第3話「初依頼」
朝、玲が一階に降りると、リゼットはもう食べ終わっていた。
「遅い」
「……何時ですか」
「日の出から一時間。冒険者なら当たり前だ」
玲はエマが出してくれた朝食を受け取った。黒パンと、薄い豆のスープ。腹に入る。十分だ。
「今日、依頼に行く。お前も一緒に」とリゼットが言った。
「俺も?」
「あんた金がないんだろ」
「……はい」
「ならくる。使えなくても連れていく。ただし死ぬな。死んだら後処理が面倒だ」
玲は黒パンをかじりながら、「よろしくお願いします」と言った。
依頼は薬草採取だった。街から徒歩三十分ほどの草原。リゼットがギルドで用紙を受け取り、玲に依頼書を渡した。
```
【依頼】薬草採取
対象:ミラの葉(青い縁取りのある葉)×20枚
報告:採取後、ギルドへ持参
報酬:銅貨15枚
難易度:G
```
「G級の依頼か」
「文句あるか」リゼットが言った。「あんたがG級なんだから当然だろ」
「俺はB級の人が薬草採りに来るのを疑問に思っただけです」
リゼットが少し沈黙した。
「……お前の保護者が必要だろ。今日だけだ」
玲は「ありがとうございます」と言った。リゼットは何も言わなかった。
草原は広かった。空が低い。雲が多い。でも雨にはならなそうだ。草の匂いがする。虫の声がある。玲はログを展開しながら歩いた。
```
[LOCATION:西部草原]
特記事項:魔物出現率(低)
採取可能素材:ミラの葉 / 赤鉱草 / 泥土菌
備考:一部エリアで地形データ不整合を検出
```
「地形データ不整合」。
玲は顔を上げて、草原を見回した。どこにでもありそうな草原だ。丘があって、木が数本あって、遠くに森の縁がある。特に変わったところは——あった。
草原の中央付近に、直径十メートルほどの円形のエリアがある。そこだけ草が枯れている。土が剥き出しで、焦げているわけでも踏み荒らされているわけでもなく、ただ、草が「ない」。
玲がその方向へ向かおうとすると、リゼットが「そっちは行くな」と言った。
「なんで」
「ずっと前からあそこだけそうなんだ。近づくと気分が悪くなる」
「……前から?」
「三年前に初めてこの街に来たときから。それより前かもしれない」
「誰かが調べたことは」
「さあ。ギルドには報告が上がってると思うけど、何も分からなかったらしい」
玲はその円形のエリアをログで確認した。
```
[AREA:未定義ゾーン]
地形データ:欠損
生態データ:欠損
原因:██████████
発生時期:記録なし
```
発生時期が、記録なし。つまりこの世界のシステムが「いつからここが欠損しているか」を把握していない。後から欠損したのではなく、最初から記録がないのかもしれない。
(それとも記録が消されたのか)
区別がつかない。
「……分かった。近づかない」
玲はログを閉じた。手帳に書きたかったが、手帳はまだない。今日ダグラスにもらうはずだ。いや、「もらうはずだ」という確信はない。ミラの葉を探し始めた。
採取しながら歩いていると、リゼットが口を開いた。
「あんた、強いの」
唐突な質問だった。
「強くない」
「だろうな」リゼットが草の間に目を向けながら言う。「でも昨日のギルドで、あんたが部屋に入ったとき、周りの冒険者を全員一瞬で確認したのは分かった。反射で。危険かどうかを見てた」
玲は手を止めなかった。「習慣ですよ。小心者なんで」
「小心者は石で魔物を倒さない」
「……」
「靴に泥がついてた。服の汚れ方と、石を持ってたこと。来る途中で何かと戦ったんだろ」
「スライムだったんで」
「スライムで石を使う人間はいない。普通はそのくらい素手でどける」
玲はリゼットを見た。リゼットは玲を見なかった。ミラの葉を摘みながら、言葉を続ける。
「能力があるだろ。隠してる。それはいい。他人に話す義務はない。ただ」
そこで初めてリゼットが玲を見た。
「危ない、と思ったら言え。私が死ぬのは私の問題だが、あんたが死ぬのは私が見ていた責任になる」
玲はしばらく考えてから、言った。
「……不器用な親切ですね」
「親切じゃない。効率の問題だ」
「そういうことにしておきます」
リゼットが鼻を鳴らした。玲はミラの葉を一枚摘んで、光にかざした。青い縁取り。依頼書の通りだ。正しいものが、ここにある。それだけが今、確かなことだと思った。
採取の終盤、玲がログを展開したとき、ひとつのエラーが出た。
```
[NEARBY ENTITY]
スライム(青)×3
レベル:1〜2
状態:通常
脅威度:低
```
出た。三体。昨日のこともある。玲は素早くリゼットに告げた。
「魔物が近い。三体。今のところ通常状態」
「今のところ、というのは」
「……変わることがある。昨日、変異したのに遭遇した」
リゼットが一瞬止まった。「スライムが変異した?」
「ログで確認した。弱点が消えて、耐性に打撃が入った。酸を使ってきた」
リゼットが玲を見る目が変わった。「それ、本当か」
「本当です。一応倒しましたけど」
「……スライムの変異は、普通起きない」
「だから聞いてほしかった」
リゼットが剣の柄に手をかけた。「来い」
三体のスライムが草むらから出てきた。普通のスライムだ。リゼットが大剣を抜き、一撃で二体を処理する。速い。一切の無駄がない。
残り一体。リゼットが踏み込もうとしたとき、スライムの色が変わった。青から、青紫に。リゼットの動きが止まった。
「……本当に変異した」
玲がログを確認する。
```
[ENTITY DETAIL:スライム(青→変異)]
弱点:──
耐性:打撃 / 刃 / 毒
状態:【警戒モード】
備考:███████████████
```
「リゼットさん、刃が効かなくなってます。火属性なら行けるかもしれない」
「魔法は使えない。炎は持っていない」
「じゃあ——」
玲は周囲を見回した。草原。草。乾いた草。
(火打ち石はないか。いや、ポケットに——)
石があった。金属成分を含んだ硬い石。昨日と違う種類の石を、今朝なんとなく拾ってきていた。もう一つ、玲は足元の枯れ草の束に目をやった。
「リゼットさん、スライムの動きを二秒だけ止めてくれますか」
「どうやって」
「それはリゼットさんの得意分野でしょ」
リゼットが舌打ちして、スライムの正面に立った。大剣を構える。スライムが攻撃態勢をとる。それで十分だ。玲は枯れ草を丸め、石を打ち合わせた。
一回。
二回。
三回目に火花が散った。枯れ草が燃えた。玲はそれをスライムに向けて投げた。炎がスライムに触れた瞬間、ぼん、という音がして、スライムが溶けた。あっけないくらいに。
沈黙。リゼットが振り返った。
「……石を打ち合わせた。火打ち石の要領で。昨日の失敗から学びました」
「昨日、試して失敗したのか」
「スマホのフラッシュで苔に火をつけようとしました」
リゼットの顔に「スマホとは何か」という疑問が浮かんだが、追及しなかった。
「バグが二日連続で出た」とリゼットが言った。
「出ました。ログには『正常な記録対象ではない』と」
リゼットがしばらく黙った。大剣を鞘に戻す。
「帰ろう」と言った。「ダグラスさんに話す。この街にいた頃から冒険者をしてた人だ。知ってることがあるかもしれない」
「……そうします」
玲たちは草原を歩き始めた。採取したミラの葉が、二十一枚。一枚多かった。
白銀亭に戻ると、ダグラスがカウンターにいた。玲たちの顔を見て、何かを察した目をした。リゼットが簡潔に状況を話した。スライムが二日連続で変異したこと。弱点が消えて、耐性が増えたこと。ダグラスは煙草に火をつけながら聞いた。
「ログに何て出てた」
玲が答えた。「『正常な記録対象ではありません』」
ダグラスが少し目を細めた。
「……昔、同じことを言ってた奴がいた」
「誰ですか」
「十年前に、この街を通っていった冒険者だ。『世界のバグが見える』と言ってた」
ダグラスが煙を吐いた。
「その人は今、どこにいますか」
ダグラスが少し間を置いた。
「消えた。記録も、存在も。まるで最初からいなかったみたいに」
玲はその言葉を、体の中心で受け止めた。暖炉の火が揺れていた。白銀亭は静かだった。
手帳をもらったのは、その夜だった。ダグラスが何も言わずに、カウンター越しに小さな革表紙の手帳を差し出した。玲が「なんで」と聞くと、「書き留めた方がいい、と思ってな」とだけ言った。
玲はその夜、手帳の最初のページに書いた。
「バグ記録、1日目:スライムが変異した。ログが壊れた。でも倒せた」
名前は、まだ書けなかった。
—続く—




