一章.砂礫と岩の狭間(八)
扉を叩く音と共にクロードの声がする。
「ラン、夕飯食べよう」
あの後セルアはまた眠ってしまいユージィンも部屋で休むと言った為、蘭も一室でのんびりと過ごしていた。昼食は部屋まで運んでもらい極力室外へ出ないようにしていたのだが、もう大丈夫らしい。
扉を開くと想像通りの笑みを浮かべたクロードがおり、蘭は見上げる。
「もう出ても平気なの?」
ヘンリク王子がまだアンヘリカにいるのならば、ここから出るべきではない。宿に入る可能性はほぼないらしいのだが、念には念を入れるべきだと三人はこもり切りだった。
「さっき帰ったから大丈夫。暇だったでしょ? 折角今日は外に出れたのにさ」
当たり前のように蘭の手を掴み部屋の外へと導く、特に拒む必要もなかったのでそのまま廊下へ出た。
「ユージィンとセルアも呼ばないと」
まずは奥のユージィンの部屋へ行こうとすると、クロードが繋いだ手を引く。先へ進むなという事らしい。
「どうしたの?」
振り向いた蘭に、クロードは寂しげな表情を見せた。
「あの二人も一緒じゃなきゃ駄目?」
「駄目って、一緒に食べた方が良いでしょう」
一気に済ませてしまえば後片付けだって楽になる。
「オレはランの事が気になってるんだよ、それはわかってるよね?」
食事の話がどうして、クロードが自分を気にする話に変わるのだろうかと蘭は首をひねる。確かに、クロードが自分の事を気に入ってくれているとはわかっている。ウィルナでも言われ、来る途中の乗り合いでも言われ、ここに来てからも散々言われているのだ。
「わかってるとは思うよ。でも、わたしにはクロードに無理やりさらわれたって事実もあるの。二人と別に行動できないのは当然でしょ?」
ウィルナとアンヘリカの間の事情で当然のように振舞ってはいるが、本来ならば蘭はクロードを忌み嫌ってもおかしくない立場のはずなのだ。それを忘れたかのように近づいて来るクロードは信用すべき者とは捉えられない。
「そう言われると、オレもどうしようもないな」
暗い表情を見せる姿もわからなくはないが、蘭はとにかくユージィンとセルアを優先する。
「だから、二人を呼んでくるからね?」
「うん、皆で食べようか」
その言葉に蘭は頷き、するりとクロードの手から抜け出る。
「じゃ、呼んでくるね」
「ん、オレは下で待ってる」
「すぐに行くから」
気に入られているのはわかっているが、全てに応える必要もないというのが今の蘭の考えだった。
蘭はユージィン、セルアを連れて一階へと降りる。一つのテーブル席にクロードが座り、手招きをしているのが見えた。
四人でテーブルを囲み食事を始めると、そこへマルタも加わる。
「今日は災難だったね、ちょっとは外を見れたのかい?」
「半分近くは歩いたかな、全部は見れなかったけど楽しかったよ」
実際にクロードの話してくれる内容は楽しく、蘭の知らない事ばかりだった。マルタもそれなら良かったと笑う。
しばらく五人で当り障りのない会話を続けていたが、ユージィンが本題を口にした。
「ヘンリク王子が何故ここへ来たのかを教えてはいただけますか?」
マルタもそれがわかってこの席へ来たのだろう、口端を上げる。
「そう聞かれると思ってたさ。しかし明確な理由はあたしも知らないね」
「知らない、ですか?」
ユージィンはマルタとクロードの様子を窺っているようだった。それにクロードがきつい瞳を返す。
「それは本当だ、オレ達はどうして王子が来たのかを知らない。むしろ迷惑してるんだ」
迷惑という言葉にユージィンだけではなくセルアの表情も厳しくなった。
「どういう意味だ、そりゃ」
「ヘンリク王子は停戦してから数ヶ月置きにアンヘリカへやって来てるんだよ。シェラルドは戦を止めた側だからね、あたし達もむげにはできなかった」
マルタの説明によると、ヘンリク王子は以前からアンヘリカへ度々やって来るらしい。当初の目的は主にアンヘリカやウィルナの品を買い付ける為のようだった。
「初めは特に害らしい害はなかったんだよ。可愛らしい口調の子供で、楽しそうに買い物をしては帰っていたのさ。けれど三年、四年と時間が経つにつれて偉そうな口ぶりで喚き散らし始めてね。どうも、苛ついているっていうのかね。来ては当たり散らされてるって感じになっているんだよ」
それでも、何とか我慢できると思っていた。戦に巻き込まれていた頃に比べれば、その程度の事と思い我慢を続けていたとマルタは続ける。
「さすがに一人斬られたのは我慢がならない」
「斬られた……?」
耳慣れない言葉に蘭が聞き返すと、マルタが辛そうに視線を落とす。
「若い男が一人、ね。別に死んじゃいないが、片腕を落とされてる」
腕が斬り落とされる事などあるのかと蘭は驚いた。しかし四人は酷いとは思っている表情を見せつつも、動じてはいない。
「その理由は?」
ユージィンの質問にマルタは簡潔に告げる。
「特にないね」
「斬りたいから斬った、て事か?」
そう解釈したセルアにマルタは首を横へ振る。
「お前達はもうウィルナに堕ちたのか、そんな事を喚きながら斬られてる。こちらに理由はなくともあっちとしては何か思うところがあって斬ったとは思っているよ」
「そうは言ってもどこか八つ当たりのような印象がしますね。ウィルナに関する事柄ならばアンヘリカの者に刃を向ける必要はないはずです」
ユージィンの素直な感想のようだった。それはマルタも思っている事らしい。
「子供の癇癪みたいに見えたって話だ。従者達は初めから止めていたらしいし、斬り落とした後にまだ剣を振り上げた王子を一人が怪我を負ってまで止めている。最後にはマティアス王子の名を出されて落ち着いたらしいがね。とにかくそれ以来、ヘンリク王子が来たら町の者には注意するように言ってある。しかし、何が王子のご機嫌を損ねるかわからない。扱いづらいったらありゃしないよ」
嫌気が差すと言い、マルタは目の前にある酒を煽るように飲み干す。
「あくまでヘンリク王子一人の行動で、シェラルド側が何かをして来ているわけではないのですね?」
再度確認するユージィンに、マルタは頷く。
「それは確かだよ。今のところシェラルド側は特に何かをしようって気はなさそうだ。斬られた男にも一生働かなくとも良さそうなくらいの品を持ってきている。シェラルドの本意ではないと念も押されたよ」
一通りの話が済むと、辺りは沈黙に包まれる。
その時、ふとマルタの首にかかった紐にぶら下がる小さな板状のアクセサリーが目に入った。
これまでも紐があるとは気付いていたのだが、板自体は衣服の下に隠れていたらしい。
親指程の大きさの長方形の板は金属なのか、銀色でありながらも微かに虹のような色合いを角度によって見せている。繊細な模様がびっしりと彫られ、何をかたどっているのかと蘭の瞳は集中した。
その瞬間、何故か脳裏には言葉が浮かんだ。
「あなたが……魂の欠片?」
思わず呟くとセルアが訝しげにこちらへ目を向ける。
「どうした?」
しかし今の蘭には答える余裕などなかった。驚いて目を外し、もう一度眺めれば結果は変わらない。
セルアが蘭に教えてくれた文字とは全く似つかない彫り物を見ていると、あなたが魂の欠片という言葉が強制的に脳内に浮かび上がってくる。
読めもしないはずのものが蘭に何かを訴えかけてくるのだ。
どういう事だろうと目を見張っているとマルタも声をかけてきた。
「まさか、これを読んだのかい?」
胸元のそれを手に取り、見易いように蘭へと向ける。それを見つめれば見つめる程に言葉は浮かび上がるのであり、蘭は頷く。
「読める? のかな。何だか言葉が頭に浮かぶっていうか……」
不思議な感覚をどう説明したものかと悩んでいると、ユージィンが告げた。
「それは契約文字ですね」
そうでしょう? とユージィンがセルアへ目を向ける。蘭の発言に疑問を向けつつも、なくした魔力を取り戻す為なのか大量の食量を口に運んでいたセルアの手が止まった。頬張っていた物を飲み物で流し込み、改めて板を見つめる。
じっくりと値踏みをするように眺めた後に頷く。
「それしかないだろうな」
「契約文字?」
その疑問を口にしたのは三人。蘭、マルタ、クロードである。
これは俺の分野だ、と言いセルアが話し始めた。
「契約文字、それは魔力がある人間が使える特殊な文字の事だ。普段目にしている文字は知っている奴なら誰でも読める。しかし誰にでも読めるのでは困る内容が存在するのも確かだ。ならば、どうするか? 答えは簡単だ、決まった奴だけが読める文字を作っちまえばいい」
「そんな都合の良い事ができるってのかい?」
マルタの意見は最もだと蘭は思うが、セルアは不敵な笑みで答える。思い返せば以前、同じ言葉を話すなら文字も一緒のはずだと言ったら不思議な反応をされた。
本当に契約文字という存在があるのならば、お互いに会話ができても文字が読めないという事態は当然なのだ。二人が気に留めなかったのもわからなくはない。
「できる。この場合は掘り込んだ模様に魔力が込められていると考えるべきだろうな。その時にある一定の条件を満たした者が読める言葉を入れた。それがランの言ったあなたが魂の欠片という事になる」
「その言葉自体に何の意味があるかはわかるの?」
蘭の問いにセルアは首をすくめる。
「それはわかんねぇよ、あくまで必要な奴に伝える為に使うもんだ。大抵は読めば相手がわかる事を入れる」
しかし、蘭にはそれがわからない。そもそもこの土地の人間ではない自分が読めるという事態がおかしいようにも思えた。
「どうしてわたしが読めるんだろう? おかしいと思わない? わたしはここの人間じゃないもの」
「そうは言ってもお前はここにいるだろうが? だから読めたんだ。ここにいる全員が読めない状態で読める奴がいる。理由はわからねぇが目的の人物はお前だったんだよ」
「目的の人物……何も知らないのに?」
「セルア、ランが困っていますよ。程ほどにしてください」
決め付けるような物言いにユージィンが言葉を挟んだが、セルアは煩わしそうな瞳を向けるだけだ。
「うるせぇな。仕方ねぇだろ? 契約文字なんて使うのは城の中でも限られてる。まあ、隠れて術師同士の恋文になったりはしてるがな」
「そんな使い方ができるんだ?」
随分と仰々しい説明に驚きはしたが、そうした使い方を聞くとわずかに蘭の気持ちも楽になる。
「誰にも見られる心配がない分、書きたい放題とも言えるがな。これははっきりと相手を特定しなければ使えない術だ。だからお前の為にそれを残した奴がいるってのは事実なんだろう」
「わたしの為に? わたしここの人は誰も知らないよ? 本当にその人がいたとしたって特定なんでできるはずないじゃない。それどころは本当に何もわからないでここにいるんだよ?」
「そうかもしれないが、これを作った奴はお前を必要としていたのかもな。だからここにいるとでも考えとけ」
「だから……ここにいる?」
この世界にいる理由すらわからないと思っていたが、ふと答えに近づいたのかと蘭は呟く。すると言葉をくれたのはマルタだった。
「これの為にここへいるってのは、あたしも賛成だね」
「マルタ?」
急にどうしたのかと目を向ければ、これまでになくこちらへ興味を持っているらしいマルタの視線に気付く。
「アンヘリカっていうのは、この町を作ったと言われている女性の名前なんだよ。そのアンヘリカの意志だと言われているのがこれだ」
マルタは首からかけている板を外すと、蘭の手に置く。手のひらの上でそれは不思議な輝きを見せた。
「こいつはここがどれだけ焼けようが壊れようが傷一つ付かず、ずっとあるんだ。無くしたって必ずアンヘリカへ帰ってくる。そして、ここではアンヘリカに倣って女性が代表になる、これと一緒にね。いつか読める人が現れたら渡すようにと伝えられながら……読めたのはおそらくランが初めてになるね」
「読める人に渡す?」
随分と熱のこもった台詞に戸惑いながらも聞き返せば、しっかりと肯定される。
「ああ、そうさ。アンヘリカの探し人に手渡さなければと、長い間受け継がれてきたものだ。残念ながらはっきりとした理由はわからなくなっちまってはいるけれど、読める者はアンヘリカにとって必要な人物。ランはここへくるべくしてきたんだよ。クロード、あんたが連れてこなきゃならなかったって言うのも、どうやら間違いじゃないようだね」
何がどうしたのかマルタはクロードの行動すらも認め始めるのだ。それにはユージィンとセルアも驚いた反応を見せるが、まずはクロードが笑みを浮かべ発言した。
「良かった。オレも不思議に思ってたんだよね。どうしても連れ帰りたいからって、さすがに人はないって自分でも驚いたんだ。ラン、やっぱり君はここにくるべきだったんだよ。もう、いっその事アンヘリカで暮らすといいよ」
テーブル越しにいたクロードは立ち上がると、何故か蘭に向かって手を伸ばしてくる。
「ちょ……ちょっと待って! どうして急にそんな事になるの?」
差し出された手を受け取る意味はわからないが、何やら急変した事態にとにかく疑問を投げかけた。
「だってランはアンヘリカの意志なんだから、帰る必要もないのかもしれないよ。まあ、本音としてはオレがここにいて欲しいと思っているわけなんだけど」
照れた笑みを見せるクロードが差し出している手を、蘭の隣にいたセルアが思い切り跳ね除けた。
「おい待て! お前は調子に乗り過ぎなんだよ。こんなもんで勝手に決め付けるな」
少年の小さな手がテーブルを力強く叩き、すっくと立ち上がる。睨み合う格好となったままクロードが眉を寄せた。
「何するんだよ。オレがランを連れて来た理由がわかったんだからいいじゃないか」
「その理由もよくわかんねぇもんだろうが!」
「ええ。何があろうとも貴方が人さらいという事実は変わりませんね。ランはウィルナで必要としている方なのですよ? そうしたふざけた理由がまかり通ると思わないでいただけますか」
椅子に座る姿勢を崩しはしなかったが同じく蘭の隣に座るユージィンも加わり、マルタが続く。
「クロード、あんたの馬鹿な行動は褒められたものじゃない。それは忘れるんじゃないよ」
「マルタまで!」
蘭を連れて来たのを認めたのではないかとクロードが訴えれば、マルタの表情は渋くなる。
「しかしね。これを読まれちまったんじゃあ、全てを否定できない。ここへ残って欲しいとは言えないけれど、二度とこないってのも本意ではないねえ」
「じゃあ、いつでもオレが迎えにいくのでどう?」
「お前なんかが来てたまるか。マルタ、いったいどうなってる?」
あまりの変わりようにセルアも訝しげにマルタへ聞くが、状況は変わらない。
「アンヘリカの意志を読めるランは、あたし達にとって必要なはずなんだよ。いつでもここへきて欲しい」
クロード程ではないが蘭がアンヘリカにいる事を望む発言に、ユージィンの瞳が細められた。
「私としては望ましくないと考えていますよ」
「勿論、クロードに迎えに行かせるつもりなんてないからね。ウィルナで必要と思われる者をつけて寄こしてくれればいいよ。それならあんたらにも得があるんじゃないかい?」
何かを含む会話が始まり、マルタの目も鋭くユージィンを見つめる。
「ランさえいればそれは許されると受け取って構わないという意味ですね?」
「そのくらいは仕方がないさ。あんまり大勢はさすがに困るが、クロードみたいにさらうような奴がいるのも考えものだからね。ランの身の安全を守るという名目の範囲なら時期も問わないよ?」
「悪くはありませんね」
蘭はどうしてしまったのかと二人を眺めるばかりだったが、隣にいるセルアも口を挟む気配を見せない。随分と真剣な眼差しで会話を見守っているようであり、ユージィンと同じくマルタの意見を受け入れているのかもしれなかった。
「そんな……何で急に?」
小さな板切れ一枚で変わった事情を飲み込めないでいると、マルタは厳しい表情を一気に崩し蘭へ笑みを向けてくる。
「必要だから読めたんだよ。それはランに必要な物だ、持っているといい」
手のひらに乗せられたままの板を譲るという発言に戸惑いだけが生まれる。
「わたしに必要なもの?」
「そうだよ。必要だから読めたんだからね」
当然といった口調がどこか恐ろしくもあるが、引き返せない場の雰囲気に飲まれるように蘭は受け入れてしまう。
「……ありがとう。でも、本当にいいの?」
不思議な色合いを見せる板に目を落とせば、やはり魂の欠片という言葉が脳裏を過ぎる。
「ああ、構わないんだよ。これを待ち人に渡せばアンヘリカは救われるっていう話だからね」
「アンヘリカが救われる?」
再び現れた仰々しい台詞に驚けば、クロードが自信有りげに言葉を紡ぐ。
「そう。アンヘリカの意志を知る者はアンヘリカを救うって言われているんだ。ラン、一緒にここを救ってみない?」
「クロード、そんな軽がるしいもんじゃないんだよ! あんたはすぐ調子に乗るんだから」
「ちぇ、オレがランを連れて来た理由がわかったんだからいいじゃないかよ」
「ふざけんなよ、てめぇ」
まとまりのない会話が入り混じるように続いていくが、この板はアンヘリカにとって随分と大事な品らしいと改めて気付く。
「大切なものなんでしょう? わたしが持っているのは良くないんじゃない?」
「いいや、読める人が持つのが一番なんだよ。これであたしの役目も一つ減るんだ。気にせずに持っていてくれていいのさ。アンヘリカはここにいる誰もが名前を知っているが、実物なんてわからないんだよ。遠い昔にそういう名の人がいたらしい。この町を造って誰かを待ち続けていたらしい。全部が言い伝えであり曖昧なものだ。それでもずっと信じて町はあり続けてきた。とにかく、アンヘリカの意志だと思うしかない。ランは受け取ってさえいればいいんだよ」
本当に受け取るだけで構わないのかと疑問は残る。しかしマルタもクロードも、それどころか同じ室内にいるアンヘリカの者達全てまでもが頷いている始末なのだ。
どこか喜びを感じさせる表情に見えるマルタが立ち上がり、周囲を見渡すと全員に告げた。
「もう聞いていただろうが、アンヘリカの求めた者が現れたよ。あんたら、する事はわかってるかい?」
勿論だとこちらの様子を伺っていた者達が立ち上がり、何故か散り散りに屋外へと向かって行ってしまう。
「アンヘリカの……求めた者?」
「いったいどうなってんだ? あいつらは何をする?」
蘭は疑問を呟き、セルアは周囲の動きを訝しがる。ユージィンも不信そうな瞳でマルタを眺めていた。
「私達には理解できない状況ではありますね」
するとマルタは声を上げて笑い告げるのだ。
「アンヘリカはランがくるのを待っていたんだ。祝わないわけがないね」
散っていった人々が何をするのかと思えば、各々が酒や食べ物を手にして帰ってきた。どうやら本当に祝われるらしく、蘭の目の前にはたくさんの物が並べられていく。
「クロードはあの通りだが、悪い奴でもないんだ。仲良くしてやってくれよ。お嬢ちゃん」
「いやいや、アンヘリカの意志を知る者なんだから、クロードだけじゃなく仲良くしてくれよ」
「まさかアンヘリカの待ち人がくるなんて思いもしなかったわ。よろしくね」
一緒に様々な言葉を投げかけられた上に、誰もが蘭に好意的である。
「は、はあ……」
アンヘリカの望む者がとうとう現れたと言って、町中に触れ回った者もいたらしい。とにかく入れ替わり立ち代わりに現れる数は多く、蘭にはもう誰が誰かもわからない。
じゅうぶんにぎやかな空間だったはずが、一気にお祭りのような騒がしさになり、蘭は目を白黒させるばかりだ。ユージィンとセルアは側にいてくれるが、やはりこの場に飲まれてしまっているらしい。蘭がいるならあんたらとも懇意にするといった言葉を向けられながら、同じように大量の人に驚いている。
伝説は本当だった。アンヘリカは実在したのかと様々な言葉が飛び交い、騒ぎはどんどん膨れ上がるばかりだ。
一晩で蘭の存在はアンヘリカ中に知れ渡り、たくさんの人に声をかけられるはめとなった。
(どういう事?)
何かを掴んだようにも思えたが、更に疑問が増えたとも感じられる夜はとても長いものだった。




