違和感の正体
「あたしはAにしようかな、お財布的にも。で、来月はCかD頼んでみる。道子さんは決まった?」
「私も悩むー、でもBかな、デザート食べたいし。私も来月はCかDにする」
「お決まりまですか?」
背中側の高い位置からキレイな低音が響く。振り向いて息を飲む。イケメンなんて言葉で括ってはいけない気がする。なんていうかもう美しい、神々しさすら感じる。
まだ2月だと言うのに今年の漢字一文字が決定した気がする。『美』その一文字に尽きる。
柔らかくウェーブした陽に透ける髪の毛も、凛々しい眉毛も、ブルーグレイの瞳も、通った鼻筋も、薄くてセクシーな唇も、全てが完璧すぎて息をするのを忘れてしまうくらい。こんな端正な顔立ちは滅多にいない、芸能人だって裸足で逃げ出してしまうんじゃないだろうか。同じ人間とは思えないくらいパーフェクトさ。私もラブちゃんも目も口も大きく開いたまま、時が止まってしまったかのような感覚を味わっていた。
「どどど、えええ、あたた、あたあた、あた、しは」
「ふふふ、ゆっくり、落ち着いて可愛らしいお嬢さん、僕は童夢、童の夢と書いて童夢、ここの店の店長をやらせてもらっています」
ラブちゃんの目が分かりやすいハートになったのに気づかないわけがない。もちろん私の目もハートになっているに違いない。いやでもこんな人外みたいな究極の美しさに接すると、自分がひどく恥ずかしい存在のような気すらしてしまう。
「先に、こちらのお嬢さんのご注文をお伺いしちゃおうかな」
おじょ、おじょう、お嬢さん……頭の芯が沸騰しそう。女性ホルモンが一気にドバドバと溢れてしまう気がした。
「びびびBコースを、おねおねお願いしましゅう」
……噛んだ、恥ずかしい。イケメンに免疫がなさすぎる。
「ウィ、Bコースですね。セレクトはどうする? 僕のオススメは牛頬肉かな」
言いながら、パチンとウィンクをされて、大袈裟ではなく本気で倒れてしまうかと思った。破壊力半端ない。
「じゃじゃあ、それで、ホホホ肉で」
また噛んだ。
「僕のオススメを受け入れてくれてありがとう。可愛いお嬢さん」
この美しい人に何かを勧められて拒否出来る人間なんてこの世にいないんじゃないだろうか。オススメはカレーだよとか、牛丼だよって言われても、じゃあそれでって言ってしまうに違いない。それほどまでに完璧な美は正義だ。
私が童夢さんの美しさに圧倒されている間に、ようやく立ち直ったらしいラブちゃんが口を開く。
「Aコースお願いします。若鶏とポロ葱で。それから、櫻井先輩にご挨拶ってできますか? 先日偶然街でお会いして、こちらで働いてらっしゃるとお伺いしました」
「あら、櫻井シェフのお知り合いだったのね」
いつの間に近くにいたのか、背中側からオーナーに話しかけられる。二階の一番奥の席なのに、近づいてくる気配や足音を全く感じることがなかった。神出鬼没っってこう言う時に使うのかな。
「ごめんなさいね、櫻井シェフは今週出張なの。新しいメニューの開発のためにフランスに行ってるんです」
「あ、そうなんですね、残念だけど、ご挨拶はまた次の機会にします。あれ、でもそしたら、今日のお料理って?」
「わたくしが調理いたしますわ」
「オーナーも、シェフなんですね、カッコいいです、素敵です」
何気なく言った私の言葉に、オーナーが静かに微笑む。眩しくてとても目を開けていられない。妖艶といった雰囲気たっぷりの微笑みに魅了されてクラクラしてしまう。同性相手におかしいかな。でもオーナーも童夢さんも美しいが過ぎる。まさに国宝級だ。
「可愛いお嬢さんたちに僕からワインをご馳走させてくれるかな。赤と白どちらがお好み?」
「あーーー、あたし今日車なんです、すみません。このあと仕事で、ちょっと行かなければならなくて。道子さんは遠慮せずに、ね」
ラブちゃんの言葉にうなづいて、『お肉だから赤、ですかね?』と小さく口にする。
「赤ワインはいいよね、真っ赤な血のような色合いが美しい。僕もワインは赤の方が好き。今日はこの後送迎が何組かあるからご一緒できないのが残念」
冗談なんだろうけれども、冗談に聞こえないような、まるで口説かれているみたいな低音に、飲んでもいないうちから酔ってしまいそう。
ふと気がつくと、私の背中側に立っていたはずのオーナーはすでにいなくなっていて、ジューと何かを焼いているような良い匂いが漂ってくる。
童夢さんがグラスと赤ワインを乗せたワゴンを運んでくる。赤だから常温のまま。氷の入ったワインクーラーはない。
三段になったそのワゴンの中段には、大きなカゴが乗せられていた。籐で編まれたような茶色のカゴ。
なんだろう? なんのカゴなんだろう。一瞬そちらに意識を持っていかれかけて、蝶が羽ばたくような童夢さんの大きな動きに目を奪われる。
赤ワインのコルクを器用に抜いて、そのままグラスに注いでくるくると回す。その所作がキレイでまた見惚れてしまう。
「うん、すごくいい、見てごらん、ミチコちゃん。こうしてワイングラスを回してスワリングすることで、空気に触れてワインが開くんだよ。グラスの壁に沿って、ワインの『涙』が確認できるんだ」
「あれ、名前、……私の?」
「うん、さっき彼女がそう呼んでいたからね。キレイな女性の名前は一度聞いたら絶対に忘れないんだ」
いちいち、いちいちセリフがキザなんだけど、それが絶対的に似合っていて、私の中の女の部分が喜んでしまう。どうしよう、こんな素敵な人に恋なんかしても絶対に報われっこないのに。
「で、こちらのお嬢さんにはノンアルコールね。ハンドルキーパーだもんね、次は絶対に僕に送迎させてね」
声にならない悲鳴をあげたラブちゃんの手の中のグラスにシュワシュワの炭酸の泡が弾けている。人が恋に落ちた時の表情ってこんなに分かりやすいんだ。
自分のグラスにもノンアルコールの炭酸水を注いだあと、目の高さにグラスを掲げる、『それじゃ、僕たちの出会いに乾杯』その流れるような所作も美しい。っていうか、さっきからもう美しくない所作なんて何一つない、全部が完璧に美しい。
童夢さんに注いでもらった赤ワインは、渋すぎず軽すぎず、こんなにふくよかな香りの赤ワインは初めてっていうくらい素晴らしいワインだった。高いのかな、サービスって言っていたけれども。
現金なことを考えている私の背中にトンと軽く触れた後で、童夢さんは中段から、先ほどの大きなカゴを取り出した。
そこにはピンク色の産着に身を包んだ、赤、……ちゃん? ご機嫌に笑っている。 え?
「櫻井シェフの赤ちゃんなのよ」
また? いつの間に戻ってきたのか、背後からオーナーに声をかけられる。
「え? 櫻井先輩の、お子さん……なんですか?」
「ええ、そうよ。出張中お預かりしているの」
いくら仕事とはいえ、こんな生まれたての赤ん坊を置いてフランスになんか行けるものだろうか。それに櫻井先輩自身の身体も心配だ。うちのお姉ちゃんが、姪っ子を産んだあと、実家にいる間はずっと、ほとんど寝たきりだった。赤ちゃんの世話はするけど、洗濯やご飯はお母さんが全部やっていた。
「えーーー、可愛い。あたし子供大好き。お名前は何ちゃんですかぁ?」
「しおりちゃん、平仮名でしおりちゃんって言うんだよ」
分かりやすく、品を作ったラブちゃんが童夢さんに媚びるような艶かしい視線を送る。子供が好きだなんて聞いたことない。いや、前に会社を辞めた先輩が赤ちゃんを連れてきた時、舌打ちしてなかったっけ? 『辞めた職場に子供なんて連れて来んなよ、あたし子供とか大っ嫌い』って言ってたはずなんだけど。
「道子さんご心配はいらないわ大丈夫よ、しおりちゃんのことは私たちでちゃんとお預かりしているし、夜になれば櫻井シェフのご主人、しおりちゃんのパパさんも帰ってくるしね、櫻井シェフご自身の体調も全く問題ないので、ご心配なさらないで。ふふ、とてもお優しい方なのね」
まるで心の中を読まれたかのように言い当てられてしまう。それに、私の名前……。さっきラブちゃんが私の名前を呼んだ時、オーナーはもういなかったような気がするのに。
「しおりちゃん、しおりちゃーん、可愛いね。お名前呼ばれたの分かるの? えー、すごいね、天才だね」
ラブちゃんがしおりちゃんを一生懸命あやしているのを見つめながら、私の心の中に言いようのない不安がムクムクと広がっていった。
「お待たせいたしました。まずは前菜から」
オーナーが運んできてくれた前菜は、モクモクのドライアイスの煙の中からその美しく繊細な姿を現した。
「うわぁ、このホタテのマリネ美味しい〜、人参のムースも超キレイ、幸せ」
私の前菜は、ホワイトアスパラと半熟卵のミモザ仕立て。
透明な器の中にキレイに盛り付けられているのはもちろん、一口食べてみると信じられないくらい美味しい。
ホワイトアスパラなのに全然ベチャベチャしてなくてシャッキリ、なのに固くなくて歯で簡単に噛み切れる。こんな美味しいホワイトアスパラ初めて……。
次の瞬間ラブちゃんのスマートフォンから着信を告げるバイブ音が響いた。
「あ、やだ、会社から」
「いいよ、出ちゃいなよ、他にお客様もいないし、大丈夫だよ」
促され、電話に出たラブちゃんが、『え』『やだ大変』とか『困る』と言っている。誰がどう聞いても緊急呼び出しだ。コース料理はまだ前菜が出てきたばかりなのに。
電話を切ったラブちゃんに向かって童夢さんが茶目っ気たっぷりに微笑む。
「いいよ、大丈夫だよ。呼ばれたんでしょ?」
「でも、お料理がまだ途中で……」
「うん、キャンセルで大丈夫、お金も払わなくていいから」
「でもオーナーさんもうお料理作っちゃってますよね?」
「あ、じゃあ、それは僕が食べるよ。それなら気兼ねしなくていいでしょ?」
「あーーー、本当にすみません。また来ます。絶対にまた来ます。道子さんバタバタでごめんなさい、また連絡します」
「分かった、大丈夫。気をつけてね、安全運転で」
ラブちゃんが螺旋状の階段を勢いよく駆け降りるのを童夢さんと並んで手を振って見送った。
ん?
ふと気がつくと、童夢さんと私の間にピンク色のワンピースを着て、頭に同じ色の髪飾りをつけた女の子が立っていた。
彼女も私たちと同様にニコニコしながらラブちゃんに向かって手を振っていた。
「バイバイお姉ちゃん、また、しおりと遊んでねー」
しおり?
しおりって……ふと振り向くと、大きなカゴはなくなっていた。
さっきまで確かに大きなカゴがあって、その中で『しおりちゃん』は笑っていた。
待って
待って、おかしい。
落ち着いて
考えないと
お店の中には他のお客さんはいない。他のお客さんが連れているお子さんじゃない。
だとすればこの子はやはりさっきまで赤ちゃんだったはずのしおりちゃん? いやでも4〜5歳くらいに見える。
気づかれてはいけない。
私が違和感を感じていることを誰にも気取られてはいけない。
「ちょ、、とお手洗いを……すみません」
「ああ、そっちだよ」
童夢さんが指差した方へ向かって歩く。
足がまるで自分の足じゃないみたい。もつれて転ばないように一歩また一歩、慎重に、でもおかしくないスピードで歩く。
トイレに入り鍵をかけて頭を抱えた。
おかしい、どう考えてもおかしい。さっきまで生まれたてみたいな赤ちゃんだった。一瞬でこんな大きくなるはずなんかない。
それにオーナーだっておかしい、本当は何歳なのか分からないけれども、あんな若く見えて、美魔女とかそういうレベルじゃない。近づいてくる気配も去って行く気配もしない。私の考えをまるで読んだみたいに説明するし、メニューも見せてくれた。
童夢さんもおかしい。あまりにも美し過ぎる。怖いくらいの美しさなんて、物の怪とか、妖怪とか吸血鬼とか、そんな感じすらする。
こんな素敵なレストランで、ランチタイムに他にお客さんがいないなんておかしい、おかしくない、いや、おかしいよ。
慌てていたせいでスマホを席に置いてきてしまったことを後悔する。スマホがあったとしても誰にどう助けを求めていいか分からないけれども。
ラブちゃんか、元カレか、警察か、いや、違和感なんてどうやって伝えたらいい? さっきまで赤ん坊だったのに子供になっているなんて支離滅裂すぎて、頭がおかしくなったと疑われかねない。
とにかくさりげなく、さりげなく、まるで何も気づいていないみたいに。ラブちゃんみたいに用事ができたそぶりで、また来ます、と言って、帰りはタクシーで帰るからと言って、ここから出られればいい。
あのスカイブルーとクリーム色のツートンカラーの軽自動車に乗せてもらってラブちゃんと一緒に帰れば良かった。……トイレの窓から、レストランの駐車場にラブちゃんの軽自動車が見える。
もしかしてラブちゃんまだいる?
一瞬助かったと喜んで、絶望する。だっておかしい。会社から呼び出されて急いで階段を駆け降りていったのに、まだ車が、そこにあるなんて。
おかしい、おかしい。
よくよく目を凝らしてみると、運転席の真下に大量の赤ワインをこぼしたような水たまり……、……まるで血の海みたいな。
声を出さないようにして、息を大きく吸い込む。身体がガタガタと震え出すのが止められない。
「ミチコお姉ちゃん、まぁだ?」
トイレのドアの外で女の子の声がする。さっきの4〜5歳のしおりちゃんの声ではない。また成長した? 小学生か中学生か。あるいはもっと?
「ごめんね、ミチコちゃん、心配でトイレの前まで来ちゃったよ、大丈夫? お腹でも痛いのかい?」
続いて童夢さんの声
どうしよう、なんて言えば、なんて誤魔化せばいい? どうすれば無事に家に帰れるんだろう。
「道子さん、しおりの成長が早くて戸惑ってらっしゃるんでしょう? 本当に子供の成長って早いわよね。特に我々の一族は早いのよ」
最後の一言、特に我々の、辺りからは声がもうくぐもっていて、うまく聞き取れなかった。
多分、私はこのままここで殺されてしまうのだろう。ラブちゃんのように。もしかすると櫻井先輩も?
トイレの小さい窓から青い空が見える。
これが最後の青空になるかもしれない。
しっかりと目に焼き付けよう。
「ねぇ、ミチコお姉ちゃんまぁだ?」
ピンク色の髪飾りをつけたしおりちゃんと思しき少女がトイレの窓から個室を覗き込んでいた。目は縦長で白目の部分がない真っ黒、口は真横に裂け、歯がギザギザに尖っている。ニヤニヤと笑って私を見ている。
ここは二階なのに……そう思った瞬間、私の意識は無くなった。
「そう、ゆっくり運んでね。さっきの女の子の隣に。あ、そっちだと櫻井シェフが埋まってるからもう少しこっちよ」
「OK、今月は若い女の子がいっぱい食べられて嬉しいね、しおり。根っこからいっぱい養分吸って、大きくなるんだよ」
「きっと来月はキレイな桜が咲くわ、楽しみね」
薄れ行く意識の中で童夢さんとオーナーの声が聞こえた、……ような気がした。
「……ちゃん、しおりのために栄養になってくれてありがとう、一緒にキレイなお花を咲かせようね、大好きな青い空、毎日いっぱい見られるよ」




