「疲れた……」

 背もたれに寄りかかり、手を組み前へ伸ばす。

 塔の長い階段を下り、そしてまた緊張した状態で城内を歩いて来た。誰もが頭を垂れて蘭に敬意を示す仕草は、決して居心地の良いものではない。皆が自国の姫だと信じているのであり、蘭は騙しているだけなのだ。

 自ずと望んだ状況ではないが後ろめたさは拭えない。しかし真実を露呈するわけにもいかないのだから困ったものだ。

 ようやく気の抜ける場所へ辿り着いた蘭は、素直に感想を漏らす。

「誰かのふりをするって大変」

「そうだな。帰りもあるんだ、今のうちに休んどけ」

「もう一回、か」

 不満を零しつつも目の前にいるセルアを見上げる。

 蘭の座る椅子は大きな机と対になっており、何故か机上にセルアが陣取っていた。

 インク壷や羽ペン等、細々とした物が置いてある机は、セルア一人が座ってもまだまだ余裕がある。しかし、机は座る物ではない。

「あのソファの方が楽そうだよ?」

 この部屋は豪奢な絨毯が敷かれ、奥に机と椅子が置かれている。壁は一面を除いて本がぎっしり詰まった棚で覆われ、入り口近くに一つソファがあるだけだ。

 そちらの方が絶対に座り心地が良いだろうと思い蘭は口にしたのだが、セルアは面白くなさそうに一瞥する。

「この方が近いからいいんだよ」

 おそらく、蘭に近いという意味なのだろう。同じ室内にいるのだから少々離れても構わないのではないかとも思ったが告げはしない。屋敷のように言い合いをするのも気が引けてしまう。

「別にいいけど」

「どうせそのうち大量の書類を持ったユージィンが入って来るんだ。今くらい側にいさせろ」

 今日は夕方までここで過ごすように言われていた。本来ならば姫も何かしら作業があるようなのだが、生憎そこまでの代役は無理だ。蘭はただ室内にいるだけで、実際はユージィンが行なう形で済ませるらしい。

 今は必要な物を準備しに行っているようで、蘭はセルアと二人で帰りを待つ。

「姫様はあの文字が読めるから、あそこに登っていたのかな?」

 ユージィンの口ぶりでは塔に登り国を見る事が姫らしい行動だと言っていた。それだけ頻繁にあの場所へ通っていたのだろう。

 机上に片膝を立てているセルアは、眉を寄せ片手で髪をかき上げる。

「それもあるだろうが、本当に国を見ていたと思うぞ。そもそも見ようとしなければあそこへは登らない。そうならなければ気付けないって造りにわざとしてんだと思う。あいつの親父、王が登ってる姿は見た事がないしな、おそらく知らねぇんだろう」

「長い階段を登ってまで国を見る人だけに伝える言葉……? でも、そうなるとわたしが読めるのはおかしくない?」

 それにはセルアも少々悩んだらしく、しばしの間を置く。 

「お前は魂の欠片って文字を読んでる。だから、そこに関わる部分だけ読めたってところか」

「……関わる部分?」

 しかしどう関わっているかは一向にわからないままだ。板に込められたあなたが魂の欠片、同じように先程読めた失われた魂を取り戻すという言葉が何を意味しているのかが見えてはこない。

 何か思い至らない部分があるのではないかと蘭は頭を悩ますが、目の前にいるセルアは簡単に告げる。

「よくはわかんねぇが少しずつ集まってる気はするだろ? 悪い事じゃねぇ」

「そうかな?」

 どうにも納得できず蘭が聞き返せばセルアが眉を潜める。

「そうじゃないと困るだろ。お前は帰りたいんじゃねぇのか?」

「そうだけど、本当にこれが帰る事に繋がっているのかな? とは思わない?」

 帰るという目的はあるが、蘭の読んでいる契約文字が願いに繋がっているという保証はない。確かに物事が進んでいるようにも感じられるが、同時に不安も沸き上がるのだ。

「まだ足りないもんが多過ぎんだよ。俺やユージィンがわかる程度に集まれば先が見える」

 蘭よりもセルアとユージィンはこの世界の知識を持っている。手に入れているものから何かを導き出せる可能性は、自分よりもはるかに高いだろう。

「う……ん、そうだよね」

 曖昧ではあるが返事をすればセルアはわざとらしく溜息をつく。そして、思いもしない言葉を向けられた。

「俺としてはお前が帰らなくても構わねぇがな」

「え?」

 不敵に笑う姿は本当にそう思っているようにも見え蘭は戸惑うが、セルアは苦笑しながら続ける。

「別に帰さないとは思ってねぇよ、無理にここに置こうとも思ってない。だが、その選択肢もなくはないって事だ」

「帰れないって事?」

 帰りたいと願う蘭にとって、この言葉は重いものだ。微かな希望も打ち消してしまいそうな恐ろしいものにしか聞こえない。

 しかしセルアは何でもないように告げる。

「帰れないってよりは、帰りたくなくなったらどうだ?」

「帰りたく、なく……なる?」

「ああ、俺が帰りたくなくなるようにしてやるよ。それなら構わないだろう?」

 ふざけているのかどうか量りかねるような口調に蘭は戸惑いつつも考える。

 帰りたいという思いをなくす、そう思う時が来る事はあるのだろうか? 告げられた言葉にどこか心が揺らぐ気がすると思っていると、突然セルアが顔を歪め、苦しそうな息を吐いた。

「どうしたの?」 

 心配になった蘭は立ち上がり、右手で胸元を抑え荒く呼吸をするセルアに声をかけた。しかし、返って来た言葉はおかしなものだ。

「お前、この部屋から出ろ!」

「え?」

 蘭は目をしばたたかせて聞き返す。 

「どうして? わたしはここから出るわけには行かないでしょう? セルアはどこか苦しいとかじゃないの?」

 今日は夕方までここにいる事が重要なのだ。そして、目の前には明らかに具合の悪そうなセルアがいる。どうなればこの部屋から出る事に繋がるのかがわからない。

「駄目だ! 俺の近くにいるな、離れろ」

 身を縮めるように体を折り曲げ、顔を歪めている姿は尋常ではなかった。痛みにでも耐えているのか脂汗が滲む様子に顔を覗き込む。

「どこか苦しいの? 誰か呼んで来る?」

「そんな事はいい、頼むからここから出ろ! 今すぐだ!」

「意味がわかんないよ。なんで出なきゃいけないの……わっ」

 意志の疎通ができないまま言い合っていると、何故か突然強風が吹き付けて来た。吹き飛ばされるのではないかという勢いに、蘭は慌てて手を伸ばし何かを掴む。

「駄目だ! やめろ!」

 セルアの大きな声が聞こえるが、あまりにも強い風に目を開く事ができない。蘭は状況が把握できぬままに何かをしっかりと握り締め、抗うようなセルアの言葉を耳にする。

 轟々と音を立てながら痛いと思う程の風が吹き付け、髪も大きく揺れたなびく。徐々に増していくそれに、口を開くのも無理そうだ。いや、段々呼吸をするのも苦しくなって来ている。

(何? 何が起きてるの?)

 一体何事だというのだろう、風がどこから吹いているのかもわかりはしない。

 部屋を見る事すら叶わない蘭が知れるのは、激しい風の音と途切れ途切れに繰り返されるセルアの声ばかりなのだ。

「やめろ!」

 セルアは怒鳴りつけるように何かを止めようとしていた。切迫した声は何度も繰り返され、懇願し続ける。このなぶるような風に対してなのかはわからないが、酷く恐れを感じさせる声は強く何かを望んでいると理解する事ができた。

(セルアは何を止めたがってるの?) 

 何をどうしたいのかはわからない。だが、蘭は強く思った。

(こんなにも駄目と言ってるんだから、やめればいいのに)

 すると、激しく吹き付けていた風が止んだ。弱まる事もなく突然、ぷつりと途切れるように止まってしまったのだ。

「えっ?」

 抜けてしまうのではと思う程、強く後ろに流されていた髪がばさりと元の位置に戻り、体が受けていた痛みもなくなる。

 無事に呼吸ができる事もわかり瞳をゆっくり開けると、どうやら自分が掴んでいたのはセルアの腕だったらしいと知った。

 机の上で体を丸めるようにして頭を抑えているセルアの片腕を、蘭はしっかりと掴んでいる。

「駄目だ!」

 しかしセルアは今の状況を理解していないらしい。大きな声を上げられ、蘭は体を震わせる程に驚く。

 轟々と吹き付ける風の中でも聞こえる程の声は叫びだった。

 固く目を閉じ体を小刻みに震わせている姿は、まるで何かに怯えているように見える。

 両手が耳にかかってしまっている為、音が聞こえないのだろう。今は落ち着いたこの部屋の状況に気付いていないようだ。蘭はセルアの腕を引くが、どれだけ力を込めているのか全く動く気配がない。

「セルア! 手を外して!」

 理由はわからないが、とにかく風が止んだと知らせねばと蘭は声をかける。

 全てを閉ざしてしまったように蘭の声も力も受け付けないセルアは、恐れるような叫びを上げ続けた。だが蘭も負けてはいられないと、怒鳴りつけるように名を呼ぶ。

「セルア! セルア!」

 何度も大声で呼びながらぐいぐいと腕を引いてやると、ようやくセルアが両耳を塞ぐ手の力を緩める。

「セルア! もう、どうしたのよ?」

 これならば大丈夫だろうと蘭が声をかけても、セルアの様子はおかしい。訝しがるように周囲を見回した。

「な……んだ……?」

 そして、蘭を見た途端に息を飲む。

 まるで在りえない者を見た、そう言いたげな青白い顔に蘭は眉を潜める。

「どうしたの?」

 驚いているらしいのはわかるが、蒼白になる程の事態でもない。蘭はただただ答えを待つが、信じられないような台詞をぶつけられた。 

「なんで……お前、生き……てんだ?」

「は?」

「どうして死んでない?」

 机から降り蘭の両肩を掴むセルアの視点は何処か定まっていない。

「何を言ってるの?」

「生きて……んのか?」

 要領を得ないセルアの言葉にどうしたものかと考える。よくはわからないが、どうやら自分が生きている事に驚いているようなのだ。何を思って勝手に殺されなければならないのかと思いながら、蘭は大声を出す。

「勝手に殺さないの! 動いてるでしょ」

 すると、さまようように動いていた瞳が蘭の正面で止まる。数度瞬きを繰り返し、しっかりとこちらを見据えて来た。

「――そう、か」

 気の抜けた声を出すとセルアは崩れ落ちるように床に座り込み、今度は扉を叩く音が聞こえた。

 蘭がそちらへ視線を送ると、通り抜けられるだけの幅を開けユージィンが素早く入り込んで来る。

「何事です? 大きな音で人も集まっていますよ」

 そう言いながら室内を見たユージィンの動きが止まる。

「……どういう事でしょう? これは?」

 セルアの様子に気を取られ、周りまで意識していなかった蘭もあまりの惨状に驚く。

 棚や置かれていた椅子、ソファは投げつけられたかのように壁にぶつかりでもしたのか砕け散っていた。棚の中に納められていた本は散り散りに破け、床に撒き散らされている。更には蘭自身も束ねていた髪は解けぼさぼさになり、衣服もところどころ破けている有様だ。

 何事もないのは机とセルアと蘭だけなのである。

 机の上に置かれていた文房具達は吹き飛ばされてしまっているが、セルアは平気だったらしい。咄嗟にすがった蘭も無事とは言い切れないが、大事でもない。

 座り込んだままのセルアの前に立ち尽くす蘭は、どうにか口を開く。

「セルアに部屋から出ろって言われて……そうしたら、風が吹いた……の」

 改めて気付いた惨状に、セルアが怯えを見せた理由を感じ蘭の声は自然と震える。

 ただ風が吹いたと言うにはおかしな部屋の姿に、何かしらの危機があったのだと思い至る。

「風が吹いてどうなったのですか?」

 ユージィンが続きを求めているのはわかるが、蘭の体はがくがくと揺らぎ立っている事を拒む。セルアと同じく力なく座り込みながらも、蘭は必死に告げようとした。

「セルアはやめろ、駄目だって言って……なんだかすごく苦しそうで……それで、それで」

 蘭が知っている事は本当にそれだけだ。突然の風に視界は奪われ、ただセルアの声が聞こえていただけだった。

「ラン、もうじゅうぶんです。そのままでいてください」

 ユージィンの声は随分と近く、いつの間にか側へやって来たらしい。わずかに首を動かせば、セルアの目の前にしゃがみ込んだのがわかる。

 放心しているようなセルアの顔を見つめ、何の前触れもなくユージィンは頬を平手で打った。

 小気味良い音が響く。

 そして、しっかりとセルアを見据えゆっくりと告げる。

「しっかりしなさい。何をしたんです?」

 ユージィンは何が起きたとは言わず、何をしたのかとセルアに聞いた。必死に止めようとする言葉を口にしていたはずのセルアが何かをするのかと、蘭の中には疑問が浮かぶ。

 叩かれた事により、セルアの目にはわずかにだが力が戻った。一瞬驚き間を置きはしたが、深い呼吸を数度行なうと部屋を見回し蘭を見た後にユージィンを見つめる。

「暴発……した」

 その一言だけでユージィンは状況を理解できたらしい、大きく頷いた。

「それで、これだけで済んだのですか?」

「それがおかしい」

 質問に答えるセルアの様子こそがおかしなものに蘭は思えたが、ユージィンはどこかへ導くように声をかけ続ける。

「どのように?」

「……こいつが、生きてる」 

 蘭を見つめるセルアの表情は頼りない。

「ならば暴発はしなかったのでは?」

 ユージィンの問いに、首を横に振りながら視線を落としセルアは呟く。

「無理、だと思った。暴発したから部屋は荒れてる。だが……完全じゃない」

 常らしくない小さな声にも、ユージィンはただ頷いている。

「貴方が抑えたのでは?」

「そうしようとした、だが無理だった」

「他に、何かしましたか?」

「何もしていない。いや、できなかった……気付いたら止まってたみてぇだな」

 普段に近い口調になったセルアにユージィンは穏やかに笑う。

「やっと、落ち着いてきましたね」

「そう……だな。悪い」

 ゆっくりと立ち上がり、セルアは再び机に腰かけた。そして目を閉じると、何か考えているのだろうかそのまま動かない。

 ユージィンはそうした姿を眺めているだけであり、蘭も何も言う事はできなかった。

 今はセルアが口を開くのを待たなくてはならないと、不思議と思わされたのだ。

 随分と長い時間が過ぎ、セルアは重く口を開いた。

「俺は魔力を抑えられなかった。しかしそれは止まり、気付くとお前が俺を掴んでいた」

 セルアは立ち上がると手を伸ばし、蘭の頭に触れ口の端を吊り上げる。

「それが答えか」

「何?」

 この反応は何かがわかったのだろう。だが、蘭には全く意味がわからない。隣にいるユージィンも怪訝そうにしている。

 続いて立てと言われた為に、蘭は素直に従った。セルアの正面を示され向かい合うと、髪や頬、肩、腕と様々な部位に触れられる。

「どうしたの?」

 驚きはしたが何かを確認するような仕草に意味が感じられ、蘭は問いかけるに留めた。するとセルアは蘭の髪を一房掴み口付けたのだ。

「な……っ」

 予想にもしない行動に思わず声を上げかけた蘭へ、セルアは笑みを向ける。

「お前が魔力を吸い取ったな」

「吸……い取った?」

 見えもしない物を吸い取ったと言われても何の事やらわからない。聞き返す蘭へ、セルアは普段の調子で話し始める。

「お前に塔の上で触れた時には全く感じられなかった魔力が今はある。ユージィンいつものように鋏を準備しろ、髪を供給できる」

 髪を供給するとは何かと思えば、ユージィンが新たな疑問を口にした。

「姫と同じ事ができるというのですか?」

「おそらく、それ以上。だな」

「……そう、ですか」

 何やら喜んでいるらしいセルアとは違い、ユージィンの顔色は優れない。しかし、セルアは気にも留めずに言葉を続ける。 

「髪を持っていけば今まで登城しなかった理由にもなる。魔力の貯蓄量を増やす為にってとこで納得するだろう。今の音もそれにするか……サイラス達が騒ぐだろうが姿を見せずに押し通すぞ」

 何度も確かめるように蘭の髪を撫でるセルアと同じく、ユージィンも髪に触れた。

「私にはわかりませんが、魔力があるのなら納得するのでしょうね」

 髪に触れられながら立ち尽くす蘭は、どういう事なのかを説明して欲しいと訴えるように二人を見つめていた。それには、ユージィン、セルア共に苦笑する。

「説明が必要なようですね」

「ああ、ここは俺だな。とにかく座れ」

 セルアは唯一原形を留めている机へ蘭を促す。何もかもが吹き飛ばされている今、通常では不自然な状況も仕方がない。

 蘭が素直に腰かけると、セルアの視線はユージィンへ向かう。

「悪いがユージィンは席を外してくれ、大体知ってんだろ?」

「何となくですがね、素直に外へ出ますよ。なるべく時間を置いてから、鋏を持って戻って来ます」

 ユージィンは意味ありげに微笑み、荒らされたように散らかった部屋から出て行ってしまった。


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