第5話 第2階層17号区画①
迷宮城砦の地下ってのは不思議な場所だ。何しろ、昨日まであったモンが突然無くなっちまったりするんだからな。
そいつは『物』だけに限らねぇ。階層や階段、区画なんかの『構造』にも当てはまっちまう。
下の階層に行くための階段が何処にも無かった、逆に上に戻るための階段が見当たらなかった、なんてぇのはたまに耳にする話だ。
第2階層17号区画。この場所もそうだ。
消えては現れ、現れては消える。通称『幽霊区画』とか言われてるらしいが、そんな性質のせいで、未だに探索と管理が進んでねぇ区画になっちまってる。
ギルドの連中も大変だな。同情はしねぇけどよ。
この場所じゃ、壁に光水晶がほぼ埋め込まれてねぇ以上、ランタンの灯りが命綱だ。
オレンジ色の光が、狭い通路を照らし出す。泥なのかネズミの糞なのかは知らねぇが、黒いものが石畳の隙間を埋めている。
俺達以外に動いているものは何もねぇ。ランタンの中から聞こえてくる油の燃える音が、今はやけに大きく感じちまう。
空気はさっきよりも一段と湿っていて、一歩踏み出す度に体に纏わりついてきやがる。
時々、杖の先で数歩前の石畳を叩きながら、慎重に歩を進めていく。
「……何をしているんだ?」
アレフが聞いてくる。おいおい。
「何って、罠とかがねぇか確かめてんだよ。長い棒とか杖とか、そういうモンで確認しながら進めって、ギルドのダンジョン探索講習で一番最初に教わったはずだろうが」
何しろ探索が進んでねぇ区画だ。一応の地図はあるが、誰も掛かってねぇような悪質な罠があるかもしれねぇ。
様子を見に行って死体になりました、何てぇのは、笑い話にすらなりゃしねぇからな。
「……もしかしてテメェ、管理外区域は初めてか?」
中堅どころか上位でもたまにいるんだよな、光水晶頼みでランタンすら持ったことのねぇ奴。
「そ、そんな訳ないだろう? 馬鹿にするのもいい加減にしろ!」
語気を強めながら、大股で俺を追い抜いていくアレフ。
「あ、おい! 待ちやがれ!!」
止めるよりも前に、アレフが数歩先の石畳を踏んだ。さっき叩いて確かめたときに、微妙に音が違ってた所だ。
「急いでるんだろう、慎重になり過ぎるのもどうかと思」
振り返りながら俺に向かって言葉を吐いてきたと思えば、アレフの体が奴の背後の方向に、ぐらりと傾いた。
何かが崩れる音と同時に。
「チッ!!!」
舌打ちより先に杖を投げ捨て、咄嗟に片腕を掴む。奴が落っこちねぇように、思いっきり重心を後ろに傾けながら。
「ぐぎぎっ! んおおおッッ! こんな、オッサンにッ、重労働、させんなッ、クソがっ!!」
流石に戦士だけあってクッソ重い。剣も鎧もガタイも飾りじゃねぇんだな、なんて感心してる場合かよ俺。
アレフを引っ張りながら、俺は大物を釣り上げたときのように後ろに倒れ込んだ。何とか、無事だったか。
「だから、言った、だろうが……」
肩で息をしながら、俺は声を絞り出す。さっきまでアレフの腕を掴んでいた右手が、まだ少し震えてやがる。本気で肝が冷えたんだが?
「す、すまない……」
お、素直に謝りやがった。
「頼むぜぇ。テメェだって、たかだか銀貨3枚であの世になんぞ行きたくねぇだろうがよ」
座り込みながら、腰の鞄から白墨を取り出して床にバツ印を付ける。これも罠を発見した奴の義務みてぇなモンだ。
もっとも、この場所じゃ意味があるのかどうかは分からねぇが。
息を整えて、立ち上がる。ついでに、崩れた床の底へランタンの灯りを向けてみた。
長く鋭い刃がびっしりと生えた床。隙間に見えるのは恐らく──人間の骨だ。
いつの物かは分からないが、少なくとも、俺達よりも前に罠に掛かっちまった奴なんだろう。
「本当は弔ってやりてぇが……回収するのは無理、だな」
誰にも聞かせる気のねぇ声で、俺はそう、呟いた。
他の冒険者連中にとっちゃ、この場所みてぇな『幽霊区画』は、あまり魅力的な場所じゃあねぇらしい。
危険に対して見返りが少ない、要はお宝なんてとうに取り尽くされて見つからねぇなんて思われてるんだろうな。まあ実際、その通りだけどよ。
だから、立ち入る奴等は少ねぇ。そいつはつまり、廃屋みてぇに空気が澱みまくってるってことだ。
湿気もこもりゃあ、においだってこもる。冒険者ってヤツは、ダンジョン特有の臭いに鈍感になっていくモンだ。
血の臭い、以外にはな。
「……この臭い」
後ろのアレフが声を漏らす。呑気なコイツですら、緊張感が高まってるみてぇだ。
幸か不幸か、冒険者を続けていく内に、血の臭いだって嗅ぎ分けられるようになる。人間のものか、それ以外のものか。
「ああ。微かだが、してやがるな」
たどり着いた小部屋。そこには確かに、人間の血の臭いが漂っていた。
ランタンを高く翳せば、床に転がっている『何か』が反射して輝く。
金属の破片と、木片。それと、点々とした血痕。
金属は錆びてねぇし、木片は腐ったりなんかもしてねぇ。おまけに血痕はほんの少しだけ乾いてねぇ部分がある。
穏やかとは言えねぇような出来事が、この場所で最近起こった。それは明白だった。
「お前が死体回収で潜った時には、こんなのはあったのか?」
「ある訳ねぇだろ。見つけたらギルドに報告してるに決まってんだろうが」
普段と同じ態度を取ろうとするが、心の奥底で渦巻く不安を振り払うことは出来ねぇ。
本気で嫌なんだよ。知ってる奴の遺体を回収するハメになるのなんざ。
だが……コイツは、覚悟する必要があるな。
床には血痕が続いている。
どちらからともなく顔を見合わせると、俺達はその後を辿る。
真新しい血の臭い。
小部屋を出て、通路を進んで行けば、血痕は唐突に途切れた。
「消えた……のか?」
「馬鹿言うんじゃねぇ。人間が突然消える訳ねぇだろうが。転移魔術使えるような高位の奴も居ねぇだろうしな」
じわじわと心の奥底に湧き上がってきた焦りを隠すように、俺は床の血痕を観察する。
途切れているが……血痕の密度が高い。ということは、ここで立ち止まった、のか?
屈み込んで、更によく観察する。
血痕の形が微妙に違う。確か、進む方向で形が変わるなんて話を、大昔に聞いた覚えがある。
だとしたら。
「あ、おい!」
這いつくばりながら、形の違うものを追って引き返す俺。そんな俺に戸惑いの声を掛けるアレフ。
端から見りゃ単なる奇行かも知れねぇが、こっちは必死なんだっての。
ズボンが汚れるのを気にしてる余裕なんてモンは、何処かに置いてきちまった。
小さな痕跡を読み取るのに、ただひたすら神経を集中させる。
ああクソ。老眼気味にはマジで辛ぇなコレは。
どれくらいの距離を這って戻ったのかは分からねぇが、血痕が突然少なくなった。いや、『元の数に戻った』と言うべきか。
顔を上げれば、目の前には壁があるだけだ。
「どうしたんだ?」
追いついたアレフ。
「たぶん、ココだ」
立ち上がりながら、俺は杖を構える。
「……何がだ?」
「いいから目ェ閉じてろ!」
言うが早いか、俺は『閃光』の奇蹟を発動させた。
瞬間、真っ白な光が杖から溢れ出す。目を閉じても眩しいくれぇの、強烈な光。焦り過ぎて出力間違えたみてぇだ。
ようやく光が収まったときには、目の前にあったはずの壁は完全に無くなっていた。やはり、この区画によくある仕掛けの壁だったか。
「……だ、誰……?」
壁の代わりに目の前に広がっている闇の中から、女の声がした。
聞き間違えるはずがねぇ。事ある毎にウザ絡みしてきやがる、面倒臭ぇうるさいガキの声なんざ。
「年上の言うことを、聞いといて良かっただろ?」
「ゴオト!」
ランタンを持ち上げて掲げれば、小部屋の中がオレンジ色の光で満たされていく。
俺の顔を見て、ようやく安心したらしい。ジュリアがゆっくりと近付いてきて、俺に抱きついた。
「また、助けてくれた。信じてた。信じてたけど……思ってたより早いよ、ばか」
体が小さく震えているのが伝わってくる。まあ、無理もねぇな。
つか、『また』って何だよ。
「思ったより早かったってのに、文句言うんじゃねぇよ」
軽口を返しながら、小部屋の中を見渡す。ジュリア含めて軽傷が2人、無傷だが精神的にキテそうな奴が1人、そして。
「……そっちの兄ちゃんは、大分悪そうだな」
壁にもたれ掛かっている、重戦士らしき兄ちゃん。鎧の左肩部分は完全に破壊されて、その周辺が血で染まっている。
左肩。俺がこないだ回収した遺体と同じ位置。偶然だとしても一致するようなモンか、コイツは。
ランタンの光でも判るくらいに顔は青白くなっちまっていて、呼吸も浅い。目は半開きで、意識があるのかどうかも分からないような状態だ。
「ゴオト、どうしよう、このままだとヴォルガが」
途方に暮れたようにジュリアは呟く。
俺は……一瞬だけ躊躇した。
『奇蹟』を使えば、少なくともヴォルガって名前の兄ちゃんは、確実に命を繋ぐことが出来るだろう。
しかしそれは確実に、厄介事を引き寄せるハメになっちまう。
だが、消えかけてる命を見捨てることなんざ、出来る訳がねぇ。
そいつをやっちまったら、俺は神官として完全に『終わり』なんだよ!
──神よ。星の巡りを司る我らが神よ。
杖の石突の先端を、静かに石畳の床に触れさせる。
──無情なる刃に傷付けられし肉の体を、非情なる風に煽られし命の灯火を。
ランタンの燃える音が、いやに耳に入ってきやがる。
──救い、癒し、再び星の巡りと共に歩むために、その御力をお顕し下さい。
俺は心の中で、祈りの言葉を唱えた。
──『治癒』。
唱え終わると同時に目を開ければ、細かな青白い光が雪のように降り注いでいた。
どうやら祈りは聞き届けられたらしい。
夜空に広がる星々のような光が、ジュリア達の傷を見る間に回復させていく。重戦士の兄ちゃんも、少しは状態が良くなったみてぇだ。
「とりあえず、これで何とか街までは保つだろ。とっとと脱出すんぞ」
呆気に取られたような表情を浮かべてやがる面々に向かって、俺は発破を掛ける。
「おい、アレフ!」
振り向きざまに呼べば、奴は信じられないと言いたそうな顔をしてやがった。俺はあえて、それを無視する。
「あの重戦士の兄ちゃん、背負ってやれ」
「あ、え? 何で俺が……」
「おいおい、こんなか弱い非戦闘職のオッサンに、あんな重そうな鎧装備してるガタイの良い兄ちゃんを背負わせようってのかよ。おまけに、さっき助けてやっただろ? 落とし穴に落っこちそうになったのは、何処のどいつだったかなァ?」
わざとらしく、ねちっこく言ってみりゃ、アレフは舌打ちしながら重戦士の兄ちゃんの方に向かっていく。
中々操縦しやすいなコイツ。
「……ほら、これでいいんだろ?」
アレフが重傷者を背負ってくれたのを確認し、俺は改めて声を掛けようとした。
その時だった。
「貴様等、全員動くな」
威圧感のある鋭い声が、俺の背後から浴びせられた。
──残留思念体と遭遇した日は、運気が最悪の日だ。だから宿屋で一日寝て過ごした方が良い。
今更ながらもう一度、その言葉が脳裏に蘇った。




