一章.砂礫と岩の狭間(終)
翌日、蘭、ユージィン、セルアの三人は乗り合いでウィルナを目指す。アンヘリカの民だけではなくウィルナの商人も同乗してはいるが、城に仕える者が乗っていても不自然ではないらしい。
乗り合いは術師がいなければ使えない代物であり、城との関係も根強い。更にはアンヘリカ自体に魔力を供給しているという理由もある。ユージィンが黒の衣服をまとっていても、何か必要な作業があったと思われる程度だと説明をされた。
姫本人が関わらない限りは民と同じ乗り合いを使うのが当然であり、頻繁に行き来をしている商人ならば慣れているらしい。下手に隠そうとするよりも安全なのだとユージィンは告げた。
しかしセルアは蘭だけが目立たないようにとアンヘリカの衣服に着替えている。ウィルナの姫に似ている事を考えると、二人共が王宮に仕えていると見られるよりは紛れるのかも知れなかった。
昨夜の騒ぎはウィルナの民の耳にも入っているだろうが、少々の噂が流れても問題はないとそのままにする予定らしい。ウィルナとアンヘリカの関係は以前よりは良好だが、それでも深いと言えるものでもない。この土地ならではの事象と捉えるくらいだろうとユージィンは言い切った。
アンヘリカの民にとって重要な何かが起きたのだと認識するだけで構わないと言うのだ。
実際その場にいたはずの三人も、どうしてああも騒がれてしまったのかをうまく理解できていない。それを更に薄めたものと考えているらしかった。
(何かあったんだろうなくらいに思ってもらえるのかしら?)
少々疑問は残ったが、乗り合いの中では声をかけられもせずに蘭は座っていられる。基本的に子供は乗り込まないものらしく、アンヘリカの大人達は事情を知っていた。アンヘリカの中にいない限りはこちらへ干渉しないらしい。
三人で丸二日の帰路につく予定だったが、何故かクロードも混じっている。四人で荷台の隅に固まるように陣取りつつも、セルアが嫌そうに目を向けた。
「お前なんでいるんだ?」
「この前、必要な事が終わらなかったから今日も行く」
「本来の用件を忘れて連れてったって事か、馬鹿だな」
鼻で笑うような反応にクロードが眉を寄せたが、すぐに晴れやかな笑みを見せる。
「別にいいさ、アンヘリカの意志が伝わるランを連れて来れたんだから。確かに仕事を放り出したのは問題だったけれど、ランに比べれば些細な事なんだよ」
昨夜、蘭が契約文字を読んだ事により、人さらいまがいの事をしたと言われていたクロードの評価が大きく変わった。蘭は本当にアンヘリカへ来るべき人間だった、だから無理をしてまでクロードが連れてくる事になった。マルタだけではなく、誰もがとても前向きな解釈になったのだ。
もちろん蘭に対しては申しわけないと思っている。それも本音だが、こうして来てくれた事に感謝したいとも言われた。
それによりクロードも蘭を連れ去った事実を当然のものとして受け入れたたらしく、初めに見せた反省の色など失っているように感じられた。
(意味がわからない)
この世界の人達は蘭のわからない部分で納得する事が多い。それはここでの知識を持たないが為に、理解できない部分もあるのだろうとは思っている。それでも不思議だった。こんなにも小さな板の文字を読めただけで蘭はアンヘリカへ来るべき者になってしまうのだ。
セルアとユージィンが限りなく近い先として蘭を受け入れてくれた。
アンヘリカの意志が読めるという理由で、アンヘリカの人々も蘭を受け入れてくれた。そこに込められているのはあなたが魂の欠片という言葉だけであり、目的は全くわからない。
ウィルナの姫が残した言葉と、遠い昔に存在したと言われているアンヘリカが残した言葉。
蘭にとってはどちらも見知らぬ人物であり、どうにも信じがたい事態だ。ウィルナの姫はまだユージィンとセルアやマルタの発言から実在しているように感じられる。しかし、アンヘリカに至っては口頭で伝えられてきた昔話とも言える人物なのだ。
(胡散臭い上に、アンヘリカが救われるっていうのも困るのよね)
あくまでも伝えられているだけだと口にしながらも、マルタを筆頭にアンヘリカの人々は蘭へ期待の眼差しを向けてくる。再訪を望む理由も明らかに見える姿は、受け入れられないよりはありがたいがどこか落ち着かない。
本当に何の意味があるのだろうと、蘭は溜め息を付きながら胸元に下げた板を取り出し眺める。
乗り合いの中は人工的なランプの灯りに照らされているだけであり、あまり明るいとは言えない。そうした場所でも金属らしい板は艶やかに煌き、蘭の脳裏にあなたが魂の欠片という言葉を投げかけてくる。
「どうしました?」
言い合っているセルアとクロードを冷めた目で眺めていたはずのユージィンに問われ、蘭は板から目を逸らした。
「不思議だなって思ってただけ。知らない場所のはずなのに、これは私がくるのを待っていたって事にはなっているでしょ?」
ユージィンの瞳はしっかりと板を見つめていたが、表情は幾らも変わりはしない。契約文字は本当に自分以外には何も訴えないのかと、蘭は再び目を落とす。
「今も魂の欠片って言葉が聞こえるっていうか。勝手にそう思えるっていうか……不思議な感じなの。おかしいと思わない?」
「ラン、先視みというものは未来が見えると言ったでしょう? あくまで姫の言葉ではありますが、感情が与えられるものらしいのですよ。良いか悪いかを強制的に教えてくれるようなものだと表現されていました」
「強制的に教えてくれる?」
「ええ、それを知っているとランの感想は不思議とは考えられないのです。板そのものがランに訴えかけてもおかしいとは言えない。そもそも契約文字とはそうしたものですからね」
蘭にとっては非常識でもユージィンにとっては当たり前と捉えられるらしい。
「難しいな。でも、これがくるべき何かだったのかな?」
この場所にいる意味すらもわからないでいる蘭へ、ユージィンは時期を待とうと告げていた。
そして確かに変化は訪れ、蘭は誰かに望まれているのかもしれないと思えるものに出会ったのだ。
酷く曖昧ではあるが、物事は進み始めたようにも感じられる。
呟くような蘭の声ではあったが、ユージィンは静かに微笑む。
「そうかもしれませんね」
誰も確信など持てないとはわかっている。それでもこれが元の世界へ帰るきっかけになるのかもしれないと思いながら、蘭は強く板を握り締めた。




