曹操ちゃんは頭が痛い。花嫁泥棒ととばっちりの袁紹
「阿瞞ちゃーん。遊びましょー」
闕などとは到底呼べないような屋敷の門の前で、私はお目当ての友人を叫んだ。
樫の木で作られた門を守る門番達は、もはや私の来訪など日常茶飯事になっているせいか、苦笑いしてこちらを見ては、気にも止めず人の往来を眺めている。
「阿瞞ちゃーん。出てきてくださいよぉ」
門を叩くと、ドンドンと鈍い音がして、手が少し痛い。
相変わらず門番は苦笑いしながら「またやってるよこの子」とでも言いたげに顔を見合せている。
普通こんな無礼な行動、一般の家でも見過ごされるものではないし、それが大司農曹嵩様の屋敷となれば尚更だ。
だが私は許されている。なぜなら私と阿瞞ちゃん⋯⋯曹操ちゃんはその大司農すらも認める大親友だからだ。
「曹操ちゃーん。出てこないなら乗り込みますよぉ」
最終手段を仄めかすと、時を置かずして門が徐に開かれていく。
開いたのは屋敷の女中さんで、若い人だ。
かなりの器量の持ち主で、こう言ってはなんだが多分曹操ちゃんに味見されている。
「ここでお待ちを⋯⋯」
女中さんはお淑やかに俯いた様子で言うと、私から逃れるように背中を丸めて後ずさっていった。
もしかしたら、私が淫靡な想像を膨らませていたことを察したのかもしれない。
だけれども別に顔が熱を帯びた様子もない。
じゃあ多分。普通にうるさいし図々しいから嫌われているだけだろう。まあ仕方がない。
こればかりは誰が悪いとか、この女中さんの性格がよろしくないとかそんな問題ではない。
私が悪いのだ。
女中さんが逃げるように⋯⋯ていうか本当に逃げた。
庭にある朱色の柱と瓦屋根の休憩場所まで逃亡するかのように走り、その場にいたもうひとりの女中さんと何やらヒソヒソと話しながら建物の中へときえていった。
絶対私の悪口を言っているだろうが、気にする事はない。言われても文句言えないのだから。
その庭にひょっこりと小さな男の子が現れる。
恐らくは曹操ちゃんの長男だ。
名前は⋯⋯覚えてないが、母親らしき人が後から現れ、手を繋ぎながら庭の池を眺めては指さしている。
母親らしき女性は、軽く私を一瞥したが、特に睨むことも挨拶することもなく、何も存在しなかったかのように元通り子供へと朗らかに接し始めた。
「私そんな嫌われようなことしましたかねー⋯⋯ねえ? 阿瞞ちゃん?」
私は目を正面へと向け、気だるそうに首筋を撫でながらこちらへやってくる曹操ちゃんに尋ねた。
家にいる時は相変わらずだらしないのか、藍染の上衣下萌の服は裾が皺になっていて胸元には何かをこぼした染みまでも付着している。
さては昨夜お酒を飲んでそのままの格好でいるのか。
少し抜けていて残念な曹操ちゃんだが、容姿自体は整っている。
双眸は鷲のような鋭さと猫のような可愛げを持ち合わせ、時によって見せる射るような目つきと、人懐っこい容貌の両方が私はすきだ。
本人は背が低いことを気にしているが、それは袁紹ちゃんや張邈さんなどの周りの人間が大きいだけで、曹操ちゃん自身が世間的にみても小さいという訳では無い。
いや⋯⋯やっぱり少し小さいかも。
曹操ちゃんは私の前までやってくると、相変わらず無愛想に、目を細めながら私を見下ろした。
小さいとは言っても、私を見下ろすくらいの身長はあるのだ。
ちなみに大親友の袁紹ちゃんにはもっと上から見下ろされるのだ。
「それは貴様がこうして恥も外聞もなく訪ねてくるからだ」
「でもぉ。なんだかんだ相手してくれるんですよね。阿瞞ちゃん可愛いところあるぅ」
首を捻りながら、まるで狩りの時のように目を眇めつつ、曹操ちゃんの頬が僅かに健康的な色へと変わった。
「出てこないとお前はいつまでもいるし⋯⋯なんなら侵入してくるからな⋯⋯月よ」
「まあだってぇ? 門番も何故か見逃してくれますしぃ? お父様も黙認してくださってますしぃ?」
「今度奴らを切り捨ててやるか⋯⋯しかしなぜ父が⋯⋯あとお父様はやめろ⋯⋯頭痛がする」
慢性的な頭痛が出たのか、曹操ちゃんは頭を抑えながら歯軋りをした。
曹操ちゃんはずっと頭痛に悩まされてるようで、特に私といるとよく頭が痛くなるらしい。
それでも私と遊ぶとは⋯⋯さては曹操ちゃん、私の事狙ってるな!?
「で、今日は何の用だ。また狩りか。それとも俺の詩でも聞きに来たか」
「いやいやぁ。詩は近頃食傷気味なのでいいですよぉ。狩りですよ狩り。花嫁狩りです」
「前半部分が気になるが後半がもっと気になるぞ⋯⋯」
これぞ私の秘技。最初にちょっと酷いこと言っても後から言うことの衝撃が大きければそっちがどうでも良くなる話法です。
しかしまあ、最近曹操ちゃんの詩が型通りになってるのはその通りで、詩のためにも曹操ちゃんには色々な体験をしてもらいたいのです。
そしてさすがの曹操ちゃんでも、私の物騒な物言いには動じたのか、腕を組みながら半身になって目を細めています。
これは私を警戒してるのか、花嫁狩りという単語に慄いているのかどちらでしょうか。
「まあ安心してください。花嫁狩りと言っても物騒なことするつもりないですから」
「その言葉がまず物騒だということに気がつかんのかお前は」
「気づいてますよ。でも今回、狙いは花嫁さんじゃなくて本初ちゃんなんですよ」
親友の名前を騙すと、曹操ちゃんは目を丸薬のように縮こまらせて何度も瞬きをした。
「どういう意味だ」
曹操ちゃんは思いのほか興味を持ったのか、足を踏み出した。漂う香油の香りが鼻をつく。
曹操ちゃんのお気に入りの匂いで、私も結構気に入ってる。
「花嫁泥棒に入って本初ちゃんを置き去りにしてひとりで罪を被ってもらうんです」
「お前⋯⋯本初に恨みでもあるのか」
「この前公路さんに嫌味を言われたので!」
そう、私はこの前、偶然通りかかった袁紹ちゃんの甥っ子、袁術にひどい仕打ちを受けた。
──
それは洛陽の大通りでのこと。私はいつものように露天で注文した羹を立ち喰いしていた。
そこに豪奢で下品な馬車に乗った袁術が通りかかり、私の傍で停まった。
「貴様、よく本初達と居る女だな。なんとも阿呆そうな顔だ」
慇懃無礼どころではない、そもそも無礼十割の口調で、袁術は馬車の窓を覆う布を手で退けながら、薄気味悪い笑みを口元に浮かべていた。
「そうですけど⋯⋯ああ、あなた本初ちゃんの」
「従兄弟だ。まあこっちが本家といえばいいか」
下卑た笑い声を出しながら、袁術は品定めするように私を見たあと、馬車の中で何かを探している様子だった。
「これを見ろ娘」
そう言って窓から手を出して見せてきたのは、小さな壺でした。
本当に小さな白い黒い壺で、手のひらに3つくらいのせられそうな。
袁術はそれを人差し指と親指で摘み、いやらしい手つきで揺らしていた。
「この中には蜂蜜が入っている。お前のような下賤の娘では手に入れられない代物だ。これをやろう」
と言うと袁術は壺を狙い済ましたかのように、私の両の手の中にあった羹を入れた器へと投げ入れた。
暖かい汁が顔や服に飛び、私は咄嗟に目をつぶった。
すると暗闇の中から、袁術の粗野で品がない笑い声が聞こえてきた。
「いやぁ、すまんすまん。だがそれで味がよくなったとおもうぞ。本来ならお前には味わえない高貴な羹だ。感謝して食べるといい」
馬車が動き出しても袁術の笑い声は続き、それが耳障りな高笑いに変わる様を、私は睨み続けていた。
いくら四世三公の名門本家だからと言って、沸き立つ怒りを飲み込むことなんてできなかった。
家に帰った私は、その事を弟に話しながら袁術が投げてきた蜂蜜を平らげてやった。
あれはまぁ⋯⋯本当にこの世のものとは思えない美味だ。
いつか袁術に仕返しして全部奪ってやりたい。
あの男の矜恃も地位も名誉も全て。
──
「ていうかそれ本初関係ないだろ」
私が事情を説明すると、曹操ちゃんは至って冷静に言った。
「身内の罪は自分の罪ですよ! あの人に復讐するのは怖いので本初ちゃんで憂さを晴らします!!」
「まあよいか。本初だし」
私はずっこけそうになりながら、いちばん酷いのは曹操ちゃんではないかと、お茶目そうに口角を上げた曹操ちゃんの顔を見上げた。
「で、その花嫁はどこの家に嫁ぐのだ」
「えっとぉ⋯⋯尚書の李さんの家ですね」
「なかなかの大物だな。どうなっても知らんぞ」
「ていいながら着いてくるんですから。阿瞞ちゃんってほんと悪戯好きですよね。月は阿瞞ちゃんの将来が心配です」
「その口塞いでやろうか⋯⋯」
「阿瞞ちゃんの孟徳さんでですか?? きゃーっ」
わざとらしく悲鳴をあげ、門から出ると、曹操ちゃんは渋々ながらやはりついてきた。
やんちゃ少年だった彼も、大分落ち着いてきたと世間は言うが、人の本質とは中々変えられるものではないのだ。
「いや、馬鹿なことする暇あるなら日銭稼ぐか読書でもしてろ」
花嫁泥棒に誘った開口一番で私達に正論を突きつけてきた袁紹ちゃんを、曹操ちゃんとふたりで強引に連れ出し、夜の帳が降りた中、私達は李家の屋敷のそばで待機していた。
さすが尚書の結婚式だけあって、祝いの品々が次々に運ばれてきている。
そしてどうやら、その品の中には曹操ちゃんのお父さんの物もあるらしい。
もう少し時間が経てば、夫婦になったふたりが初夜を迎えるためふたりきりで過ごすはずだ。
そこを狙って花嫁を連れ出す素振りを見せながら、袁紹ちゃんを置いて逃げる。
まあ捕まったら袁紹ちゃんも棒叩きくらいの罰は受けるかもしれないが、それは仕方ない。
罪の大きさによっては、関係ない三族皆殺しの事例だってあるのだから、従兄弟の罪は袁紹ちゃんも背負うべきなのだ。
果たして私を侮辱したことがそれほどの罪なのかって??
いえ、半分は袁家への怒り、もう半分はお坊ちゃん袁紹ちゃんをちょっと泣かせたいだ。
屋敷の側面の塀のそばで待機しながら、さっき買った豚足に齧り付いた。
塩茹でされた豚足はあっさりとしているが、どことなく独特の風味が漂ってきて非常に美味い。
「阿瞞ちゃんも食べます?」
「ああ」
少し冷えるのか、腕を組みながらその場でぐるくると歩き回っている曹操ちゃんに肉を渡すと、間髪入れずに手を伸ばし、かぶりついてしまいました。
ちなみに買ったのは曹操ちゃんのお金です。
阿瞞ちゃんなんだかんだ優しい。
半分ほどを食べ、豚足が私の元へ戻ってきたので、今度は名族の一員さんに向けて差し出しました。
「本初ちゃんもどうぞ。全部食べていいですよ」
「ほんとか?」
袁紹ちゃんは名族らしいつぶらな瞳をぱちくりとさせながら、両手で豚足を掴みました。
よほどお腹が空いていたのか、それとも名族とはいえ本家の後継者ではないからか、袁紹ちゃんは私達と同じように豚足に齧りつきました。
これがあの自尊心の高い蜂蜜大好き袁術さんなら、受け取らないどころか投げ捨てて踏みつけるくらいのことはしたかもしれません。
やっぱり、袁紹ちゃんは私達と気が合うらしいです。あの蜂蜜クソ野郎とちがって。
塀の向こうから人の気配が消え、曹操ちゃんに肩車してもらって中を除くと、暗がりの中で一室だけ灯りが灯っているのが確認できる。
きっとそこに夫婦になったばかりの若い男女がいて、初夜を今か今かとたのしみにまっていることでしょう。
男の息子の大きさや強度、女性の感度や仕草によって、これから始まる夫婦生活が暗澹たる雲行きに包まれる可能性もあるかもしれません。
李家さんにも女性にも恨みはないので、ここは袁紹ちゃんを利用してあのふたりに忘れられない思い出を作ってもらいましょう。
曹操ちゃんの上から降り、ふたりを私の前までこさせる。
四世三公の名家の坊やと宦官でありながら絶大な権力を手にした曹騰の孫を顎で使えるとは、私はどこの傾国の美女なのでしょう。
呉の西施のように最後川に捨てられることのないよう注意しなければなりません。
「じゃあ作戦は単純です。本初ちゃんが塀を乗り越え花嫁を抱き抱えて連れてくる。塀で待機していた阿瞞ちゃんが受け取りふたりは逃走。私はてきとうな理由つけて追っ手を足止めします。いいですね」
2人を交互に見比べる。
曹操ちゃんは本当の作戦を知っているので、笑いを堪えながら静かに頷いた。
対する袁紹ちゃんはまだこの花嫁泥棒に対して躊躇があるのか、小さくゆっくりと顔を引き攣らせながら頷いた。
ていうか言葉では嫌がってるくせになんでこの人逃げることもなく私達といるのでしょう。本当は乗り気なのだろう。可愛い人です。顔つき的には曹操ちゃんより色男かもしれない。
「じゃあ本初ちゃん。頼みますね」
「あ、ああ」
周辺に人がいないことを確認し、袁紹ちゃんに目配せをすると、彼は意を決したのか、それとも内心は結構やる気なのか、僅かに口角を上げた。
ついつい私も笑いそうになったが、口を抑えて悟られないようにした。
塀をよじ登って超えるふたりを、身を乗り出しながら確認する。
なにも気づいていない袁紹ちゃんと、既に身を翻す準備をしてそうな曹操ちゃんがふたり揃って新郎新婦のいる部屋へと身をかがめ、足音を殺しなながら近づいていく。
新郎新婦のいる部屋まであと少し、部屋から漏れる地面の光にふたりの影が写りそうになったころ、なんでこんなに警護が手薄なのかと私が疑問に思った矢先、曹操ちゃんが突如身を翻し、こちらに向かって走り出した。
慌てて振り返る袁紹ちゃん。その顔がよく見えないのが残念だ。
「あーっ!! 泥棒がいますよぉ!!!」
曹操ちゃんと事前に示し合わせた通り、曹操ちゃんが反転した時を狙って叫ぶ。
すると当然、外にいた人達が何事かと集まり、屋敷の中も騒然とした。
「えっ!? は!? おい、孟徳! 月猫!!」
慌てふためく袁紹ちゃん。ごめんなさい。恨みはないけどはちみつ野郎の代わりに贄となってください。
袁紹ちゃんの周りに集まる警備の人や家の人たち。その隙に曹操ちゃんは来た道を辿り、塀をよじのぼります。
私が登ろうとする曹操ちゃんに手を貸すと、曹操ちゃんは遠慮することなく硬いマメだらけの手のひらで私の手を握りしめました。
「上手くいったな」
子供のように無邪気さのなかに狡猾さを含んだような笑みを浮かべながら、曹操ちゃんは私の手を引っ張って塀を登り、そのまま飛び降りました。
「上手く行きすぎですよ。さ、あとは本初ちゃんに任せて逃げましょうっ」
「ああ、しかし本初のあの顔は最高だったな」
慌てふためく袁紹ちゃんの顔を思い出したのか、腕で口元を隠しながら、曹操ちゃんが走り出し、後を追った。
「しかし本初のやつ、俺の名前を出さないだろうな」
「出さないと思いますよ。袁家の矜恃で」
「だといいが。まあ出されたらしらばっくれるか。お前も黙ってろよ」
「わかってますよぉ。なんなら代わりに袁術さんの名前でも出しますよ」
「ふっ、猫の恨みは恐ろしいな」
「そうですよ。だから阿瞞ちゃんも恨みなんて買わないように気をつけてくださいね」
曹操ちゃんは答えなかったが、一瞬横顔が笑って見えた。
私は今頃捕まっているであろう袁紹ちゃんの姿を一瞬だけ思い浮かべ、暗がりの中を走りながら、いったいいつまで曹操ちゃんや袁紹ちゃんとこんな馬鹿みたいなことができるのだろうと考えた。
願わくば、私たちの腐れ縁がずっと続いて欲しいが、この残酷な世界はそんなこと許してくれないのだろう。
だから私は、時間が許す限り、曹操ちゃんを困らせて遊びたいと思う。
ちなみに余談だけど、袁紹ちゃんは家柄が家柄ということもあり、すぐに解放されて家に着いたようだ。さすが四世三公といったところか。
数日後、曹操ちゃんの元に呪詛の人形が届いたらしいですが、曹操ちゃんは笑って燃やしたそうだ。




