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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
手に残るもの

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55/70

5

 

 沖田さんがやって来たのは、入院した翌々日のことだ。出張先でダグから連絡を受け、帰京するその足で顔を見せてくれた。


 昼過ぎで、わたしは急ぎの原稿の件で咲夜さんにメールを送っていた。入院で遅れる旨はすぐに了解してくれたが『すわ、お見舞いに馳せ参上し…』となり、相変わらずややこしい。


「ありがとう。気持ちだけで嬉しいよ。大したことないしね」と返信…。


 そこへ、ノックの後沖田さんが現れたのだ。怒ったような顔をしている。病院で携帯が不謹慎なのだろう。でも、許可もらったしな…。


 とりあえず、携帯を枕の下に押しやった。


「おい」


 声も尖っている。


 まあ、忙しい中ごめんね。仕事とか妹とか野菜とか、大変なのに。


「へへ、刺されちゃった」と適当に笑った。


 彼はつかつかとこちらに歩み寄ると、顔をのぞき込んだ。むつっとしている。軽くわたしの髪をつかみ、ちょっと引いた。


「笑うところじゃないだろ、馬鹿」


「…笑うしかないことって、あるじゃない」


「だから、欲を張るなって言ったのに」


 そういえば、沖田さんからは夫と揉めていた和解金の件で「あんまり欲張るな」と忠告を受けていたっけ。「ろくなことにならない」と。


 自分のことは思わなかった。総司のために将来を考えて叶う限りの余裕を求めたのだ。


 それを「欲張った」と責められれば腹も立つ。大体あのお金は総司の出生に由来したものだ。あの子を見捨て、親であることも放棄した夫には、手にする権利すらないはず。わたしはそう考える。


 実は事件後、父にも似たようなことをぽつりと説教されている。そのときは「ふうん」で流せたことも、二度目となれば何だかむっとくる。


 そばでパンツのポケットに指を引っかけて立つ彼へ「ふん、偉そうに」と文句の出そうな目を向けた。


 それを彼はちょっと笑って流した。


「まあ、ぶーたれる元気があって、ほっとした」


 出先での仕事中ダグから電話をもらい、芯から驚いたといった。


「息が止まったぞ」


 あら、


 まあ。


 そんなことを打ち明けられれば、気持ちも和む。立った腹もへにゃっと治ってしまう。そう、沖田さんからはこういう優しさがほしいのだ。説教はいい。傷に響く。


 彼の言うほど欲張ったつもりはないが、夫への油断があったのは確か。それで、自分も総司の気持ちも傷つけてしまうことになった。そのことは自覚し反省もしていた。


「…入院は、あと十日ほどだって。その後通院があるらしいけど」


 それに彼は頷いた。妹のいろはちゃんにも、ややこしい部分は抜いて(夫の愛人から金銭がらみで~の経緯)入院のことは告げるといった。


「あいつ、来たがると思う」


「いいよ、わざわざ。…それに「ややこしい部分」を抜いたら、入院の事情がものすごく謎で怪しいよ。ごまかせばいいんなら、そうするけど」


「自分で判断すればいい。お前に非がないんだから、別に何も隠すこともないと思うけどな」


 ありのまま言え、と?


 沖田さんは軽く首をかしげる。本当にわたしの気持ちに任せるつもりのようだ。


 いろはちゃんのどこか純粋なきらきらしたあの理知的な目をまっすぐに向けられれば、ごまかしたり偽ったりする意志が、消えてしまう気がする。多分、問われるままに話してしまうのだろう、わたしは。

 

 ま、いっか。


 そう思いつつも、物好き兄上が選んだ訳あり女に更にでっかい『訳』がプラスされてしまうことになる。わたしのせいじゃない、とはいえ。


 沖田さんは何も隠す必要はない、と言ってくれる。でも、そんなものさらけ出されても、いろはちゃんには重過ぎる内容だ。気分のいいはずはない。迷惑じゃないか…。


 まあ今、悩んでもしょうがない。


 彼女に会ったそのときの気持ちで臨めばいい。わたしは吐息を区切りに、思いを途切れさせた。


 「あの人にはもう会うな」


 そばの簡易椅子に腰を下ろして、彼が言う。


 はて? 


「ダグが、もう警察から返されたって言ってた。何のかんの言ってくるかもしれんが、彼には会わない方がいい。会うなよ」


 彼?


 沖田さんがわたしの頬を指の背でぽんと打つ。やっと気づいた。夫だ。夫のことを彼は言っているのだ。すぐに思い出しもしない、自分のうっかりさ加減にあきれるが、事件から日も浅い。身体があの恐怖を夫の存在ごと忘れたがっているのかもしれない。


 そういうことにしておこう。


 ふうん、そうなのか。もう夫は帰ってるのか。では、罪に問われることもないのだろうか。


「あの人は、来ないよ。わたしに会いになんか」


「…あっちの弁護士が、そういう指示をするのかもしれない。お前に会って、今回の件の言い訳をして謝っとけば有利だとか、知恵をつけることもあるだろ。お前から何か彼に都合のいい言質を引っ張れるかもしれないし。会う理由は相手にはある」


 ふうん。


「あっちの弁護士」だとか「有利」だとか、彼の言葉では夫がまったく無罪放免された訳ではないようだ。彼にしたって専門家ではない。警察から聞いたダグの話をもとにしての推測だろう。


「会っちゃ、まずいの?」


 会いたい訳ではない。見たい顔でもない。でも、相手がぜひとも必要だと言うのなら、しょうがないかな、という気持ちはある。短時間なら。


 そこで、沖田さんの頬がさっとこわばるのがわかった。怒ったのだ。むか~し、彼がわたしの担当編集者だった頃、幾度もの約束を破り、さぼってネームを仕上げてないわたしへ、こんな顔つきでよくお小言が始まった。「お前な…」と。


「お前な…」


 やっぱり。


 おんなじセリフが始まった。懐かしくてちょっとおかしくて。しみじみしてしまった。


 そんなわたしへ、思いがけず彼の硬い声が降り、はっとなる。


「本気であの男と別れる気、あるのか?」


「え? 何を…」


「お前を見てると、そうも言いたくなる」


「だって、わたしの対応一つで、あの人が有罪とかになるかもしれないんでしょ。寝覚めが悪い…」


「あいつの対応一つでお前は死にかけたんだぞ。ダグの来るのが少し遅れていたら、寝覚めどころか、二度と目覚めなかったのを忘れたのか」


 それは、確かに…。言葉に詰まった。凄まじい痛みとともに、必死で救けを求めるわたしの目を避けたあの人の怯えた顔を思い出す。


「甘い」


 許しているのじゃない。


 実際にわたしを刺したあの奥さんへの感情とは違い、夫へのそれは総司の件も絡めて生々しく、根深いのだ。憎しみもあれば、妥協も理解もし合えない不快感もある。そして、わたしは裏切られた驚きをまだ引きずっていた。


 もう他人のつもりでいながら、彼からの仕打ちのあれこれに今も怒りを込めてこだわっているのだ。


 沖田さんが目を三角にして怒るような彼への温情やまさか未練などではあり得ない。


 されたことを同じだけ返す。または倍返ししてやろう、といった思いはなかった。「甘い」と言われれば、それまでだろう。


 これを機会にできるだけしこりを残さず後顧の憂いなく、きれいに別れたいだけ。刺された腎臓も、そのための痛みなら忍んでくれるだろう、なんてことを考えている。


 沖田さんには記入済みの離婚届が手にあること。それを姉に託してすぐにでも役所に提出してもらうつもりのことを伝えた。


「自分で出したかったけど、もういいや、うるさいから」


 ちょっとぼやくと、わたしの返事に納得した顔で頷いていた彼がぎろりとにらむ。


「何がうるさいだ。さんざん待たせておいて。そんな安っぽいセンチメンタルは、死にかけた女には不要だ。害になる」


 まあ、毒を吐く吐く。


 まあ、いいや。それほど自分で提出してけりをつけることにこだわっていた訳でもないし。


「青い顔してるのに、きついこと言って、悪かった。でも、本心だ」


「いいよ、別に」


 彼は急ぐらしく、その後間もなく帰って行った。


「また来るから」


 それに「いいよ、わざわざ」とは返さなかった。会って、またぽんぽん説教めいたセリフを聞かされるのかもしれないが、聞けないよりいいのだ。


 うん。


 わたしは頷いて返した。



 沖田さんが現れてその日のうちに姉に離婚届の件を頼んだ。急かされた気分になったのだ。


『出してきたよ』。姉のあっさりとした返事にちょっと拍子抜けがした。礼を言い、その後でしばらく呆けてしまった。


 後悔でもなく喜びでもない。


 それでも区切りがついたことで気持ちが軽くなった。さばさばは、する。これを嬉しいというのかもしれない。


「さんざん待たせて」と沖田さんの愚痴がよみがえる。そういったことは初めて耳にしたが、きっとイライラしていたのだろう。妹のいろはちゃんにしたって、離婚になかなか踏み切らないわたしの態度が、不審に映ったかもしれない。


 沖田さんには早々このことをメールで知らせた。いろはちゃんへも「よろしく」と付け足しておく。


 翌日、病室に夫(前の)の両親が現れた。姑(前の)が手に花束を持っていた。明るい色のガーベラだ。中に濃い茶っぽいのもあって、あんな色もあるんだと珍しかった。


 うなだれた様子で交互にわたしの身体の具合を尋ねる。


 痛み止めや抗生剤のおかげでそう辛くない。微熱はあるがじき引くらしいこと…。そんなことをもぞもぞと答えた。


「そう…」


 姑(前の)が以前会った威勢の良さを完全に消し、肩を落としながら頷いた。息子がしでかしたことに今も動揺が去らないようだ。


「今回のことは本当に何と詫びていいか…。雅姫さんのお父さんにも、驚きでろくな返事もできず…、あんたにも済まないと以外何と…」


 言葉を濁らせ、舅(前の)が、深く頭を下げた。それに倣い、姑(前の)も頭を下げた。


 事件の契機は作ったが、夫(前の)は刺していない。またこの人たちがしたことでもない。いい大人が成人した息子の不始末にこんな目に遭うのが、少し気の毒になる。


「あの、頭を上げて下さい。お義父さんたち(前の)に謝ってもらっても…」


「いや、わたしらの気が済まん」


「でも…」


 会話にならない。


 ちょっと疲れてきた。ため息をつきながら、頭を下げ続けている二人を眺めた。どれほどかの後、ようやく舅(前の)が頭を上げてくれた。姑(前の)もおずおずとそれに続く。


 そろそろ帰ってくれないかな~。用も済んだろうしこっちは見たい顔でもないし。


「今、外に人を待たせてあるんだ」


 舅(前の)が言う。すぐに夫(前の)かと思った。嫌だな~、そんな思いがきっと顔に出たはず。まあいいや。そこまで気を使うこともない。


 断ろうと口を開きかけたとき、


「息子の件で担当してもらってる、弁護士の先生なんだ。わたしらが雅姫さんに会いに行くと言ったら、ぜひ同席させてほしいと頼まれて…」


 少し、ほんの少しだけ事件のことで確認したいことがあるらしい。


 ああ、


 そういうこと。


 つい先日、沖田さんがこんな場面を口にしていたっけ。相手の都合に合わせてやる義理はない、と。強めに忠告もされた。言葉通りまるで予言のように目の前に起こった。何なんだあの人は、メンタリストか。


 この日、わたしの見舞いや謝罪にやって来たのもその弁護士の指示だったような気もしてくる。二人の気持ちを疑いたくはないが、たぶんそうなのだろう。


 弁護士に会わせるのがまずの目的で、謝罪や何やはついでというか、落語でいえばマクラといった感じの。


 がっかりもしないがちょっともやもやした。


「そういうことはわたしの実家に連絡して下さい。父でも姉でも誰かが、こっちの弁護士に相談しますから」


 わたしにしては珍しく、面会をきっぱりと断った。内心怒りを感じていたのだろう。もやもやどころではなく。


 返事に二人はあ然とした顔をし、互いに見合わせた。


「でも雅姫さん、ほんのちょっとの時間で済むし…、こういったことはちゃんとしておいた方が、あなたにしたってすっきりとするでしょう?」


 何がだ、どうしてだ?


「浩司のためにもお願いよ…」


「あの、すいません。おなかの傷が痛むんでもうお帰り下さい」


 顔をしかめてみせた。痛くはなかったがそろそろ薬の時間だ。


「さっきまで元気そうにしてたのに、ちょっと…!」


「こら、お前」


 姑(前の)の言いかけた非難をさすがに舅(前の)が遮った。これ以上ごり押ししてもわたしの態度が軟化しそうにないのを悟ったようだ。当たり前だ。


 二人が出ていくのをわたしは目の端で捉え、ほんの軽く頭を下げることで見送った。


 どっと疲れた。


 傍らの吸い口のお茶を取り少し飲んだ。そして横になる。せっかく離婚が成立し、さばさばした気分でいたのに嫌になる。


 まあそれでも、意志は伝えられた。なあなあで済ましがちなわたしには快挙だろう。それでいい。


 この後でわたしの言葉に従って、義両親(前の)は実家に連絡したらしい。それを受けて姉がやって来てくれた。


 わたしの代理で離婚の件でお世話になった弁護士に問い合わせてくれた。前の件に引き続き、夫(前の)側との窓口になってもらえるらしい。


「弁護士を通すことを伝えたらね、返事をしないで電話を切っちゃうんだよ。話してたお父さんが電話機が壊れたんじゃないかって、驚いてね。あはは。しばらくして、自分の都合ばっかりのそういう人たちなんだって、やっとわかってくれたみたい」


「ふうん」


「お父さんなんかは、急なことで余裕がないんだろうってそれで済ましてるけど、余裕がないのはこっちだよ。雅姫は刺されてその傷が腎臓にまで達して、片っぽ取られちゃうかもしれないのに。全然、余裕なんかないよ。一個なくしたらもう一個しか残らないんだよ、後がないんだよ」


 いや、まだ取るかわからないし。


 姉はひとくさり悪態をついた。この人は口ぶりに毒っ気が薄いから、悪口が割りに耳にマイルドだ。テンパるとときにキーキーわめくが。


 わたしよりものをはっきりと口にでき、なのに物柔らかに響く。実家の寺に携わるにはずっと適性がある。


「結局、お見舞いの振りしてあっちの弁護士に会わせるのが目的だったの。相当落ち込んでいる感じだったからつい同情したけど、損した気分」


 この日総司はいなかった。入院して連日、姉なり父なりダグなりが連れてきてくれているのが、顔を見られないのはやはり寂しい。義実家との嫌な話が続くから、いない方がいいのだが。


 わたしが入院中実家にいる総司は、幼稚園を休ませている。距離もあって毎日の送迎が大変でもあるし、数日のことだ。ダグや父がまめに相手をし、小坊主のように寺をうろうろさせてくれているらしい。姉の子で従姉もいい遊び相手になってくれている。


「総司もいい子にしてるよ」


 総司の様子が普段とそう変わらないのを知り、物足りないながらも満足する。


「あんたは余計なこと考えないで寝てなさいね。ややこしいことは弁護士さんに全部任せてあるから」


「うん、そうする。ありがとう」

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