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それほど、だったあなたに  作者: 帆々
ため息曜日

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1

 

 狭いロッカールームで昼食を済ませた後には、いつも胸に重い感じが残った。小さなラムネを口に運ぶ。


 あの部屋にまだいる三人は、きっと先に休憩を終えた自分の陰口を楽しんでいるのだろう。甘い粒を舌に転がしながら思う。


 パートの短い時間くらい、お互い仲良くすればいいのに。


 少し前は別な女性がターゲットになっていた。その彼女は明け透けな陰口に気づき、耐え切れずに先月辞めていった。彼女が消え、次は自分だ。


「お昼、お先でした」


 社員の若い男性と交代する形で定位置のレジに入る。社員の彼は休憩室の方をちらりと見て、


「まだいるの?」


 と聞いてきた。休憩室を陣取るベテランパートの存在が気になるようだ。あの独特の雰囲気の中で昼食をとるのが苦痛なのは、これまでの態度にも出ていた。


「いるわよ」


 レジのチェックを始めながら答えた。彼はうへえともらし「あの人たちの休憩、もう五分も過ぎてるのに」とぼやく。


「高科さん、言ってよ」


「嫌。パート管理は社員の仕事でしょ」


「自分が出るときにさりげなくさ。ほら、パート仲間じゃない」


「……そばの牛丼屋でも行ってくれば?」


「昨日も行ったよ。今日は弁当持ちだからな」


「ママの愛情弁当? いいわねえ」


「うるさいな」


 休憩オーバーの注意もためらうらしい。それからたっぷり十分ほど待って、悠々と休憩室から三人のパートが出てきた。社員の彼へ詫びの言葉もないのは、いつものことだ。


 既に買い物客の対応を始めていたわたしは、気になりもしなかった。


 ただ、さっきの彼の言葉が耳に残っている。『仲間じゃない』。


「ポイントカードをお返しします。ありがとうございました」


 機械的に笑顔を作り客へお辞儀をしながら、わたしは胸でつぶやいていた。


 仲間なんかじゃない、と。



 自宅から自転車で十分ほどのスーパーでパートを初めて、一年ほどになる。時給は高くないが、技能も必要なく、時間が合うのが魅力だった。


 仕事の上がりに店で買い物も済むし、便利がいい。従業員は割引が利くのも嬉しい。この日も出来合いの惣菜をニパック買い、レジに並ぶ。


「またコロッケ?」


 強面ベテランパートの一人がバーコードを通し、嫌味を口にする。


「時間が経った揚げ物をしょっちゅう子供に与えていいの?」


「安いから。ほら、半額」


「うちの子はもう高校生だけど、食事はきちんとしたものをって、こだわってきたから。添加物は受けつけないの。やっぱり中身が違うわよ」


 その「中身の違う」息子さんが、この母親にお小遣いをねだりにきたその足で、近くのファーストフード店で買い食いしているの、よく見るけどなあ。


「ふうん」で流して店を出た。


 午後四時をいくらか過ぎても、五月の空はまだ昼の気配だ。商店街を抜け、書店の前でふと思い出した。よく買うコミック雑誌の発売があったはず。少ない自分へのご褒美だった。


 自転車の速度を緩めかけて、止まる。四百八十円の雑誌代で、子供の好きなドーナツにお釣りが出る。続きの気になる連載があったが、次号の『前回までのあらすじ』で、我慢できないことはない……。


 ま、いっか。


 ドーナツを買い家に着くと、子供がリビングで寝転んでアニメを観ていた。幼稚園の制服のままだ。夫がこれもソファに長く伸びている。


 取り込むだけはしてくれてある乾いた洗濯物の小山が、床に崩れていた。


「総司、お着替えは?」


 ドーナツで釣り、子供を着替えさせる。散らかったテーブルまわりを片付けながら、大あくびの夫に今日の首尾をたずねた。


「目ぼしい会社あった?」


「うん、二、三エントリー出しといた」


 そのセリフはもう何度も聞いた。再就職の結果が思わしくないことも。「ねえ」とソファの端に腰掛けた。


「ネットばかりじゃなく、ハローワークに相談とかも……」


「またかよ、催促は止めてくれよ」


「でも、もう一年近くになるし……」


 もうじき失業保険も切れる。そう続けようとして、着替えを終えた掃除が戻ってきて言葉を止めた。


 夫は総司を抱き上げ、膝に乗せてドーナツを食べ出した。唇の端にチョコをつけ、笑いながらのんきに言う。


「そう焦らせるなよ。前の会社は忙しいところだったから、長い骨休めくらいに思ってよ。雅姫には心配かけるけどさ」


「心配はしてないけど……」


 先行きが不安なだけだ。


 これから大きく育っていく子供の教育資金、この家のローン……。じき、手をつけなくてはならなくなるだろう虎の子の預金のこと。わたしが稼ぐわずかなパート代ではとても賄い切れない。


 子供の手前、何より夫の笑顔にほだされ、やはりわたしは言葉を飲み込んでしまう。事実、勤めていた会社でリストラに遭うまで、夫はよく働いてくれていた。


 失業してからこれまでの日々で、ちょっとした問いかけが大喧嘩になってしまったことがある。総司の怯えた表情とあの殺伐とした空気のやり切れなさには懲りていた。


 わたしががみがみとせっついても、彼のやる気を削ぐばかりだろうし。理由があるとはいえ、フルで働いてこられなかった負い目もある。


 和やかな雰囲気を壊すのもためらわれ、


「いい結果来るといいね」


 と、話を終えた。


 ドーナツをぱくつく総司の頭をなぜ、洗濯物をたたみ始める。



 お風呂から出た。リビングで総司がまだ遊んでいる。時計はもう十時半をさしていた。


「寝かせてって、パパに言ったのに……」


 まだ半分も濡れた髪を耳にかきやりながら、子供のそばに腰を下ろした。ローテーブルにはチラシがバラバラ載っている。


 総司はチラシの裏に絵を描いていた。車と人らしきもの。それになぜか和風の城がある。シャチホコっぽいものがあるから名古屋城かもしれない。


「パパは?」


「パソコン」


「ふうん」


 もう寝るように言うと、「ママも描いて」と色鉛筆を渡してくる。早く描いて見せ、満足させた方が寝かしつけ易い。


「何がいい?」


「安田さんのパパ」


「安田さん?」


 隣家のご主人だ。苦笑しながら、デフォルメを加えて手早く描いてやる。


「すごいね、ママ上手いね」


「さあ、もう寝ないと。明日幼稚園に遅れちゃうよ。今日はもうおしまい。また明日ね」


 テーブルの新聞やチラシを集めたとき、それは何気なく目に入った。新聞の下段によくある書籍の宣伝で、そこに知る名前が踊っている。


『真壁千晶 コミック最新刊!!』


「へえ」と思った。「新しいの、出るんだ」と。千晶は旧友だ。年賀状だけのつき合いになって、もう何年になるだろう。十年は経つ。


 新刊の発売には大きな宣伝が打たれる。かなりの売れっ子と言っていい。


「頑張ってるんだ、あの子」


 今日わたしが買い渋ったコミック雑誌にも、彼女の連載がある。人気漫画家だ。


 羨望や嫉妬心はない。忙しくしているんだろう。元気かな。と古い友の近況をちょっと思いやるばかり。他、「アシスタントに幾ら払ってくれるんだろう?」と、さもしく勘ぐった。


 もし使ってもらっても、子供がいる主婦では、締め切り前の修羅場では役に立たないだろうけれど……。



 千秋とは大学時代に知り合った。


 その頃から向上心の強い女の子で、「絶対漫画家になる」と宣言していた。実際、画力もあって、また上手くなる努力も怠らなかった。


 ぼちぼち趣味で漫画を描いていたわたしは、そんな彼女に引きずられるように同人活動になじんで行ったのだった。


 互いにオリジナルの漫画を描き、それをコピー本やオフセットで合同誌として出していた。サークル名は『ガーベラ』。千晶の好きな花の名前だった。


 自分たちで企画して漫画を描き、本を作り、即売会イベントに出て売る。今思えば黒歴史的な経験もあった。けれども、それはとてもとても楽しかったように思う。


 しかも、二人で作った本は信じられないほどよく売れた。イベントに出しても、冗談ではなく、会場ほどなく即完売も珍しくなかった。


 売上金はきちんと折半し、きゃあきゃあ言って打ち上げにご飯を食べた。画材を買い、洋服を買い、もちろん次のイベントのための費用もとっておく……。


『ガーベラ』を解散したのは卒業のためもあるが、相棒の千晶のプロデビューが決まったことが大きい。


 そのおこぼれで、わたしにも商業の仕事が来た。二、三短編を描き、載せてもらったのを最後に、わたしは漫画を描くことを辞めてしまった。


 いつもコンビだった千晶が欠け、気が削がれたこともある。お祭り騒ぎだった同人活動の日々が終わり、寂しさに取り憑かれてしまったとも言えた。そして、何か、漫画以外のことがしたくなった。


「要するに、飽きたのよね」


 十三年もの過去を振り返れば、こうもあっさりあの時の迷いの答えが出てしまう。


 それから千晶はプロの作家として精進し、名を挙げた。『絶対漫画家になる』と言った夢を、果たして見事叶えた。


 片やわたしは、卒業後ほどなく結婚。夫となった人の転勤先についてまわりあちこちをうろうろし、念願だった子供を産んだ。三年前にやっと東京近郊のこの街に落ち着いた。家を買ったのもこのときだ。


 夫の転職が無事決まれば、家族三人健康なら、それでいい。何が欲しい、何が足りないなど、多分ない。


 けど……。


 ふと垣間見る過去のきらきらとしたまばゆさと輝き、思い出の美しさ、豊かさにちょっと息を飲んでしまう。


 嫌なことだった、いろいろあったはずなのに。


「何でだろう」


 時間が経ち、固くなったドーナツをかじりながら、子供の描いた絵を眺めた。上手くはないし、数だってある。けれど、捨てるに忍びない。


 明日、食器棚にでも貼ろうと、捨てるチラシとは別に置いた。

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