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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
ため息曜日

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6

 

 パート勤務では、昼食時間に三十分休憩がもらえることになっている。


 いつもなら、おにぎりに総司のお弁当の余りなどを詰めた適当なものを持ってくる。しかしこの日はそれを作り損ねていた。


 朝のバタバタしたときに夫が妙なことを言い出して、つい話に釣り込まれてしまったからだ。


「隣りの安田さんの奥さん、最近お前に避けられてるって、困ってたぞ。何か失礼なことをしたのかって、気に病んでいる風だった。俺から謝っておいたよ」などと言うから、


 はあ?


 と夫を見返した。先日、回覧板を回してくれた際に話す機会があったという。


 彼には、安田さんの奥さんに無視される…、の云々の話はしていなかった。あまりに子供っぽいし、家に入って仕舞えばそんなことも忘れてしまうからだ。


「保険を解約しなくちゃならなかったのはこっちの都合だろ。それが面白くないからって、挨拶もしないなんて八つ当たりじゃないか。奥さんは「しょっちゅうあることで、ちっとも気にしてないから」だってさ。「保険を止めるのも入るのも、お客様側の全くの自由なんですよ」ってさばさばして言ってくれたんだから、な」


 はあ?


 夫の言葉に呆れて二の句が継げなかった。


「四十いってるように見えないな、きれいだし」


 女優の誰それに似てるな、と付け足した。ほんのり鼻の下が伸びているのが知れる。


 安田さんの奥さんは、華やかなファッションのスタイルのいい人だ。年中ジーンズにカットソーかTシャツ。手抜きメイクのわたしに比べれば、はるかに女度が上に違いない。


「そうじゃない。解約するとき、わたしは謝ったのに、安田さんの奥さんの方が今も根に持ってるみたいなんだって。挨拶しないのは向こう」


 言い返しても、夫は「まあまあ」とわたしをなだめた。


「どっちにしろ、向こうは謝ってるんだから、な? いいじゃないかもう」


 よくねーよ。


 大体、謝ってなんかないだろ、向こうは。


 こういう、どっちのグループの女子にもいい顔をする男子がクラスに一人はいたことを何となく思い出す。未熟な処世術めいたものが不快だった。女は少女の幼稚さを引きずるというが、男だって少年の頃の狡さをしっかり隠し持っていると思う。


 面白くなかったが、これ以上あれこれ言いうのも馬鹿らしくて文句を引っ込めた。


 そんなことがあり、お弁当の代わりにパンを買おうとベーカリーをのぞく。焼き上がりのおかしなパンを従業員には半額以下で売ってくれるから、それを当てにしてきた。


「あれ、高科さん、お弁当ないの?」


「うん、安いのない?」


 ベーカリーの担当者が出してくれた、すっかり土偶のようになった『ビキニパン』(ビキニを模したパン。卑猥な形に定評がある)を二つ買い、百円を払った。そこでアナウンスが流れた。店長らしい声はわたしを呼んでいた。


 嫌な音で胸が鳴った。こんな呼び出しは滅多にない。すぐに総司に何かあったのかと、幼稚園からの連絡かと、その思いが頭をよぎる。


 急いで呼ばれた社員室に行けば、店長は極めて平和な様子で告げる。


「急で悪いですが、これから本社へ向かって下さい。タクシーを使っていい許可が出ていますから、領収書をもらって総務へ出せば、返金が受けられます」


 ぽかんとした顔をしていたのだろう。


「社長がお呼びなんです。まさか、高階さん、忘れてないでしょうね。本社見学ですよ」


 ああ、


 そういうまるで罰ゲームみたいな指示が確かにあった。


 気が乗らないのとパートの身でそこまで…、という怠惰な理由で、店長の問いをずるずるかわしてきた。


 本社ではわたしの返事を待っていたらしい。しかし、なかなか上がってこない。それであちらの都合で急遽本日、となったらしい。


「残念ですが、高科さんの好みで「印・洋・中いずれかの弁当の指定」は急なのでもうできません。あっちで出されたもので我慢して下さい」


「はあ…」


 残念なのは、ビキニパンだ。



 着替えてから、店長の呼んでくれたタクシーに乗り込んだ。本社を出れば直帰してもいいとのことで、それだけが救いになった。


 何をさせられるんだろう。


 昼のやや混んだ道を二十分ほど揺られてついた本社は、意外と大きく立派だった。十二階建ての自社ビルの上から三フロアを『マルシェあたらしやグループ』が本社として使い、他をテナントに貸し出している。美容整形、歯科、エステ、旅行会社…、などなどが入るビルを十階に上がり、受付で指示された通り名乗った。


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 紺の制服に身を包んだ女性が先に立って案内してくれる。パーテーションのある応接室に通された。


 ほどなくお茶が運ばれた。室内はちゃんとした会社の施設らしく、几帳面に整っている。制服の受付女性もそうだが、車内のお堅い雰囲気に少々気をくれしてしまっている。


 着古したジーンズと洗濯あせしたTシャツで跨ぐような敷居ではなさそうだ。


 ああ、やだな。


 せめてもうちょっとマシな服だったらよかったのに…。裾に小ちゃくできたもう取れないコーヒージミを見つけ、恨めしく指でこすってみる。


 手持ち無沙汰で、出されたお茶を飲んだ。びっくりするほど薄い。お湯と出がらしの中間のような代物で、とても人前に出せたものではない。乏しくてピーピー言っているわたしですら、家でこんなものは飲まない。


 パートとはいえ社内の人間だ。嫌がらせでも何でもなく、先ほどの女性も日常飲んでいるのかもしれないし…。


 ま、いっか。


 湯呑みの縁に塗っていたリップクリームが残り、気になって指で拭った。その指をハンカチで拭う。そこで、隣りのパーテーションの向こうでごとっという音がした。


 目をやると、そのパーテーションがずるずると床を擦り、こちらへ動き出すからぎょっとなる。


 え?!


 陰から現れたのは中年のスーツの男性だ。立ったまま男性はわたしをにらみつけてくる。意味がわからなければ、気味も悪い。


「あの…」


 何か? と問いをつなごうとしたところで気づく。 いつか店の方で見たあの社長本人である。「あ」と声が出そうになるのを堪え、、立ち上がった。一体この人はここで何をしていたのだろう?


「神明駅前店のパートの高科です。あの…、今日はここに来るように指示を受けまして…」


「あんた、遅いだろ」


 またぎろりとわたしをにらむ。「すみません」と一応詫びたものの、時間を約束していた訳ではない。道が混んでいたのはわたしのせいでもないし。


 社長はなぜかふふんと笑った。むつっと厳しい相貌が、それでハスキー犬がべろを出したような顔に見えた。


 部屋を出るように促すから、先に立ってノブを握った。愛想のない声が、


「あんた、姿がいいな」


 と言う。


 は?


「先月、イタリアに行ってきた」


 だから?


 それ以上説明がないので脳内で補完するしかないが…。多分、女性をやたらと褒めまくる印象のあちらの男性に影響を受けて、というほどの意味なのだろう。…多分。


 でも、だから、何?



 本社の見学という話だったが、社長はろくに社内を見せもしなかった。指であちこちを示すだけ。


 挙句、何をする気か、屋外階段から屋上へ上がった。貯水タンクと設備用の小屋の他何もない。その中ほどに妙は光景が見えた。


 キャンプ用の簡易なテーブルと椅子が二脚セッティングされている。赤いギンガムチェックのテーブルクロスが風にぴらぴらとなぶられていた。


 座るように促され、向かい合う形で椅子に腰を下ろした。


 テーブルの上には魔法のランプに似た容器のカレーと冷めて固そうなナン、ありふれたトマトのサラダとパイナップルの浮いた白い飲み物が、二人分載っている。店長の言っていた弁当の「印・洋・中のいずれかの~」の印がここにあるのだろう。きっと。


 しかし、よりによって、屋上で昼食を取る理由は? しかも社長と一緒の理由もわからない…。


 なぜ?


 が、頭をあふれるように渦巻く。


「あの…」


「さ、遠慮せず」


 そう勧められるが、この状況では食欲がわかない。健啖に頬張る社長の手前、真似事のように口をつける。生ぬるいカレーが泣きたくなるほど辛い。


「カレーは外に限る。部屋で食うとしばらく匂いがこもって敵わない」


 ああ、そういうことですか…。


 気まずい食事の中、社長はここにきて、とってつけたように会社の沿革などを話し始めた。夜学を出て苦労して今の会社を築いたこと。そしてライバル他社とのし烈な売り上げ競争のこと……。


 ときに、カレーから目線を外し、フェンスの外の景色を眺めて見せる。成功した自分をさりげなくアピールしているのを感じたが、事実なので気にならなかった。


 つられてわたしも視線を流してみる。サラ金とサウナの大きな看板が目につくが、それほど悪い景観でもなかった。地価を考えれば相当な資産だ。


 話しながら、「これも」「あれも」食べろと勧めるから、ありがたそうな話をナンを口からはみ出させながら聞いた。


(社長の)食事がほぼ終わり、彼はフルーツの入りのラッシーをすすった。うまそうに頷き、白くした唇を紙ナフキンで拭く。


「ちょっと報告を聞いたが…」


「はい」


「わたしとの仲を同僚に誤解させるような言動は、慎んでくれないと困る」


「はい?」


 意味がわからない。


 聞けば、以前同じパートの山部さんにシフトの変更を強要されときの話のようだ。わたしがその際に「今度、社長に直談判する」と突っぱねたこと指す。


 そんなこと、すっかり忘れていた。


「些細な声でも上にあげるように徹底している。風通しのいい会社なんだ」


 社長は自慢げに言う。ちなみにその声は社内に置かれた「目安箱」に入っていたという。


 そういえば、あの場には社員に小林君がいたっけ…。


 それにしても、誤解って誰がするのだろう。周囲の目を気にするのなら、こんなところに呼ばず、わたしなんか放っておけばいいのに。


 何なのだろうこの人。


 白けた気分になりながらも、相手は社長だ。形だけ詫びた。


「そんな意味じゃありません。あんまりしつこくシフトの変更を求められたので…。社長のお気に障ったのならお詫びします」


「気をつけなさい。知られなくていいことは、わざわざ知らせてやる必要もない」


「はい?」


 そこで社長は身を屈ませ、足元の何かを取った。社名の入った紙袋だ。わたしへ差し出し、持って帰れと促す。


 社内案内程度の粗品だろう。礼を言って受け取った。



 本社を出てまだ一時ちょっと過ぎ。思いがけず時間が空いた。


 どうしようかと迷う。すぐに家に帰る気にはなれなかった。掃除くらいしかすることがない。


 とりあえず駅へ向かった。


 電車を待つ間手持ち無沙汰で、もらった紙袋を開けた。中にはパンフレットなどなく、代わりに長方形の箱があった。包装紙のロゴに「え」となった。


 縁がないが、わたしでも知るハイブランドのマークだった。


 開けるのをためらい、振ってみる。そう重くもない。大きさから財布か小さめのバックだと思う。興味で包装を解いた。


 現れたのは、ビーズがいっぱいあしらわれた黒いクラッチバックだった。パーティーに持てば映えそうな華やかなものだ。


 バックの箱の他は卵のパックがが一つ…。そこで電車が来た。バックをしまい、電車に乗り込んだ。


 昼の車内は空いている。膝に乗せた紙袋をどうしようか、と考えた。卵のパックはもらっておけばいいだろう。


 でも、値の張りそうなブランドのバックはこのまま手元に置くのは怖い。もらう理由がない。社長にすれば大した金額でもないのだろうが…。


 幾らほどする物なんだろうか。ブランドのネームバリューからおおよその見当をつけてみる。おそらく十万円は超えるのじゃないか…。


 これを箱ごとブランド買取店で売ったら、そこそこの値が付くだろうな。定価の半値はもらえるかもしれない…。


 それだけのお金がもしあったら、印刷所で製本した『スミレ』の本を次の同人誌即売会で出すことができるはず。


 もし……、


 降りる駅がアナウンスされた。そこで白昼夢はぷつりと途切れてしまう。


 軽く首を振り電車を降りた。


 嫌だ、嫌。もしこのバックをもらったままにして、その後何かを強要されるようなことがあtたりしたら、面倒だ。今日の社長の言動も、ちょっとなかなかおかしい感じだったし。


 やっぱり礼だけ言って、きちんと返してしまおう。


 駅の外には昼下がりの光景が広がっていた。学生やサラリーマンがいる。年配の人、幼児を連れた若いママ…。それぞれ目的を持って動いている人々の流れを前に、ちょっとぼんやりしてしまう。


 無駄な夢想をしてしまったせいで、よりむなしくなってしまった。無性にお金が欲しい事実ばかりが、心に浮き彫りになったよう。


 どうしようか、これから。


 ぽかりと空いた自由な時間だ。


 機械的に家路への足が向く。以前のイベントの帰り、この付近で怪しげな広告ティッシュをもらったことを思い出す。


『バススタッフ募集』とあった。『安心の3ナイ 脱がない・触れない・身バレない』とも。


 時給三千五百円は今のパートのことを考えれば雲泥の差だ。風俗にしては広告にうたってあったように安い報酬だろう…。


 訳のわからない理由で社長のくれたブランドバックを換金するより、自分で稼いだ方がずっと後腐れがない。


 でも、


 どんなことをするんだろう。


 本当に『身バレ』することはないのだろうか…。


 気づけば、わたしは歩を止めていた。


 ついで、じれるような思いで駅へと身をひるがえした。構内の公衆電話から問い合わせてみようと思った。自分のケイタイを使うことは避けたかった。


 聞いてみるくらいタダだ。バレることもない。小走りに駅へ戻る。


 ひと気のない公衆電話の並ぶブースで、ひっそり例のティッシュを取り出した。つい持ち歩いていたのは、心に引っかかっていたためだ。10円玉を幾つか流し入れ、思い切ってダイアルする。


 なかなか電話がつながらない。あきらめかけたとき、野太い声が出た。


『はいお待たせいたしました。ありがとうございます。『紳士のための妄想くらぶ』、スガです。本日はご予約でしょうか?」


「…あの…、ちょっと、その、お伺いしたいんですが…」


 その先が言いにくく、言葉が濁った。すると、相手は慣れたようにわたしの戸惑いを拾う。


「はい、何でしょう? バススタッフのご応募でしょうか?」


「はい。あ、でも、まだ、応募すると決めたんじゃないんです。ちょっとお仕事の内容を知りたくて…」


「はい、かしこまりました。迷っていらっしゃるんですね。ではバススタッフのお仕事の流れについて、店を代表してスガがお答えします」


「は、はい、お願いします」


 説明を受けてすぐバススタッフの仕事を理解した。なるほど、と思った。世の中にはそんな職業が…、と感心したし内容にやや安心もしていた。


「どうなさる? 何だったら、店を見学がてら面接を受けにいらっしゃいよ。その方があなたも安心でしょ? こっちも未成年は使えないから」


 ほどなく、相手の言葉は砕けたオネエ調になった。「はあ」とまだ迷いながら応じ、その際にどういった書類を持参するのかをたずねた。身分証を提示させるのであれば止めようと思った。


 すると、「あなたの好きなように書いた履歴書を一枚持ってきてね」と言う。「応募者の申告をこっちは信用するだけ」と。やばいようなルーズさだが、なら本名も身元も伝える必要はないことになる…。


「でしたら…」


 わたしいは面接を申し込んでいた。


「オッケー。お待ちしてるわん」


 こちらの悲壮感など吹き飛ばしてくれるようなスガ氏の軽い返事が返ってきた。

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