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7 カムデン・パッセージ・マーケット

 毎週水曜日と土曜日に開くマーケットがある。エンジェルという駅の近くで開催する、カムデン・パッセージ・マーケットだ。


 このエンジェルという場所は、イズリントン地区と呼ばれるエリアに属する。ロンドン全体で言うと北側。チャールズ・ディケンズ作品やJ・K・ローリング作品などにもその名は出てくるので、聞いたことがある人もいるだろう(日本の作品でいえば、アニメ黒執事でも登場した)。今回のマーケットが展開されているカムデン・パッセージは、18世紀に歩行者専用の道として使われてきている。エンジェルという駅名は、17世紀頃にあった『エンジェル・イン』から来ているそうだ。インとは15世紀頃からイギリスで使われ始めた言葉で、パブやバーなどを併設した小型の宿泊施設のことを指した。今は中小規模のホテルをそう呼ぶことが多い。


 この地区出身の有名人と言えば、ハレー彗星の名前の元となったエドモンド・ハレーがいる。正式には彼の生まれはイズリントンではなくこの後出てくるショーディッチ地区ではあるが、結婚を機にこのイズリントンに移り住んだ。


 戦争を経て、この地域は徐々に廃れていく。そんな場所に光を再び与えたのは、1960年頃に開いた一軒のアンティークショップだった。そこから、地域が一体となってアンティーク・マーケットを開き、多くのアンティーク・ショップも店を構えるようになる。実はヴィクトリア時代初期には、ここイズリントンにアンティーク・マーケットが置かれていた。それもあり、再度のアンティーク・マーケットを、ということだったのだろうか。ヴィクトリア時代の途中から、この地を開発をすることとなり、マーケットは先に出ていたバーモンジー・マーケットへと移っていった。その開発で、ここは高級住宅地、及びショッピング街となっていく。とはいえ当時、高級住宅地のすぐ隣に貧困層の住む地域があり、ディケンズの書いた『オリヴァー・ツイスト』では、登場人物がこのイズリントンの中でも貧困層が住む場所に住んでいたことが描かれている。その後20世紀半ば頃から、景気の悪化と共にさらに様々な階層が住むようになった。イギリスの元首相であるトニー・ブレアは、1997年の総選挙での首相選出まで、ここに住んでいたそう。そうしたこともあり、この地区に住む人はリベラル、裕福な社会主義者と見なされることが多いそうだ。蛇足だが、最新のバンクシーの作品が描かれたのも、ここイズリントン地区の建物の壁である。


 ここは他の有名なマーケットに比べると、そこまで人も多くなくてゆっくりと見ることができるので、人混みが苦手な人には是非足を運んで貰いたいマーケット。露点のストールだけではなく、先に話したアンティーク・ショップも数多くあるので、楽しみはたくさんある。


「……エンジェルにある天使?」


 エンジェル駅を降りて、近くを散策すると『天使』という名前の和食屋があった。なかなか攻めた名前である。他にも、『ZenMondo』なんて名前の店もあった。猫が丸まっている線画を、墨で描いたような丸で囲い、その下に『ジャパニーズ・ダイニング』だなんて英語で書かれてあった。禅問答、って日本的なイメージが強いのかしらね。私の頭の中には、アニメの一休さんが浮かんできた。生憎まだ店は開いていなかったけれど、ショウウィンドウ越しには焼き物の湯飲みやお茶碗などが見える。こうしたものが人気なのだろうか。


 このエンジェルのエリアは、他にも和食の店がいくつかあった。最近ロンドンでも和食の店が人気だとは聞いていたけれど、こんなに人気なのねぇ、なんて思う。ちなみに、ロンドンにはチェーン店で『WASABI』だなんていうテイクアウェイ&イートインの気軽なお店もある。テイクアウェイとは、お持ち帰りのこと。日本語、もしくは米語でのテイクアウトのことだ。ただし米語ではTOGOの方が一般的(なので、アメリカから来ているちょっとお高いけれど、季節もののフラペチーノが美味しいあのチェーン店は『TOGO』と黒板に書いているのだ)なので、アメリカ旅行の際にはTOGOとドヤって言って欲しい。私はイギリスに来る度にドヤ顔で「テイクアウェイ」と言うけれど、こちらの人は英語が母国語なので、ドヤったところで意味はないのであった。


 カムデン・パッセージ・マーケットには、そんな『天使』のある側には渡らずに、駅を降りたらすぐに右に進む。魚屋があったり、レザーのカバン屋があったりと、いろいろなにおいがする小道を進むと、そこがもうカムデン・パッセージ・マーケットだ。通り沿いと、ワンルームマンションの一室ほどのエリアが二カ所あり、それぞれにストールが出る。駅から行くと手前にあるのが『ピアポイント・アーケード・マーケット』で、奥側が『チャールトンプレイス・アーケード・マーケット』と呼ばれていて、『ピアポイント・アーケード・マーケット』は水、金、土のアンティーク・マーケット以外にも、ブック・マーケットや古着のマーケットなども別の曜日で開催をしているらしい。この通り沿いには店舗を構えているアンティーク・ヴィンテージの店も多く、さらにその前には通り沿いに出店しているストールも多い。この通り沿いに出店しているエリアが、正式に言うと『カムデン・パッセージ・マーケット』となる。ピアポイント・アーケード・マーケットのある通りの奥には、『ピア・ポイント・アーケード』という(名前が似ていてややこしい)アンティーク・ショップが並ぶエリアもあり、こまごまと見るところが多い。先ずは一通り見て回るのがベスト。狭いエリアなので、全部回ってもそこまで時間はかからないのも、ここのマーケットの魅力の一つだ。


 そんなわけで、先ずは手前のピアポイント・アーケード・マーケットをチェック。古い版木の印章(ウェールズの紋章なんかもある!)やアクセサリー、時計を売っている。他にも、ヴィンテージのコスチューム・ジュエリー(トリファリなどだ)なんかを扱っているストールもあった。実は最近、コスチューム・ジュエリーにもハマりだしたのだが、この日の商品には、そこまで惹かれるものはなかった。


 その奥の小道、ピアポイント・ロウにも店はあり、手前にはアーミー関係のものが売っているようだ。私はあまり軍事関係に詳しくないので、そこはスルー。そういえば友人にこういうのが好きな人がいたなぁ、なんて思いながらさらにその先に進んだ。さらその先突き当たり右側に、先ほど記載したピアポイント・アーケードがあるが、時間が早いからか、開いていなかった。残念。


 元の通りに戻り、十字路に。その角にあるのが、二つ目のエリアであるチャールトンプレイス・アーケード・マーケット。うっすらとした坂道なので、階段状になっている。そこにもいくつものストールが出ていた。手前の方から順番に見ていく。ネックレスやピアス、イヤリングなどが並んでいる。シルバー類が多く並ぶのも、やはりイギリスならでは。私も豪華な家に住んだら、格好良いシルバーで食事をしてみたい。暗殺も防げるし。まぁ、暗殺なんてされないけれど。何故暗殺と言い出したかといえば、金は毒物に反応しないけれど、シルバーは毒物に反応するため、昔の王侯貴族はカトラリーをシルバーにしていたのだ。が、実際の所は、シルバーは手入れをしないとすぐに酸化して黒ずむため、手入れをきちんとできる使用人がいることの自慢のために、使われることが多かったらしい。マウントかよ!


 素敵なものはあるけれど、値段と欲しさのバランスはそこまで見合わない。どうしても欲しいと思うものではないので、どんどんと奥に進む。と、出口に面した場所に並ぶ商品に、目が留まった。

 シトリンのブローチだ。大きめのシトリンが横長に配置され、その周りを真鍮の線が囲う。後ろから出ているもう一つの真鍮線がその線に絡まり、アール・ヌーボーの走りのような雰囲気だ。裏を見るとブローチの留め金はCカン。それにセーフティチェーンが付いている。留め金がCカンということは、それなりに古いものなのだろう。刻印もないし、正解はわからないけれど。ただ、私の心としては


「あー、これかわいいなあ」


 これに尽きる。そう思ってそれを見ていると、店主が似たようなデザインをたくさん出してくれた。商品はざっくばらんに衣装ケースに入っていて、扱いが若干雑なところもまた良い。


「これとこれと、これもいいわよ。これはアール・デコ」

「うーん。アール・デコは、今はあんまり惹かれないんだよなぁ」


 店主の英語の言葉に、返す言葉は日本語だ。でもニュアンスは伝わったようで、彼女──店主は元気なおばさまだった──は他の商品を出してくる。今度は私の好みにマッチするものがいくつかあった。どれもかわいいが、全てを買うのは予算的に難しい。


「ちょっと一周してまた戻ってくるわ」

「オーケー。売り切れちゃうから早く戻ってきてね」


 今度は拙い英語で伝えれば、彼女は気軽にそう返してくれる。無理強いしてこないところも、気持ち良く買い物ができる理由なのかもしれない。

 その間に、今度は店舗を構えている店を覗く。このチャールトンプレイス・アーケード・マーケットの目の前にあるのは、ヴィンテージの古着のお店だ。洋服はサイズがあわないことも多いのだが、この店はリボンやレースなどの素材も多く扱っている。素材、と言って良いのかはわからないけれど。なんでも、有名デザイナーも素材を求めてこの店に来るとか来ないとか。見たことがないので聞きかじりの情報ではあるが、それに納得してしまうような、うっとりとするレースなんかもあるのだ。


 そこから先は食べ物屋さんが多く並び、通り沿いにオープンテラスよろしく人が多く座って食事をしている。そのすぐ横で、小さなテーブルを出してストール営業している人もいて、この雑多さが面白いな、なんて思う。いくつか見て回ったけれど、そこまで欲しいと思うものはなかった。

 やっぱりさっきのが良いなぁ、と思い店主の下へ。


「早かったわね。まだあるわよ」


 そう言って、さっき出してくれてたのに追加して、さらに別のものも出してきた。


「待ってよ。そっちも好みじゃん」


 という気持ちを込めて、口から出たのは


「オー! ラブリィ」


 ……まぁ、伝われば良いのだ。

 私の大好きな琥珀を胴体につけた蜂のブローチや、ターコイズの周りにお花の飾りがついたブローチ。それから


「ハリネズミ! えーと……なんだっけ」

「ヘッジホッグ」

「そう! それだ。ヘッジホッグ!」


 ──日本語と英語で会話が成立してしまっている。

 ハリネズミのブローチ。ハリネズミの周りに花が付いているシルバーのそれは、今まで見たことがないようなデザインだった。


「えー、これは欲しいじゃん? あとは……」


 プラスチックの衣装ケースの蓋の上に載せられたいくつかのブローチを、買うものと買わないものと、迷っているものにわけていく。迷って迷って、結局このストールでは、シトリンのブローチと蜂のブローチ、それからハリネズミのブローチとターコイズのお花のブローチを買った。シトリンのブローチには、先ほども書いたがセーフティチェーンが付いている。


 セーフティチェーンとは、今よりもピンの性能が良くなかった頃によく付けられていたもので、ブローチから短いチェーンと三角形に近い小さな安全ピン(ほど安全では全くない)がセットになってくっ付いているもの。ボタンがあれば(かつ位置が良ければ)ボタンの根元に安全ピンをひっかけ、そうでなければ良き位置に刺す。そうすることで、万一ブローチ側のピンが抜けたとしても、紛失することがないのだ。


 こういう、本体に付いているちょろっとしたチェーン、というものに、私はめっぽう弱い。なんだか魅力的に見えるのは、何故なのだろうか。


「セーフティチェーンは私が止める。手を触れてはいけない」


 などと、どこかのテーマパークの乗り物のアナウンスのような物真似をしながら、いつも付けている。物真似は必要ないのだが。


「私はいつもここでお店を出しているから、また来てね」


 店主はそう言って、商品を渡してくれた。


「うん。私は観光客で、ここには住んでないけど、来年もまた来るから!」


 単語を重ねながらそう言って、最後に「シー、ヤ!」と手を振れば、彼女も手を振ってくれた。

 ピアポイント・アーケードもピアポイント・ロウ(ロウとは両側に建物のある道という意味だが、イギリスでは町名でもよく使われる)の店も開いていなかったし、あとはまた次の水曜日に足を運ぼう。


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