第7話 安息と疑念
空はもう真っ暗で、お月さんが夜の街を照らし出している。
俺はと言や、花壇の縁石に座ってパイプをふかしていた。
さっき殴られた左頬が熱を持ってやがる。一応、手当てはしてもらったんだが、しばらく腫れが引きそうにねぇな、こりゃ。
「…………ぷは」
火皿から立ち上る煙が月の光を吸い込んで、白い一筋の糸みてぇになってる。
口の中で転がしていた煙を吐けば、タバコのにおいが辺りに広がっていく。
街に幾つかある診療所の前。昼間はそれなりに人通りやら人の行き来がある場所だが、流石に夜ともなると、急病人でない限りはこんなトコには来たりしねぇ。
遠くから聞こえてくる喧騒。酒場やらが一番賑わう時間になってたんだな、いつの間にか。
しかし今日は、色んなことがあり過ぎて疲れた……。
「ゴオト」
背後から声を掛けられた。振り向いてみりゃ、ジュリアが診療所から出てきたところだった。
「あの……ありがとね、助けてくれて」
「まあ、今回はテメェの運が良かったんだよ」
普段やたらとうざ絡みされてるから、コイツのこんなにしおらしい態度ってのは、中々新鮮なモンがある。
投げやりに返してみりゃ、沈黙が押し寄せてきた。
俺はパイプの煙を吸って、妙な気まずさを誤魔化してみる。
そんな俺の隣に腰を下ろすジュリア。
「ヴォルガ、しばらくは安静にしてなきゃいけないけど、冒険者としては復帰できそうなんだって。ゴオトが『治癒』をかけてくれたお陰かなって」
「ああ、そうかよ」
ヴォルガ──あの重戦士の兄ちゃんが助かったのは素直に喜ばしいが、俺としちゃ少々複雑な気分だ。
『治癒』の『奇蹟』を多人数の前で使う予定なんざ、これっぽっちも無かったんだからな。
「そう言やぁ、テメェ」
俺はほんの少しだけ気になっていたことを口に出してみる。
「あん時、『また助けてくれた』っつってたよな? 俺にゃ、テメェを二度も助けた覚えなんざねぇぞ?」
俺の言葉にコイツは──ジュリアは少しだけ、迷ったような、悲しそうな顔をした。
「あ、あのね。あたしね、昔、ゴオトに助けてもらったことがあるんだよ」
俯いて、俺の顔を見ようともしねぇ。
「もう、10年以上前になるかな。あたしがもっと小さかった頃、あたしは聖都に住んでたの。と言っても、貧民街だけど」
聖都。その単語を聞いて、俺の顔が思わず歪んだのが判った。
あの場所には、ロクでもねぇ思い出ばかりだ。
「お母さんが死んで、どうしたらいいのか分からなくて途方に暮れてて、借金のカタに人買いに売られそうになったところを、ゴオトが助けてくれたんだよ。お母さんもちゃんと弔ってくれて、あたしも孤児院に入れてもらって、本当に感謝してたの」
そんなことがあった気もするし、無かったような気もする。
つか、10年前か。俺がまだ神官に昇格したばかりで、やる気も情熱もあり余ってた頃だな。
あの頃の俺にとっちゃ、よくある人助けの一つだったんだろう、たぶん。
「悪ィが、覚えてねぇな。でも、テメェの中では『そういうこと』になってんだろ。実際は、俺かも知れねぇし、俺じゃねぇのかも知れねぇが」
言っちまった後で、しまったと思った。
ジュリアが、ひどく悲しそうな顔をしていたからだ。
一瞬、大きな目の端に光るものを見たような気がするが、見間違いってことにしておきたい。
再びの沈黙。
俺はまた、パイプの煙を吸って口の中で転がすが、さっきよりも不味くなった気がする。
「ねぇ、ゴオト」
下を向いていたジュリアが、顔を上げながら訊ねてくる。
「明日、また潜るんでしょ?」
「え、ん、ああ。まあな」
元々の予定じゃ、明日潜るはずだったんだよな。
今日見かけた17号区画の前に立ってた連中、あいつらも青い鎧の騎士の仲間なんだろう。
逆に言や、あの見張りが立ってたなら引き返せばいい。
「あたしも、ついていくから」
俺を見上げるジュリアの瞳には、強い決意の色が宿っている。
あんな目に遭ったってのに、懲りねぇな、コイツは。
「着いてくるってんなら勝手にしろ。明日の正午前にギルドだ。言っとくが、待たねぇからな」
俺の言葉に、ジュリアは大きく頷いた。
同時刻。アレフは行きつけの酒場に居た。
小さな酒場だが、良心的な値段で飲める上に料理も美味い、かなりの穴場店だ。
普段よりも少しだけ高い酒のボトルを注文し、グラスに注いでいく。
薄暗い店内。暖かみを感じさせるランプの光。
店内は、外の喧騒から切り離された空間であるかのように、静けさに包まれている。
8分目まで酒の入ったグラスを持ち上げながら、アレフは今日の出来事を思い出していた。
──あの追放神官、確かに『奇蹟』を使っていたよな。少なくとも『治癒』は確実に。複数人を同時に回復させるなんていう高位の『奇蹟』、俺が組んだことがある僧侶には、使える奴なんて居なかった。
生じた疑念を打ち消すように、グラスの酒を一気に呷る。
だが一度生じたそれは、染み込んだ墨汁のように、拭い切れない黒い点となって心に残ってしまう。
アレフは思わず、大きく息を吐く。
「よっ! 今日は随分と良い酒飲んでるじゃないか。何か臨時収入でもあったのか?」
不意に肩を叩かれて振り向けば、彼の友人の戦士仲間が立っていた。
「まあ、そんな所……だな」
歯切れの悪い返事だが、友人はお構いなしに隣に座る。
カウンターの向こうの店主にグラスを頼んでいる辺り、タダ酒にありつこうという算段のようだ。
友人の行動に少しだけ呆れつつも、アレフは運ばれてきた空のグラスに酒を注いでやる。
「我が友人アレフが、幸運の女神の祝福を受け取ったことに──」
「乾杯!」
友人の音頭と共に、グラスを合わせる音が鳴る。
どちらからともなく、競うように酒を一気に飲み干す2人。
「あー、やっぱり最高だな!」
「お前の場合、タダ酒だから、だろう?」
アレフの言葉に、互いに顔を見合わせて笑う。
和やかな空気。
それに似つかわしくない、心の中の黒い点。アレフは友人に尋ねてみる。
「なあ。教会を追放された僧侶とか神官って、『奇蹟』は使えない……よな?」
「はあ? 何言ってんだよ。『使えないから追放された』んだろ。マジで何言ってるんだお前、もう酔っ払ってるのかよ?」
「そ、そう、だよな……」
曖昧な笑いで誤魔化すも、アレフの中の疑念は再び燻り始めていた。
──調べる必要があるかもな。あの追放神官、ゴオトが、何で『奇蹟を使えるのか』ってのを。




