表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

6/14

6 コヴェント・ガーデン アップル・マーケットとイースト・コロネード・マーケット

 コヴェント・ガーデンという単語は聞いたことがある人も多いだろう。


 オードリー・ヘップバーン主演の、マイ・フェア・レディのオープニングで、オードリー扮するイライザが登場するシーン。あれがコヴェント・ガーデンだ。マイ・フェア・レディでは、ヒギンズ教授がイライザに上流貴族の発音を教え込んでいたが、なかなか話せなかった。それは、オールド・スピタルフィールズ・マーケットの項でも書いたが、コックニー(労働者階級)の言葉はhを発音しないということに由来する。そのコックニーの象徴的なものとして、コヴェント・ガーデンの野菜市場が描かれていた。


 ここが『ガーデン』とついているのには理由がある。中世、ここにはウエストミンスター修道院(修道院=コヴェント)の野菜畑ガーデンが広がっていた。その後この場所は様々な貴族の手に渡り、十七世紀には土地が再開発され、食料市場としてその地位を確固としたものとしていく。テムズ川を利用して商品を運び入れ、市場は活気に溢れていた。当時からこの場所は観光客でも溢れていて、人形劇などの娯楽が開催されていたそうだ。


 プチ情報としては、ヒッチ・コックはコヴェント・ガーデンで働いていた商人の息子で、この地区で少年時代を過ごした。

 そんなコヴェント・ガーデンの敷地(建物)内には、『アップル・マーケット』と『イースト・コロネード・マーケット』という二つのマーケットがある。

 アップル・マーケットは、アーティストのマーケットだ。火曜日から日曜日に開催されていて、ベビー服やらイラストレーションやら、クラフト、アクセサリー、もろもろ出店している。

 ふらふらと歩いているだけでも、ワクワクしてくるのだ。


「お、なんかかわいい!」


 カラフルなコースターやポーチを販売しているストールを見つける。近付くと、20代後半くらいの女性が「ハァイ」なんて声をかけてくれた。英語でいろいろと説明してくれるが、なんとなくしか聞き取れない。


 コースターはロンドンの衛兵さんのイラストであったり、ビッグベンのイラストなどなど、名所をミニチュアなサイズで描いたポップなものだった。色合いも、ショッキングピンクや濃いめのミントグリーンなど、日本ではなかなかお目にかからない派手な色合い。


「とってもかわいい!」


 先ずはそれを伝え、金額をチェックする。五枚で20ポンド。バラだと一枚5ポンドになる。


「一枚4ポンドか……なかなか……」


 でも、やっぱりかわいい。一度は諦めようかとも思ったけれど、こういうクラフト作品とは一期一会だ。


「私が全部デザインしているのよ」


 私がうまく聞き取れてないことに気付いてくれたらしく、ゆっくりと話してくれた。今度は聞き取れる。


「そうなの? すごい! だってどれもとってもかわいいし、オリジナリティがあるよ」


 言いながら、五枚を選んでいく。これは一枚ずつ、友人へのお土産にしようと思い、柄と色合いで思い浮かぶ友人を紐付けていった。


「友人へのプレゼントにするよ」


 そう伝えたら、彼女は笑顔でショップカードをくれる。インスタのQRコードがついたそれを見て、今度は私から話しかけた。


「ねぇ、私のインスタに載せたいから、写真を一緒に撮っても良い?」

「もちろん! コースターも手に持って!」


 めったにしない自撮り写真で、パチリ。あぁ、そういえばインスタにこの写真をあげるの、忘れていた。

 撮影も済んで、店主の彼女と別れた後は再びマーケットを散策だ。このアップル・マーケットはそこまで広くないので、あっという間に見終わる。そこから今度は、このマーケットとTの字でクロスしているイースト・コロネード・マーケットに移動した。


 イースト・コロネード・マーケットは、スイーツもあればスイーツのような石鹸もある。そしてさらには、こちらにもアクセサリーが売っていた。


「このピアスおしゃれだなぁ」


 そう思ったのは、葉っぱの葉脈を金属にしたピアス。葉っぱの輪郭と葉脈が虹色に輝いている。金色や銀色もあるけれど、断然虹色だ。思わず即決で買ってしまったが、なんと数店先のストールでも同じ商品が売っていた。


「……オリジナルじゃないのか」


 先ほどの店のオリジナル商品だと思って浮かれて買ってしまったが、どうやらそうではないらしい。少し残念。でも、日本ではみかけないデザインなので、これはこれで良しとした。後悔するより切り替えて楽しむ方が断然得だ。

 一通り見終え、コヴェント・ガーデンのマーケットはこれでチェック終了。外を見れば、思ったよりも夕暮れに近付いていた。


「あれ。そんなに長くいたのか」


 だいぶ低くなった太陽を見ながら、時計を確認する。六時少し前。こうして自分のペースで好きに見て回れるのは、一人旅の良いところだ。

 ところで、コヴェント・ガーデンのエリアには、ロンドン交通博物館がある。ロンドンを中心とした輸送遺産を保全、説明することを設立の趣旨とするこの博物館は、実はミュージアムショップがとても楽しい。


 ロンドンではおなじみのマーク、○の真ん中に傍線が一本入ったロンドン交通局のロゴ(これが色違いで、チューブやオーバーグラウンド等ロンドンの中を走る多くの乗り物のマークになっている)を使ったポスターやマグカップ、ダブルデッカーと呼ばれる二階建てバスのTシャツや、クリスマスに着るダサダサセーター(アグリーセーター)、果てはソファまで売っている。それがまたどれも可愛いのだ。ロンドンに来たときには、必ず寄っているミュージアムショップ、それがこの交通博物館のミュージアムショップである。


「これ、チューブのシート柄だ。こっちはバスのシート柄」


 ぐるりと見て回っていると、ブルーやオレンジのグラデーションになっている、モザイク柄のマフラーやポーチを見つけた。ぱっと見ると乗り物と関係なさそうなその柄は、座席の布地の模様だ。こうした意匠の使い方が、上手なんだなぁと思ってしまう。

 トートバッグや、昔駅に飾られていたポスター──多色刷りでとてもお洒落だ──の複製など、家に飾ってあるとインスタに載せられる部屋になりそうな予感がする。いや、このポスターだけ飾っても、インスタには載せられないか。


 ベビー用品やキッズ用品も揃っているので、乗り物好きな子どもへのお土産にも良さそうだな、と思うが、私の周りで乗り物が好きな子どもがいないので、そこは断念。値段はまさにピンキリだが、安めのものとしては、チューブの各路線の色をしたロゴがたくさん描かれている薄手のトートバッグがある。ロンドンで何かを買ったら、このトートにいれるのもかわいい、と思い気軽に購入。三ポンド。

 奥には階段があり、中二階のようなスペースがある。そちらには絵本や本などもあったり、玩具も売っている。端から端までじっくりと見るには、閉店時間まで少々余裕がない。それでも何かしら欲しくて買ったトートバッグに、にやりとしてしまう。

 ミュージアムショップは六時閉店なので、その買い物で今日は終了となった。


 さて、ミュージアムショップを出るといよいよ夕暮れ時だ。空を見上げながら、夕飯に向かうとする。

 ロンドンの食事についてはすでに記載したが、そんな中でも安くて美味しい店はもちろんある。マレーシア料理の店だ。イギリス料理の店じゃないのかよ、と言うなかれ。イギリス料理ってじゃぁなんぞ? となってしまうではないか。フィッシュ・アンド・チップスか、パイなのか。毎日それはさすがにしんどい(さして食べてもいないが)。とりあえず、美味しいと感じられればそれで良いのだ。


 その店があるのは、ロンドンの中華街。ここコヴェント・ガーデンからは、レスター・スクエアという駅を経由してすぐだ。経由、と言っても歩いて行くのだが。

 ロンドンの街は存外狭い。

 このコヴェント・ガーデンから中華街までの距離もせいぜい一キロ程度。徒歩で十分くらいだ。例えばコヴェント・ガーデンの駅からレスター・スクエアの駅まで一駅チューブに乗るとしたら、コヴェント・ガーデンのホームまで、時間をかけて降りることになる。というのも、コヴェント・ガーデンの改札口とホームは、エレベーターか螺旋階段しかないからだ。しかも、エレベーターがなかなか来ないからといって階段に切り替えると、想像以上にぐるぐると回って長時間降りることになる。目が回るし疲れるし、良いことは一つもない。……あぁ、こうして話のネタにはなるかもね。


 そしてホームに到着したら、ピカデリー・ラインの到着を待ち、あっという間の一駅。この地上から地下への移動と電車を待っている間に、歩いて中華街まで到着してしまうのだ。そりゃぁもう、歩くでしょう。

 この辺りは、大通りも裏道も、それなりに店がたくさんあって楽しい。そして、少々遠回りになりはするが、『グッドウィンズ・コート』と呼ばれる道と『セシル・コート』と呼ばれる道を通ると、その楽しさはきっと倍増する。


 コートとは、”Court”と書き、建物に囲われた袋小路とか、同じく建物に囲われた中庭のような意味を持つ。とはいえ、袋小路になっていないところも多い。きっとかつては袋小路だったのだろう(今でも袋小路になっている私有地のような道も多い)。


 このグッドウィンズ・コートは、18世紀のロンドンの佇まいを残した街並だ。18世紀といえばジョージアン様式。ちなみにこのジョージアンとは、イギリス史の区分の一つで1714年のジョージ一世即位から1830年のジョージ三世の崩御までを示すのが一般的だ。ただ、今回私が欲しいと思っている、アンティークのアクセサリーやジュエリーについていえば、ジュエリー史的にはジョージ三世在位中の1800年頃からヴィクトリア女王即位の1837年までを指す。ついでにいえば、その後ヴィクトリア女王の在中についてはヴィクトリアン、その後即位したエドワード七世(1901年~1910年)の時代をエドワーディアンという。アンティークとはその製造から百年以上のものを指すので、だいたいエドワーディアンくらいまでをアンティークと呼称する。なお、百年に満たないものは、ヴィンテージと呼ばれるので、購入のときの参考にして貰いたい。ただ、最近ではヴィンテージでも1950年から1960年あたりの商品が人気であることもあり、その時代のものを特に『20世紀アンティーク』『コンテンポラリー・アンティーク』などと呼ぶこともある。


 そしてこのグッドウィンズ・コートの建物は、一般的に言われるエドワーディアンの時代のものだ。このあと通るセシル・コートは十九世紀、ヴィクトリアンの建物なので、その違いを楽しむのも一興。

 ジョージアン様式の特徴は、少しだけ丸くカーブしたボウ・ウィンドウという窓だ。この小道にある街灯は、なんと本物のガス灯だったりする。そして、ここで見つけることのできる面白いものといえば、金色と桃色──おそらく昔は赤だったのだろう──で彩られたベルの主線の中に、建物(ここで見られるのは、王立証券取引所の建物)が描かれた金属のマーク。何かというと、18世紀のファイヤー・マークだ。


 ロンドン大火の話をしたときに、世界初の火災保険会社のことも記したと思う。実はその火災保険会社のマークがこのファイヤー・マークで、複数あった保険会社ごとにマークがあった。このマークは何の役目を果たすかといえば、「これが張られている家は我が社のお客様なので、火事のときにはお助けします」というもの。なるほど、こうしてわかりやすく印を付けられていれば、「だったら我が家も入っておこう」となるのかもしれない。……どうだろう。


 焦げ茶色の建物が建ち並び、ガス灯が仄かに灯る。家々の壁には、緑色の植物が飾られ、ガス灯の煤で汚れた建物を華やかに見せてくれていた。18世紀にはこうした家がロンドン中に、中流以上の家として立ち並んでいたのだろう。昔の汚れの混ざった霧が立ちこめ、その中にガス灯光がうっすらと浮かぶ光景を思い浮かべると、まるで物語の中に入ったかのような感覚になれる。こんな中なら、殺人事件が起きても犯人のその姿なんてよく見えないだろうに。そう、切り裂きジャックの事件のように。


 元々はフィッシャーズ・アレイと呼ばれていたこの道は、1627年にはこの道の記録が確認できる。しっかりと、歴史に裏打ちされた通りと言うことだ。そうそう、玄関のノッカーは人の顔なんてものもあった。やっぱり西洋の人の感性、少々あわないわね。


 そんなグッドウィンズ・コートを抜け、今度はセシル・コートに入る。サウスバンク・ブック・マーケットの項で、チャーリング・クロスは古本屋の姿を減らしたと話したが、実はこのセシル・コートにはその面影があるのだ。とはいっても、やはり古本屋自体は数件で、あとは専門書や占い、ジュエリー、アンティークの店が並ぶ。それでも、雰囲気はしっかりと感じられる。こちらは19世紀のヴィクトリアン様式の建物。19世紀ヴィクトリアンといえば、みんな大好きシャーロック・ホームズの時代だ。関係ないが、私は子どもの頃にNHKのアニメで見た犬のシャーロック・ホームズが、ホームズの入口だった。あれは確か、宮崎駿監督も数作品監督をしていた。


 ロンドンでシャーロック・ホームズを感じるのであれば、やはりベイカー・ストリートに行くのが一番なのかもしれないが(チューブのベイカー・ストリート駅の壁は、モザイクでシャーロック・ホームズの横顔があしらわられているので必見だ)、こうした当時の雰囲気を残す街並を歩くのもまた、シャーロック・ホームズを感じることができると思う。


「あっ、エファメラがある! 昔のポスターはやっぱりかわいいなぁ。お値段は全然かわいくないけど」


 ショウウィンドウに並ぶ、昔のチラシやポスターを見ながら、思わず口にする。目にした欲しいもの全てを購入できるほどの力が……欲しい! となってしまうのが、旅先での散歩だ。うっかり歩くと、うっかり欲しいものに出会ってしまう。うっかり、うっかり。


 エファメラとは、長期的に保存されることを意図していない印刷物のことで、いわゆるチラシやポスター、チケット、昔ならではといえばマッチ箱なんかも当てはまる。こうしたエファメラはそれなりにコレクターがいるもので、昭和の喫茶店にあったマッチ箱(または折るタイプのマッチ)などをコレクティングしている人も、思いのほか多かったりする。こうした場合のエファメラは、紙もののアンティークやヴィンテージを指す。


 古い切手やメダル、古地図を扱う店もあればヴィンテージ・アクセサリーを扱う店もある。残念ながら、この日は店が開いていなかった。少しお高めの(ロンドンの一等地だからね!)アンティークを扱っているお店もここにはあるので、ふらりと訪れても楽しめる。私はいつも、この道を歩くだけで、幸せになれるのだ。


 そうしてセシル・コートも通り過ぎ、レスター・スクエアの駅前に賑わいを感じながらほんの少し進めば、ロンドンの中華街に到着する。中華料理に関しては、リバプール・ストリートにある中華料理の店がお気に入りだが、ここ中華街でのお目当てはマレーシア料理の店。以前友人に勧められて入ったら、安いし美味しいしですっかりファンになってしまった。ルパート・コートという細道を入ると、すぐに見つかる。


 中華街では赤い提灯が道路の上に飾られ、ここがロンドンであることをついぞ忘れそうになる。歩いている人々に欧米人が多いので、忘れないで済むが。

 このマレーシア料理の店は並ぶこともあるが、長居するタイプの店ではないのか、回転は速い。店に入るとマレーシア人か中国人か、はたまた……わからないが、アジア人が中国語で話しかけてきた。


「ごめん、わかんない」


 日本語で返せば、すぐに英語に切り替えてくれる。客がアジア人だと、とりあえず中国語で話しかけてくるのかもしれない。


「ワン?」

「そう、ワン」


 日本語と英語の折衷で返事をする。お互いカタコトだ。犬のことを話しているわけではない。メニューには写真がついている商品もあれば、ついていないものもある。ここでは麺類がオススメ。もちろん他のメニューも美味しいので、どれを食べても満足できる。値段も10ポンド程からあるので、物価の高い、ことにレストランの高いロンドンでは、ほっとできる店だ。しかも美味しい。


 魚のすり身が入った麺を頼み、お腹を満たす。ちなみに、無料の水が欲しい場合は「タップウォータープリーズ」といえば良い。出してくれない店もあるが、たいていは出してくれる。タップウォーターは、水道水を指す。ロンドンは水道水が基本的には飲めるが、自己責任で。なお、有料も無料も水は基本硬水だ。心して飲んで欲しい。


「出汁が出てて美味しいんだよねぇ」


 ロンドンに来ると、一度は来る店。それがこのマレーシア料理の店だ。麺を食べるだけだと満腹にならなかったが、スープまで飲みきると、お腹はいっぱいになってくれる。

 良い夜になった。おやすみなさい。

面白いと感じていただけたら、★を押していただけると励みになり、嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ