3 バラ・マーケット
気付くとお昼時を過ぎている。夢中になって買い物をしていると、どうにも食事を忘れやすいのだ。リバプール・ストリートの周辺には、美味しい中華の店もあるが、一人で中華の店は少々ハードルが高い。何が高いかって、量だ。できれば二人以上で行くことをお勧めする。
オールド・スピタルフィールズ・マーケットに出ている食べ物のストールで買っても良いのだけれど、今日はあまり好みの店は出ていなかった。というわけで、ここは一つ、私の大好きな『バラ・マーケット』という食べ物のマーケットで食事をしようではないか。
バラ・マーケットと聞くと「お花のマーケット?」「なんだかロマンティック」と思ってしまうが、落ち着いて欲しい。花のバラは──日本語だ。このマーケットの名前にもなっていいる『バラ』は”Borough”と書く。およそ1,000年程前から存在しているこのマーケットは、18世紀中頃に現在の場所に移転した。それまではどうやら、大通り沿いにストールがひしめくように並んでいたようだ。それで道路が大渋滞し、問題化して今の場所に落ち着いた。当時から食料品の市場として確立し、現在では卸だけではなく、住民と観光客の胃袋を満たしてくれている。ロンドンはこうした食べ物のストールが非常に多い。レストランが高いということも、関係しているのだろう。
そうそう。ロンドンの食事情について、よく聞かれるのが
「イギリスはご飯が美味しくないって本当?」
で、ある。
これは、本当でもあり、嘘でもある。
どうしてそうなるか。
一つ分かっていて欲しいのは、ワンコインやそれ以下でもそこそこ美味しく、かつ清潔な場所で、それなりのサービスを受けて外食ができるのは、日本だからということ。
例えば──そうだ、イギリスのランチタイムのスーパーマーケットを思い描いてみよう。
イギリスには『ミール・ディール』というメイン+ドリンク+スナック(ポテトチップス、菓子、またはカットフルーツ)の三つで構成されるセットが、昼時の販促としてよくある。これがだいたい平均四ポンド。具体的な例を出してみるとする。
テスコというスーパーマーケットがある。そこでスモークハムとチェダーチーズのサンドイッチとオレンジジュース、それにカットフルーツまたはクリスプ(ポテトチップス)をセットで買うことができる。金額的にはだいたい4ポンドくらいだ。
そのセットの味はどうか、と聞かれれば、日本のコンビニのサンドイッチの方が断然美味しいと言い切れる。何故なら、イギリスでは塩胡椒は調理後に各人が好きに調味することの方が多いので、ほとんど下味をつけないから。つまりこのサンドイッチも、塩味は──塩分量を計算しないといけない人にはとても効果的な味付け、と言えば伝わるだろうか。
ちなみに、どう考えてもカットフルーツの方がコスパが良さそうなのに、何故クリスプと選べるような形式にしてあるかというと……。クリスプをサンドイッチに挟んで食べるからだそうだ。そうすると、適度な塩分が摂取できるのだとか。
……。
いや! 最初から味付けしておけよ!
では、一方少々お高いレストランはいかがだろうか。これについては残念ながら、私はお高いレストランで食事をしていないのでなんとも言えない。ただ、イギリスの料理は年々レベルがあがっていると聞くし、エジンバラやヨークで食べた料理は美味しかった。つまり、全てが美味しくないわけではないということだ。
ところで、イギリスは言わずと知れた紅茶の国だ。紅茶と、そして近年日本でも大人気の、アフタヌーン・ティー文化の本拠地。スコーンやクッキー、タルト……。お茶菓子と呼ばれるものはどれも美味しい。そして、意外や意外。チョコレートも美味しいのだ。タルト、といえばパイは美味しいので、一部の(つまりそれは、スターゲイザー・パイと呼ばれるものなのだけれど)パイ以外は、安くても比較的安心して食べて貰えると思う。シェパーズ・パイなどは、ラム肉とマッシュポテトのパイ(マッシュポテトをパイ皮の代わりにする)で、とても美味しい。ちなみにこのシェパーズ・パイはコテージ・パイとも呼ばれるが、シェパーズ・パイと言う場合はラム肉、コテージ・パイと言う場合はビーフ、ラムいずれかとなる。そういえば、フランス通の友人がアッシパルマンティエというパイを作ってくれたことがあるのだが
「さっすがフランス、見た目も名前もおしゃれだねぇ」
「イギリスのシェパーズ・パイと同じだよ」
「ふぁっ?」
「食べてごらんよ」
「……ほんとだ。シェパーズパイだ」
なんてことがあった。
フランス料理と言われると、なんだかお洒落に思えてしまう。イギリスよ、ごめん。ちなみに、このシェパーズ・パイもアッシパルマンティエ(舌を噛みそうである)もいずれもとても美味しい。
そしてお茶菓子だが、やはり一番有名なのはスコーンだろう。
イギリスには、アフタヌーン・ティーだけではなく、クリーム・ティーというものがある。これは紅茶とスコーンのセットのこと。アフタヌーン・ティーほどは食べられない、または予算がない場合、このクリーム・ティーがお勧めだ。しかも、イギリスではスコーンも量が多い。これだけで十二分に腹が満たされてしまう。なお、クロテッド・クリームも、まるでアイスクリンのようにまるっと大きな状態で出てくる。そう、アイスクリンのように、まるっとした状態で。大切なことなので、二回も言ってしまった。
スコーンにつけるクロテッド・クリームとジャムの順番については、紅茶に入れるミルクの順と同じくらいに論争があるが、自分の好きに食べると良い。ジャムはチップツリーのものがお勧めだ。
閑話休題。
ロンドンは物価が高い。そして、外食には日本でいうところの消費税、VATがなんと20パーセントもかかる。これで鬼の首を取ったように日本のお偉いさんたちが「日本は消費税が安い」なんて言うが、外食ではなく、自宅で調理するための食材や医薬品、子どもの服や書籍などは非課税だ。その辺はどう考えるのかね? と言いたい。これはまったく羨ましい限り。
まぁそれは置いておいて。ロンドンの物価の高さは、外食にももちろん当てはまる。しかもチップが必要な国だ。チップ? 何それ美味しいの? という日本人にとって、厄介この上ない。そこでお勧めなのが、チップ不要の屋台の食事となる。
バラ・マーケットでは、食品も売っているが、屋台もある。B・B・Qのハンバーガーも美味しいし、魚屋がやっているパエリアも美味しい(米が食べたくなったらこちらへどうぞ)。フィッシュ・アンド・チップスも売っている。フィッシュ・アンド・チップスは、ここの店舗だけではなく、イギリス中どこでもとにかく魚が大きいので、気を付けて欲しい。本当に……。一人では食べきれないし、量的に食べられたとしても、正直途中で飽きてしまう。
ついでに、イギリスでの揚げたイモの名称についても補足をしたいと思う。私たちが普段フライドポテトと言っている、あの細長くて(場合によっては少々太い)アレは『チップス』だ。なので、フィッシュ・アンド・チップスを頼むと、揚げた魚と一緒にフライドポテトが出てくる。イギリスではチップスは太め。太いフライドポテトがチップスだと思ってOK。ではポテトチップスは? 正解は『クリスプ』。クリスプとはカリっとした、とか、かたい、みたいな意味がある。これでおイモ天国イギリスで、快適に過ごすことができる(たぶん)。
さて、私は今日はこのパエリアのお店で売っている、ムール貝とチップスのセットを購入。パエリアは量が多いので、一人で食べきるには少々……。そんなわけで、ムール貝とチップスのセットを初購入。
「んっま!」
しっかりと味が染みている。レモンの爽やかな風味と……これはチャイブかな? 日本でいうところのアサツキのような、ワケギのような葱が入っている。イギリスの葱はリーク(太い長ネギ)かスプリングオニオン(日本の長ネギ)が多いので、これはハーブのチャイブじゃないかと思う。まぁそんなことはどうでも良いのだが。だって美味しい。
「あ、ポテトに塩味がちゃんと効いてる。嘘でしょ」
私を驚かせたのは、チップスにきちんと塩味が付いているということ。屋台だから最初から味付けがきちんと付いているのかもしれないけれど、何を食べても基本の味付けがしないイギリスの料理を知っているだけに、かなりの衝撃だった。しかし、美味しい。揚げたてのポテトに塩味。これほどうまいものが、他にあろうか(たぶんある)。大満足。
ここは食べ物のマーケットなだけあって、店々で試食ができたりもする。私が大好きなオリーブの店では、中の種をとってそこにニンニクやら何やらを詰め込んで漬け込んだものや、スパイシーなもの、様々な味付けのオリーブが売っていて、いつもそこで買い込んではホテルでちびちび食べているのだ。ついでに言うと、チーズはスーパーマーケットで安く買える。もちろんバラ・マーケットでチーズを買っても良い。
トリュフ塩やトリュフオイルなんて高級そうなものも、ここでは少量から買える。トリュフ塩よりもトリュフオイルの方が、料理で使いやすいのでお勧め。黒トリュフと白トリュフの両方のパターンを売っている。さらに言うと、店員のお兄さんが格好良いし、お姉さんは美しい。ありがたい。思わず心の中で手を合わせてしまう。眼福眼福。
八百屋さんなどもあるのだが、その店先は「ああ、ヨーロッパに来たな」という感覚になれる。色とりどりの色彩に、思わず写真を撮りたくなる。
全体的に、料理や販売されている商品の値段が安いかと言われれば、観光客も多い関係でそこまで安いわけではない。それでも、楽しみながらレストランよりも安く食事ができるのは最高だ。
このバラ・マーケットは、食べて美味しい、買って美味しい、見て回って楽しい、トリプル楽しいマーケット。ロンドン滞在での食生活を豊かにしてくれる、ありがたい場所なのだ。
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