5 バーモンジー・アンティーク・マーケットとピカデリー・マーケット
毎週金曜の朝にしか開いていないマーケットがある。それがバーモンジー・アンティーク・マーケットだ。場所は昨日行ったバラ・マーケットの辺り。最寄駅は、バラかロンドン・ブリッジだが、近くにバス停があるので、バスで行く方が楽かもしれない。以前バラから歩いたら、結構遠かったのだ。
早朝から開いているこのマーケットは、昔は『泥棒市』と呼ばれていた。
時はヴィクトリア朝。日が昇るよりも早くに始まるこのマーケットで取引された商品は、例えそれが盗品であると後から判明しても、取引は合法と見做され、返却しなくても良いと言われていたそうだ。もちろん、今は合法ではない。
ここはテニスコート二面分より少し広いと感じる程度のエリア。店の数も30あるかないか程の小さなマーケットではあるが、実はディーラーも多く訪れるという。でも、目利きの能力のない私から見ると、アンティーク・マーケットと銘打つよりも、小さな蚤の市とでも言う方がしっくりくる感じだ。こうした小さなマーケットは(ディーラーが多く来ている、来ていないではなく)ロンドンの至る所で開かれている。このひっそりと小さな、そしてのんびりとした雰囲気のマーケットがまた、ロンドンらしくて私は好きである。あまり有名ではないので、観光客もほとんどいない。
シルバー(こう書くときは、基本的にカトラリーのシルバーという意味)が所狭しとならんでいるストールには、人だかりができていた。イギリス人、背が高いので私よく見えない(カタコト)。そもそもシルバーは今回お目当てではないので、まぁ良いかとスルーした。
ガラスケースに入ったジュエリーなんかも売っていて、ははぁ、これはディーラーも来るわけねぇなんて思ってみたり。その一方で、いかにもな骨董品というよりも、家にあったものを持ってきました、というお店も多く
(案外こういうところで、掘り出し物って見つかるんだろうなぁ)
なんて思ってしまう。
だが……ここで事件は起きたのだ。
幾つかの店をゆっくりと見ていると、目を引くネックレスがあった。細い線で丸みを帯びたシルエット。シードパールという、ベビーパールよりも小さなパールで枠を飾り、ガーネットがゆらゆらと揺れるネックレス。店主が言うには、ヴィクトリア時代のもの、いわゆるヴィクトリアンだそうだ。値段は270ポンド。なかなかの値段がする。
何度も何度も首にかけてみる。店主のおじさんは、英語で可愛い、似合うよと言ってくれた。そりゃぁ言うだろうよ。商売だもの。
(270ポンド……。270ポンドかぁ)
金属は9金。ペンダントヘッドのみで、ネックレス部分はつかない。
(270ポンドか……)
でも思い出して、私。今回の旅はアンティークのアクセサリーを買うのがテーマでしょう? ここで買わないでどうするの? うん、そうだよね。いつ買うの? 今でしょう? と私の中の別人が背中を押す。
「ねぇ、少し安くならない? 現金で買うからさ」
「キャッシュなら250ポンドでいいよ」
「やったぁ! ありがとう!」
20ポンドは大きい。この頃の1ポンドはだいたい180円から190円くらいで、それに手数料が入ると、ざっと見積もって200円くらいを想定しておくのが良い。そうなると、20ポンドは約4000円だ。いやぁ4000円あれば、軽く飲みに行けてしまう。──日本なら。
そこで私は現金を出したのだ。2019年に使い切らなかった現金を。
すると、思いがけないことを言われた。
「このお金は使えないよ」
えっ……?!
「なんで使えないの?」
英語力なんてほとんどない私は、ホワイホワイを繰り返す。店主のおじさんはぷっくりとした指で、自分の財布からお札を出して私に見せた。
「プラスチックペーパーじゃないだろ? 銀行で交換してきて」
言われた内容に、手元の紙幣を見る。なるほど。おじさんのプラスチック製の紙幣と違い、紙でできている。紙幣の種類が変わったのか、とようやく理解し、
「オーケー。銀行に行ってくる」
そう言って、その場を立ち去ることにした。
(……ま、戻ってこないけどね)
250ポンドのネックレスを買うか迷い、ようやく決意したのだ。その決意が折れたら、一気にどうでも良くなった。キラキラと輝いていたヴィクトリア時代のネックレスよ、さらば。
とは言え、使えないお金を持っていても仕方がない。財布の中には、プラスチック製と紙製の両方のお札が入っている。混ざっていたのか。
お金の交換場所を調べるべく、スマートフォンを開いた。ありがとう、スマホ。そこで調べてみると、今は指定の銀行でしか交換ができないらしい。なるほど。指定の銀行のある場所まで、バスで移動することにした。
赤いバスはロンドンの象徴、ダブルデッカーだ。一つのバス停で複数の路線が止まるので、手を道路に対して平行に出して止める。まぁそんなことをしなくても、ロンドン市内であれば大抵止まってくれるのだが。
降りる場所がはっきりとわかっているのであれば、二階の一番前を楽しむのが良いが、車内の電光掲示板を見ながら降りる場所をチェックする場合、すぐに降りる体勢に入れる一階で過ごすのがお勧めだ。二階から降りるの、結構時間かかるんだよね。
こうして最寄のバス停で降りた私は、ドキドキしながら銀行に入り、窓口で紙幣の交換を依頼した。──のだが、何故か交換可能金額の上限を言われてしまう。パスポートを見せたところ、この金額以上は交換できないと言われてしまった。どうしてなのか聞いても、なんだか良くわからない。良くわからないので、とりあえず交換できるだけ交換して貰って、あとは他の場所で交換すれば良いやと、前向きに受け止めることにした。
(まぁ、なんとかなるでしょ)
だって、良くわからないから……。
同じ銀行の名前が他の地域にないかと確認すると、なんとピカデリー・サーカスの方にあるではないか。ちょうど、ピカデリー・サーカスにあるセント・ジェームズ教会前のピカデリー・マーケットにも行こうと思っていたのだ。ナイス! 私ナイス! 別段私の成果ではないけれど、自分を褒めておくことにする。
今度はチューブで移動して、ピカデリー・サーカス駅に。ピカデリー・サーカス駅を出ると、良くテレビの映像で見る、美しい弧を描きながらオフホワイトの建物が建ち並ぶリージェンツ・ストリートが目に入る。あぁ、ロンドンに来た感じがする、と思いながら目当ての銀行へ。随分と並んで、いざ窓口に行くと……
「ここではできないよ。あっちにヘッドオフィスがあるから、そっちで変えて貰って」
なんと、別の場所に行くように指示されてしまう。とはいえ、どこでできるかを教えて貰ったので、向かうことにした。
「ヘッドオフィス……。ヘッドオフィスね。なるほど、本社じゃないとできないってぇ寸法ね」
そんなことを呟きながら、裏道を進む。いまいち場所に不安はあるが、銀行の本社なんて大きな建物、すぐに見つかるだろう、と軽く考えて目印となるキーワードを口に出し、確認する。
「テスコの前を通り過ぎて、大通りを右に。映画館の隣……。となり?」
言われた目印を一つずつ潰しながら歩くが、銀行のヘッドオフィスらしい立派な建物などない。グーグルマップを開いてみても、銀行の本社なんて規模の建物は見つからなかった。これは困った。
「ないじゃん、ないじゃん。もー、どうしよ……ん?」
目の前にあるのは、文房具屋さんのような──改めてグーグルマップを確認する。
なるほど。
「あーっ! ヘッドオフィスじゃなくて……ポストオフィスかぁあー」
そう、文房具屋さんの奥にあるのは郵便局。どうやら私がヘッドオフィスとヒアリングしたものは、ポストオフィスだったらしい。
確かに、インターネットで紙幣交換を見ていたときに、郵便局でも両替をして貰ったという体験談を見かけた。ただ、中には郵便局では断られたという投稿もあったので、避けていたのだ。
(まぁ、でも銀行でも断られてるしね)
ダメモトで窓口に並びお願いをすると、パスポートのチェックすら不要で、あっさりと交換してくれた。
「さっさと郵便局に来れば良かったわ」
……内なる自分に、思わず話しかけてしまう。
さて、現金も交換できたので、そこからピカデリー・マーケットに向かうことにした。この郵便局から、ピカデリー・マーケットを開催しているセント・ジェームズ教会はすぐ近くだ。ちなみに、このセント・ジェームズ教会も、クリストファー・レンの設計。
リージェンツ・ストリートから枝分かれする道を進むと、左手にセント・ジェームズ教会が見えてくる。その少し先は、紅茶で有名なフォートナム・アンド・メイソンの店舗だ。
「……ん?」
おかしい。いつもならば、赤い屋根のテントが立ち並んでいるマーケットが出ているのに、テントどころかマーケットの気配すらない。
このピカデリー・マーケットは、アート&クラフトのストールが多く、私は良く来ていた。クリエイターの作るスタンプやらアクセサリーやらが、見ているだけでもとても楽しいのだ。
楽しいのだが。
「おかしいなぁ。今日は終わり? いや、まだ午前中だし……」
教会の敷地内を見てみても、やはり気配がない。こういうときはグーグル先生、とばかりに検索してみる。
「嘘でしょ」
ピカデリー・マーケットと検索すると、このセント・ジェームズ教会が出てくるが、そこには『閉店』と赤い帯付きで表示されていた。セント・ジェームズ教会の公式ページを見てみても、そこにはマーケットのことは何の記載もない。
「もう、やらないのかなぁ……」
コロナ禍を挟んでいる。その間に教会の敷地のマーケットはやらなくなっていても、不思議はなかった。残念ではあるが、仕方がない。
「んじゃ、コヴェント・ガーデンに行こ」
旅の時間は有限だ。いつまでも感傷に浸っているのはもったいない。私は再び、チューブに乗り込むのだった。
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