間取り探偵 ー1級建築士御堂寺輝子の推理録ー 番外編
しいな ここみ様の『瞬発力企画』の参加作品です。
お題が『間取り』になった時には、これは‥‥! このシリーズで書かないわけにはいかない!
となったんですが、自信はありませんでした。
1日で? 間取り探偵シリーズの短編を? できるのか、そんなこと‥‥?
それが、これです。『番外編』。輝子先生の珍しい失敗譚。。
「これだけでは、とてものことクローゼットとしては足りませんわぁ。」
輝子先生はいつもの、ほにゃ、とした顔で言った。
「そうですか。う〜ん。そうすると子供部屋の方にまで侵食してしまうな。」
漆家さんは、眉間に皺を寄せた顔で腕を組む。
輝子先生がコピーに赤鉛筆で描いた四角は、クロゼットとしては少し贅沢な大きさに見えた。‥‥わたしには。
狭小住宅を得意とする輝子先生にしては、ずいぶんぞんざいな間取りだなぁ‥‥とわたしは思う。
思うが、輝子先生に何か考えがあるのだろうと思って、わたしは口を挟まない。
わたしは工藤輪兎。
御堂寺設計工房に勤めるただ1人の助手で、御堂寺輝子先生の弟子だ。
間取りに隠された家族の問題を見抜き、見事な手腕で解決してしまう輝子先生の仕事にわたしは惚れ込んでしまっている。
そんな仕事をこれまで見てきているだけに、輝子先生がこんなふうに施主さんに言うときは、もうひとつ後ろに何か隠れていることが多い——とわたしは推理するのだ。
「ええ、でも、私がこの春から教授に就任することになったところは三流音大ではありませんからね。服装にも気を遣いますし、レッスン室も充実しませんとね。」
奥様の心実さんが、そのクールな表情を崩さないままで言う。
「そうか‥‥。仕方ないな。では聡には千代田区内に部屋を1つ借りてやろうか。予備校も東大も近いし、今の高校にも電車1本で通える。そうすれば、崇の勉強部屋の広さも確保できる。うん。これが合理的だな。」
漆家さんが腕組みして、うなずくように頭を小さく振った。
長男の聡さんは今年高校3年生。東大を目指しているのだそうだ。
東大なんて遥かな上空だったわたしは、挨拶に出てきた高校生の驚くほど大人びた態度に圧倒された。
一緒に挨拶に出てきた次男の崇さんも中学生とは思えない言葉遣いで挨拶をして、それぞれ2階の自室にすぐ戻っていった。
これが‥‥デキが違うってやつか‥‥。(・・;)
漆家さんは一流証券会社にお勤めで、心実さんは一流音大の教授、というエリート一家だ。
そんな漆家さんの家のリフォームの相談ということで輝子先生と共に伺っているわたしは、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。
それはたぶん、私のコンプレックスのなせる技なんだろう‥‥。
「いえ、そんなことまでなさらなくても、こうすればお子さんたちの2部屋取れますわ。ここにこうして出窓を作れば、そんな狭さを感じませんのよ。」
輝子先生はさらさらっと赤鉛筆をコピーの上に走らせる。
なるほど。さすが狭小住宅の魔術師!
しかし、漆家さんはあまり気に入った様子ではなかった。
「感じる、ではなく、実際の広さがいるんです。参考書も少なからず置かなきゃならん。」
そのあと、漆家さんから「これは今日ご足労いただいた交通費です」と渡された封筒を、輝子先生は「お気遣いありがとうございます」と言ってあっさりと受け取った。
設計は依頼しません——という手切れを意味する「交通費」だ。
どこまでも上流な施主だ‥‥。と思いながらも、わたしは少しほっとする。
ニガテだ。‥‥ああいう人。
もしかして、輝子先生も断られたくてあんな提案をしたのだろうか。
わたしは帰り道、それとなく輝子先生に聞いてみた。
「できれば取りたかったわよぉ。」
輝子先生は、ふう、とため息をついてうなだれた。
あ、やっぱりお金ありそうだったから?
「違うわよぉ、輪兎ちゃん。」
輝子先生が苦笑いして言う。
完璧に読まれた‥‥。わたしの内心‥‥。
「お子さんたちが心配だったの。ああいう厳しい両親——しかも2人ともエリートなんていう親の下にいる子どもはね、その檻から出られなくなってしまうことがあるのよ。」
また、ふう、とため息を漏らす。
「長男の聡くんは外に借りた部屋に出られるとしても、次男の崇くんは‥‥お兄ちゃんが東大に受かっちゃったらそれこそ、そのプレッシャーはとんでもないわぁ。聡くんだって、親が借りてくれた部屋で、親の目を離れて1人だけになった時にちゃんとしてられたらいいんだけど‥‥。」
「狭めの部屋で不便しながら、兄弟間のコミュニケーションが——ぶつかり合いも含めてね——できていれば、自力でここから出ていこうとする意思も力も育んでもらえると思ったのよぉ。」
そう言って、輝子先生はちょっと情けない顔でわたしを見た。
「だから、仕事取りたかったの。とりあえず便利で広い部屋なんか与えたら、本当にあの子たちは親の檻から出られなくなってしまう。」
はあ‥‥。と新緑の並木を眺めながら、輝子先生はまた大きく息を吐いた。
「建築でできることなんて、知れてるんだけどね。」
これは、珍しい輝子先生の失敗譚である。
まあ、さすがの輝子先生にも、たまにはこんなこともあるんだ。
了