序章
息苦しさを覚える密室空間。室内には、暑いとも暖かいともいえぬ微妙な温度の空気が漂う。僅かな湿気を孕んだそれは、すべての窓をカーテンで遮り、電気もつけぬ部屋の中に一人で佇む少女の身体を、どろりと包み込む。
全身に絡みつく重たい空気を感じながら、少女は沈黙したまま一定のリズムを刻むようにして右手に力を込めていた。その動きには躊躇いなど一切感じられず、しかし二対の刃はひどく緩慢に〝あるもの〟を切り裂いていくのだった。
少女の手に力が加わる度、その力に連動するようにして、右手に握られた鋏が細長くしなやかな〝それ〟を切り落とす。鋏の刃は包丁などといった刃物のように鋭く、少女の手には幾分大きい。ほの暗い部屋の中で鈍色に艶めくそれは、少女の力に反発することなく忠実に〝それ〟を切り進む。二つの刃が合わさるたび、鋭利な音が鋏からこぼれては、空気に吸い込まれるようにして瞬く間に消える。
やがて、静寂を唯一破っていた鋏の乾いた音さえも完全に消えた。薄闇に包まれた無音の空間で、全身鏡の前に立つ少女は密やかな笑い声とともに口元を綻ばせる。それと同時に、もう用無しとなった鋏を握る手を、だらりと力なく垂らした。目の中心に存在する深い穴のような黒い瞳は、刃によって切り落とされ短くなった〝それ〟を鏡越しに見つめる。
「これで少しは身体、軽くなるかな?」
大人びた物静かな声で、囁くように少女は言葉を紡いだ。口からこぼれた麗しい声は清らかな川の流れより滑らかで、静謐な闇のように凛としている。
「これで、新しくなれる。……いや。新しく、なるんだ――」
物憂げな彼女の頭の中で、ある人物との思い出が鮮やかに脳内で駆け巡る。蘇る、たくさんの笑顔。笑い声。充実感溢れる気持ち。締め付けられるような、しかしけして嫌ではない胸の痛み。そして――
「――馬鹿みたい。あんな奴、最低だ」
吐き捨てるように呟くと、少女は鏡の中の自分から視線をそらす。鏡に映る少女は、瞼を伏せた淡いブラウンの瞳に悲壮をたたえたまま、やがて鏡の中から姿を消した。