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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
それぞれに懸命

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42/70

7

 玄関のチャイムが鳴ったのは、夜の九時を過ぎていた。ちょうど、お風呂から上がったばかりのところで、ぬれ髪のままインターフォンに出た。

 

 遅い時間のそれに、もやっと胸が騒いだ。きっと夫だろうと思った。

 

 意外にも、玄関に立つのはお隣安田さんのご主人だった。

 

『夜分、申し訳ありません。お聞きしたいことがありまして…。こんな時間に、失礼致します。ちょっとお時間をいただけないでしょうか…』

 

 時間も時間でしかも風呂上りだ。髪をタオルで拭きながら「どういった件でしょうか?」と聞いた。どうでもいい内容なら明日にしてもらいたい。


『…うちの家内のことなんですが…』

 

 機械を通して、やや伸びたぼやけた声が返る。

 

「あの…、奥さんがどう?」

 

 そこで「すぐ出ます」とインターフォンを切った。Tシャツの上のパーカーを羽織り、玄関へ向かった。ドアを開けると、仕事帰りといった様子のスーツ姿の安田さんが、頭を下げていた。

 

「非常識な時間に、すみません、どうも…」

 

「いえ、お急ぎのことでしたら。どうされたんですか?」

 

「もしかしたら、家内の居場所を高科さんはご存知かと思いまして…」

 

「え? お帰りじゃないんですか?」

 

 意味がわからなかった。奥さんの不在がどうして我が家に関係するのか。親しかった訳でもない。それに、外で働いている女性なら、遅くなることもあるだろう。

 

 奥さんのケイタイもつながらないという。うちに来るくらいだから、心当たりに連絡は取ったはずだ。

 

 そこまで心配する何があるのか。深夜には早く、大人なら慌てる時間でもない。

 

「お仕事で遅くなったとか…。ちょっとした事情で連絡がつかないのかもしれませんよ」

 

 総司がリビングからこっちへ出てくる気配がした。それへ注意を向けながら言った。応対を少し持て余していた。遅くなるのも連絡がないのも、隣家では滅多にないことなのであろう。が、大人がすることで、理由があるのだと思う。

 

 それを、この人が納得するかは別の問題だが…。

  

 安田さんは声を落とし、奥さんと一昨日、言い争いをしたと打ち明けた。表情に、わたしの気持ちが表れたのかもしれない。

 

「つい、叱るのが過ぎてしまって…」

 

「ああ…」

 

 それ以上の返しが続かない。たとえ夫婦喧嘩の延長に今夜の帰宅の遅れがあるのだとしても、やはり、わからない。だから、何? なぜ、うちに?

 

 総司がドアを開け、顔を出した。それに声をかけ、部屋に入っているように言う。わたしが顔を戻したとき、妙なことを訊かれた。

 

「こちらにも荷物が届いたでしょう?」

 

「荷物?」

 

「ええ、大阪から、…何とかコーポレーションとかいう…」

 

 そこで、昼に夫宛てに届いた段ボール箱を思い出す。確かに、あの箱にそんな名があったような…。それをどうして?

 

「あの…、ご主人はご在宅ですか? 家内のことでお聞きしたいことが…」

 

 意外な問いが続き、わたしは声を遮った。彼のやや間延びした口調が、要を得ない話を更にわかりにくくしていくようで、いらだち始めていたのだ。

 

「夫宛てに箱は来ました。中は見ていません。それと、安田さんの奥さんとどういう関係があるんですか?」

 

 そこで、安田さんはため息のような吐息を長くついた。あんまり長いので、またちょっとそれにイラつく。

 

 彼は眉をハの字にした、申し訳なさ気な顔を向け、

 

「わたしも、後になってから聞いたもので、止めようがなかったことは…、ご了解下さい。家内は言い出したら、聞かない性質もなのもあって…」

 

 やっぱり意味ありげな前置きが長い。どうにもいい話には思えなかった。ざわざわする胸を抑え、「教えて下さい」と促した。

 

「はあ…」

 

 細々と安田さんが話し出した。奥さんが夫を誘いある仕事を紹介したという。商品を仕入れそれを別な誰かに購入してもらう。その際、仕入れ先からマージンを受ける。その誰かがまた別の誰かに商品を売った際にも、夫はマージンを受けることが出来るのだという。また別な誰かが他の購入者を見つければ、その都度夫へマージンが入る…。

 

「マルチ販売というやつですよ」

 

 段ボール箱はダイエット関連のその商品であるらしい。話を聞きながら、社交的で派手な印象な奥さんはともかく(現に夫を勧誘出来ている)、口下手でお世辞も言えないような夫にとても勤まる仕事だと思えなかった。

 

 自分でもそんなことはとうにわかっていたはずだ。求職期間も延びに延びた。それほどに追いつめられていたのだろうか…。

 

 ちょっとぼんやりしたわたしを、安田さんの声が引き戻す。

 

 仕入れた商品は、基本まず販売者が代金を全額持つことになると言った。購入者を見つけ、集金した金額を本部に収めたのち、かなりいいマージンが販売者の元に送金される。それを繰り返すうち、早い段階で、最初の仕入れ金は回収できてしまうというが…。

 

 契約書らしい紙をわたしへ差し出した。さっと見ると、細かな字の羅列の下に署名欄がある。そこに安田さんの奥さんの洒落た署名と夫の直筆のそれが続いた。

 

「あの、ご主人は…?」

 

 出て行って大分経つ、と言うのは避け「今はちょっと、出かけていて…」とごまかした。

 

 ため息をまたつき、安田さんはごにょごにょと言いよどんでからつないだ。

 

「ご主人からの商品代金を、家内はまだいただいてないようで…」

 

「え?」

 

「こちらのお宅の分だけでなく、他にも未回収の分がかなりあって…」

 

 そこで彼は別の紙を取り出して見せた。本部からの奥さんへの納入明細表らしかった。見れば、見慣れぬ商品名がびっくりするような数注文されている。その合計金額は、小さな悲鳴が出るほどのものだった。

 

「…入金の期限は迫っているし、すぐ都合のつく金額じゃないし…。それが出来ないなら、全商品を未開封の状態で返還せよ、とありますが、…一体、そんな商品が、どこにどうあるのやら…」

 

 安田さんの悩ましい声に、相槌も打てなかった。夫が一枚かんでいる、という事実ではなく、単に驚きにのまれていたのだ。

 

 こういったものを放り出して、あの奥さんはどこに行っているのか…。

 

「高科さん、ご主人のこの分は、支払っていただけますよね?…、商品も受け取っていらっしゃるんですし…」

 

 そう言うのは夫が契約した商品代金五十六万円のことだ。とっさに拒否反応が出る。そんな、身に覚えのないとんでもない金額、払うつもりはない。

 

「無理です。そんなお金、とても…」

 

「でも、奥さん、現に契約もあって、その商品も…」

 

 間延びした口調は変わらないまま、支払いはしっかり求めてくる。不快なものの、多額の返済のため少しでも集金したい安田さんの焦りは、よく理解できた。

 

 しかし、払えないものは払えない。

 

「わたし自身はお支払できません。お金もないし、そもそも身に覚えのないことだし…」

 

「そんな、夫婦の間で何をおかしなことを…」

 

 そこで、言葉を途切れさせ、安田さんはわたしをじっと見た。何かに気づいたような素振りだった。こちらのまずい夫婦仲を疑われたのかもしれないが、知られたって構わない。いちいち言いはしないけれども。

 

 振りでもしれっとした顔をしていると、もごもごした声が続いた。

 

「家内と、…そちらのご主人、どういったつき合いなんでしょう? …こんな商売を紹介し合うほどとなると…。うちのがどこに行ったか、ご存じなんじゃないかとも思いまして…」

 

 多額のお金が絡む儲け話が交わされる仲を、怪しんでいるようだった。求職中の夫なら、そのビジネスのさわりだけで、興味を引くのは不思議ではないと思った。以前の夫であれば、視野に入らない種の話であっても。

 

 わたしにはそっけなかったが、夫には愛想がよかったっけ、あの奥さん。世間話のついでにでも、容易くこんな話くらいしそうだ。

 

 それ以上の関係にあったかどうかは…、考えるのも無駄に思えた。

 

「さあ…、わかりません」

 

 わたしの反応が鈍いためか、それ以上の言葉はなかった。

 

「ともかく、夫が帰り次第この件は必ず伝えて、本人からそちらに連絡するようにも言います。今日は、ちょっと家の用で実家の方に行っていて…。奥さんのことはきっと関係ないと思いますよ」

 

「はあ…、じゃあ…、よろしくお願いします」

 

 わたしを相手に何を言っても無駄だと悟ったらしい。軽く頭を下げ、安田さんは玄関を去って行った。

 

 施錠を確認してからリビングに戻る。胸が嫌な緊張感で妙にざわめいた。テレビを見ていた総司が、わたしを見て笑った。

 

「何?」

 

「おじさん、コッシーだね。似てるね」

 

 それを聞き「そっか」と笑みが浮かぶ。総司は先ほどの安田さんの声が、子供向け番組のキャラクターに似ているというのだ。確かに、間延びした声はそんな感じだ。

 

「おじさんに言っちゃだめだよ」

 

「ライスが食べたいっす~」

 

 ちょっと笑って、頭をなぜた。

 

「もう寝ようね、明日また眠いよ」

 

 まだまだテレビを見たがる総司を寝かしつけ、リビングに戻る。ほっと息をついた。いつものように、キッチンのテーブルに原稿を広げる。雑多なメモや途中までのラフなどを前にしながら、気持ちがそちらに向いていかない。しょうがない、あんな話の後だ。

 

 夫のケイタイはとうに電源が切れている。

 

 もう十時を回り、彼の実家に電話するのはためらわれた。でも、連絡した方がいいのだろうか。安田さんの様子を思えば、電話の一つもしておかないのは無責任なようにも…。

 

 うろうろそんなことが頭をめぐり、ふと馬鹿らしくなる。何もかも初耳だった自分ばかりが右往左往しているようで、しゃくでもある。

 

 でも、お金どうするんだろう。

 

 彼自身には無理なはず。わたしが伝えた後、姑に頼んで用立ててもらうのかもしれない。

 

 そもそも、いつ帰るかもしれないこっちの住所に荷物を送ってもらうなど、あの仕事をするつもりがあるのだろうか。もしかして、そろそろ家に帰る気なのかもしれない…。

 

 帰って来るのなら、離婚の話も進められる。宙ぶらりんな今の状態を何とかしたい。前に進めたい。

 

 条件にこだわらなければ、離婚は今の状況では十分可能だと、弁護士さんには聞いている。親権の他、ほしいものなどない。面会だって養育費だって、彼の都合に合わせるつもりだ。わたしだけの子供ではないのだから、わたしの意見だけ通るなどと思っていない…。

 

 荷物がこっちに届くのは、じき帰る気持ちが彼にはあるのだ。

 

 つらつら考えるのはそんなこと。もやもやとして気持ちが原稿にちっとも向かない。

 

 お茶でも入れようと立ち、カップにティーパックを垂らして、また思う。

 

 でも、と。

 

 商品の詰まった段ボール箱を夫はどんな気持ちで買ったのだろう。きっと安田さんの奥さんの言葉に乗せられ、つい、ほろっと契約してしまったのかもしれない。

 

 でも、

  

 言葉に乗せられるのも、ほろっと気持ちが動くのも、彼の中の今をあがく必死な思いがそうさせたのではないか。「何とかしたい」とわたしが将来を考えて焦れるのと同じに。

 

 表向き、そんなようには見えない人だった。マイペースでのんきで。それにわたしがいらだち寄り添えず、今のわたしたちがある。

 

 でも、

 

 人の気持ちなど、その人にしかわからない。どう見えても、感じられても、本音で何を抱えているのかなど、他人には見えないのだ。

 

 家庭とかそれを含めた未来とか。それらは、ずっしりと重く彼の肩や背に食い込んでいただろう。そこに気ままにぶら下がって居直っていた自分が、うっすら胸に浮かぶ。

 

 思いやるふりで見守るふりで、無言で言い続けていた。なぜできないの? なぜしようとしないの?……。

 

 余裕がなくて毎日に振り回されて。わたしが必死になっていた分、何かの仕返しみたいに彼を追い詰めていた? 誰かと比べ責めていただけなのかもしれない。

 

 そんなわたしから、逃げ出したくなるのは当然だ。

 

 精いっぱいだった自分を、罰する気はない。

 

 ただ、後味悪く思い返すだけだ。

 

 あんなに示してほしかった夫のやる気が、目の前にある。それが彼に似つかわしくない分、余計に浮き立ってそこにある。

 

 こんな今になって…。

 

 ふと、胸がふさがれるような重苦しさを覚えた。

 

 あの商品が詰まった無地のそっけない段ボール箱に、夫の字体で「追いつめられていた」とでも、告白が見えるように思う。

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