第14話 印章
印章。その言葉が騎士サマ──エドゥアルトから出た途端に、部屋の中の空気がピリついた、そんな気がした。
「念のために聞いとくが、印章って『どんな印章』だ?」
もちろん、返すつもりではいる。だが、目の前のコイツが本当に亡くなった奴の親族である『エドゥアルト本人』なのかどうか、確かめる術は俺にはねぇ。
貴族連中の顔もそうだが、騎士連中の顔も、他の場所に住んでる奴が目にする機会なんざほぼ存在しねぇからな。
遺品を返す上で一番怖いのは、本人を騙る赤の他人に渡しちまうことだ。
「見た目に似合わず慎重なのだな?」
鋭い視線でこちらを見ながらも、エドゥアルトの口元は微かに笑ってやがる。
まるで、『そうでなくてはな』とでも言いたげに。
「台座に青玉が嵌め込まれている指輪型だ。純銀製で、台座部分が外れるようになっている。やや大きめで、彫刻などの装飾は無い」
淀みなく、特徴をスラスラと答える。これだけで本人と確定出来た訳じゃねぇが、少なくとも『どんな物か知っている』奴の言い方だ。
俺のカンは当たらねぇことに定評があるが、コイツは信じても良さそうだ。
「……ほらよ」
腰に着けた鞄から革袋を取り出し、その中に入れていた印章を渡す。
窓から射し込む日の光を反射して、指輪部分が鈍い輝きを放つ。
「確かに。これは兄上が持っていたものだ」
手袋を外し、3本の指で慎重につまみ上げると、エドゥアルトは確かめるように印章を光に透かす。
「葬儀屋の嬢ちゃんから聞いてるかも知れねぇが、遺体の首の部分に引っ掛かっていたらしい。まるで誰かに奪われねぇようにするみてぇにな」
エドゥアルトの片眉が、僅かに釣り上がったのが見えた。
「……奪われないようにって、その、エドゥアルトさんのお兄さん、誰かに……殺されたの?」
不安げな表情で、俺に聞いてくるジュリア。
「ほぼ確実だが、恐らくは、な。俺が回収したときは、左肩の骨が砕けて崩れかけてたんだよ」
「左肩……やだな、ヴォルガと一緒……」
言われてみりゃ、確かに同じだ。
偶然か? それとも。
「……取り敢えず、印章は無事に確保出来た。次は墓守に頼んで遺骨を引き取らねばな」
独りごちるように、エドゥアルトが呟く。
そういや、あのクソ野郎──大司教サマに生き返らせてもらうために、遺体を探してたっつってたな。
言うべきか、言うまいか。
「一つ聞きてぇんだが……」
エドゥアルトは、俺をじっと見る。
「何で生き返らせてぇんだ? 言いたかねぇなら、別に答えなくてもいいけどよ」
俺の問いに、エドゥアルトは黙っちまう。流石に相手の事情に踏み入り過ぎたか。
「……やっぱり答えたくねぇよな。済まなかったな。悪ィ」
「父上の」
早々に話題を切り上げようとした瞬間、エドゥアルトはゆっくりと口を開いた。
「父上の望みなのだ。恐らくは、最期の」
最期。その単語の持つ重みが、場の空気を沈黙せざるを得ない状態にする。
「兄上が勘当を言い渡されたのは話したな。だが父上は病の床で、兄上に会って謝りたいとおっしゃっていた。余命幾許も無い父上の願い、息子として叶えて差し上げねばなるまい」
エドゥアルトから出てきたのは、あまりにも切実な『願い』。
そんな願いすら、教会の上の連中は弄んで喰い物にしてやがったんだ。
「……あのよ」
これを言っちまえば、エドゥアルトは絶望しちまうかもしれねぇ。でも、早かれ遅かれ確実に知ってしまうことだ。
兄を生き返らせるって『願い』を叶えることは不可能だってことに。
俺が遠慮がちに言葉を紡いだのを聞いて、エドゥアルトとミカエラはこちらを見る。
続きを話そうとしたとき、唐突に部屋の扉が勢い良く開いた。
「おいゴオト! すまないが、大急ぎでついてきてくれ!!」
息を切らせ、肩を大きく上下させながら、扉を開けた張本人──アレフは叫ぶように言った。
何かしらの緊急事態が起こったってのは、誰の目にも明らかだった。
切羽詰まった様子のアレフの後ろを追い掛ける。辿り着いたのは、街外れの墓地だった。
「何これ、こんな、ひどい……」
ジュリアが震える声で呟く。
現場を見て、俺は声も出せなかった。
掘り返された墓穴。強引にこじ開けられた棺。中は……空だ。
そして。
「……ゴオト、どうしよう、どうしよう……」
地面にへたり込んでいたフューネが、俺を見つけるなり、助けを求めるように繰り返す。
その側には、血塗れの男が2人、倒れている。
一方は黒い鎧を着た若い兄ちゃん。もう一方は、俺の見知った顔──レオンだった。
「クソッッ!!」
迷う暇もなく、すぐに『治癒』を発動させる。
「おいフューネ! 一体何がどうなってやがるんだ!?」
フューネの元へと駆け寄り、両手で嬢ちゃんの肩を揺さぶる。思いがけず大声が出ちまった。焦ってるのは解ってる。止められねぇんだよ。
「分からないの。私達がレオンに会いに来たとき、墓守の小屋は鍵が開いてて……墓地の中を探してたら、こんな、レオンが」
そこまで言って、フューネは両手で顔を覆う。
「どうしよう、ねえ、レオンが、ゴオト……助けて……」
それきり黙っちまった。普段あまり感情を表に出さねぇ嬢ちゃんだ、表情は見えねぇが、明らかに泣いている。
「おい! マルク! 何があったのだ!」
俺の後ろからは、エドゥアルトの声がする。
「あ……、エドゥアル……団長、あいつらが、墓守を…、墓を、無理にっ、……止めようとして、わ、私も……」
風が吹けばかき消されちまうような弱々しい声だが、生きてはいるらしい。
だが、こっちは。
「おいレオン! 起きろ! しっかりしやがれ!」
頬を叩き、体を揺さぶるが、下りた瞼は開かない。日に焼けて浅黒い顔は、今はもう土気色になっちまってる。
頬を叩いたときに触れた体の冷たさ。上下していない胸。
認めたくねぇ。認めねぇぞ俺は。
「ああクソッ! テメェとッ、まだッ、あの店にッ、飲みにもッ、行ってッ、ねぇだろッ!」
心臓の位置に両手を押し当て、体重を掛けながら、一定の周期で圧迫する。
「ゴオト、その者は」
「だから何だってんだよ! 俺は往生際が悪ィんだ!」
エドゥアルトが何か言いかけたのを、俺は苛立ち混じりにデカい声で遮る。
クソッ、クソッ、クソッ!!
いつだってそうだ。不幸な奴は不幸なままで終わっちまう。助けたくても、手を差し伸べても、不幸っていう名の穴に吸い込まれて落ちていく。
何でだよ。何でなんだよ!
不幸な目に遭った奴ほど、幸せになるべきだろうが!
いつか酒飲んでたときに、俺に見せてくれた喉の傷。筆談で、母親に裂かれたって、諦めたように笑ってたよな?
諦めんなよ。レオン、テメェは幸せにならなきゃいけねぇ人間だろうが。このまま終わるなんて、許されていいはずねぇだろ!
俺は許したくねぇ!
俺は……俺は……。
「…………クソが……」
いつの間にか、肩で息をしていた。腕も痛ぇし、体も痛ぇし、もうこれ以上は続けられねぇ。
絞り出すように吐き捨てると、俺はレオンの傍らに座りながら、空を見た。
雲一つ見当たらねぇ青空。暖かい陽射し。なのに。
「……お前は良くやったよ。助からなかったのは、仕方ないじゃないか」
壁を2つ隔てた向こうから聞こえてくるような、アレフの声。
「泣かないで、大丈夫だから……」
フューネを慰めているジュリアの声。
視線を戻せば、悲痛な眼差しでこちらを見ているエドゥアルトと目が合う。
もう一度、レオンを見る。
最初に見たときは血塗れだったが、今は傷は無い。『治癒』が効いたらしい。
息もしてねぇし心臓も止まってるのに、傷は塞がった。つまり、生命の残滓が身体に残ってるってことだ。
まだ、間に合うかも知れねぇ。
「おい、テメェら」
俺の声に、全員の注意が一気に集まる。
「今から俺は、レオンの魂を、呼び戻してくる」




