一章.砂礫と岩の狭間(六)
翌日、クロードが蘭にアンヘリカを案内したいと言いだした。セルアの魔力が使えない今、ウィルナへ帰る方法は明日出発する乗り合いを使うのが最短になる。
ユージィンとセルアが乗ってきた乗り合いは魔力を込めた石が空になっており、砂漠を走れる状態ではなかった。術師であるセルアは眠ったままであり、目覚めても無理はさせられない。必要な作業をする術師と御者を後日派遣し引き取ると決められたのだ。
蘭はあくまで秘密裏に置かれている存在である為、セルアが御者の役割を果たしてきたらしい。私よりも器用なんですよとユージィンには説明されたが、蘭は驚きを隠せなかった。
その為、三人は明日の昼までアンヘリカで過ごさなければならない。
昨日の蘭は眠っているセルアの側でユージィンと話してばかりだった。時折窓から景色を眺めていると今日はおとなしくしていましょうとユージィンが言い、蘭もそれに同意した。
二日間座るような格好で眠っていた為、疲れが溜まっているような気もする。その上身支度も特にできる状態でもなく、着の身着のままの姿も落ち着かない。与えられた個室で体を拭き、替えのアンヘリカの衣服を纏って過ごしていたのだ。
アンヘリカはウィルナと違い日差しが強く照りつけてくる。肌を焼かない為に露出は極力控えるらしい。素材はやはり麻のようであったが、長袖のチュニックに長ズボンを合わせた姿を蘭はしている。
姫の代役を果たすには日焼けは厳禁だと、外出時には顔や首も守らなければならないとユージィンに告げられた。乗り合いでの二日間ですでに焼けてしまった部分はあるのだが、とにかくこれ以上はならないとしっかり身を包む衣服を義務付けられる。
(あんまり外には出ないって言ってたしな)
ウィルナの姫に似ている事が蘭が屋敷にいられる理由なのだ。とにかく守るべきだろうと、日焼けに対し気を配ろうと受け入れる。
食事の時は一階へと行き、クロードやマルタだけではなく他の者達とも一緒に過ごし色々な話をした。詳しい事はわからないがこの建物にいる人達は皆、身寄りがなくここで共同生活をしているらしい。その中で最年長がマルタであり、色々と取り仕切っているようだった。マルタの役割はそれだけではなく、アンヘリカ全体の代表としても行動しているようで立場上ユージィンとの面識があったようだ。
今は朝食で一階におり、右隣にはユージィン、左隣にはクロードが座っている。
「折角、アンヘリカに来たんだから色々見て行きなよ」
クロードはあっという間に朝食を平らげ蘭を外へ誘い出そうとしていたが、ユージィンが口を挟む。
「ならば私も一緒で構わないでしょう? アンヘリカへ来た事はあってもなかなか出歩く機会はありませんでしたからね。詳しく知れるのならばお願いしたいくらいです」
ユージィンは当然ではあるがクロードを好んでいないらしい。何かにつけてこちらへ話しかけてくる全てを阻もうとしている。
「ええ! どうして」
はっきりと嫌そうな表情をするクロードだが、ユージィンは素知らぬ振りをしているらしい。
「一人くらい増えても構わないでしょう?」
「それじゃ意味ないよ。ユージィンはウィルナでランと一緒にいられるのに、少しは気を使って。オレはアンヘリカを案内するって約束したんだ」
納得できないと訴えかけるクロードにユージィンが冷めた瞳のままに微笑む。
「何の意味がないのでしょうね? それにその約束とやらは私達がいないからこそ成り立ったのでしょう?」
疑問系ではあったが肯定以外を求めてはいない口調をぶつけられ、蘭も頷く。
「まあ、知り合いもいない中で一人になる勇気はなかったもの」
酷いとクロードが声を上げたが蘭は全ての会話にいちいち反応していては疲れると、その後は黙々と食事を進め始める。昨日の夕食も似た状態だった事もあり、このうるささはもう仕方がないと諦めた。
ここにセルアが加わったらどうなるのだろう、そんな考えが頭をよぎる。セルアはまだ二階で眠ったままだった。先程、昨日寝ると言ったきり一度も起きていない様子が心配になり声をかけてみると目を開けはした。だが、もう少し寝ると不機嫌そうに言い再び眠ってしまったのだ。
ある程度魔力が戻ったら起きてくるとユージィンには言われたが、本当に食事も摂らずに眠っていて大丈夫なのだろうかと蘭は考える。
(寝ていてもエネルギーは消費されるのに、魔力はどうやって戻るものなのかしら?)
魔力だ術だと耳にしてはいるが、目に見えはしない。確かに乗り合いが砂の上を走ったり、ウィルナの日差しが弱まっていたりと体感はしたが納得できる程でもなかった。
病気とはまた違うのかと思いながら、コップに注がれた果物のジュースを口にする。
「ランってば、話聞いてる?」
ぼんやりと考えていた為に気付かなかったが、どうやら数度クロードに呼ばれていたようだ。
「ごめん、何?」
いまだにユージィンと言い合っているだけだと思っていたが、何か用事があるらしい。
「ランはオレと二人よりユージィンもいた方がいいの?」
こうした時のクロードの表情は可愛らしい。しかし、ここでクロードを優先させるのも考え物だと蘭は思う。ユージィンもセルアもクロードの事を気に入っていないこの状況、二人で出歩くと言うわけにはいかない。何より蘭自身も二人きりになるのは避けたいと感じるものがあった。
「三人でいいでしょ。信頼度で言うならユージィンが上だもの」
「そんなぁ」
肩を落としたクロードに周りから様々な声がかけられる。そんなんじゃ当分無理そうだな、お兄ちゃん振られてる、だってクロードだよ等、結構な言われようだ。更に落ち込んだらしいクロードだったが、そこの切り替えは早いのか笑顔で周りに答える。
「まだ出会ったばかりだからオレ達。下がりようがないものは上げるだけだよね」
自信有りげに放たれた言葉は、クロードが自らどうしようもないと表しているようで誰もが呆れながらも笑い声を上げる。
蘭をさらってきたと知っているのは大人達だけであり、子供達がいる状態で真実には触れられない。あくまでもクロードが蘭と知り合い、そこから城の人間に繋がった程度に思われているらしい。
ユージィンもマルタとの間で何かしらの約束事があるらしく、クロードを邪険にはするが追い払いもしない。
(詳しい説明は帰ってからかな?)
幾つかの疑問は残されたままだが、アンヘリカにいる限りはクロードとそれなりに接して過ごすと説明された。ウィルナの人間がアンヘリカにさらわれたという噂はお互いに不要なものであり、一時ならば仕方がないと話はまとまったらしい。
蘭とクロードは友人という設定になっており、町の案内を拒むのもおかしい。このままユージィンと共に向かう事になるかと周囲を眺めていれば、マルタの声が全てを収めた。
「もう少し、まともであって欲しいものだね。クロード! 迷惑をかけない程度に案内をするんだよ」
案内を認めはしたが決して適任とは感じられない響きに、蘭とユージィンは顔を見合わせて苦笑するだけだった。
アンヘリカはあまり広さがなく、ぐるりと一周するだけならば一時間程だろう。三人は湖のほとりを周るように砂地を音を立てて歩いていた。今はちょうど四分の一を過ぎた辺りだ。
どうやらクロード達のいる宿付近が小さいながらも様々な品の並ぶ店が何軒かあり、最も賑わっている場所のようだった。それ以外は民家である。特別目につく物もなくユージィンと共にクロードの話を聞いていた。
門の周辺が宿や店であり、次に民家が置かれる。そうすると畑や家畜の為の場所となっており、更に進めば空き地とも言えそうな広場があった。広場から外壁代わりの木々へ向かう奥まった場所にはたくさんの墓標らしきものが見える。
(町の規模に対しては多くない?)
素直に思い浮かんだ感想だったのだが、さすがに口に出せる内容ではない。このまま広場を突っ切れば再び畑があり、次に民家で更には店があるとクロードは教えてくれる。
不思議な作りに疑問を漏らせば、どうやら入り口となる門が二つあるらしい。
「シェラルドから来る人は向こうから入らなきゃいけないからね。ウィルナとアンヘリカとシェラルドは直線状に並んでいる感じだから、二箇所の方が使い勝手もいいんだ。同じように配置しているのもどちらかを優遇しているように見せない為だよ。ちなみにマルタが仕切ってる宿は向こうにもあって、代表者の居場所が偏らないようにもしてる」
どちらかを贔屓してはならないのかと思いながらも、簡単な知識だけを蘭は求める。
「二つの国の真ん中って事なの?」
「距離もほとんど変わらないはずだよ。今は乗り合いがある分、ウィルナに行く人が多くなってるけどね」
ウィルナの姫により造られた乗り物はウィルナとアンヘリカを繋ぐものであり、シェラルド国の人は使えないらしい。
(なんか色々あるって事よね?)
戦争があったと言ったくらいなのだ。とにかくそういうものなのだろうと受け入れていると、ユージィンがクロードに聞いた。
「この服装ではあちらは避けるべきですかね? 引き返しますか?」
蘭はアンヘリカ製の衣服を着ているが、ユージィンは屋敷や城にいる時と同じ黒のコート姿である。はっきりとウィルナの王宮に仕えていると示す衣服は好ましくないらしい。
「んー、その格好でさえなければ連れて行けるんだけどな。オレ達は危害を加えないはずだけど、シェラルドの人はわかんないもんな。でも、もう少し進むくらいなら平気だよ。あとランだけなら一周もできるよ?」
ユージィンだけが戻ってはどうだという台詞に、冷たい言葉が返される。
「貴方は自分の立場を理解しているのですか? こうして一緒にいるだけでもじゅうぶんでしょう?」
マルタもこれ以上馬鹿な事はしないはずだと釘を刺してはいたものの、クロードを信用しきる事もできない。
「オレだってわかってるよ。もう少し進んだら戻ろうか?」
そうして三人で足を進めはしたが、本当に逆の配置が続くだけであり目新しいと言える程でもなかった。どこまで行くのかと蘭が思っていれば、突然にクロードの足が止まる。
「……あ」
何を見つけたのか驚いた声を上げ、視線の先を蘭も窺う。
だいぶ先ではあるが小さく反対側の門が見え、そこにガナを連れた数人が到着した様子がわかる。
「どうしたの?」
あまり良いとは感じられない声色に思え蘭は聞いたのだが、クロードは眉を寄せて向こうを見つめているばかりであり返事がない。
「あれはシェラルドの方では?」
クロードではなくユージィンが言い、目を向ければ何やら神妙な面持ちだ。入り口へ視線を向けたまま眉を潜めている。
(どうしたのかしら?)
これまでのんびりとした口調で話していたクロードも、どこか張り詰めたような雰囲気に変わっており急に体を反転させた。
「たぶん第二王子だ。二人は外にいない方がいいよ、帰ろう」
ユージィンも理解したらしい蘭の背を押すようにして促される。
「とにかく今は戻るべきです」
足早に歩かされながら蘭は疑問を覚えるのだが、話しかけられる雰囲気でもない。慌しく宿への道をせかされ続けるばかりだ。
二人は何かに納得しているようなのだが、蘭には何一つわからない。どうして急に引き返すような事になるのか、足早に歩きながらどうにか隙を見てユージィンに聞く。
「どうしたの? 第二王子って?」
「戻ってからにしましょう。とにかく今は余裕がありません。クロード、私達の乗り合いがそのままでしょう? 目に付かぬようにできますか?」
「一時的に外に出してもらっておくよ。あれを見られたらまずいからね」
大丈夫とでも言いたげな笑顔を見せてはくれたが、それもどこか引きつっているように思える。とにかく姿を見られたくないという事なのかと蘭も従い先を急いだ。
宿に着くとクロードはごめんまた後でね、と言いどこかへ行ってしまった。ユージィンは変わらず蘭の背を押しながらセルアの眠る部屋を目指している。
扉を開き中を覗くと、セルアは壁に寄りかかってはいるものの体を起こしてベッドの上に座っていた。
「セルア!」
「目覚めたのですね。体調はいかがです?」
二人で側へ向かい様子を窺う。昨日に比べると顔色はずっと良くなっているが、表情はいまだ疲れているように見える。
「まだ悪い。ユージィン、何か食い物くれ」
痛みでもあるのか頭を押さえながらこちらを見る表情も険しい。
「そうですね。下へ行って来ます」
ユージィンはすぐに階下へ降りて行き、蘭は布団に両手を着く格好でセルアの顔を覗きこむ。
「頭痛いの?」
眉を寄せている表情も、力なく壁に背中を預けている体勢も、とても回復しているとは思えない。
セルアは頭を手で押さえたままに弱々しい笑みを浮かべる。
「ん、痛いってわけじゃねぇよ。重い感じはするけどな」
「本当に? 凄く辛そうに見えるよ?」
「そんなに心配しなくても大丈夫だ、別に」
魔力を使い過ぎるという症状がどんなものか想像すらできないが、丸一日寝続ける程消耗しているのだから心配にもなる。
セルアは頭に触れていた手を下ろすと、壁から背中を離しあぐらをかいて座りなおした。そして、蘭と瞳を合わせると不敵な笑みを浮かべる。
「んな顔する必要なんてない、このくらい慣れてんだよ。折角助けに来てやったんだからお前は普通にしてろ、辛気くせぇ」
こちらに気を使ったのか強気な発言をするセルアにも驚いたが、それ以上に内容が引っかかる。
「慣れてるの? そんな状態を」
すると笑みが苦笑へと変化してしまう。
「不本意ながら、な」
決して望んでいるのではないというセルアの様子は、不思議に感じられるものだった。




