第16話 最後の夜
「……い、おい!」
俺を呼ぶ声が聞こえる。重い瞼を開けば、そこに居たのは。
「どうしたんだ、ゴオト。急に寝そうになったりして」
肩まである金髪を後頭部で一纏めにした、どことなく人好きのする雰囲気の男。俺の親友、ホークだ。
「あ、え……? ホーク……?」
「どうしたんだお前、本当に変だぞ今日は。まさか、神官の仕事が忙しくて、疲れが溜まりまくってるのか?」
……ああ、そうだった。
確か今日は、コイツが久しぶりに聖都に戻って来たってんで、会って、飲んでたんだっけか。
俺のことを不思議そうに、それでいて心配そうに見つめながら、グラスに入った酒を口に含むホーク。
少しだけ癖のある琥珀色の酒は、コイツの大好物だ。
「いや、まあ……疲れてるっちゃあ疲れてるんだがな。やってることは下っ端時代と何一つ変わりゃしねぇし」
乾いた口の中を濡らすために、俺も酒を口に含む。
鼻の奥に立ち上る酒精の刺激が、さっきよりも俺の意識をはっきりとさせる。
「おまけに最近は、『上』から振られる仕事だってバカみてぇに増えてやがる。まったく、中間管理職も楽じゃねぇよ。上からも下からも圧力が来て、板挟みなんだからな」
虚勢を張るように、力無く笑ってみせるが、滲み出る疲労を隠すことは出来ねぇ。
「テメェの方こそどうなんだよ。聞くところによりゃあ、最近また魔獣を倒したんだってな? あの、北の方の大森林に出てたヤツだっけか」
強引に話題を変えてみりゃ、ホークは照れたように笑う。
「いや、俺は大した事はしてないよ。たまたま遭遇して、たまたま勝てたってだけだからな」
思い切り謙遜してやがるが、コイツの戦闘の腕は確かなモンだ。教会にも教会付きの騎士ってのはいるが、俺が知る限りでは、ホークより強ぇ奴は見たことがない。
「はぁ。良いよな、冒険者ってのは。俺も全部ほっぽり出して旅に行けたらどんだけ楽か」
ひたすらに重いため息が、酒の臭いを纏いながら転がっていく。
「おいおい、仮にも星導教会の神官様が言うようなことじゃないだろ、それ」
俺の背中をバシバシ叩きながら、ホークは笑う。釣られて、俺も笑っちまう。
「……でもまあ、冒険者って職業も楽じゃない。安定って言葉とは無縁だしな。良いときはとてつもなく良いし、悪いときはとことん悪い」
フッと、ホークは寂しそうな顔をする。
「ついこの間な、俺の知り合い──冒険者の先輩が亡くなったんだよ」
ほぼ空になったグラスを置く音が響いた。
「その人はな、最近ツイてないって嘆いてたんだ。依頼が達成目前で取り下げられたり、他の冒険者に先を越されたり」
ホークは遠くを見つめるように虚空に目を遣る。俺の知らない表情だ。
「だから、焦ってたんだろうな、他の奴らが受けないような危険な依頼を受けて、そのまま」
不意に訪れた沈黙。
もしも依頼の最中やダンジョン探索の途中で死んじまったりした場合、ほとんどの場合は弔われずに放置されちまう。冒険者ってのは、そういう職業でもある。
「……なあ、ゴオト」
ホークは真面目な表情で、俺を真っ直ぐに見る。視線を逸らすことすら禁じるように。
「もし俺が死んだら……お前がその手で弔ってくれないか?」
「バッ……! テメェ……」
それ以上は何も言えなかった。否定しちまえば、ホークの意思を否定することになっちまう。そう思えたんだ、あのときは。
……『あのとき』?
「……分かったよ。俺が必ず、弔ってやらあ。だがな、絶対に命を無駄にするような真似はするんじゃねぇぞ」
俺はグラスを掲げ、ランプの灯りに透かしてみせる。
「死んじまったら、こうして一緒に酒を飲むことも出来ねぇだろうが」
「ああ。そうだな」
ホークは、微かに笑う。
再び、互いのグラスに酒を注いでいく。拳を合わせる代わりにグラスを合わせれば、それが俺達の約束の印だ。
中身を一気に飲み干せば、軽い倦怠感が眠気を誘う。
「そろそろお開きにするか。お前もちょっと、限界が近いみたいだし」
「んなこたねぇと言いたいところだが、その通りなんだよな、残念ながらよ」
どちらからともなく、笑いが起きる。こんな幸せな時間が、いつかまたやってくると思っていたのにな。
……『思っていた』?
「そう言やぁよ、次はどこに行くつもりなんだ?」
「次は……そうだな、西の方に行ってみようと思う。聖都からは近いのに、まだ一度も行ったこと無かったんだよな。まあ、クルガン公国辺りだな、行くとすれば」
クルガン公国。聖都からは3日ほどの場所にある小国。その名前を耳にして、俺の心臓に、冷たい手で鷲掴みにされたような感覚が走った。
そうだ。
ホークは、クルガン公国に、入国した後、大公暗殺計画の、濡れ衣を着せられて、そのまま、憲兵に、殺──。
「クルガン公国か。ここからだと、そこそこ近いな。美味い酒があったら教えてくれよ?」
『俺』が笑いながら言う。
何で、笑ってんだよ俺は。アイツが、ホークが、このままだと死んじまうんだぞ。
「ああ、任せとけ。忙しい神官様に代わって、調べておいてやるよ」
ホークが、悪戯っぽく、笑う。
違う、違うんだ。俺は、止めてぇのに、何で、言葉が出てこねぇんだ、何で。
「それじゃあな、ホーク。また、会って酒飲もうぜ。今度は土産話でも聞かせてくれや」
「おう。ゴオト、お前も元気でな。次は寝落ちしそうになるなよ?」
そしてホークは酒場の扉へと歩いていく。
止めたい、止められない、止まらない。
軋んだ音を上げながら開いた扉が、今度は重苦しい音を立てて閉まる。
そうだよ。止められる訳がねぇんだ。
だってこれは、あの日のことを、『俺』が夢で見ているだけなんだから。
目が覚めたときに真っ先に飛び込んで来たのは、見覚えのねぇ天井だった。
上半身を起こしながら、一つずつ思い出していく。
確か、レオンの魂を呼び戻して、アレフの野郎に文句を言って、それから……。
「あっ!! ゴオト、目が覚めたんだね! 良かった……」
椅子の上で半寝半起きだったジュリアが、俺を見るなり、ベッドの側に飛んでくる。声がデケェんだよ。
「ホントにびっくりしたんだから! 鼻血出したと思ったらそのまま倒れちゃって」
「……レオンの奴は?」
一番気になっていることを聞いてみる。
「大丈夫。しばらく安静が必要だけど、ちゃんと生きてるって」
その報せに、俺はようやく胸をなで下ろした。
だって、そうだろ? 助けられてなきゃ、こっちの命を張ってまで呼び戻しに行ったのが無駄になっちまうじゃねぇか。
そうなると。
「ところでよ、ここは一体どこなんだよ。街の診療所にしちゃ、やけに豪華だし寝心地いいし」
「此処は宿屋だ。最上級の部屋を用意してもらったのだ」
言いながら部屋に入ってきたのは、エドゥアルトと……ミカエラとか言ったっけ、あの姉ちゃん。
「最上級の部屋だぁ? 一体全体、どういう風の吹き回しなんだよ」
明らかに不審がっている表情が出たたんだろう、エドゥアルトが口を開く。
よりも前に、ミカエラが歩み出て、俺の寝ているベッドの前で跪いた。
「ゴオト様、お願いです。どうか……どうか、ヴィクトール様を生き返らせて下さい!」




