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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
手に残るもの

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7

 咲夜さんが花を持ってお見舞いに来てくれた。「いいのに」「わざわざ、ごめんね」と何度も繰り返しつつも単調な入院生活だ。なじみの顔はやはり見て嬉しい。


 彼女には怪我で入院、とのみメールで伝えてあった。事情はややこしいし、夫と面識のない人たちには、出来れば伏せておきたかった。


 なのに、あらましを知っているようで驚いた。訊けば、わたしの怪我のことは、新聞にも出たそうだ。三面記事の下段に、小さく。


「アン姐さんから連絡を頂戴して…。姐さんの記事を見つけたのは、アン姐さんなんですよ」


 そのアンさんは都合で一緒には来られなかったという。


「心配しました! すぐに駆けつけるのは術後は却って迷惑だ、とアン姐さんに叱られて…。ううっ…」


 涙ぐむから驚いた。そういえば彼女はリアクションが派手だった。今も、わたしの足元に顔を伏せ、肩を震わせている。


 いや、その…。


 ははは。


「大したことないんだよ。すぐに手術できて、予後もいいらしいし」


「腹は、大切ですよ。うちの若いのにも、腹をやられたのがいました。このヤスは腸をやっちまって、ひどかったんです。ただの匕首じゃなく、サバイバルナイフだったのが痛かった。十時間にも及ぶ手術でした。でも、根性も体力のある奴で、相当痛んだらしいのが、泣き言もこぼさず、見事でしたよ」


 …ああ、そう。


 ヤスって人のその後が気になる。大丈夫なのかな。


「わたしはそんな大した傷じゃないし、ナイフも小っちゃいのだったし…」


「でも、心配でしたよ! 姐さんに何かあったら…、何かあったらって…!」


「生きてれば何かはあるよ。ははは。大丈夫だよ、わたしは」


 感情が高ぶった彼女をなだめがてら、ふと思い出したことを口にする。


「そうそう。アンさんが誘ってくれていたし、都合がよければ、今度一緒にお邪魔しようよ。そうだ、季節外れの流しそうめんを準備してくれるって、言ってたよ…」


「あ」


 いきなり彼女が顔を上げた。まだ涙のにじむ縁取りの濃い目をわたしへ向け、連れがあるのだが、部屋に案内してもいいか、と聞く。


「え? どこに?」


 単純に、彼女の友だちと思った。ここへ伴うなら、同人者だろう。もしかしたら、以前イベント会場で縁切りしたようなあの同人仲間と仲直りができたのかもしれない…。


 咲夜さんの顔を立てる意味もある。少しの挨拶なら構わないや。


 連れの人は、ドアの外にいるという。


「こういった場所までご遠慮しようと思ったんですが、どうしても、と」


「いいよ、少しくらい」


 軽く応じた。暇だし。


 それに、咲夜さんがドアへ向かう。控えめな声が外の人物へ「どうぞ、お許しがありました」と告げた。


 えらく他人行儀だな。そう感じた後で連れの人が入ってきた。見覚えのない若い男性だった。女性だと思っていたから、意外だった。


 今更だが、初見の男性に寝たり起きたりの砕け過ぎた身なりをさらすのが恥ずかしくなる。


 手に薄い包みを持った彼は、わたしへ丁寧に頭を下げた。


「突然、ぶしつけにやって来て申し訳ありません。どうしても、お見舞いがしたくて、彼女へ無理を言いました」


「…はあ」


「覚えていらっしゃいませんか?」


 そう言い、彼はわたしを見る。改めて見れば、ちょっとはにかんじゃいそうなハンサムだ。やはり、自分の気の抜けた身なりが気になる。ばっちり整えた患者も不自然ではあるが。もうちょっとしわだらけの病院着に溶け込む、ナチュラルなきちんと感が…。


 うろたえつつ彼の言葉の意味を考えた。彼と咲夜さんを見返す。


「以前、うちにおいでになったときにお会いした、お客人の美馬さんですよ。ほら、アン姐さんとお話になった」


 ああ、彼か! 


 記憶がつながる。同人の件で咲夜さんのお宅にお邪魔した際、ふと会っただけの人だ。咲夜さんのお父さん絡みの御曹司だとか…。

 

 奇しくもあれは、わたしが刺された日のことになる。


 思い出しはしたが、この場に彼が存在することの意味がわからない。ただすれ違っただけで面識がないと言っていいのだ。


 彼が先ほどの「ヤス」とかいう人で、腹斬られ仲間としてわたしに会いたかったとか…。一瞬、おかしなことを想像してしまった。それはないだろう。


「あの…、どうして?」


 男性は言葉に迷うようにちょっと黙った。二十代の前半、背のすらりと伸びたすっきりとした姿の人だ。ぱっと目を引くようなきれいな顔立ちに短めにカットした髪が清潔感を与える…。


 学生さんだろうか。紺のニットに重ねた明るい色のシャツが、さわやかな雰囲気によく映えた。


「…少し、お話をしたくて。おかしいですね、よく知らないあなたにこんなことを言うなんて」


 まるで恋の告白のような言葉だ。のぼせ上がってしまいそうだが、まさかあり得ない。自分をわきまえている。


 ふと、彼はニットの胸ポケットから、四角いを紙を取り出した。差し出されて、それが写真であるとわかった。一人の若い女性の胸から上の写真が写っていた。にっこりと笑ったその顔を見て、一瞬ぎょっとなる。


 わたしかと思った。


 しかし、すぐに自分ではないと気づく。わたしは過去、この女性のようなロングヘアにしたことがない。肩より先、髪を伸ばしたことがなかった。


 びっくりするほど似てはいるが、よく見れば細かな造作も違い、別人であるとわかる。


 これは…。


 写真から目を上げ彼を見た。目が合い彼は少し頷いた。わたしの驚きに対してのものに思えた。


「母です」


 静かな声が、もう亡くなりましたが、とつないだ。


「随分前のことです。僕はまだ小学生だったんです」


 ああ…。


 その亡くなった母上にわたしがよく似ているから、会いたかったのか。と、納得がいく。


 興味と懐かしさに気持ちが動いたのはわかる気がする。わたし自身母を亡くしている。その母にそっくりと思える人を目にしたら、きっと心が騒ぐだろう。言葉を交わしたいとまで、衝動が続くかは別だが。


 でも、大学生にまでなっていたわたしと小学生の頃その節目を迎えた彼とは、同じに比べられない。母への思いの抱え方も違うだろうから。


 そのとき、プライベートな話に遠慮した咲夜さんが、断りを入れ部屋を出た。こういうところは、彼女はとても律儀だ。


 二人きりになってしまった。初対面に近い人なのに。


 どんな言葉を返したらいいか、迷う。ふさわしい言葉が何も浮かばない。わたしは浅く頷くことでしのいだ。何も口にしない方が、いいのかもしれない。


 彼が軽い咳ばらいをした。黙ったわたしにちょっと困ったかのようだった。


「あの、ご存じないかもしれませんが…」


「はい?」


「○○の名前は、耳にしたことがおありですか?」


 いきなりの話の方向にやや面食らう。そもそも、彼がこの部屋に入ってから面食らいっぱなしだが。


 ○○といえば、昔いたグラビアアイドルのことしか浮かばない。よく知らないが、そこそこ売れた人で沖田さんがファンだった。


「グラビアの人しか…」


「母です」


 そこか! そこに来るのか?!


 驚きと意外さに彼をまじまじと見つめた。


 嘘偽りのないのは彼の涼やかな表情でわかった。繰り返すが、初対面に近いわたしを引っかけて、彼には何の得もないだろう。


 息を飲んだ後で、沖田さん情報を思い出す。


「あの…、○○さんは事務所の社長さんと結婚なさったと、噂で…」


「それは、母の妹です。叔母になります」


 ああ、そう。沖田さんはどこであんなガセネタをつかんだのか。まあ、しょせん噂だから。


 美馬さんは叔母が姉である○○のマネージャーをしていた時期があり、そう誤解されることもあるのだと、小さく笑った。


「母の死には何の不自然さもありませんでしたが、おおやけにしたがらない人もあって、マスコミにも伏せられました。引退して随分と経ってからのことだったので…」


 彼の言う「おおやけにしたがらない人」とは彼の父上だろうか。


 触れないでおこう。知らなくてもいい情報だ、まったく。


 言葉を切った彼は、そこで仕切り直すように軽くお辞儀をした。


「だから、あなたにお会いしてみたかったんです。もちろん、いくら面影が濃くっても別人でいらっしゃるのはわかっています。母よりずっとお若いし」


「いや、亡くなった母上の方がお若いと思うよ」


 つい、地が出た。


 それを繕うよりも前に彼が笑う。きれいな笑顔だった。この彼に夢中になる娘さんもさぞ多かろう…。しみじみ年寄り臭く思った。


「僕の方がずっと年下です。楽に喋って下さい。そっちが嬉しいから」


「…はあ」


 彼は部屋の外をちらっと見、


「上条(咲夜さんの名字らしい)の麗子さん(咲夜さんの名前らしい)から聞きました。マンガを描く方なんですね。どんな?」


 あなたのような男性がイチャイチャし合うマンガ…。とは言えない。「女性向かな…」ははは、と笑いににごした。嘘ではない。


 彼はそれ以上は突っ込んでこない。マンガに興味がない人なのだろう。


「麗子さんがあなたのことを「すごい人だすごい人だ」って」


「はは、確かに刺されて入院する人はあんまりいないからすごいのかも」


 咲夜さんの「すごい」は褒め言葉なのはわかったが、彼女のわたしの捉え方は、的外れでいつも途方もなく素晴らしい。適度にスルーしてくれるよう首を振りつつ答えた。


 それを彼も緩く首を振って応じた。


「マンガはもちろん人柄も。「尊敬してる」ってうきうきするように話していましたよ。仲のいいお姉さんのことでも言うように。…彼女のような環境だと、そういった外部の人間関係は、なかなか作りにくいだろうし…」


 最後は半ば、自分のことでもあるようだった。咲夜さんと同じような環境に育ったのかも…。


 わたしはそこに触れず、彼女と知り合ったのはマンガという趣味を通じてだから、プライベートなことはあまり触れ合わないのだ、と言った。


 わかんないだろうな、同人界の一般とは毛色の変わった事情や仁義は。


「でも、知った後は腰が引けませんでしたか? 怖いとか関わりたくないとか」


「思うよ」


「なのに、つき合いを絶たないのは?」


 やけに突っ込むなあ。やはり自身にも絡む問題だからか。


「それは、まあ行きがかり上というか…。彼女自身はいい子だし、別に反社って訳でもないから…。一緒に本を作っても楽しいしBLのセンスとかすごいし、それに儲けも出るし…」


 ぼろぼろ同人の内輪まで語るに落ちて、はっと気づく。


 彼はまじまじとわたしを見ていた。わたしの発した「BL」に何か悟るものがあったのか。地雷だったのか。こんなきれいな彼なら、偏ったBLファンの女子にきっと密かにネタにされたこともあるだろう。不快な思いでもしたのかも。


「あの…、何か?」


 気に障った?


 小さく問うと、彼はうっすらと笑う。


「ちょっとわかる気がしたんです。麗子さんの言うことが、僕にも」


 わかる気がする。彼はもう一度つぶやいて頷いた。


 何が?


 わたしにはちっともわからない。


「あ、そうだ。これを」


 戸惑ったわたしを置き去りに、彼は手の包みを差し出した。見舞いの品に持参したのだという。更に戸惑うが、受け取ることにする。受け取りを拒否される方が彼には迷惑なはずだ。


 薄い紙包みの中には仕掛け絵本が入っていた。開くとぱっと絵が飛び出たりするあれだ。ページを繰って、思わず笑みが出た。本音でこんな本は楽しい。総司にも見せてあげたい。


「ありがとうございます」


「こっちこそ、時間をいただけて嬉しかったです。あの…」


 彼は、少し口ごもった後で、連絡しても構わないかと聞く。


 何のために? とわたしの顔が告げたはずだ。


「…駄目ですか?」


 担任に進路の相談でもしているような様子だった。実際この彼に、進路相談はそんな過去でもないだろうな。


 ぼんやりそんなことを思いながら、


「楽しくないよ、わたしとやり取りなんかしても」


「楽しいですよ、きっと」


 笑顔で請け合うから、それにちょっとほだされた感じだ。いいよ、と頷いた。咲夜さんに聞いてくれたらいい、と答えた。


 彼が出て行った後でほっと息をついた。疲れた訳ではない。ふわりと一瞬、風が通りぬけた感じだ。


 実は彼も同人者か? 腐男子とかいうマニアもいるようだし…。首をひねる。でも、違うだろうな。やっぱり。


 何だろう。


 ま、いっか。

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